『さくや妖怪伝』:2000、日本

宝永四年。駿河国富士山の噴火と共に、地の底に封じ込められていた悪しき妖怪たちが地上に溢れ出した。直参旗本の榊備前守芳明は、 妖刀・村正を使って妖怪退治に乗り出した。彼は公儀妖怪討伐士なのだ。ただし、村正は使い手の命を食らう恐ろしい刀であった。彼の命 の量が残りわずかであることを、榊家の屋敷に置かれた魂計燈(こんけいとう)と呼ばれるロウソクが示していた。
利根川の大河童の攻撃を受けた芳明は、とうとう力尽きて倒れてしまった。見守っていた娘の咲夜が駆け寄ると、彼は村正を託して息を 引き取った。咲夜は村正を使い、大河童を倒した。その時、近くから赤ん坊の泣き声が聞こえた。それは大河童の息子だった。同行して いた侍たちが斬ろうとすると、咲夜は「この子は殺しません、私が弟として育てます」と告げて、赤ん坊を抱き上げた。
半年後、榊家の屋敷を大老・井伊掃部頭真興と若年寄・久世大和守重之が訪れた。咲夜が面会していると、すっかり成長した河童の太郎が 帰宅した。咲夜は掃部頭たちに、太郎が3ヶ月で10歳ほどに成長したことを告げた。大和守は咲夜に、「怪異の元凶を突き止め、そこに 棲む妖怪を打ち倒すことは出来ぬものか」と尋ねた。咲夜が八重雲鏡(やえぐものかがみ)に目をやると、そこに富士山が映し出された。 大和守は「刀匠・橘善真助の因縁、草薙ノ地にはびこるという土蜘蛛の仕業か」と口にする。
大和守は咲夜のために、2人の助っ人を用意していた。公儀御庭番である伊賀忍者の組頭・猿鬼兵衛と甲賀忍者の組頭・似鳥周造である。 咲夜は太郎を伴い、草薙へ向けて出発した。その途中、彼女は八王子に残っている妖怪を退治することにした。咲夜は飴売りに化けた猿鬼 から、八王子の妖怪に関する情報を渡される。猿鬼は先に箱根へ向かった。咲夜と太郎が片田舎の古寺に赴くと、男が出迎えた。咲夜が 宿泊を求めると、男は奥へ案内した。そこには老婆の姿があった。
男は咲夜たちに、人形を作りながら諸国を旅しているのだと説明した。咲夜は、彼が生きた娘を人形に変えている傀儡師だと見抜いた。 咲夜が「正体を現せ、妖怪変化」と鋭く告げると、そこに老婆が現れた。彼女は怪猫に変身し、傀儡師を襲って殺害した。怪猫を倒すと、 人形だった娘たちは人間の姿に戻った。その1人・はなに太郎は心を奪われた。はなは太郎にお守りとして鈴を渡した。
娘たちと別れて出発した咲夜と太郎は、ある森の中で妖怪たちの集団に遭遇する。太郎は怯えるが、その姿を見た咲夜は「悪いことは しない。妖怪がすべて悪いことをするわけではない」と告げる。妖怪たちは、楽器を鳴らしたり踊ったりしているだけだった。酒匂川に 近付いたところで、2人は似鳥たちと合流する。大雨で川が渡れなくなったため、泳ごうかという話になるが、太郎が「泳げない」と告白 した。似鳥に馬鹿にされた太郎は、「泳ぎます」と言って外に飛び出す。彼は落雷に打たれるが、平気だった。
一行は宿場に辿り着き、旅籠で休憩することにした。その夜遅く、咲夜、似鳥、猿鬼の3人は、妖怪が近付いて来たことを察知した。3人 が眠っている太郎を残して外に出ると、怨霊武者たちが出現した。彼らは妖怪の首魁である土蜘蛛の女王の手下だった。怨霊武者たちを 蹴散らすと、浪人の集団が太郎を捕まえて現れた。浪人たちは、「お主の倒した化け物どもに頼まれた」と不敵に笑った。
浪人たちが襲い掛かると、村正が暴走した。咲夜は制御できなくなり、次々に浪人たちを斬り殺した。咲夜は、似鳥と猿鬼がわざと人を 斬らせたことに気付く。村正に血を吸わせることで、使う者の寿命を延ばすことが出来るのだ。咲夜が激しく非難すると、似鳥は「そなた か死んだら、その化け物刀は誰が使う?役立たずの河童か」と言う。「盟約により、榊の家は血のつながりを求めぬ」と、咲夜は太郎を 跡継ぎに考えていることを語る。太郎が「私には出来ませんと」と弱々しく泣くと、咲夜は平手打ちを浴びせた。
咲夜たちは宿場を出発し、やがて草薙ノ野に到着した。太郎が眠っている間に、咲夜は似鳥たちから太郎と暮らすことへの反対意見を 聞かされる。彼らは、太郎が河童であることだけでなく、咲夜が彼の父親を殺した敵であることも指摘した。その会話を、太郎は盗み聞き してしまった。そんな太郎に土蜘蛛は接近し、優しく語り掛けて仲間に引き入れた。咲夜たちは、土蜘蛛の屋敷に乗り込んだ。土蜘蛛は 女郎蜘蛛の軍団を率いて現れ、襲い掛かる。土蜘蛛に協力を求められた太郎は、咲夜を背中から突き刺した…。

