『上海バンスキング』:1984、日本
1936年、シローとマドンナはハネムーンで上海にやって来た。ジャズバンドのクラリネット奏者だったシローは、皆が憧れていたマドンナを落としたのだ。電報を打っておいた友人のバラケツが港へ迎えに来ないので、シローはマドンナを連れて彼の家へ向かった。使用人の方さんは、昨夜からバクマツが帰宅していないことをシローに伝えた。そこへバクマツが戻り、寝坊して港へ迎えに行ったと釈明する。シローはバクマツがギャンブルに行っていたことを確信するが、そういう男だと知っているので腹は立てなかった。
シローはマドンナに、上海は一日だけだと説明していた。マドンナはホテル経営を学ぶためにパリへ行き、その後も世界各地を巡るつもりだった。シローは結婚に反対するマドンナの父の前で「ジャズを辞める」と約束し、千円を前借りしていた。彼はマドンナをシャワーに行かせると、パリ行きは上海へ来るための口実だとバクマツに明かした。彼は密かにクラリネットを持ち込んでおり、バクマツに「お前のバンドで演奏するぞ」と告げる。シローはマドンナがシャワーを浴びている間に、バクマツを連れて家を出た。
シャワーを終えたマドンナは、シローが隠したクラリネットを発見した。シローとバクマツはアメリカ人のラリーや側近の王たちに捕まり、リリーはどこにいるのかと詰め寄られた。バクマツの家にはリリーが逃げ込み、マドンナに「ラリーがバクマツを殺すと言っている」と話す。ラリーはセントルイス・クラブの社長で、リリーはダンサー、バクマツはバンマスのトランペット奏者だった。リリーはラリーの女だったがバクマツと恋仲になり、昨晩は戻らなかった。そのため、ラリーは激怒したのだ。
ラリーの一味はシローとバクマツを連れて、家に乗り込んだ。ラリーは王に、バクマツの右手の指を全て切り落とせと命じた。リリーが暴れると、ラリーは拳銃を構えた。マドンナが所持金の千円を渡して許してもらおうとすると、ラリーはプラス2千円は必要だと述べた。そこでマドンナは、「シローがバンドで演奏する。自分は歌って踊る」と持ち掛けた。マドンナは社長令嬢で、父が経営する横浜のホールでダンサーをしていたのだ。
ラリーはマドンナとシローに、腕前を見るので店へ来いと要求した。その夜のステージでマドンナは歌と踊りを披露し、シローはバンドに混じって演奏した。ラリーは満足し、2人を雇うことにした。マドンナは左翼学生の弘田真造を発見し、声を掛けた。弘田はマドンナの父から、卒業したら結婚させると約束されていた。しかしマドンナがシローを選んだので、弘田は腹を立てていた。まだマドンナに未練がある彼は、拳銃を取り出した。しかし日本から追って来た特高が店に来たので、弘田はマドンナに拳銃を預けて逃亡した。
1937年夏、バクマツとリリーが結婚することになった。シローがアメリカのジャズに夢中になる様子を見たマドンナは、バクマツに貸した千円を返してほしいと言い出した。彼女は「やっぱりパリへ行きたくなっちゃった」と語り、1人で行くつもりだと明かす。彼女は寂しげな表情を浮かべ、「今のあの人、私を必要じゃない」と呟いた。バクマツは結婚式に、町で偶然に再会した中学時代の友人を招いていた。友人の白井は日本軍の中尉だが、ジャズに理解のある人物だった。ラリーの一味も家に来て、皆がバクマツとリリーの結婚をお祝いした。しかし日本が中国と戦争を始めたという知らせが入ったため、白井は立ち去った。
1937年7月7日に日中戦争が勃発し、同年8月13日には上海に戦火が拡大した。多くの日本人が避難する中、マドンナたちは上海に留まった。バンドメンバーの1人は家族を日本軍に殺され、「もう楽しいジャズプレイは出来ないよ」とシローたちの前で吐露した。爆撃が止んだ後、日本軍が捕まえた中国人を次々に惨殺する様子をシローたちは目撃した。11月11日に上海戦は終結し、12月13日には南京が陥落した。ラリーが去ったセントルイス・クラブでは、日本軍が我が物顔で勝手な行動を繰り返すようになった。
シローはセントルイス・クラブでのし事が嫌になり、黒人バンドがいたアメリカ人の店へ飲みに出掛けた。すると黒人バンドはシカゴへ帰っており、クラブのダンサーだったスーザンは「貴方のクラリネットは、今の上海には合わない」とシローに告げる。「どこから合うと思う?」とシローが訊くと、彼女は自分の故郷のニューオリンズだと答える。シローは興奮した様子で、「故郷の話を聞きたい」と告げた。シローはバクマツの家に帰らなくなり、マドンナは寂しい気持ちを抱えた。
