『セカンドバージン』:2011、日本

マレーシア奥地の病院で、中村るいは3日前から意識不明の状態に陥っている鈴木行を看病していた。医者が来るのは翌日で、それまでは彼の詳しい容態さえ分からなかった。るいは大きな病院に移したいと考えるが、看護婦は「今は動かさない方がいいです」と反対した。るいは意識の無い行に、「大丈夫、きっと良くなる。元気になって一緒に日本へ帰ろう。やっと会えたんだもの」と話し掛けた。
3日前、るいはマレーシアの町で行を見掛けた。行はマフィアの手下2人に声を掛けられ、車に乗り込もうとしていた。るいが「行さん」と大きな声で呼び掛けると、行は手下たちを突き飛ばして逃走を図った。るいが追い掛けると、向こうで発砲音がした。慌てて彼女が現場へ行くと、銃弾を浴びた行が倒れていた。そこで、るいは彼を病院へ運び、医者を待っていたのだ。翌日になってやって来た医者は、「残念ながら助かる見込みはありません。あと数日の命です」と通告した。
るいは警察署へ連行され、刑事の事情聴取を受けた。刑事から質問を受けた彼女は、5年前まで東京で行と一緒に暮らしていたことを話す。すると刑事は、「奴は台湾人だ。ヤン・ミンリョンという中国系ファンドの一味で、アジアで違法な投資を繰り返している」と述べた。るいは刑事から「恋人なら、この5年間、何をしていたんだ?捜していたのか、それとも忘れていたか」と尋ねられ、真っ直ぐな表情で「忘れたことなどありません」と答えた。
5年前、るいは行と同棲生活を送っていた。だが、ある朝、彼女が目覚めると、行は姿を消していた。電話を掛けても繋がらず、そのまま行は失踪してしまった。るいは行の妻である万理江の元を訪ねるが、彼女も行の居場所は知らなかった。万理江は皮肉っぽい態度を見せ、「私を捨てて、貴方まで捨てちゃったの。あの人がどこへ行っても、生きてても死んでても、離婚はしませんから」と言い放った。
8年前、るいは新海社の専務として、部下の山田梨恵や坂口貴浩を従えてバリバリと仕事をしていた。出版業界の辣腕プロデューサーとして知られる彼女は、あるパーティーで金融庁局長の那須田から行を紹介された。行は那須田が目を掛けていた部下だったが、独立してネット証券会社「モンディアーレ証券」を立ち上げた。るいは行に出版の話を持ち掛けるが、即座に断られる。しかし彼女は執拗に食い下がり、「貴方は必ず私と仕事をします。そして必ず私に感謝します」と自信満々に断言した。
新海社から出版された行の著書はベストセラーとなり、彼は時代の寵児となった。るいは行と惹かれ合うようになるが、距離を置こうと考える。それでも熱烈に行がアプローチして来るので、るいは「夫と別れて20年以上、男の人を知らないの。セカンドバージンに陥った女が、それを突破するのは簡単じゃないわ。17歳の年下の貴方と、そんな冒険はしたくない」と話す。しかし、るいは行と肉体関係を持ち、親密な交際をするようになった。
モンディアーレ証券が金融商品取引法違反の容疑で東京地検の家宅捜索を受け、行は逮捕された。仮釈放された行だが、自暴自棄になって荒れた生活を送るようになった。るいは行に辛く当たられても、恒のに明るく振る舞った。彼女は「どんな貴方も受け止めるわ」と言うが、行は「俺は息子じゃない。嫌なんだよ、そういう疲れないるいさんが。俺を守るために強くならないでくれよ」と苛立ちを示した。
病院で意識を取り戻した行だが、るいが声を掛けると英語で「君は誰?」と尋ねる。るいはショックを受けるが、行は記憶を失ったわけではなく、彼女の前で芝居をしたのだった。るいは何も知らずに沈んだ気持ちを抱き、病院の庭で佇んだ。だが、行が口ずさむ思い出の歌が聞こえて来たので、るいは感極まって涙をこぼした。そんな中、日本領事館の井上に連れられ、万理江が病院を訪れた。るいは「私と一緒にいたら、行クンはこんなことにはならなかった。みんな貴方が悪いのよ」と責められるが、強気の態度で言い返した…。

