『さよならドビュッシー』:2013、日本

7歳の香月遥は、ワイン輸入会社の経営者である祖父の玄太郎が当主を務める豪邸で父の徹也、母の香月悦子、叔父の研三、お手伝いの綴喜みち子たちと一緒に暮らしていた。遥は従姉妹の片桐ルシアと仲良しで、彼女が遊びに来ると大喜びした。ルシアの父である昭は、仕事でアフリカへ行くことになった。同行する妻の玲子は治安や教育面を考えて、ルシアを香月家に預けようと決めた。両親との別れを寂しがって泣き出したルシアを、遥は慰めた。しばらくして、昭と玲子がケニアに戻る途中で消息不明となったという知らせが入ったが、徹也たちには大使館と連絡を取り続けるしか手が無かった。
10年後、遥とルシアは相変わらず仲良しで、香月家で一緒に暮らしていた。遥はルシアが使っている離れの部屋へ行き、一緒に寝ることが多かった。ある夜、遥は一緒にピアニストになろうと約束していたルシアがプロの道を選ばないと聞かされた。「なんで?」と驚く遥に、ルシアは「早く社会に出たいから、働きながら看護学校に行く」と告げた。「遥がピアニストになったら、弾いてほしい曲があるの」というルシアの言葉で、遥はそれがドビュッシーの『月の光』だとすぐに分かった。彼女は「分かった。絶対にピアニストになって、ルシアのために『月の光』を弾く」と宣言した。
その夜遅く、香月家で火事が発生した。遥とルシアが目を覚ました時には、既に炎が玄太郎の部屋を包んでいた。玄太郎とルシアが死亡し、遥は全身に大火傷を負ったが奇跡的に助かった。3週間が経過して意識を取り戻した遥に、母の悦子は嬉し涙で呼び掛けた。形成外科医の新条が、全身の皮膚を移植する手術を施したこと、悦子から借りた写真で以前と全く同じ顔に再生したことを語った。何度か手術を繰り返し、やがて顔の包帯が取れる日が来た。鏡に写った遥の顔には縫い目も無く、以前の彼女と全く変わらなかった。
新条は遥と両親に、まだ皮膚が突っ張って表情が作れないこと、腕や体に色素が違う部分は残ったこと、気道まではメスが届かずに声は元通りにならなかったことを説明した。悦子が「指は元通りになるんですか」と訊くと、彼は「リハビリは苦しいものになるだろう。だが、甘えは私が許さない。君の知らない大勢の人間は、君の命のために懸命に努力をしたんだ。生きてるんじゃない、生かされてるんだ。それを忘れるな」と厳格な態度で遥に告げた。
苦しいリハビリを開始した遥に、新条は退院のプレゼントとして帽子とカツラを渡した。遥は松葉杖を突き、香月家に戻った。玄太郎の遺書が、弁護士によって発表された。みち子に2千万円が遺贈され、徹也と研三が6億円ずつ、遥12億円を相続することになった。ただし条件として、徹也は土地と建物の相続、研三と遥は信託財産に組み込むことが義務付けられていた。研三と遥の遺産は香月ワイントレード株式会社が預かり、2人は会社の役員になるということだ。
財産の使用には目的を申請し、審査に通れば受け渡されることを弁護士は説明した。遥の場合はピアニストになるまでの音楽教育費用全額と、その後の音楽活動に必要な資金というのが、遺産を使うの条件だ。遺言書が書かれた当時と違い、遥の指は満足に動かない状態だが、その内容を今さら変更することは出来ない。研三の場合、家を出て新規事業を起こす場合にのみ遺産の使用が認められる。審査に通らない場合、その金は全て会社の資産になる。審査を担当するのは、玄太郎の側近だった新社長の加納が担当する。
音楽学校の桃山校長は悦子から強い希望を受け、遥に留年という形を取った。しかし桃山や教師の工藤は、普通高校に移ることを勧める。悦子は「絶対に元通りに弾けるようになります」と主張するが、遥が通っていたピアノ教室の鬼塚は「ここでは無理な相談ですね。もう何ヶ月も休んでいる。満足な演奏が出来るようになるのは、いつのことになると思います?」と指導を断った。すると教室でピアノを調律していた岬洋介が、「僕で良ければ、お力になりましょうか」と口にした。彼の本業はピアニストだった。
後日、遥が帰宅すると、岬がピアノを演奏していた。その熱の入った演奏に、遥は引き込まれた。練習を始める前に、岬は「お母さんの方が熱心に見えたけど、実際はどうなのかな?ピアニストになりたい?」と問い掛けた。「本気でピアニストになりたいんだったら、相当の覚悟が必要になる」と言う岬に、遥は「なりたいです。ピアニストになって弾きたい曲があるんです」と答えた。いざ練習が始まると、遥は簡単な曲でも流麗に演奏できなかった。しかし岬が椅子の高さを変えると、かなり弾きやすくなった。