白井がバクマツの家に現れ、日本に帰った方がいいと助言した。バクマツが「やっと上海じゃ戦争が終わったんだぞ」と言うと、白井は「そうならいいが」と口にした。帰宅したシローはバクマツを部屋に呼び、スーザンと一緒にアメリカへ行くことを告げた。盗み聞きしていたマドンナはショックを受けるが、荷物をまとめて出て行くシローに見つからないよう身を隠した。バクマツは追い掛けるよう促すが、マドンナは首を縦に振らなかった。彼女は白井に頼み、一緒に踊ってもらった。
1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発した。1940年6月4日、ドイツ軍がパリに入城した。同年9月27日、日独伊三国同盟が締結された。1940年秋、上海は静けさを取り戻し、マドンナは独りぼっちの生活に慣れ始めた。彼女は家に帰る途中、怪しげな男たちと行動する弘田を目撃した。大尉に昇進した白井はバクマツの家を訪ね、明日から満州へ行くことをマドンナに伝えた。彼は二度と帰って来られないと覚悟しており、別れに一曲歌ってほしいと頼む。マドンナがピアノを弾きながら歌うと、その途中で白井は黙って立ち去った。領事館から呼び出しを受けたバクマツは召集令状を渡され、翌日に上海を発つことが決まった…。監督は深作欣二、原作は斎藤憐 而立書房刊、脚本は田中陽造&深作欣二、総指揮は奥山融、製作は織田明&斉藤守恒、撮影は丸山恵司、美術は森田郷平&横山豊、録音は高橋和久、照明は野田正博、編集は鶴田益一、振付は山田卓、特撮監督は矢島信男、音楽は越部信義。
出演は松坂慶子、風間杜夫、平田満、宇崎竜童、志穂美悦子、夏木勲(夏八木勲)、三谷昇、ケン・フランケル、草野大悟、梅津栄、石川晶、光井章夫、長谷川康夫、綾田俊樹、湯沢勉、マキノ佐代子、来住野潔、黒石正博、三輪鎮夫、島田康雄、ポーラ・セスリン、ナディーン・フロムマー、レイチェル・ヒューゲット、ジョン・ウィラン、栗原敏、酒井努、井上清和、益田哲夫、岡本美登、鈴木玄秀、誠吾大志、澤田祥二、関根大学、崎津隆介、甲斐道夫、稲田龍雄ら。
第24回岸田國士戯曲賞を受賞した同名の舞台劇を基にした作品。
監督は『人生劇場』『里見八犬伝』の深作欣二。
脚本は『魚影の群れ』『化粧』の田中陽造。
マドンナを松坂慶子、シローを風間杜夫、弘田を平田満、バクマツを宇崎竜童、リリーを志穂美悦子、白井を夏木勲(夏八木勲)、方さんを三谷昇、ラリーをケン・フランケルが演じている。
ちなみに、舞台版を初演したオンシアター自由劇場の串田和美が監督を務めた同名の映画も、1988年に公開されている。監督が深作欣二で、出演者に松坂慶子と風間杜夫と平田満。この顔触れでピンとくる人もいるだろうが、1982年の映画『蒲田行進曲』と同じメンツである。
当初は藤田敏八に監督を頼む予定だったが、なかなか製作が進まなかったせいで無理になったらしい。そこで、ヒットした『蒲田行進曲』のメンツを集めて、「あの夢をもう一度」ってことになったのかな。
ただ、それが果たして正解だったのかどうか。
マドンナとシローの関係は誰だって簡単に銀ちゃんと小夏を連想するし、そこだけ取れば焼き直しみたいになっているし、あまりプラスに作用しているとは思えないんだよねえ。
あと、シローにの魅力も感じないってのも辛いなあ。終盤に入って阿片中毒になっちゃうのも本人がバカなだけにしか思えないし、何の同情心も沸かないし。粗筋を読めば分かるだろうが、日本が軍国主義へと突き進み、やがて戦争を始める時期の物語だ。
粗筋では書かなかったが、マドンナの回想シーンではシローがカフェで二・二六事件を報じる新聞を読んでいる。店の外には大勢の軍人がいて、シローが「だんだん住み辛くなるなあ、日本も。逃げ出そうか、二人で」とマドンナに告げる。
シローがマドンナを誘うのは、そんな日本が嫌になったからだ。
軍人が大きな顔をする日本では、自由にジャズを楽しめなくなると思ったからだ。そこでシローは、上海に向かう。そこから自由にジャズを楽しめると思ったからだ。
しかし日中戦争によって上海は戦火に見舞われ、シローの望む場所ではなくなる。上海戦が集結した後も日本軍は留まり、シローにとって居心地の悪い場所という状況は変わらない。
