『サムライせんせい』:2018、日本
武市半平太は佐伯が経営する学習塾で、小学生の子供たちを相手に講師を務めている。保護者の母親3人がお礼としてチョコレートケーキやカップケーキを差し出すと、彼は「里に残してきた妻がいるので、他の女子から施しは受けられぬ」と断る。3人は「可愛い」「素敵」と嬉しそうに反応し、子供たちは呆れ果てた。佐伯は感謝の気持ちとして貰うよう促し、武市はチョコレートケーキの美味しさに感激した。佐伯が「1ヶ月前に来られた時は、どうなることかと思いましたが」と言うと、武市は改めて礼を述べた。
文久三年(1863年)、武市は山内容堂によって入牢を命じられ、妻の冨に「何かの間違いだ。すぐ戻る」と告げた。しかし彼は解放されず、厳しい拷問を受けた。後藤象二郎は武市に、「岡田以蔵が全てお前の命令だと吐いた」と告げた。牢で眠った武市が目を覚ますと、全く知らない場所にいた。そこは現代の川べりのある草地で、近くでは草野球の試合が行われていた。困惑しながら町に出た武市は、高校生の寅之助と恋人のサチコに遭遇した。武市の容貌に驚いた寅之助は、誤ってバイクのバックミラーを壊してしまった。サチコは武市に関心を抱き、立ち去る彼の姿をスマホで撮影した。
武市は食品スーパー「サンシャインクレア」に入り、リンゴに目を奪われた。彼は店長に、「今は持ち合わせが無いので、ツケで売ってくれ」と頼む。店長は彼の迫力に気圧されて「はい」と言うが、後で警察に通報した。公園でリンゴをかじった武市の元に警察官が現れ、万引きの疑いで警察署に連行しようとする。武市は彼を投げ飛ばし、応援の警官隊が来ると逃走した。サチコは警官から逃げる武市を目撃し、動画を撮った。武市は意識を失って倒れ、佐伯は彼を見つけて屋敷に運び込んだ。
武市は2日後に目を覚まし、佐伯は自己紹介を受けて戸惑った。武市は牢に入っていたこと、いつの間にか知らない場所に来ていたことを彼に説明する。佐伯は歴史年表を取り出し、武市がいた時代から150年ほど先の日本だと教えた。佐伯は武市を居候させるが、孫の寅之助は露骨に不快感を示した。彼は武市に生意気な態度を取り、サチコとカラオケに出掛けて愚痴を漏らす。サチコは武市半平太を知らなかったが、面白がって動画をインスタグラムに上げた。東京でライター活動をしている楢崎梅太郎は、動画の存在を知った。
武市は佐伯に引率されて菓子を購入し、サンシャインクレアを訪れてリンゴの一件を謝罪した。佐伯の知り合いだと聞いた店長と警察官は、すぐに彼を許す。武市が「元の時代に戻れるようにしたい」と話すと、佐伯は「その方法が分かるまで、家にいて下さって構いません」と言う。武市が遠慮しようとすると、佐伯は塾の講師を務めてくれないかと持ち掛けた。武市は快諾し、佐伯が子供たちに紹介した。武市の姿を見た子供たちは興奮し、「サムライせんせい」と呼んだ。
文久二年(1862年)、武市は勤王党の同志を集め、吉田東洋を斬ると宣言した。その場にいた坂本龍馬は、同意しかねる様子で席を立った。以蔵は仲間と共に東洋を待ち伏せ、彼を斬った。高知に着いた楢崎は、広場にいた女性たちに動画を見せて武市のことを尋ねた。彼は武市が佐伯の家にいること、佐伯が大手商社である曙グループの元会長であることを知った。楢崎が佐伯邸を訪れると、武市は侵入者だと誤解して襲い掛かる。楢崎は慌てて「約束を忘れたか」と告げ、武市は彼が坂本龍馬だと気付いた。
楢崎は佐伯に名刺を見せ、インスタで話題になっている武市の取材に来たと説明した。サチコは動画だけでなく写真もインスタに上げて、武市は「イケメンすぎるサムライ」として話題になっていた。楢崎は武市を車に乗せて桂浜へ案内し、6年前にタイムスリップしたこと、戻りたくても戻れないことを話す。武市が「土佐の当主は今も山内家なのか」と質問するので、彼は「山内家どころか徳川幕府も無いし、将軍もいない」と答えた。