原案・監督は原口智生、特技監督は樋口真嗣、脚本は光益公映、製作は福島真平&鈴木修美、プロデューサーは大戸正彦&大塚博史& 桜井勉、アソシエイトプロデューサーは茂永友彦、企画協力は岸川靖&豊田眞理子、コンセプトデザインは冬目景、撮影は江原祥二、 編集は奥田浩史、録音は中路豊隆、照明は土野宏志、美術は原田哲男、衣裳デザイナーは竹田団吾、音楽は川井憲次。
エンディング曲「地平線」作詞・歌はchiaki、作曲は小暮武彦。
出演は安藤希、山内秀一、松坂慶子、藤岡弘(現在の表記は「藤岡弘、」)、丹波哲郎、嶋田久作、逆木圭一郎、黒田勇樹、塚本晋也、 石倉英彦、絵沢萌子、東田達夫、池田勝志、加藤正紀、松浦健城、平山昌雄、夏山剛一、吉田瑞穂、中村健人、武田滋裕、藤田健次郎、 青木哲也、渡辺輝也、松尾絵里加、篠原早那恵、新名彩貴、吉田桂子、田邊智恵、鷲生功、谷口高史、田近正吾、辻本一樹、大石昭弘、 根本一也、大久保幸治、矢下田智和、仲野毅、奥深山新、佐々木敏則、山崎貴司、池田篤樹、氏原修二、山口幸晴ら。 語りは竹中直人。


日本テレビ、ワーナー・ブラザーズ、東芝が共同出資して設立した映画製作会社「トワーニ」の第1回作品。
特殊メイク・造型の第一人者である原口智生が初めて撮った劇場用映画(ビデオ作品の監督経験はある)。
脚本の光益公映は、これがデビュー作。
咲夜を安藤希、太郎を山内秀一、土蜘蛛を松坂慶子、芳明を藤岡弘、、掃部頭を丹波哲郎、似烏を嶋田久作、猿鬼を逆木圭一郎、大和守を 黒田勇樹、傀儡師を塚本晋也、善之助を石倉英彦、老婆を絵沢萌子が演じている。

冒頭、芳明がカメラに向かって刀を振るう様子をスローで見せて、カットが切り替わると妖怪たちが飛ばされるという描写にしているのは 、サイテーのセンスだ。
そこは普通に、芳明が妖怪と戦うチャンバラシーンを見せるべきでしょうが。
それによって観客をグッと掴むことも出来ただろうに。
せっかく剣術の達者な藤岡弘、を起用しておきながら、完全に宝の持ち腐れになっている。

芳明が登場したかと思ったら、もう「命は尽きようとしている」とナレーションが入る。
で、それは「本当は長い月日を費やして多くの妖怪を倒してきたけど、描写が下手だから、たった数匹を倒しただけで死んでいるような 印象になっているということなのかと思ったら、実際に芳明は、妖怪が復活してから間もなく死んでいる設定なのだった。
村正が命を吸い取るスピードは、どんだけ速いんだよ。使い手の命は、1ヶ月と持たないのかよ。
そこは、妖怪退治のチャンバラを描き、それからナレーションで「数年前に妖怪たちが蘇って、これまで旅をしながら妖怪退治をしてきた けど、ついに命が尽きる時が訪れた」という流れの方がいいんじゃないのか。
あと、大河童が登場すると「利根川の大河童」とテロップが出るけど、そこが利根川だということさえ良く分からない。セピア色で、 まるで「幻想空間の中での戦い」みたいな描写なのだ。
そこは、ちゃんと「江戸時代の風景」として見せた方がいいのに。

