『戦国自衛隊1549』:2005、日本

2003年10月13日、陸上自衛隊東富士駐屯地。的場毅・一等陸佐が指揮する第3特別実験中隊は、ある実験に参加していた。そんな中、大規模な事故が発生する。実験中隊は、陸自研究本部の神崎怜・二等陸尉らが見守る目の前で一瞬にして消滅した。実験中隊は、1547年へとタイムスリップしていた。的場らは、武士の軍勢に取り囲まれた。
2005年10月6日。居酒屋の店長・鹿島勇祐の元を、神崎と東部方面隊の森彰彦・三等陸佐が訪れた。鹿島は、かつて的場が創設した特殊部隊Fユニットの一員であった。鹿島は、的場が生み出した演習シナリオD−3を征服した唯一の人物でもあった。しかし上からの命令でFユニットの解散が決まったことを受け、自衛隊に失望した鹿島は退官したのだった。
神崎と森は、鹿島に2年前の出来事を説明した。あの日、実験中隊はソーラー・マキシマムを排除する実験に携わっていた。ソーラー・マキシマムとは、太陽活動が11年周期で活発化する際に発するプラズマが、電子機器に障害を与える障害のことだ。実験の内容は、人口的な磁場を使ったシステムで障害を排除しようとするものだった。しかし事故により、中隊は消失した。その3日後、演習地には馬に乗った武士が現れた。調査の結果、彼が1547年から来たと判明した。演習地ごと、過去と現在が入れ替わったのだ。
鹿島は神崎と森から、オブザーバーとして実験中隊の救出作戦“オペレーション・ロメオ”に参加するよう要請された。タイムスリップしてから74時間27分で、フィールドは元に戻る。それまでに同じ場所に戻れば、現在に帰ってこられる計算だ。神崎らは、演習地に出現した巨大な穴を鹿島に見せた。それは、この世に存在する全てを飲み込むホールだという。同じ穴が、全国各地に出現しているという。
過去で的場らが歴史に積極的に介入したことが原因だと、自衛隊では考えていた。このままでは世界がホールに飲み込まれてしまうと告げられた鹿島だが、救出作戦への参加を断った。店に戻った鹿島の前に、2年前の事故で過去から来た武士が現れた。彼は斎藤道三の家臣・飯沼七兵衛だった。七兵衛は鹿島に、「守るべきものが無いのか」と問い掛ける。鹿島は、オペレーション・ロメオへの参加を承諾した。
出発直前、森は隊員に対して現地人との接触を避けるよう命じた。また、実弾の使用は許可が無ければ認めないことも告げた。救出部隊はタイムスリップし、1549年の世界へとやって来た。鹿島や三國陸曹長は傷付いた少年・藤介を発見し、森の命令に逆らってベースキャンプへ運び、介抱した。藤介は、鹿島らと同じ格好をした連中が織田信長の軍勢と共に、駿河に攻めてきたことを語った。
森は周辺調査のため、山瀬二尉の操縦するヘリコプターを偵察に出していた。天母(あんも)山に近付いた山瀬は、歴史上は存在しないはずの城を発見した。その直後、ヘリコプターは誘導弾の攻撃を受けて爆破する。ベースキャンプは侍の軍勢に襲撃され、多数が殺された。残ったのは、わずかに18名だった。鹿島は実弾の使用を求めるが、森に拒否される。森との会話によって、鹿島は初めてオペレーション・ロメオの目的が実験中隊の殲滅だと知った。
翌朝、再び織田信長の軍勢がやって来る。その先頭にいる武者は、かつてFユニットで鹿島の同僚だった与田二尉だった。織田信長と斎藤道三は協力関係にあり、七兵衛は与田二尉の側に付いた。与田二尉らによって、ロメオ隊は信長の根城である天母城へ連行された。鹿島らの前に姿を見せた織田信長は、的場毅だった。
的場は鹿島らに、これまでの経緯を話した。タイムスリップ直後に襲撃を受けて大勢の部下を失った的場は、ここが力のみ認められる時代だと強く意識し、戦うことを決めた。たまたま戦いで斬ったのが、若き日の織田信長だった。的場は道三の娘・濃姫を妻にして、自らが信長として生きるようになった。彼は、この時代から強固な国家を作ると決意していた。的場は新型電池MHDを地下深く落として噴火を誘発し、富士山を崩落させて関東一円を爆発によって壊滅させ、この国を一から作り直そうと企んでいた・・・。

