『関ヶ原』:2017、日本

1600年、旧暦9月14日。関ヶ原。戦いの前日。石田三成は家臣の島左近と嫡子の信勝を伴って馬を走らせ、「負けるわけにはいかん」と口にした。1572年頃、佐吉という幼名だった三成は、鷹狩りに来ていた豊臣秀吉と寺で出会った。三成は茶を出す際に繊細な気遣いを見せ、秀吉は彼を取り立てることにした。16年後。1588年、大坂城。秀吉は三成に、「大坂城に掘が出来たら、次は伏見に城を建てる。その次は明国を攻め、朝鮮を従える」と語った。
7年後。1595年。伏見の徳川屋敷。徳川家康は登城を命じられるが、道中着のまま行くことにした。彼は家臣である井伊直政や本多正信の前で、「諸大名は朝鮮出兵のために苦しんでおる」と家康への不満を語る。伏見城には五大老と五奉行が揃い、前田利家は朝廷に金銀を献上した秀次の行動を秀吉が問題視したこと、福島正則に高野山を包囲された秀次が討死したことを語った。三成は家康の道中着を見て、大谷刑部に「あまりにも粗忽だ」と告げた。
利家は秀次の係累の処遇について、斬首を決定したと発表した。家康は真っ先に声を発して、秀吉の考えに賛同だと告げた。三成は側室になる前だった駒姫の助命を嘆願するが、秀吉は冷徹に却下した。京の三条河原に秀次の側室や侍女たちが連行され、小早川秀秋が先導役を命じられた。秀秋は三成を見つけると、駒姫の助命が叶わなかったことへの怒りを吐露した。そんな中、数名の侍女が短刀を抜いて侍たちに襲い掛かった。三成は刑部から、処刑場を後にする左近の存在を教えられた。
侍女たちが次々に倒れる中、最後に残った初芽は傷付きながら短刀を振り回す。三成は侍たちに「手を出すな」と命じ、自らの手で初芽を取り押さえた。彼は左近を追い掛け、家来になってほしいと頼んだ。左近は尼僧の妙善尼がいる寺に戻り、改めて三成と話す。秀吉を嫌悪する左近は要請を断ろうとするが、三成の熱い説得で翻意した。三成の屋敷で介抱されていた初芽は意識を取り戻し、彼の首筋に短刀を突き付けた。勇気に感心したことを三成が語ると、初芽は生き残った者が他にいるのか尋ねた。姉は無事だと三成が教えると、初芽は自分が伊賀者で帰る場所も無いことを話す。彼女は「犬としてお使いくだされ」と言い、三成は召し抱えることにした。左近は大和柳生の里で妻の花野や子供たちと会い、仕官が決まったことを話した。
3年後、1598年。三成は家康に対して露骨に失礼な態度を取り、左近から諌められる。三成は秀吉の衰弱を見た家康が天下取りの下準備を進めていることを語り、憤懣を隠そうともしなかった。竹杖事件を聞いた正信は、三成を斬るべきだと家康に進言した。すると家康は、彼に謀反の名目を着せてからだと告げた。家康は豊臣家を2つに割るため、秀秋から手を付けると決めた。蔚山での戦いに関して秀秋の裁きが開かれると、三成は勝手な行動を糾弾した。家康は秀秋を擁護し、裁きの後で2人になると「三成が秀吉に持ち上げるべきではないと進言した」と吹き込んだ。彼は外様を少しずつ動かして時間を稼ぐ役目を持ち掛け、柳生五郎右衛門宗章を家来に付けた。
家臣たちは利家の元に集められ、秀吉への誓約書に署名するよう要求された。三成も誓約書を利家に渡すが、同席していた家康だけは署名しなかった。三成が咎めると、家康は「自分と大納言は太閤様に差し出すことになっており、万が一の時は棺に入れる」と説明した。三成は誰が確認するのか」と疑いの目を向けるが、利家が一喝した。初芽は京の東山へ行き、忍び市に参加して亡き父と一緒に仕事をしていた赤耳たちと会った。家康の忍者である蛇白は、彼が他で働く伊賀者を見つけたら始末する気だと語った。初芽は左近の元へ戻り、家康邸へ駆け付けた諸大名の名簿を渡した。