監督は黒崎博、脚本は大石静、企画・製作は中沢敏明&軽部淳、製作は秋元一孝&見城徹&畠中達郎&小崎宏、エグゼクティブプロデューサーは松本寿子&厨子健介&池田史嗣、プロデューサーは青木信也&佐倉寛二郎、ラインプロデューサーは岡林修平、キャスティングは空閑由美子、撮影は笠松則通、照明は渡邉孝一、録音は弦巻裕、美術は小川富美夫、編集は森下博昭、協力プロデューサーは鈴木嘉弘、音楽は めいな Co.。
主題歌『愛を止めないで』倖田來未 作詞:倖田來未、作曲・編曲:谷口尚久。
出演は鈴木京香、長谷川博己、深田恭子、北見敏之、天野義久、田丸麻紀、橋本一郎、ヌル エルフィラ ロイ、モハメド ハイカウ アイマン、レクッス アンジェレス、シワナナ スンダラム、バルニー、アダム コリー、カマル ザマン、ムスタザ、クリストファー パッテン、シビル フェルナンデス、グラン フェルナンデス、ハイシン フェルナンデス、ギルバート アロイシルス、ビィクトリア、イクラス、中西美帆、吉原朱美、中山雄介、八木のぞみ、武藤令子、山口友和、姫野マサト、浜近高徳、内田健介、西村真 、長塚道太、山本好子ら。


NHK総合とBSハイビジョンで放送され、「ドラマ10」枠で最高視聴率を記録した同名TVドラマの劇場版。
監督の黒崎博と脚本の大石静は、ドラマ版に引き続いての参加。
TVシリーズのレギュラー出演者からは、るい役の鈴木京香、行役の長谷川博己、万理江役の深田恭子、那須田役の北見敏之、梨恵役の田丸麻紀、坂口役の橋本一郎が続投している。
向井役の段田安則や児玉役の小木茂光、賢吉役の石田太郎や文江役の朝加真由美といった面々は登場しない。

「TVドラマの視聴率が良かったり話題になったりしたら、安易に劇場版を作りたくなる」という悪性のウイルスは、民放の各局だけに留まらずNHKにも蔓延しているらしい。
本作以外にも『ハゲタカ』や『サラリーマンNEO』の劇場版が製作されている。
そのウイルスの悪質さに関してはひとまず置いておくとして、少なくとも『セカンドバージン』に関しては、どれだけ評判が良かったとしても映画化なんて絶対に有り得ないはずだった。
なぜなら、もう話の続きを作ることなんて不可能なドラマだったからだ。

『セカンドバージン』のドラマ版は、るいと行の不倫愛を描く物語だった。その行は、最終回にシンガポールで死亡している。
不倫愛を育む片方の人間が既に死去しているわけだから、その続きなんて描きようが無いではないか。
これが「アラフォー女性の生き方を描く」というテーマの作品であれば、「過去に不倫愛を育んだ年下の恋人を亡くしたヒロインが、それを乗り越えて前に進もうとする」という再生の物語として続きをやるのは1つのアイデアかもしれない。
でも、そうじゃなくて、あくまでもタイトルにあるようにセカンドバージンってのがキーワードになっているわけで。
だから行が死んだことで、もう物語は完結しているのだ。

そんなことは製作サイドも、充分に承知しているだろう。
それでも「当たったドラマだから映画にして稼ぎたい」という商売根性で無理に作った映画がどんな内容になっているのかというと、「中途半端なパラレルワールドと中途半端な回想劇を組み合わせた出来損ないの総集編」といった感じだった。
ドラマ版を見ていない人は付いて行けず、ドラマ版を見ている人にとっては大半が見たことのある内容だ。
誰も喜ばず、誰も得をしないという愚かな映画に仕上がった。

ドラマ版で行が撃たれて命を落としたのはシンガポールだったが、それを映画版ではマレーシアに変更している。
だが、わざわざ場所を変更している意味がサッパリ分からない。
その時点でドラマ版を見ていた人からすると違和感があるだろうし、ドラマ版を見ていない人からするとシンガポールだろうがマレーシアだろうが全く支障は無い。
なぜ変更したのかって、たぶん「マレーシアでロケをしたかった」ということなんだろう。

映画版で新たにロケをするとしても、シンガポールってことでいいんじゃないかと思うが、何かマレーシアの方が都合がいい理由でもあったんだろうか。
まさか「関係者の誰かがマレーシアに行きたかったから」とか、そんなバカな理由ではないと思うが、そもそも海外ロケをしている必要性さえ感じないんだよな。別に日本でもいいんじゃないかと。
マレーシアの風景が効果的に使われているわけでもないんだし。
遅れて来たバブル時代の映画なのかと思うぐらい、無駄で無意味な海外ロケでしかない。
まあ、それを言い出したら、この映画そのものが無駄で無意味なわけだが。

映画が始まると、既に行は撃たれて意識不明の状態と化しており、どういう経緯で撃たれたのかが短い回想で説明される。
医者が「行は助からない。あと数日で死ぬ」と宣告するので、「彼が死ぬまでの数日間に渡る2人の関係を描く」という内容にするのかと思いきや、かなりの時間を回想に費やしている。
撃たれた場所がシンガポールからマレーシアに変更されているし、「ひょっとすると、るいと行の関係もドラマ版とは異なるアナザー・ストーリーとして描くのかな」と思っていたが、そうではなかった。
ドラマで描かれた内容を、適当になぞっていくだけだった。