監督は手塚昌明、原案は半村良、原作は福井晴敏、脚本は竹内清人&松浦靖、製作は黒井和男、製作補は佐藤直樹&秋葉千晴、プロデューサーは鍋島壽夫&土川勉&貝原正行、撮影は藤石修、編集は普嶋信一、録音は湯脇房雄、照明は渡辺三雄、美術は清水剛、衣装は新井正人&内海真敏&稲毛英一、特技監督は尾上克郎、VFXプロデューサーは大屋哲男、殺陣は深作覚、音楽はshezoo、音楽プロデューサーは岸健二郎。
出演は江口洋介、鈴木京香、鹿賀丈史、北村一輝、綾瀬はるか、伊武雅刀、中尾明慶、生瀬勝久、嶋大輔、的場浩司、高畑淳子、宅麻伸、入江雅人、井上肇、山下真広、横塚進之介、唐渡亮、水橋研二、井川哲也、和田慎太郎、東地宏樹、辻本一樹、羽柴誠、杉本凌士、七海智哉、津野岳彦、小島晃、平野貴大、岩間天嗣、松下哲、野村明広、森啓祐操、北谷内耕介、金原泰成、高野弘樹、叶雅貴、宮澤寿、高垣顕、山根和馬、久保和明、徳原晋一、武田頼政、むかい誠一 ムカイセイイチ、神卓、松原誠、柄沢次郎、森脇史登、恩田括、細川智三、岡田幸樹、中江寿、河西祐樹、松本航平、岡けんじ、藤田清二、石丸ひろし、新家子一弘、徳井広基、大橋寛展ら。


角川グループ60周年記念作品。
半村良のSF小説『戦国自衛隊』から着想を得た福井晴敏のオリジナル・ストーリーを基にした作品。
鹿島を江口洋介、神崎を鈴木京香、的場を鹿賀丈史、七兵衛を北村一輝、濃姫を綾瀬はるか、道三を伊武雅刀、藤介を中尾明慶、森を生瀬勝久、三國を嶋大輔、与田を的場浩司、濃姫の侍女・各務野を高畑淳子、蜂須賀小六を宅麻伸が演じている。

半村良の小説『戦国自衛隊』は、1979年に同じ角川で映画化されている。
そちらと比較した場合、もうキャスティングの時点で勝ち目はゼロだ。
『戦国自衛隊』の主人公が千葉真一で、今回は江口洋介。
いくら「元」とは言っても、江口洋介に自衛官っぽさはゼロだもんな。もっと無骨な奴の方が良かったんじゃないの。刀を使う場面もあるが、どうしても千葉真一と比較してしまうし。
あと、部下に鈴木京香がいるのは「主人公の近くに女っ気は必要だろ」というハリウッド映画的センスによるものかもしれんが、こちらも全く自衛官にフィットせず。
若い綾瀬はるかや中尾明慶は、時代言葉が口に馴染まずセリフは棒読み状態。
そんな中、どんな作品に出演しても存在感を見せる北村一輝だけは、ここでも確実に自分をアピールしている。

鹿島は「このままでは世界が穴に飲み込まれて消滅する」と言われた時に「こんな世界、消えちまえばいい」と吐き捨てるが、そこまで捨て鉢になってる理由が分からん。たかがFユニットの解散だけで、そんなになっちゃうもんかね。
あと、そんな鹿島が、七兵衛の短い説得で簡単に気持ちを変えるのも分からん。「守るべきものが無いのか」と言われてるけど、鹿島には守るべきものなんて無いのよね。家族や愛する人を守りたいってのも無いし、的場との絆、的場を救い出したいという強い気持ちも感じないし。