そこで今度は、ニューオリンズへ行こうとする。
彼にとってはジャズこそが全てなので、マドンナを置き去りにすることなんて屁とも思っちゃいない。
マドンナをバクマツに預け、別れの挨拶も無しに去っても、罪悪感など全く抱かない。物語が始まった時点で既に二・二六事件は起きており、そこから日中戦争、そして第二次世界大戦へと進んでいくので、決して明るい未来を夢見ることの出来る時代ではない。
しかし、だからって暗くて重苦しい雰囲気が延々と続くわけではない。バンドの演奏シーンや歌やダンスを何度も挿入することで、明るさや楽しさを出そうとしている。
いわば光と影のような、コントラストを狙っているのかもしれない。
たぶん原作の舞台劇だと、「重苦しさからの解放感」みたいな効果があったんじゃないかと思われる。しかし残念ながら、この映画ではミュージカルシーンに華やかさや楽しさが足りない。
演奏の途中でカットが切り替わると舞台が店内から屋外に変化しているなど、「いかにもミュージカルシーン」と感じさせる演出が無いわけではない。しかし全体としては、あまりに丁寧に力を入れて演出しているようには思えない。
何となく雑然としており、演奏するバンド全体をフワッと見せている感じだ。
だけど、そのシーンにおける主役を決めて、もっとフォーカスした方が良かったんじゃないかな。とは言え、「じゃあ主役をガッチリと決めれば全て解決なのか」というと、そうでもないんだよねえ。
もちろん主役はマドンナってことになるけど、松坂慶子はレコードもリリースしているものの、決して「歌う映画スター」だったわけではない。
なので、彼女の歌唱シーンが映画の大きなセールスポイントになるのかと考えると、そこは大いに疑問が沸く。
また、「シローのクラリネット演奏は吹き替えにせざるを得ない」ってのもネックだ。
そのため、バンド演奏シーンでシローのソロを売りにすることも出来ないんだよね。ミュージカルシーンよりも戦争に関連するシーンの方が、明らかに力が入っている。
激しい爆撃や戦争が行われる様子、戦火が止んだ街で日本軍が中国人を惨殺する様子の方が、印象に残るような仕上がりになっている。
しかも深作欣二監督の持ち味が災いして、変にリアルで反戦的なメッセージが強く伝わって来る形になっているし。
公開された当時のキャッチコピーは「ドンパチ(戦争)やるよりブンチャカ(音楽)やろうよ」だったけど、ブンチャカの魅力が乏しいんだよね。バクマツの召集が決まった後、リリーは一緒に逃げて中国人になろうと持ち掛ける。バクマツは拒否して荷物をまとめ、マドンナはリリーを慰めて一緒にクラブで歌おうと誘う。バクマツも演奏すると言い、そこへシローが戻って来て「俺もその仲間に入れてくれないか」と告げる。
こうして、クラブでのミュージカルシーンに切り替わる。
一応の流れは作っているので、大きく間違っているわけではない。
ただ、シローは「仲間に入れてくれないか」と言った後、「スーザンに逃げられ、内地で頑張ろうとしたがクラブは全て閉鎖された。もう日本でジャズは出来ない」と嘆いているんだよね。
で、その嘆きを吐露した直後にミュージカルシーンへ切り替わるので、それだとタイミングが違うでしょ。なので流れを考えると、先に「仲間に入れてくれないか」という言葉が聞こえて、マドンナたちが見ると酒を飲みながらシローが玄関にいる、という手順は上手くない。
そうではなく、マドンナたちが明るく振舞ってクラブで演奏しようと言っていると、その会話を知らずにシローが戻って来る、という手順の方がいい。
そして「もう日本でジャズは演奏できない」と嘆くシローを励ますために、マドンナたちがクラブでの共演を提案する、という流れの方が間違いなくスムーズだ。仕方が無いことだし、当然ではあるのだが、時代が進むと戦争が激化し、どんどん暗くて重い話になっていく。
楽団と歌姫と踊り子による派手で華やかなミュージカルシーンを挿入する雰囲気は、完全に消え去ってしまう。
最後の40分ぐらいは、妄想の中の虚しいミュージカルシーンが2つあるだけだ。
終戦を迎えても、すぐに明るく楽しくジャズを演奏できる日々が戻って来るわけじゃないしね。
なので最後のミュージカルシーンも妄想だし、どれだけシローやマドンナたちが楽しそうにしていようと空虚な雰囲気しか無い。(観賞日:2024年11月19日)