『さくらん』:2007、日本

吉原・玉菊屋の女郎・きよ葉は、多くの男たちを虜にしている。浮世絵師・光信に色目を使ったきよ葉は、彼が花魁・高尾の間夫だと知った。 きよ葉が玉菊屋に来たのは、8歳の頃だった。女衒のお蘭によって連れて来られた彼女は反抗的で、玉菊屋からの逃亡を図った。店番の 清次は「九郎助稲荷の桜が咲いたら出してやる」と言うが、きよ葉は「てめえの足で出てやらあ」と言い切った。
女将はきよ葉を、高級花魁の粧ひに預けた。きよ葉は脱走を図って失敗し、折檻を受けた。それでも彼女は、脱走を諦めようとはしない。 粧ひが馴染み客と肌を重ねる様子を覗き見たきよ葉は、ますます「ここを出なければ」という思いを強くした。だが、粧ひの挑発的な態度 に反発したきよ葉は、「吉原一の花魁になってやる」と口にする。粧ひは彼女に、手練手管の必要性を説いた。粧ひは金持ちの旦那に身請け され、吉原を出て行くことになった。きよ葉は彼女から、身に着けていたかんざしを渡された。
17歳になったきよ葉は、股座を観察した楼主から「十年に一度の天女」と賞賛された。そんなきよ葉を、高尾は自分の名代として馴染み客 ・ご隠居の元へ行かせた。それはきよ葉への嫌がらせだった。鼻っ柱の強いきよ葉は、ご隠居の前でも生意気な態度を崩さなかった。 ご隠居は嫉妬深い高尾の前で、わざときよ葉を誉めた。妬みを買ったきよ葉は、高尾によって縛り上げられた。
きよ葉の突き出しの相手は、ご隠居が務めた。きよ葉はすぐに人気者となり、多くの男達を虜にした。そんな中、きよ葉は三松屋の若旦那 ・惣次郎に恋をした。惣次郎もきよ葉に惹かれ、店に通うようになった。彼への思いで一杯になったきよ葉は、地方大名・坂口の相手を 断って女将から注意を受けた。坂口を断れば惣次郎も回さないと言われ、きよ葉は渋々ながら仕事をした。
光信の心がきよ葉に傾きつつあると知った高尾は、嫉妬心を募らせた。そこで高尾は、きよ葉が坂口の相手をしている最中、彼女を妹分の 若菊に連れ出させ、惣次郎の部屋へ行かせた。それは親切心ではなく、2人を引き裂くための策略だった。若菊は坂口に聞こえるよう、 故意にきよ葉が間夫の元へ行ったことを口にした。怒った坂口は、きよ葉と惣次郎の部屋に乗り込んだ。きよ葉を殴って荒れる坂口が制止 される中、惣次郎は何も言わずそそくさと立ち去った。
その事件をきっかけに、惣次郎が玉菊屋を訪れることは無くなった。きよ葉は高尾に激怒して掴み掛かり、清次になだめられた。きよ葉は 変装して店を抜け出し、三松屋へと向かった。三松屋から出て来た惣次郎と目が合ったきよ葉だが、何も言わずに立ち去り、川辺で泣いた。 一方、高尾は光信を剃刀で殺そうとして、揉み合いの末に誤って首筋を切られ、死亡した。
高尾がいなくなったことを受け、楼主と女将はきよ葉を新たな花魁にしようと考えた。一度は断ったきよ葉だが、清次から「お願いします 、花魁」と言われ、決意を固めた。きよ葉は日暮と名前も改め、玉菊屋を背負う花魁となった。由緒正しい家柄の武士・倉之助は花魁道中 で彼女に惹かれ、玉菊屋にやって来た。「何かと物入りであろう」と倉之助は小判を差し出すが、日暮は「金ではなびかぬ」と冷たく対応 した。後日、倉之助は再び玉菊屋を訪れ、素直に無礼を詫びた。
清次は楼主と女将から、姪との結婚を持ち掛けられた。それは玉菊屋の後継ぎになることを意味していたが、清次は喜んで受ける気に なれなかった。一方、倉之助から身請け話を持ち掛けられた日暮は、「吉原の桜が咲けば自分から出て行く」と答えた。倉之助は吉原を桜 で一杯にして、皆の前で「日暮を娶りたいと思う」と宣言した。清次は腹痛を訴えた日暮を介抱し、妊娠していることを知った。身請け話 があれば堕胎するのが掟だが、日暮は殺されても出産すると宣言した。
日暮は妊娠を倉之助に打ち明けるが、それでも彼は身請けしたいと望んだ。しかし日暮は流産してしまい、清次の励ましを受けた。結局、 日暮は倉之助に身請けされることが決まった。その準備が進む中、ご隠居が久しぶりに玉菊屋を訪れた。日暮は最後の客としてご隠居と 会った。日暮は九郎助稲荷の桜は咲くことが無いと既に知っており、自分の足で吉原を出て行くことを諦めていた。しかし、ご隠居は 「咲かぬ桜など、ありはせんのじゃよ」と告げ、穏やかに息を引き取った…。