1598年8月18日に秀吉が死去し、三成が看取って遺言を聞いた。三成は浅野幸長たちに、家康を含む諸大名には秀吉の死を口外しない遺言だと告げた。年の暮れに朝鮮から戻った加藤清正は北政所を訪ね、秀吉の死を隠していた三成に対する怒りを示した。清正が三成を斬ろうとする考えを明かすと、同席していた家康がなだめた。彼は三成を追い込むために、小西行長への訴状を自分へ提出するよう指示した。初芽から情報を聞いた三成は、家康に先んじて行長に清正への訴状を提出させた。納得できない清正ら七将は三成を襲撃しようとするが、利家が立ち塞がって阻止した。
家康は屋敷で茶室を開き、島津惟新入道を招いて懐柔を図った。初芽は赤耳を使って屋敷を監視させ、家康が勝手に論功行賞を約束したという情報を得た。初芽から報告を受けた三成は利家に会い、島津に恩賞を与えてはどうかと提案した。左近は三成から家康に対抗する策を問われ、諸侯と切り離すことを進言した。そのために彼は、秀頼を大坂へ移す時期を早める作戦を提案した。利家は1599年1月に閣議を開き、その3日後に秀頼を大坂へ移すと発表した。
蛇白は赤耳が初芽に情報を漏らしたと気付き、脅しを掛けて寝返らせた。三成は初芽に、越前の刑部を訪ねる仕事を指示した。犬としての立場を貫こうとする初芽に、彼は「お前は犬ではない。かけがえの無い女じゃ」と愛おしい気持ちを告白した。初芽は刑部に家康の動きを知らせ、病気が治れば一刻も早く大坂へ来てほしいという三成の意向を伝えた。その帰り、初芽は山道で赤耳と手下2人に襲われた。彼女は赤耳に額を切られ、崖下へ転げ落ちた。
1599年3月、利家が死去した。大坂の石田屋敷では左近が清正たちの動きを知り、手勢が少ないので逃げるしかないと三成に告げる。初芽が戻らないことばかり気にしている三成に、左近は冷静な判断を促した。三成は家康を嫌悪する直江兼続と会い、上杉景勝を動かすための協力を取り付けた。赤耳は兼続の元に現れ、家康の手下から抜けたので再び使ってほしいと頼んだ。三成は左近や前野兵庫たちに、「今、ワシが死ぬと一番困るのは誰だ?」と問い掛けた。左近は家康だと答え、三成の作戦を悟って感嘆した。
三成は徳川屋敷へ赴き、家康の代理として出迎えた本多正信に嫌味を浴びせて挑発した。彼は正信や直政たちに、清正一派から匿うことを申し入れた。家康は憤慨しながらも佐和山へ送り届けることを承知し、清正たちを説き伏せた。1600年春、初芽は人買いに捕まり、奴隷として海辺の村に売られた。佐和山の三成は左近から、家康が東へ下ることを知らされた。左近は領地内で斬るべきだと主張するが、三成は「正義か不義かと判断して兵を挙げる」という信念を曲げなかった。
7月12日、三成は刑部を伴って安国寺恵瓊と会い、北の上杉と西の自分たちで家康を挟み撃ちにする計画を説明した。三成は家康に勝つために毛利輝元の加盟と奮戦が重要だと考えており、その説得役を恵瓊に要請した。恵瓊は説得材料が必要だと言い、「勝ったら筆頭家老の地位を」と持ち掛けた。三成は「それでは徳川が毛利になるだけではないか」と憤るが、刑部が「毛利の下で事を計る方が良い」と説得したので仕方なく了解した。三成は加盟諸侯を集め、家康を討つと宣言した。
大坂には諸大名の家族が住む屋敷があり、家康に付いた面々からすると人質に取られたような状態だった。7月16日、細川家の家老たちが屋敷に火を放ち、主君の忠興を殺害した。三成は強引な人質政策を取れば同じことが続き、上杉討伐に加わった諸大名の戦意を煽ることに繋がると考えて作戦の変更を決定した。西軍として動くことになった秀秋は、家康に手紙を送っても返信が無いことに不安を覚えて北政所に相談した。北政所は黒田長政に手紙を書き、家康に伝えてもらうよう助言した。三成は大垣城に輝元が来るのを待つが、催促しても一向に現れなかった…。