せめて総集編としての価値があるのかというと、それも無い(仮に総集編としての価値があったとしても、テレビのスペシャル版としてやるべきだとは思うが)。
何がダメって、物語のポイントになる事象だけを抽出し、必要な過程がことごとく抜け落ちているってことだ。
本来なら、「るいは20年以上前から恋を捨てていたが、行の熱烈な求愛を受けて心を惹かれる。セカンドバージンを突破することへの不安が強かったが、行の情熱に心の壁を溶かされて深い関係に落ちる。火が点いた彼女は行に愛情を注ぐが、17歳年下&不倫関係ということで不安や葛藤が付きまとう」という、ヒロインの心の揺れ動きを丁寧かつ繊細に描くべきだと思うのだ。
しかし、そういう意識が全く感じられない。

この映画の回想シーンを見た限りだと(また無駄に時間軸を行ったり来たりして話に入り込むのを妨害するんだよな、これが)、るいはパーティーで行と出会って強引に仕事を依頼し、すぐに惹かれている。
距離を置こうとして電話でのアプローチも冷たく処理していたが、「セカンドバージンを突破するのは簡単じゃない」と言った直後にセックスする。
ようするに、全てが淡白で、次の行動に至る心の機微というものが全く描かれていないのだ。
特に「セカンドバージンを突破するのは不安」と考えていた彼女が、行との恋に冒険してみようと決意するまでの心の変遷ってのは、ものすごく重要な部分のはずなのに。

回想だけが延々と続くわけではなく、何度もマレーシアのシーンに戻ってくる。
しかし、それは回想と回想を繋ぐためのモノと言ってもいい。
一応は現在進行形のドラマもあるけど、「映画にしたから何か付け足さないとマズいんじゃね?」という程度にしか感じない。
あと数日の命と宣告された行が、意識を取り戻してからは「次第に衰弱していく」という様子も無く、むしろ回復へ向かっているようにしか見えないのもバカバカしいし。

それと、回想シーンもそうなんだが、現在進行形であるはずのマレーシアのシーンにしても、遅々として話が先に進まないんだよなあ。
むしろ回想部分をバッサリと削ぎ落として、現在進行形の部分を膨らませた方が、まだ形はマシになったかもしれない。
その場合、るいと行の過去に関しては観客に脳内補完してもらう必要があるけど。
あと、それで形がマシになったところで、この映画を救えるわけではないけど(だったらダメじゃねえか)。

ドラマに比べると、万理江の存在感は非常に薄くなっている。
るいが失踪した行のことを尋ねに行くシーン、外務省から行が発見されたという連絡を受けるシーン、病院を訪れるシーンの3回しか出番は無い。
万理江がいかに身勝手な女であるかという描写は全く無いし、るい&行の不倫を知ってから陰湿な嫌がらせを繰り返したことも描かれない。
行との関係を示す回想シーンがチラッと挿入されるが、そこでは「幸せな夫婦」の様子しか描かれないので、彼女は「夫を愛する良き妻」でしかない。

るいは病院を訪れた万理江から責められた際、「エッチ目当てで彼に近付いた」と指摘されると「エッチも愛の側面」と開き直り、「私と行さんがどんな風に愛し合っていたか、今もどんな風に愛し合っているのか、貴方には分かりません」と鋭く言い放つ。
万理江も性格的に少々の問題があって未熟な人間だとは感じるが、比較するとヒロインの方が明らかに「悪い女」に見える。
るいは万理江に対して何の遠慮も無いし、何の罪悪感も抱かないのだ。
堂々とした態度で、行との不倫関係を正当化するのだ。

万理江の身勝手さや陰湿な嫌がらせの様子が描かれていれば、「そんなことがあったのなら、るいが彼女に対して強気な態度を取るのも仕方が無い」と理解できただろう。
しかし、そこをバッサリと省略したせいで、るいは単なる身勝手で不快な女にしか見えなくなっている。
一方で万理江は、るいに行の治療費を渡して「夫をよろしくお願いします」と引き下がり、帰り道で幸せだった頃を思い出して号泣する。だから彼女が不憫に感じられる。
そんな妻を捨てて、生意気で身勝手な女に走った行にも共感できない。
だから、この映画は「身勝手な男女の不倫劇」ってことになってしまうのだ。
そんなの、勝手にやってくれって話でしょ。

ドラマ版は「NHKにしては過激な性描写が盛り込まれる」ということで話題を集めた。
実際のところ、鈴木京香のベッドシーンは用意されたものの、あくまでも「NHKにしては」という冠を付けないと成立しないようなレベルであり、民放の基準で考えると何の話題にもならないような濡れ場だった。
で、それを受けて、この作品の公開当時に「映画版ではさらに過激な性描写が」と煽っていたが、そういうサービスは何も無い。
ってことで、「何の見所も無い」と断言できる映画である。

(観賞日:2014年2月15日)


第8回(2011年度)蛇いちご賞

・作品賞
・女優賞:深田恭子
<*『夜明けの街で』『セカンドバージン』の2作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会