楢崎は武市に、山内容堂が最初から勤王党を泳がせて利用し、吉田東洋暗殺の復讐をするつもりだったのだと話す。武市は自分が捕まった後のことを尋ね、切腹させられたことを楢崎から聞く。信じたくない武市だったが、楢崎が石碑を見せた。武市は冨について訊き、87歳まで長生きしたと知って安堵した。不良2人組に連行される寅之助を目撃した武市は、楢崎と共に後を追った。寅之助は倉庫で土佐先輩が率いる不良グループに絡まれ、金を要求されていた。武市は倉庫に乗り込み、不良グループを撃退して寅之助を助けた。
楢崎が東京へ戻るため、武市は空港へ見送りに赴いた。東京へ来ないかと誘われた武市は、「ここに残って子供たちに勉強を教えながら、元の時代に戻れる方法を探す」と語った。彼は学習塾の板垣&陸奥&池からゲームのレアキャラを探しに行かないかと誘われ、先約があると言って断った。武市は寅之助のバイクに乗せてもらい、妻の墓参りに出掛けた。板垣&陸奥&池はレアキャラを探すために立入禁止の山へ入り、夜になっても戻らなかった。電話も繋がらず、佐伯や保護者は手分けして捜索することにした…。監督・脚本は渡辺一志、原作は黒江S介『サムライせんせい』(リブレ刊)、エグゼクティブプロデューサーは野島康弘、プロデューサーは竹本克明&森満康巳、協力プロデューサーは長谷川勝美&小田切雄士&井上順二、撮影監督は岡田主、照明は黒岩秀樹、録音は沼田和夫、美術は津留啓亮、アクション監督は西田真吾、編集は金子尚樹、音楽プロデューサーは安岡孝章、主題歌『約束』歌は北山淳貴。
出演は市原隼人、忍成修吾、橋爪功、奥菜恵、押田岳、武イリヤ、螢雪次朗、永澤俊矢、西村雄正、松川尚瑠輝、中村有志、勝部演之、まひろ、大家由祐子、さがね正裕(X-GUN)、高崎翔太、安藝隆秀、有光一志、片岡乙葉、河野詩葉、川村幸輝、小原桃葉、小松磨拓、島田尭、中城百愛、野島さや、信吉莉玖、橋詰ありあ、深結愛、福岡柚之介、細木瑠偉、松村桃香、三谷眞由、山崎小町、横山空大、吉末憲生、ヤス(ツーライス)、大ちゃん(ツーライス)、小田雄介(熱燗ドラゴン)、新城貴大(熱燗ドラゴン)、ジャガー川村、筒井啓文、下尾仁、浜田あゆみ、山下耀子、奄莉、岩松美穂、坂本味置子、岩井奈々(sugartrap)、安松ひなの(sugartrap)他。
黒江S介による同名の漫画を基にした作品。「幕末・明治維新150周年記念作品」と銘打たれている。
監督&脚本は『キャプテントキオ』『新選組オブ・ザ・デッド』の渡辺一志。
武市を市原隼人、楢崎を忍成修吾、佐伯を橋爪功、冨を奥菜恵、寅之助を押田岳、サチコを武イリヤ、東洋を螢雪次朗、容堂を永澤俊矢、後藤を西村雄正、以蔵を松川尚瑠輝が演じている。
他に、高知県警の刑事を中村有志、高知銀行の相談役を勝部演之、食品スーパーの店長をさがね正裕(X-GUN)、土佐を高崎翔太が演じている。映画の冒頭、「武市瑞山は土佐藩(現在の高知県)の藩士、武士。優れた剣術家にして強いリーダーシップを持ち、土佐勤王党を率いて幕末にその名を響かせた。瑞山の通称は半平太で、武市半平太と呼ばれた」というテロップが出る。
こんなのを最初に文字で説明するのは、ものすごく不細工だ。ちゃんとドラマを描いて、その中でキャラクターを紹介すればいい。
そこに時間を使わずに映画が始まると、もう武市が現代の高知で学習塾の講師を務めている。
色んな事を大胆にスッ飛ばして、物語の中盤辺りに来たかのような感覚に陥ってしまう。
「これはTVシリーズの劇場版なのか。もう随分と物語が進んだ後なのか」と思ってしまうが、そうではない。しばらく話が進んだ後、武市がタイムスリップした時の出来事が回想シーンとして挿入される。
つまり時系列をシャッフルして、「武市が現代にタイムスリップした1ヶ月後」から話を始めているわけだ。
でも、そんな構成にするメリットが何も見えない。どう考えても、普通に幕末からスタートした方がいいに決まっている。