監督は蜷川実花、原作は安野モヨコ、脚本はタナダユキ、製作は寺嶋博礼&堤静夫&亀山慶二&工富保&山本良生&庄司明弘&那須野哲弥 &中村邦彦&渡辺正純、プロデューサーは宇田充&藤田義則、チーフプロデューサーは豊島雅郎、エグゼクティブプロデューサーは椎名保 &山崎浩一&早河洋&五十嵐隆夫&水野文英&伏谷博之&廣瀬敏雄&石川治&石井晃、撮影は石坂拓郎、編集は森下博昭、録音は松本昇和、 照明は熊谷秀夫、美術は岩城南海子、視覚効果は橋本満明、音楽は椎名林檎、音楽スーパーバイザーは安井輝。
出演は土屋アンナ、椎名桔平、成宮寛貴、木村佳乃、菅野美穂、石橋蓮司、夏木マリ、市川左團次(4代目)、安藤政信、永瀬正敏、美波、 山本浩司、遠藤憲一、小池彩夢、山口愛、小泉今日子、蜷川みほ、もたい陽子、松下恵、月船さらら、藤森麻由、中村ゆり、海老沢神菜、 近野成美、杉林沙織、吉田里琴、矢口蒼依、野村貴志、飯沢もも、真中莉子、星野晶子、翁華栄、津田寛治、長塚圭史、SABU、丸山智己、 小栗旬、会田誠、安藤武徳、庵野秀明、忌野清志郎、大森南朋、小川洋之、小山登美夫、ゴリ(ガレッジセール)、古厩智之、村松利史ら。


安野モヨコの同名漫画を基にした作品。
写真家の蜷川実花が初監督を務め、脚本にタナダユキ、音楽に椎名林檎と各分野で活躍する女性たちが結集した。
きよ葉を土屋アンナ、倉之助を椎名桔平、惣次郎を成宮寛貴、高尾を木村佳乃、粧ひを菅野美穂、楼主を石橋蓮司、女将を夏木マリ、 ご隠居を市川左團次、清次を安藤政信、光信を永瀬正敏、若菊を美波、坂口を遠藤憲一、幼少時代のきよ葉を小池彩夢、お蘭を小泉今日子 が演じている。

なるほど、写真家が監督しただけあって、金魚の入った水槽越しに情景を見せる演出などもあり、映像は華やかで美しい。きらびやかで カラフルなイメージが、全体に満ちている。ケバケバしさのある色使いも、遊郭の非日常感を出すことに貢献している。
でも、それだけだ。
そういう写真集があったとすれば、ほぼ同じようなモノは得られるのではないだろうか。
あと、金魚鉢の比喩をセリフで説明してしまうと、映像表現の意味が薄れてしまうように思うんだけどね。
映像の割りには、ぶっ飛んだ映画という印象は受けない。予定調和のオーソドックスな作品という感じ。
やたら話の歩みがノロくてまったりムードたっぷりなのは引っ掛かる。
意図的なのかもしれないが、ヒロインの破天荒キャラやヴィジュアル・イメージを活かし、物語の薄さやキャラの浅さを誤魔化すためには 、もっとスピーディーにテンポ良くやった方がいいと思うんだが。