脚本・監督は原田眞人、原作は司馬遼太郎「関ヶ原」(新潮文庫刊)、製作は市川南&佐野真之、共同製作は中村邦晴&吉崎圭一&弓矢政法&木下直哉&藤島ジュリーK.&宮崎伸夫&広田勝己&東実森夫&大村英治&松田誠司&林誠&杉田成道&荒波修&吉川英作&井戸義郎&鯉沼久史、企画は鍋島壽夫、エグゼクティブプロデューサーは上田太地&豊島雅郎、プロデューサーは山本章、撮影は柴主高秀、照明は宮西孝明、美術は原田哲男、録音は矢野正人、編集は原田遊人、VFXスーパーバイザーはオダイッセイ、衣裳は宮本まさ江、殺陣は森聖二、アクションコーディネーターは中村健人、プロダクション統括は佐藤毅&中澤サカキ、音楽は富貴晴美。
出演は岡田准一、役所広司、有村架純、平岳大、東出昌大、木場勝己、松山ケンイチ、滝藤賢一、大場泰正、中越典子、壇蜜、西岡徳馬、北村有起哉、伊藤歩、中嶋しゅう、音尾琢真、松角洋平、和田正人、キムラ緑子、麿赤児、久保酎吉、春海四方、堀部圭亮、三浦誠己、たかお鷹、橋本じゅん、山村憲之介、宮本裕子、永岡佑、田島俊弥、辻萬長、荒木貴裕、安藤彰則、金子太郎、井上肇、山口孝二、北岡龍貴、藤倉みのり、荻野みかん、成田瑛基、山崎清介、中村育二、天乃大介、吉村界人、田中美央、大川ヒロキ、福富ゆき、円地晶子、和田菜々、清水直子、林卓、鴨川てんし、辻本晃良、生島翔、猪熊恒和、川中健次郎、大西孝洋、鈴木壮麻、杉山英之、田邊和也、塚本幸男、関口晴雄、齋賀正和、尾崎右宗、西原誠吾、緑茶麻悠、楠本千奈、安藤裕子、高野万優、河城英之介ら。


司馬遼太郎の同名ベストセラー小説を基にした作品。
脚本&監督は『駆込み女と駆出し男』『日本のいちばん長い日』の原田眞人。
三成を岡田准一、家康を役所広司、初芽を有村架純、左近を平岳大、秀秋を東出昌大、語り部を木場勝己、兼続を松山ケンイチ、秀吉を滝藤賢一、刑部を大場泰正、花野を中越典子、妙善尼を壇蜜、利家を西岡徳馬、直政を北村有起哉、蛇白&阿茶を伊藤歩、赤耳を中嶋しゅう、正則を音尾琢真、清正を松角洋平、長政を和田正人、北政所をキムラ緑子が演じている。

最初に1600年の三成や左近たちが登場し、『関ヶ原』というタイトルが表示された後で「今、思い出している。筆者が少年の頃、近江の国のその寺へ行ったことがある」というナレーションが入る。
少年と老人が寺で話している様子が写し出される中、ナレーションは続いて「関ヶ原というと、途方も無い人間喜劇、もしくは悲劇を書くにあたってどこから手を付けて良いものか苦慮していると、私の少年の頃の情景が云々」と語る。
ヘンリー・ミラーの「今、君は何か思っている。その思い付いた所から手を付ければ良い」という言葉を引用し、「そういう具合に話を進めよう」というトコまでナレーションが語り、1572年頃のシーンから三成の話に戻る。
この部分、「どういうつもりで入れたのか」と言いたくなる。

まず「筆者って誰なんだよ」とツッコミを入れたくなる。それは司馬遼太郎のことであり、「司馬遼太郎がナレーションしている」という設定なのだ。
しかし、司馬遼太郎は原作小説の書き手ではあるが、この映画の作り手ではないし、何より語り手ではない。
「司馬が書いている小説の劇中劇」として『関ヶ原』が描かれるなら、そういう形を取るのも理解できなくはない(それが上手いか下手かは別にして)。しかし、そういう体裁を取っていないのだから、司馬が語り手ってのは筋が通らない。
なので少年の回想シーンも、まるで要らないってことになる。
それは原田眞人が正面から『関ヶ原』を描くことに恐れをなして、変に誤魔化しているようにしか思えない。