遥が階段を上がろうとすると、足が滑って落下した。下にいた岬が彼女を受け止めたので、怪我は無かった。階段を調べた岬は、滑り止めが剥がされていることに気付いた。岬は遥のリハビリ用として、速い指の動きが求められる『熊ん蜂の飛行』を練習させた。あっという間に上達した遥は、音楽学校や病院のロビーで演奏を披露した。遥は明るくなり、新条の前でも笑顔を見せるようになった。だが、松葉杖が急に下がり、転倒しそうになった。松葉杖を調べた岬は、バネが人為的に傷付けられていることに気付いた。彼は遥に、誰かが命を狙っているのだろうと告げた。
愛知県ピアノコンクールの代表として、遥は音楽学校から推薦を受けた。まだ指が3本しか動かない遥は「こんな体で人前に出るなんて」と困惑するが、工藤は「この前の『熊ん蜂の飛行』は全員が感動した。障害を乗り越えようとしている姿は日本中の人に勇気を与える」と語る。テレビ局や新聞社の取材も要請していると言われ、遥は辞退を考える。生徒たちが「調子に乗ってる」と陰口を叩いているのも、彼女は耳にした。
遥は悦子にも「学校は宣伝に利用したいだけ」と言い、辞退するつもりでいることを告げる。「こっちも利用したらいいのよ。ステージの上で松葉杖を外して手なんか振ってみたらどうよ」と悦子が乗り気な態度を示すと、遥は「こんな体を興味本位で見られても平気なの?」と腹を立てた。しかし岬が「ピアニストって見世物なんじゃない?僕は感動させられる演奏が出来るのなら、見世物になってもいいけどな。君は人前に出ないピアニストになりたいのかい?」と言うと、彼女はコンクールに向けた練習を開始した。
研三は自分の漫画を出すためだけの出版社を設立する事業計画書を加納に提出するが、「これは事業とは言えません。それより家を出ることが先決です」と冷たく告げられる。岬は遥が少しずつ長く演奏できるような練習計画を考え、コンクールの1週間前には2曲続けて弾けるようになることを目指す。本選の自由曲として、遥は『月の光』を演奏したいと告げる。岬は曲の長さに懸念を示すが、どうしても弾きたいという遥の熱意を汲んだ。
大雨の教会前で倒れている悦子を、通り掛かったカップルが発見した。悦子は病院に運び込まれるが、全身打撲や脳挫傷で意識不明の状態だった。そんな夜中に外出した理由は、徹也や研三たちには全く分からなかった。愛知県警の刑事は、今回の事件を事故と事件の両面から考えていることを遥たちに告げた。みち子を含め、香月家の人間で事件当夜のアリバイを証明できる人間は誰もいなかった。家に出入りしている人間として徹也が岬の名前を出すと、刑事の表情が変わった。実は、岬の父は名古屋地検の検事で、彼自身も司法試験をトップで合格した過去があった。
ある日の練習中、遥の演奏が急に止まった。岬が「どうしたの?」と尋ねると、彼女は「指が動きません。指の感覚が無いの」と吐露した。岬が両手を優しく握って「少し、こうしていよう」と告げると、遥は目を潤ませて「ごめんなさい。もう無理」と小声で漏らす。だが、岬は左耳の聴覚を失っていたため、その声が聞こえなかった。岬は突発性難聴で聞こえなくなったことを明かした。新条はMRIで遥の両手を調べるが、異常は発見されなかった。
遥の指が動くようにならないので、岬は気分転換に外へ連れ出した。遥は「どうすればピアノが上手くなれますか。岬先生のように人を感動させられるピアニストになりたいんです。感動させて、邪悪な物を吹き飛ばしてやりたい」と語る。すると岬は「演奏したい理由かな。どうしても聴かせたい人がいる、弾きたい曲があるという気持ち。君には『月の光』じゃなきゃという気持ちがある」と話した。
岬は遥を無人のホールへ連れて行き、まだ見ぬ聴衆に向けて音を飛ばすよう説いた。弱音を吐く遥に、「誰か大切な人のためなんでしょ?自分のためじゃなくて、誰かのために頑張るなら、いつもよりずっと頑張れる」と岬は語る。遥の指は動くようになったが、どうしても『月の光』の途中は最後まで続かなかった。岬は彼女に、一曲目の『アラベスク』を演奏し終わったらステージを降りるよう提案する。「ホントに『月の光』を弾きたいなら、中途半端な演奏をするより大切にすることを考えた方がいい。強い気持ちで、まだ弾けると思った時は演奏すればいい。でも少しでも中途半端な演奏になるのなら、ステージを降りる勇気も必要じゃないかと思う」と彼は言う…。