土屋アンナが「十年に一度の天女」には見えないってのは、個人的な趣味も入ってくるから、とりあえず置いておくとしよう。
ただし、型破りな遊女じゃなく、下品&がさつにしか見えない、柄が悪いヤンキーにしか見えないってのは、個人的な趣味は無関係だ。
彼女は芝居をしているというよりも、地を出しているだけなんだな、たぶん。
むしろ、ここは「普段は淑女も演じられる女優が、型破りなところのあるキャラを演じる」という形にしておいた方が良かったんじゃ ないかな。

根本的に、土屋アンナは御世辞にも演技が上手いわけではないので、コスチューム・プレイの中に放り込むと、モロにボロが出てしまう。
まあ完全な時代劇言葉ではなく、かなり砕けた台詞回しにしてあるんだが、それでも演技の稚拙さが気になって仕方が無い。
不幸中の幸いは、前半で相手役を務める成宮寛貴も、下手な芝居で付き合ってくれることか(ってダメじゃん)。
だから後半に入って相手の男が椎名桔平に替わると、もう救いが無い。

チョイ役の女性たちがオッパイをモロ出しにするシーンが何度かあるんだが、その一方で土屋アンナは背中のセミヌード的アプローチのみ。
濡れ場でもオッパイは見せない(これは菅野美穂も同様)。
土屋アンナの裸なんて失礼ながら見たいとも思わないが、脇の連中が脱いでいるんだったら、そこはオッパイも見せないと。
見せないのなら、脇役の露出も避けてバランスを取るべきだ。

粧ひは玉菊屋の看板を背負う花魁であり、女郎の中ではズバ抜けてスーペルな存在のはずだ。
ところが、登場してすぐ男に抱かれるシーンがあるために、あまり「そこいらの女郎とは別格の扱い」には見えないんだよな。
相手の男がさんざん苦労して、ようやく粧ひを抱くことが出来たというわけでもないので。
あと、菅野美穂って芝居の出来る女優のはずなんだが、花魁の大げさな演技が、ものすごく下手に見える。
あそこは芝居の付け方を変えるか、もしくは配役を変更すべきだったな。

きよ葉が手練手管を教わるシーンが全く無いまま、粧ひは身請けされて遊郭を去ってしまう。
そうなると、きよ葉はどうやって手練手管を会得したんだろうか。
っていうか、その後の展開を見ても、きよ葉が手練手管を会得したようには見えないぞ。
「ただ座っているだけで男達を惹き付ける」と納得させるようなカリスマ性を土屋アンナが持っているわけでもないし、ちとキツい。

登場人物の痛みも苦しみも哀しみも、こっちの心に深く染み入ることは無い。
その理由としては、まず土屋アンナの芝居が下手なので、それが邪魔になって伝わらないってのもある。
また、全体的に「全ては絵空事」みたいな雰囲気があるために、そこで登場人物が泣いたり苦しんだりしても「それも絵空事」になって いるということもあるだろう。
でも、やはり根本的に表現として薄いんだと思う。
例えば日暮の出産への覚悟も軽けりゃ、流産の描写も軽い。

完全ネタバレだが、最後に日暮は清次と手を取り合って駆け落ちする。
でも、その結末は無いわ。
そういう結末が馴染むほど、2人の恋愛関係って作り上げられてなかったでしょ。終盤になってバタバタとやった感じよ。
それをやるなら、そこまでの道筋を付けるのもそうだが、そもそも序盤のきよ葉と清次の桜を巡る会話シーンにおいて、清次も少年に すべきだよ。そして、若い頃から互いに苦労しながら育ち、ソウルメイトとしての絆で結ばれたという関係にしておくべきだよ。
っていうか、そもそも店を出て行くべきじゃないよ。
そこまで描かず、花魁道中の辺りで「アタシは花魁として生きていく」と決意する感じで締めても良かったのでは。

(観賞日:2008年5月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会