タイムスリップ物としてベタと言えばベタな構成ではあるが、その定番を崩した結果として、何のプラスも生まれていない。既に武市が現代にいる段階から物語を始めたせいで、タイムスリップ物には付き物のカルチャーギャップを使ったネタは全く使えなくなる。
後から回想として「この1ヶ月の出来事」を描くパートは用意されているが、だったら普通に時系列で描いたら良かったでしょ。
ただ、タイムスリップした直後の武市は困惑しているけど、すぐに順応するんだよね。
佐伯の家で目を覚ました直後には、シェービングクリームやT字剃刀の使い方を簡単に理解している。現代の洗面所も初めてのはずだが、そこでの戸惑いは皆無。シーンが切り替わると、洗濯機も使いこなしている。一方、周囲の人間が武市に驚いたり戸惑ったりするとか、翻弄されたり振り回されたりするという様子も無い。周囲の人間は、あっという間に武市を受け入れている。
周囲の人間が武市に感化されたり影響されたりして変化するとか、そういうのも乏しい。せいぜい寅之助が彼に助けられて変化する程度だし、そのドラマも薄っぺらい。
サチコは面白がって武市の写真をインスタに上げているが、そこから「現代のサムライ」を軸とする話が広がっていくことも無い。
タイムスリップ物としての面白さは、まるで見えて来ない。「タイムスリップ物」というジャンルを抜きにしても、明るく弾けたノリは乏しくて、やたらと湿っぽくてシリアス成分が多い。
史実における武市半平太という人物を考えれば、シリアスな要素はあってもいいだろう。でも基本的には、「幕末の武士が現代にタイムスリップして子供たちの先生になる」という設定を使ったコメディーであるべきでしょ。
それなのに、そこの設定を全く活用しないのよね。
授業のシーンは申し訳程度に用意されているだけで、武市が「サムライせんせい」として活動している時間は乏しい。あと、そもそも学習塾で武市が小学生に何を教えられるのか。
用意されている授業のシーンでは古文を教えているようだが、小学生には意味が無いだろ。その後には毛利家の三本の矢について教えているけど、だからって歴史の勉強を教えているわけでもなさそうだし。
武市には幕末までの知識しか無いので、現代の小学生が学校で学んでいるような勉強で役に立つような授業が出来るとは思えない。
だからと言って、「学校では教えてくれないけど大事な勉強」を教えている様子も無いし。武市がタイムスリップしてから1ヶ月の出来事は、4分ほどのダイジェストで処理されている。そのダイジェストの中で、武市は現代の日本の生活に、あっさりと順応している。
彼にとっては何もかもが初体験ばかりとなるわけで、そこには多くの驚きや戸惑い、興奮や感動があるはずだ。そういう「現代にタイムスリップした武士の日常」をホノボノとしたタッチで描く内容にしても、上手くやれば面白い映画に仕上がっただろう。
しかしマジなドラマを重視しており、それが完全に裏目に出ているわけだ。何しろ、そういうマジなドラマの部分は、これっぽっちも面白くないからね。
だから余計に、「日常系に振り切れば良かったのに」と思ってしまう。
その場合でも「映画じゃなくTVの連続ドラマで良かっただろ」と感じる可能性はあるけど、この映画より少しはマシだっただろう。回想シーンを使って何度も幕末の様子を挿入するが、説明不足なので分からないことだらけだ。
なぜ武市が勤王党を結成したのか、なぜ彼が東洋の暗殺を決心したのか、なぜ楢崎は勤王党を離脱したのか、なぜ容堂は武市を都合よく利用してから殺そうとしたのか。当時の情勢は、まるで分からない。
「そんなのは全て知っているでしょ」ってことなのかもしれないが、だったら逆に幕末の回想シーンなんか大幅に削っていいよ。幕末の説明不足が酷いので、そこへ戻る展開にも全く気持ちが乗らない。
完全ネタバレを書くと武市は幕末に戻って切腹するのだが、そこに感動なんて何も無いからね。この映画に「明確な結末」なんて無くてもいいのよ。
ドラマを重視するにしても、「武市と子供たちの交流」を軸に据えるべきでしょ。(観賞日:2023年5月31日)