監督は利重剛、原作は中山七里『さよならドビュッシー』(宝島社) (「このミステリーがすごい!」大賞受賞作)、脚本は牧野圭祐&利重剛、製作統括は村瀬元一朗、製作は二村慈哉&加藤直次&藤岡修&西川孝、エグゼクティブプロデューサーは川崎朗&柳田和久&本田武市&志摩敏樹、プロデューサーは林哲次&岡崎剛之、ラインプロデューサーは森満康巳、アソシエイトプロデューサーは松本松己&安部正実、撮影は小倉和彦、照明は丸山和志、録音は小川武、美術は大庭勇人、編集は掛須秀一、VFXスーパーバイザーはオダイッセイ、音楽は小野川浩幸、音楽・ピアノは豊田裕子、音楽・ライアーは今野登茂子。
主題歌『境界線』作詞・作曲:彩世、編曲:Jin Nakamura、歌:泉沙世子。
出演は橋本愛、清塚信也、吉沢悠、柳憂怜、相築あきこ、山本剛史、ミッキー・カーチス、清水紘治、戸田恵子、三ツ矢雄二、相楽樹、優恵、谷畑聡、関谷天愛蘭、大宮千莉、熊谷真実、芹澤興人、サエキけんぞう、本村健太郎、服部竜三郎、堤幸彦、岡田一彦、宮本浩二、湯浅浩史、堀尾宣彦、中根健司、長尾武典、岩本琢磨、須原麻衣、舟橋香里、市橋里音、吉田朱理ら。


中山七里の同名小説を基にした作品。
監督の利重剛が長編映画を手掛けるのは、2001年の『クロエ』以来。
脚本はTVドラマ『新参者』や『シマシマ』を手掛けた牧野圭祐で、映画は初めて。
遥を橋本愛、岬を清塚信也、新条を吉沢悠、徹也を柳憂怜、悦子を相築あきこ、研三を山本剛史、玄太郎をミッキー・カーチス、鬼塚を清水紘治、みち子を熊谷真実、桃山を戸田恵子、工藤を三ツ矢雄二が演じており、弁護士役で本村健太郎、審査員役で堤幸彦が出演している。

清塚信也はプロのピアニストなので、演奏シーンも本人が演じている。
プロが演じることで、「演奏しているけど手元が写らない」とか「手元だけ別撮り」という作業をやる必要が無くなるし、演奏シーンに説得力が生じることは間違いない。しかし、その一方でプロの俳優じゃないから演技力に難があるというマイナスも生じる。
ただ、そこを天秤に掛けた時に、やや軽さは気になるものの、清塚信也の芝居は、かなり健闘していると言っていい。
っていうか、一部を除く周囲の俳優たちの演技力が高くないように見えるんだよな。だから演技力の部分で、そんなに大きな差を感じないんじゃないかという気もする。

昭と玲子がアフリカで消息不明になるってのは相当にデカい出来事なのだが、かなり淡白に処理されている。電話を受けた徹也たちが声を荒らげている様子は描かれるが、それを見ていたルシアが嘆いたり取り乱したりする様子は無く、シーンが切り替わると遥や玄太郎の前で笑顔を見せている。淡々とした口調で、「ママとパパ、死んじゃったの?」と玄太郎に尋ねている。
そりゃあ「死んだ」という知らせが届いたわけではないけど、それにしたって落ち着きすぎだろ。
その幼少期のシーンで、遥とルシアがピアノを習っているシーンはチョロッとだけ写し出されている。だが、2人が遊んでいる様子など、他のカットと続けて短く描写されるだけであり、だから「ピアノを習っている」というのが重要な要素には感じられない。
しかし実際には、2人が幼い頃からピアノを習い続けているってのは重要な要素だ。しかも玄太郎の「長いこと生きてると色んなことがある。それに絶対勝つ方法がある。それは絶対に最後までやめないってことだ」という言葉がピアノに向かう遥の姿勢にも繋がって来るわけで、だから「幼い頃からピアノを続けている」という部分のアピールは、もっと丁寧にやった方がいい。