ただし極端に言ってしまうと、そこに使命感や誇りや信念といった行動動機が無くても、主人公を強引に巻き込んでしまえば大して気にならなかったと思う。
問題は、導入部がマッタリしすぎてしまうことだ。
『戦国自衛隊』でタイムパラドックスの説明が無かったことを反面教師にしたのか、序盤で説明に時間を割くが、それが「話に説得力を持たせる」というプラスではなく、「話に引き込む勢いと力強さを失わせる」というマイナスばかりに働いているという印象を受ける。

登場人物の行動には「なぜ」が付きまとうが、それが最も強いのは的場だ。
この男が、なぜ自ら信長となって国を一から作り直そうとするのか、その理由がサッパリ分からん。
しかも普通に戦いで勢力を拡大するんじゃなくて、なぜ関東一円を壊滅させて一から作り直すのか。
で、そういうことの理由付けのためにも、タイムスリップした直後の現地人との遭遇及び戦いには時間を割くべきじゃないかと思うんだが、そこはバッサリと削ぎ落としているのね。

的場の部下にしても、なぜ全員が従っているのかサッパリ分からない。
的場がトチ狂って「国を作り変えるぞ」と思ったとしても、それに全ての隊員が同意するとは到底思えないのだが。
そんなことよりも、どうにかして元の時代に戻りたいと考える奴もいるだろうし、あるいは自暴自棄になる奴もいるだろうし。
この映画における実験中隊は、まるで的場に従う機械のようだ。

「燃料補給はどうするのか」という問題を解決するために、城の中に石油精製所まで造っているんだが、そもそも燃料補給など必要が無い。的場たちは、戦国時代の武器で戦えばいい。
『戦国自衛隊』の醍醐味は、「戦車やヘリなど現代の兵器を持つ少数の自衛隊」と「武器は刀や弓矢だが数が圧倒的に多い武士の軍勢」との戦いにあったのだし、そこは踏襲すべきポイントだろう。
ところが、この映画では、的場の軍は現代の武器を2年が経過しても使用しており、ロメオ隊を誘導ミサイルで攻撃する。

自衛隊同士が現代の武器で戦うのなら、タイムスリップの意味など無い。
というか、そもそも事故の原因が自衛隊のミスなわけで、その後で自衛隊が内輪揉めをしているだけじゃないのか。
そこに共感するポイントを見つけ出すのは難しくないかね。

それと、最初に実験中隊がタイムスリップした時から、武士は戦車やヘリコプターを見ても全く臆することが無いのは理解できない。どう考えたって、とりあえずはビビるべきだろう。その後で、攻撃するならしてもいいけど。
ようするに、この映画はカルチャーギャップという要素を活かそうという気が全く無いのである。
だからさ、それならタイムスリップの意味はどこにあるのよ。

当然のことながら大勢の人間が死ぬが、主要キャラクターが死んでも全く感情を揺り動かされない。
森の死なんて、本当なら「自己犠牲」ということで感動の見せ場になるべきなんだろうが、バカバカしさしか感じない。
だってさ、そんなことしなくてもいいのに、無理に敵陣に特攻しているという感じなのよね。
無駄死だもんな、完全に。

陸上自衛隊の全面協力というのが映画の売りの1つなんだろうが、ストロング・ポイントになっているとは感じなかった。むしろ、自衛隊の協力が制約に繋がっているんじゃないかと思ってしまう。
大規模な戦闘シーンが無いのも、大挙して押し掛ける武士達を自衛隊が次々に倒していくようなシーンが無いのも、「あまり自衛隊が人殺しをするのは避けてほしい」という制約があったんじゃないかと。
あと、終盤になると、「実は藤介が木下藤吉郎でした」とか「実は七兵衛が後の信長でした」という展開になるが、ただ苦笑するのみだ。

(観賞日:2006年7月19日)


第2回(2005年度)蛇いちご賞

・作品賞

2005年度 文春きいちご賞:第4位

 

*ポンコツ映画愛護協会