芳明が大河童にやられるシーンは、かなりボンヤリした描写になっている。
で、カットが切り替わると咲夜が父を抱えているので、「父が倒れたので娘が駆け寄る」というシーンは無い。
さらに困ったことに、その一連の流れの中で、咲夜の顔をハッキリと捉えるカットが全く出てこない。
芳明を看取った時の「父上」という叫び声は聞こえるが、その時の咲夜の顔を撮らないセンスはダメでしょ。

芳明が死んだ直後に咲夜が刀を握ってポーズを取り、「公儀妖怪討伐士、榊咲夜!」と名乗りを挙げて鋭く見据えてタイトルロールに入る けど、それは大失敗だなあ。
カッコ良く決めたかったんだろうけど、なんで熟練の父から刀を受け継いだ途端に、「自信と貫禄に満ちた一人前の討伐士」みたいな感じ にしちゃうのか。以前から修行を積んでおり、立派な戦士になっているという設定なのか。
そうではなくて、「まだまだ妖怪討伐士としては未熟で、だから失敗もするし、不安や迷いもあるけれど、少しずつ成長して行く」という 話にすりゃ良かったのだ。そうしておけば、安藤希の芝居の稚拙さも、少しはフォローできただろう。
とにかく咲夜に少女らしさ、未熟さ、若々しさが微塵もないのね。
まあ、安藤が既に大人びた子で、まるで少女らしさが無いので、最初から「大人っぽい娘」という路線を狙っていたのかもしれないが、 それが大きな失敗。

一撃で河童を倒してしまうのも、パワーバランスとかは完全に無視なのかと。
大河童は姿を消し、後半になって再登場し、咲夜は父の仇討ちを果たそうとするという形でいいのに。
あと、河童の赤ん坊を武士たちが殺そうとした時に、咲夜が静かに「この子は殺しません、私が育てます」と言うのは違和感。
殺害を制止するのはいいけど、なんで落ち着き払っているのかと。
そこは少女らしく、慌てた様子で「まだ赤ん坊です」と制止した方がいいのに。

「今から私の弟」と咲夜は赤ん坊を抱き上げて言うけど、いやいや、河童だし。
すげえ冷静に、良くそんなことが言えたもんだな。
っていうか、タイトルロールの後で「半年後−江戸」とテロップが出るが、そこで初めて、咲夜が父の後を継いで妖怪討伐士になったと いう形にした方がいいんじゃないのか。
ただ同行して父の戦いを傍観しているだけって、どういう意味があるのかと。

「咲夜が河童の赤ん坊を拾って弟として育てるという設定、邪魔じゃねえか?」と思ってしまった。
繰り返しになるが、それだと咲夜は、「しっかり者で大人びた女」ということになるのよね。そこからして違和感なので。
そうじゃなくて、まだ彼女は「大人たちに擁護されながら戦う、弱さや脆さを持っている少女」という設定の方が魅力的なキャラ造形に なったんじゃないかと思うんだよなあ。
芝居が下手だから、堂々とした貫禄のあるキャラにすると、その稚拙さが際立ってしまうのよね。

「大和守が元凶を倒せないか」と言い出すと、草薙ノ地に元凶がいることも、土蜘蛛の仕業であることも、あっさりと明らかに される。
そこは淡白なのね。
で、草薙ノ地へ向かう前に、咲夜は「八王子に残っている妖怪を退治する」と言い出すんだが、それだと「もう妖怪は、ほとんど残って いないのか」という疑問が沸くぞ。
そうじゃなくて、敵の居場所や正体を明確に示さず、そこに元凶があるだろうと考えて富士山へ向かうことにして、その途中で様々な妖怪 が襲って来るという設定でいいでしょうに。
なんで、わざわざ「八王子に妖怪がいる」と明示して、そこを1つ目の目的地にしてしまうのか。

咲夜が片田舎の古寺に赴くシーンなんて、そこに妖怪がいることは最初から分かっているんだよな。
そうじゃなくて、「何となく怪しい気配」ということで立ち寄ることにしたり、あるいは道に迷っていたら向こうから誘ってきたりという 形にでもしておけばいいのに。
で、生き人形を作っている奴がいて、咲夜は「正体を現せ、妖怪変化」と言うが、そいつは人間なのだった。そして化け猫に襲われて 死亡する。
おいおい、妖怪じゃねえのかよ。
だったら、そんな悪党を意味ありげに出すなよ。そして簡単に退場させるなよ。

