『センチメンタル シティ マラソン』:2000、日本

舞台はタイ。マチネは元締Xの下で働く殺し屋だ。彼女には生き別れた妹がおり、新聞の尋ね人欄で情報を求めて行方を探している。マチネが殺した男の妹・コミケに、殺し屋フェイが近付いた。フェイは、コミケの面倒を見るようになった。
いつものように指令を受けたマチネは、ターゲットを殺しに行く。だが、既にターゲットは殺されていた。報告を受けたXは、殺し屋モンドを呼び寄せた。マチネの前にフェイが現れ、「換気屋の仕事、本当に人のためになってると思う?」と尋ねて立ち去った。
マチネはXからフェイの殺害を命じられるが、彼女は自分の仕事に疑問を抱くようになってい。フェイはモンドに襲われ、瀕死の重傷を負った。駆け付けたマチネに、フェイは母を殺した父、Xへの復讐を狙っていたことを明かした。マチネはXを殺し、町を出ようとした。だが、彼女は花束を抱えたコミケに胸を刺された。
言葉を失った少女ソワレは、花屋で働いている。彼女には生き別れになった姉がいる。ミカミという男は、いつも彼女の店に1本の花を買いに現れる。ミカミはソワレのために、ソワレと姉の写真をチラシにして町のあちこちに張り出した。
探偵ユウスケは、町で出会ったルルナという女性から「妹を探してほしい」と頼まれた。ルルナは手術を控えており、失敗すれば記憶を失ってしまうという。ユウスケはチラシを見て、ソワレがルルナの妹だと確信する。しかし、それは間違いだった…。

監督は新藤薫、脚本は赤松裕介、プロデューサーは小野浩次&八木欣也、チーフ・プロデューサーは竹本克明、エクゼクティブプロデューサーは田中和彦、撮影は津田豊滋、録音は三澤武憲、照明は川井稔、美術は石井巌、音楽はYasuhiro Suzuki&Mitsuo Yamamoto、挿入歌『瞳の記憶』は小泉恒平。
出演はともさかりえ、佐伯日菜子、寺田農、松田ケイジ、菊地健一郎、薬師寺保栄、大村彩子、ビビ、Fumika Honda、Keiko Henmi、Erina Saito、Marina Saito、Yumiko Itayaら。


2話で構成されるオムニバス形式の映画。マチネ&ソワレの2役を、ともさかりえが演じている。他にフェイを佐伯日菜子、元締Xを寺田農、ユウスケを松田ケイジ、ミカミを菊地健一郎、モンドを薬師寺保栄、コミケを大村彩子が演じている。
監督は新人で、脚本を書いたのは映像作家の人のようだ。
ところで、この新藤薫という監督について調べてみたが、全く情報が無い。いったい何者なんだろうか。もしかして、アラン・スミシーみたいな架空の人物、つまり偽名なんだろうか。謎だ。

タイトルには何の意味も無いと断言してしまっていいだろう。何がセンチメンタルで何がシティで何がマラソンなのか、まるで分からない。監督や脚本家も、実は分かっていないのではないだろうか。少なくとも、出演者は誰一人として全く分かっていないと思う。
タイでロケをしたことも、何の意味も無い。聞こえてくる言語はタイ語ではなく、ほとんど日本語ばかり。ヒロインも日本人なら、元締めも日本人。殺しのターゲットも日本人で、別の殺し屋も日本人。だけど風景は間違い無くタイというヘンテコな状態。映画撮影という名目を用意して、タイに遊びに行きたかったのだろうか。

やたらと映像に凝ったりしているのは、ひょっとするとウォン・カーウァイ監督辺りの路線を狙ったのかもしれないが、だとすれば狙う方向性からして間違っている。というか、実際はウォン・カーウァイ監督の模倣にさえなっていないのだが。
最初にマチネがポエム的なモノローグを語り始めるのだが、その段階でヤバそうな匂いが漂っている。その後、チャプター1ではコミケ、チャプター2ではユウスケもモノローグを語る。映像の雰囲気だけで勝負するのかと思ったら、説明はしたいらしい。

話としては、それほど難しい内容ではない。
いや、むしろシンプルだと言っていいだろう。
しかしながら、見終わった時の感想は「分からねえ」になるのである。
「なぜ」とか「何が?」といった疑問を挙げるとキリが無いが、全て拒絶しているかのようだ。

チャプター1では、なぜかコミケの扱いが妙に大きい。だからといって、コミケのフェイの関係で話を膨らませているわけではない。というか、どこも膨らんでいないのだが。で、マチネが妹を探しているという部分は、ストーリーの中心に位置していない。
チャプター2では一応、ソワレが姉を探しているという話をメインに持って来る。ただし、最初から観客には、ユウスケが「君の姉だ」という人物が本当の姉ではなくてルルナという別人だと分かっている。チャプター1で妹を探す人物としてともさかりえを登場させておきながら、「ルルナがソワレの姉かも」というところで話を進めようなんてムチャだ。

チャプター2では、ユウスケ&ルルナの扱いが大きい。チャプター1にしろ2にしろ、ともさかりえに2役を演じさせているにしては、その構成はおかしい。いずれも「ともさかりえが演じる人物の話」を描くべきなのに、サブストーリーの扱いが大きすぎる。
結局、チャプター1とチャプター2は全くリンクしていない。一応は「主役が姉妹」という部分で繋げているが、マチネとソワレが姉妹でなかったとしても、何の支障も無いし何の影響も無い。極端な話、ともさかりえが1人2役を演じている意味さえ無いぐらいだ。

これを、ともさかりえのプロモーション・フィルムとして考えても、大失敗だろう。可愛らしさをアピールするわけでもなく、ワケの分からない陰気な役を演じさせられるのだから、むしろマイナスだ。そもそも、ともさかりえが殺し屋という段階で、タチの悪い冗談にしか思えない。コメディーなら分からんでもないが、困ったことに大マジなのである。

この作品、ザ・イエローモンキー出演の『trancemission』、ギターウルフ出演の『ワイルド・ゼロ』に続く音楽映画第3弾となっている。だが、それは後付けではないかと思われる。というのも、劇中で音楽や音楽家がフィーチャーされているわけではないからだ。“小泉恒平の挿入曲『瞳の記憶』”という部分で音楽映画シリーズにするのは、無理がありすぎる。
もしかすると、どうにもならない作品なので、何とか売るために形を整えようとして、そういう無理のあるコマーシャル戦略を取ったのかもしれない。
かつてUIPが『ミスター・タンク』『影の私刑』『アイスマン』という全く共通性の無い3作を、勝手に“エキサイティング・ヒーロー・フェスティバル”としてシリーズにしてしまったようなモノだろう。

話は退屈な上に意味不明という、どうしようもない状態だが、しかし、この映画を見て暗くなることはない。
考えようによっては、明るい面も見えてくる。
そう、日本の映画界は、こんな酷いシロモノでも公開されるような恵まれた状況にあるのだと。

 

*ポンコツ映画愛護協会