少年と老人のシーンが終わったら関ヶ原の合戦に入るのかと思ったら、幼少期の佐吉から始めている。
そうなると、ますます木場勝己が司馬遼太郎として語るナレーションは全く必要性が無い。どうしてもナレーションを使いたいのなら、完全に第三者として語らせるべきだ。
っていうか、ナレーターに進行役を任せること自体が、下手なやり方だと感じる。
幼少期の三成のシーンでは、そこで起きている出来事を全てナレーションが説明しており、映像は補助に過ぎない。それはまるで、歴史教養番組の再現ドラマのようだ。そこに娯楽映画としての面白さは、まるで感じられない。

そもそも、少年時代の三成を描くシーンなんて、これっぽっちも必要性を感じない。
ガキの頃に秀吉と出会って取り立てられたことを最初に描いたところで、それが後の展開に与える影響なんて皆無だ。
その後には1588年のシーンがあるが、これも要らない。そうやって短いシーンを連ねて少しずつ歳月を経過させている狙いが、まるで見えて来ない。
ただ時系列を追って、「こんなことがありました」と表面的な部分をなぞっているだけなのだ。

みんなが早口で喋る上に方言を使う人物もいるため、何を喋っているのか聞き取れない箇所が幾つも出て来る。そんな余計なトコで、映画入り込むことを妨害して、何の得があるのか。
しかも全員が出身地に合わせた方言を喋るわけではなく、ごく一部に限られている。なので、リアリティーを徹底しているというわけでもないのだ。ただ中途半端に方言を持ち込んでいるだけなのだ。
ただし不幸中の幸いで、何を喋っているか分からない箇所が多くても困らない程度の内容しか無い。あまりにも大量の情報を詰め込もうとした結果、全く収まり切らず、話の流れをザックリと追うだけで精一杯になっている。
キャラクターの魅力を描くことも、友情や恋愛劇を描くことも、ドロドロとした人間模様を描くことも、知略の攻防を描くことも、何一つとして充分に出来ていない。

たくさんの情報を詰め込むために数多くの省略が実施されているが、それが過剰になっている。
そのせいで、そこで何が起きているのか分かりにくいという状況が次から次へと出て来る。
秀次が討死して側室や侍女たちが惨殺される出来事にしろ、竹杖事件にしろ、蔚山の戦いに関して秀秋が裁きを受ける出来事にしろ、そこに至る経緯がサッパリ分からない。
関ヶ原の合戦と前後の歴史について充分な知識を持っていないと、そこで起きている出来事をキッチリと把握するのは難しい。

描かれるシーンがちゃんした流れを作っておらず、全てがブツ切りで並べられている状態だ。こっちの脳内補完に頼る部分が、あまりにも多すぎる。
どうせナレーションに頼るのなら、そういうトコで補足してくれりゃいいんだよな。
ところが、無意味なトコで饒舌なくせに、そういうトコでは全く説明してくれないのだ。
っていうか序盤を過ぎるとナレーションはパッタリと止んでおり、変なタイミングでチラッと入ったりする。「どこでナレーションを使うか」という感覚が、まるで理解できない。

三成は左近から「なぜ暴君の秀吉に忠誠を尽くすのか」と質問された時、「暴君が私を作りました。倒すことよりも、上様がかつて抱いた 正義の心を継承したい」「後継者争いが起きた時、忠義の旗を掲げねばならない」などと語る。
色々と喋っているけど、理不尽な男に忠義を尽くし続ける理由として腑に落ちるモノは何も無い。
そもそも何を言っているか分かりにくいという問題があるし、何より「秀吉が正義の心を観客に見せたシーンが無い」ってのが一番の問題だ。
観客が見せられる秀吉は、朝鮮出兵を言い出して三成さえ懸念を示す奴であり、理不尽に秀次の側室や侍女たちを皆殺しにするような奴だ。どこに正義があるのかと。