10年後に飛んでからも、そこに関しては雑な処理になっている。
成長した2人が登場すると、すぐに「一緒にピアニストになるって言ったじゃん」「ピアノは好きだから一生弾き続けていたいんだけど」という会話が出て来るのだ。
しかし、その段階では、まだ遥かとルシアがピアノの稽古を続けていたこと、それどころか本格的にピアノを学んでプロになろうとまで考えていたことは、全く描かれていないのだ。その会話で、そういう状況が初めて明らかになるというのは、やり口として上手くない。
その段階で、2人ともプロを目指すほどの実力があること、にも関わらずルシアは看護師の道を選ぼうとしていることが、もっとクッキリとした枠線を持って伝わってくるような形にすべきなのだ。そこの会話だけでは、ものすごくボンヤリしている。2人の実力も、そこに差があるのかも分からない。
だから、ルシアが看護師を目指すというのも、いつまでも香月家に負い目を感じて暮らしたくないから早く社会に出ようと決めたのか、プロとしての実力が無いと思ったのか、その辺りの心境が全く分からない。

意識を取り戻したばかりの遥に、悦子が玄太郎とルシアの死んだことを言っちゃうのは仕方が無いにしても、新条が「亡くなった2人は頭からつま先まで炭化していて手の施しようが無かった」と説明するのは、医者としてボンクラすぎるだろ。
なんで意識を取り戻したばかりの相手に、そんなショックを与えるようなことを平気で言うのかと。
こいつを「冷淡なことも言うけど、心根は優しい奴」という、無駄に奥行きのあるキャラにしている意味が、そもそも無いし。

原作は第8回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した推理小説だが、どうやら映画版ではミステリー色が薄められているようだ。
原作を読んでいないので、ミステリー色を薄めても「原作と全く違う」という不満は抱かない。
ただ、一応は謎解きの要素が残されている中で、その真相が序盤でバレバレになっているというのは、単に「ミステリー作品としての質が低い」という印象になってしまう。
新条の「君だって、皮膚に張り付いていたシャツの模様にお母さんが気付かなかったら、君だって分からなかったほどだ」というセリフは、あまりにも不格好だし、分かりやすいヒントを与え過ぎだ。

完全ネタバレだが、実は火事で生き残ったのはルシアで、でもシャツのせいで遥と誤解され、遥の顔に整形されたのだ。
ただ、幾ら全身大火傷で顔が判別できないような状態になったからって、遥とルシアってそんなに似ていないし、骨格も違っているので、ちょっと厳しいモノはある。
そこを受け入れるにしても、新条の「お母さんから君の写真を借りて、以前と全く同じ顔に再生できたと私は思ってる」ってのは苦しくないか。
あれだけの火事に巻き込まれたのに、傷一つ残さず、以前の遥と全く同じ状態に戻せちゃうのか。

予算の都合で大勢のエキストラを用意できなかったのか、全く別の理由があるのか、単純に監督がそこへの興味を示さなかっただけなのか、理由は分からないが、音楽学校のシーンはほとんど登場しない。
だから、火事に遭うまでの遥が学校でどのような立場だったのか、火事の後はどのように変化したのか、そういうことは全く伝わらない。
例えば、「以前は優秀な生徒として教師たちに高く評価され、同級生も一目置いていた」ということがあって、そこから「火事の影響で演奏能力がガクンと低下したことで学校での居場所を失い、教師も同級生も冷ややかな目で見るようになった」という変化があれば、「そんな中で岬だけで優しく接してくれて、心の支えになる」というところも伝わりやすくなっただろう。
遥と岬のロマンスを盛り上げるための背景を描写する意識が、この映画には乏しい。