咲夜は化け猫と戦うけど、安藤希は全くチャンバラの出来ない人なので、戦闘シーンは細かくカットを割ったり特殊効果で加工したりして いる。
だけど、それでも冴えない。
で、なぜか化け猫を倒したところで人形が娘に戻るけど、いやいや、それって描写として変だろ。そいつらが人形になっていたのは化け猫 のせいじゃないんだからさ。
その娘たちが人間に戻ったのは傀儡師が死んだからであり、ってことは彼を殺した化け猫のおかげってことになっちまうじゃねえか。

序盤で似烏と猿鬼が助っ人として登場したのに、旅に出て間もなく猿鬼がメモを渡した後、ずっと消えたままだ。
で、酒匂川で初めて2人が咲夜たちと合流しているのだが、まるで「今までから一緒でした」という感じなんだよね。
「合流する」という描写が無い。
宿場町を出ると、また似烏たちは消えて、咲夜と太郎だけで歩いている。で、草薙ノ野に到着すると、似烏たちは何食わぬ顔で一緒に いる。
どういうことなのか。
似烏たちが途中で別行動になる理由が何かあるならともかく、そういう説明も全く無いし。

太郎が「泳ぎます」と言って外に飛び出し、落雷に打たれるけど死なずに頭と鼻から煙を発しているだけという描写は喜劇チックだけど、 喜劇に成りきれていない中途半端なノリ。
そんで結局、泳いで渡るシーンは無く、シーンが切り替わると雨が上がって、別の場所を歩いている。
ストーリーテリングがメチャクチャだし、エピソードやシーンの繋ぎ方も悪くてズタズタのバラバラだ。

咲夜たちが怨霊武者を蹴散らした後、浪人たちが敵として登場するが、妖怪退治の話なのに、なんで妖怪に雇われた浪人たちが敵として 立ちはだかるんだよ。
そこは妖怪だけに限定しておけよ。
話のボヤケっぷりがハンパないな。
ボヤケていると言えば、河童を登場させておきながら、キュウリにつられるとか、皿が乾いてピンチに陥るとか、そういうネタを やらないのも理解不能。

咲夜は似烏たちに「盟約により、榊の家は血のつながりを求めぬ」と言って太郎を後継者に考えていることを告げるが、血の繋がりとか いう問題じゃなくてさ、河童に後を継がせようとしているのかよ。
だけどね、河童であることも問題だし、太郎は全く刀の修行を積んでいないのよ。
そんな奴に村正を持たせても、使いこなせるわけがないでしょうに。
あと、「自分の親を殺した仇を受け継いで、妖怪に妖怪を退治しろというのは酷い話だ」という似烏たちの主張は納得できるものであり、 そういうことを咲夜が全く考えず、正当性だけを主張するのはメチャクチャだよ。

終盤は咲夜と太郎の絆をフィーチャーして盛り上げたかったみたいだけど、人間ドラマが全く描かれていないので、そんなネタでは全く 盛り上がらない。
終盤に太郎が「坊やではない。榊咲夜の弟、公儀妖怪討伐士・榊太郎だ」と勇ましく叫び、傷付いた咲夜の代わりに戦っても、こっちは 全く気持ちが乗らないよ。
こいつは最後まで役立たずでも構わないのよ。
そもそも、咲夜が太郎を跡継ぎに考えているような筋書きが邪魔なんだから。

脇役の存在感は、ものすごく薄い。大半のメンツは、その場限りで仕事が終わっている。
助っ人2人も、見せ場らしい見せ場は与えられていない。
だからって咲夜と太郎のドラマに厚みがあるわけでもなくて、全般的に薄っぺらい。
何もセールスポイントが見当たらない。
子供向け映画だからダメなんじゃなくて、子供向け映画としても出来映えが悪いし、子供向け映画としての意識も中途半端。

これってシリアスなテイストで作ったのは失敗じゃないかな。敵はキグルミだから、そこにバカバカしさを感じてしまうし。
でも、それはそれでいいのよ。大映が1968年に作った『妖怪百物語』と『妖怪大戦争』にオマージュを捧げた作品だから。
ただし、もっと喜劇タッチでやれば良かったんじないのかと。
つまり、昔の東映みたいに「明るく楽しい時代劇」というノリにすれば良かったのよ。
そうした方が、キグルミや物語の荒唐無稽も、安藤の芝居の稚拙さも、受け入れやすくなったはず。

(観賞日:2011年2月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会