三成は秀秋に関ヶ原の合戦での出陣を求める際、「義のみが世を立て直せる道でござる。不義が正義に勝ってはなりませぬ」と訴えている。
野心に満ちた策略家の家康が、不義と言われても仕方の無い人物だってのは確かだ。
ただし、じゃあ三成に正義があるのかというと、それも違うだろう。
「秀吉を裏切ったから家康は不義、秀吉の嫡男である秀頼に付いたから三成は正義」ってのは、まるで同意しかねる。それは自身を正当化するための、浅くてヘタクソな詭弁にしか聞こえない。

この映画には、最初から主人公の敗北が分かっているという問題がある。
必ずしも主人公が勝者でなくちゃダメってことはないが、敗者にした場合、分かりやすい「勝利のカタルシス」は得られない。
なので、滅びの美学なり、悲劇のカタルシスなりが欲しいところだが、それが無い。
この映画で描かれる三成を見ていると、「そりゃあ負けて当然だよな」と冷めた気持ちになってしまうし、キャラとしての魅力を全く感じないからだ。

「三成が愚かだから戦に負けた」というシンプルな感想しか湧かないってのが、この映画の致命的な欠点である。
「義に生きたから」とか「純粋すぎたから」ってのを何度もアピールしているけど、そういうプラスの方向で三成の言動を受け取ることは出来ない。家康が利口で、三成はバカだったというだけだ。
ずっと家康が一枚上手ということではなく、三成が策を講じて彼をギャフンと言わせるシーンもある。だけどトータルで見た時に、三成の近視眼的で柔軟性に乏しい考え方が敗北に繋がったと感じるのだ。
そこを「男気に溢れている」とか「義理人情に厚い」という方向で、魅力として捉えることは難しい。そう感じさせるほどの描写が用意されていないからだ。

ただでさえ情報量が多くて全く処理能力が追い付いていないくせに、なぜか初芽が絡むトコで多くの時間を割くというダメすぎる脚色をやらかしている。
そりゃあ有村架純は可愛いかもしれないけど、この映画だと「有村架純は可愛い」というだけではアウトでしょ。
初芽は忍者としての凄みや身体能力の高さが必要なキャラなのに、そういうのが全く見えない。
動きの鈍さをカット割りで誤魔化そうとしている意識は見えるが、まるで誤魔化し切れていないし。

そもそも三成と初芽のロマンスという要素が、丸ごと要らないんだよね。初芽の登場シーンを全てカットしてもいいぐらいだ。
変なトコでハリウッドに毒されて、「大作映画をヒットさせるにはヒロインや恋愛劇が必須でしょ」という判断に至ったのか。
だとしたら、そういう考えを全否定しようとは思わない。
ただ、ヒロインを配置して恋愛劇を用意するにしても、初芽は違うわ。有村架純を起用するにしても、もっと別の形で扱うべきだわ。

戦略の面白さってのは、これっぽっちも伝わらない。
そこを重視するなら、極端なことを言ってしまえば関ヶ原の合戦の当日だけで全体を構成してもいいぐらいなのだが、そこまで徹底する覚悟は無かったようだ。
合戦の前日から当日に掛けては、行動を指示する台詞が飛び交ったり、武将がいる地名が表示されたりするが、それぞれの位置関係は全く分からない。
「東軍がこういう動きを取り、西軍はこういう動きを取って、それによって戦況はこんな風に変わった」ってことが、全く伝わらない。

30分ほど続く合戦シーンには血沸き肉躍る興奮を期待するが、何しろ最初から三成の敗北が分かっているだけに、それは難しい。
そういう問題を抜きにしても、やたらとゴチャゴチャしているだけ。
表面的な迫力はあるものの、高揚感は無い。集団戦闘の面白味を堪能することは出来ず、「ダラダラと続けているなあ、無駄に長いなあ」と感じるばかりで退屈が襲って来る。
合戦後のシーンも、ただの蛇足になっている。
原田眞人が黒澤明になろうとしたけど、せいぜい角川春樹レベルだったってことでいいんじゃないかな。

(観賞日:2018年10月31日)

 

*ポンコツ映画愛護協会