あれだけの大火傷を負い、「ピアニストになりたいなら相当の覚悟が必要だ」と言われていたのだから、マトモにピアノが弾けるようになるまでには長い時間が掛かるのだろうと思っていた。
それまでは辛いリハビリが続いて、途中で投げ出したくなる時もあるのだろうと思っていた。
岬が『熊ん蜂の飛行』を練習するよう促した時も、「最初はスローにしか弾けないだろう。ひょっとすると遥は思い通りに指が動かずに苛立ちを示すかもしれない」などと思っていたのだが、最初から速弾きをこなし、すぐに学校や病院で披露できるレベルに達する。
あんな大火傷を負ったとは到底思えないほど、その上達ぶりは目覚ましい。

っていうか、そんなに簡単に指が動くようになるってのは、すんげえ不自然だし、そこで「苦難の道のり」を用意しない意味もサッパリ分からんよ。
「まだ指が3本しか動かない」という状態ではあるけど、順調すぎるほど順調にリハビリが進んでいる。そこって、すごく重要な要素じゃないのか。
そういうトコで苦悩や葛藤を遥に表現させないのなら、「大火傷の影響でピアニストになることが難しくなる」という展開を用意した意味は何なのかと。
「遥とルシアを入れ替えさせる」とか「祖父が死んで遺産相続を巡る事件が起きる」というためだけに火事というイベントを用意するのなら、遥がピアニストを目指している設定なんて要らないわけだからね。

火事に関するミステリーは、終盤までは表に出て来ない要素だ。一方、物語の途中からは「遥が何者かに命を狙われる」というシーンが何度かあり、さらに教会前で倒れていた悦子が意識不明の重体に陥るという出来事も発生し、そこは表に出ているミステリーだ。
ところが、遥が何度か命を狙われ、岬が教会を調べている様子も描かれるものの、「事件を探る」「犯人を見つける」という方面での描写は著しく少ない。
そこをミステリーとして表面に出すのなら、ちゃんと謎解きとしての筋道も描くべきだ。
そこまで貧弱な要素に落とし込んでしまうぐらいなら、いっそのこと、そういうミステリーをバッサリと削ぎ落として、「遥が岬のサポートで奮闘する」という人間ドラマだけに絞り込んでしまった方がいい。
もちろん原作ファンからは非難の嵐だろうけど、たぶん本作品の仕上がりだって、原作ファンで満足できる人は少数派じゃないかと思うぞ。

遥の命を狙った実行犯はみち子で、黒幕は加納だ。
遺産を会社の物にしたかった加納は、みち子に「家事を起こしたのは遥で、遺言のことを知って遺産を独り占めしようと考え、玄太郎とルシアを殺した」と吹き込んだ。玄太郎が大好きだったので、みち子は加納の言葉を信じて遥を殺そうとしたというのが真相だ。
しかし、その真相に向けた捜査の手順は、全く無い。観客に当たられるヒントは皆無なので、みち子が犯人だと明かされ、真相が説明されても、「なるほど、そうだったのか」とは思わない。
ただポカーンとするだけだ。

そもそも、その真相には相当に無理がある。
まず、加納の動機が「遺産を会社の物にするため」ってのは、かなり無理を感じる。
個人的な財産に出来るのならともかく、引き継いだ会社の資産にするために人を殺そうとするかね。
みち子が加納の言葉を信じるのも、「玄太郎が大好きだったから」という言い訳を用意しても不自然極まりない。
ずっと玄太郎に溺愛されてきて、何の不満も持っていなかった遥が、遺産を独り占めするために彼を始末するって、そんな与太話を信じちゃうのは、どんだけバカなのかと。

終盤のオチまでは真相を隠さなきゃいけないので、「遥が抱えている本当の苦悩」を明確に表現できないのは、仕方の無い部分もある。
ただ、理由は明示しないにしても、「遥がピアノ演奏とは別の苦悩を抱えている」というのは、もうちょっと表現した方がいい。
そこは例えば、「ルシアが死んで、自分だけが生き残ったことに対する苦悩」というところでミスリードを図ることも出来るはずだし。
いっそのこと、もう火事から目が覚めた段階で「ルシアが遥と誤解されている」ってのを明かしてしまい、そこから「ルシアなのに遥としてピアニストを目指そうとする必死の奮闘」「ルシアなのに遥を演じざるを得ないことへの苦悩」「遥を死なせてしまったことへの罪悪感」などを描写する物語にしちゃった方が、人間ドラマとして魅力的な内容になったんじゃないかと思ってしまうんだよなあ。

(観賞日:2014年11月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会