『桜、ふたたびの加奈子』:2013、日本

小学1年生で死去した桐原加奈子の葬儀が執り行われ、母の容子と父の信樹は沈痛な表情で霊柩車に乗り込んだ。しかし容子は娘の死を、受け入れることが出来ずにいた。彼女は古書店を営む母の松代に、加奈子を預かってもらうことも多かった。古書店の常連である東山直也は自転車を走らせている時、乳母車を押す女性を見た友人の「あの女、頭おかしいんだよ。家族が乗ってた車が事故って、旦那さんと息子、両方死んじゃったんだ」という言葉を聞いた。
容子は加奈子の入学式に出席するため、信樹の車で送ってもらった。車を降りた加奈子は学校の前にいる友人を見つけ、早く行こうと容子の手を引っ張った。容子はデジカメを捜すため、加奈子の手を離した。その間に友人の元へ走った加奈子は、車にひかれて命を落とした。葬儀を終えた信樹が骨壺に拝むと、容子は「加奈子は、そこには居ないと思う」と言って線香も上げようとしなかった。彼女は自分が目を離したせいだと責任を感じ、泣いて信樹に詫びた。
初七日を済ませた後も、容子は魂が抜けたような状態が続いた。彼女は心の中で「会いたい」と何度も呟き、加奈子に会うため首吊り自殺を図った。連絡を受けて病院へ駆け付けた信樹は、通報が早くて助かったと告げられる。しかし通報したのは信樹ではなく、他に電話を掛けてくれるような同居人もいなかった。小学校教師の砂織がデパートを訪れた時、容子は子供服売り場で商品を見ていた。デパートの喫茶店に入った容子は、コーラとアイスを注文する。アイスが来ると、彼女は隣の席に置いた。砂織は元教え子で高校生の野口正美と会い、子供を産む自覚を持つよう優しく話した。妊娠中の正美は、赤ん坊の父親については決して明かそうとしなかった。
容子は夕食にオムライスを3人分作り、誰もいない席に並べた。困惑する信樹に、容子は加奈子がいるのだと主張した。信樹が「減らないじゃないか」と指摘すると、彼女は「そういうことじゃないの」と言う。「どうしてそこに加奈子がいるって分かるんだよ」と信樹が訊くと、容子は「私は貴方より加奈子のことを知ってる」と告げる。信樹が「なら、もう帰してあげよう」と諭すと、彼女は「貴方は加奈子と一緒にいたくないの?」と反発した。「加奈子は、もうこの世にはいないんだよ」と信樹は声を荒らげ、加奈子の分のオムライスを捨てた。容子は夫の行動に抗議した後、見えない加奈子に話し掛けた。
四十九日を終えた容子は、加奈子が急に見えなくなったので慌てて家の外に出た。飼い犬のゴローが鎖を外して走り出したので、容子は後を追った。容子は小学校の校舎に入るが、ゴローを見失った。容子は佇む正美に気付いて話し掛け、妊娠中だと知った。正美が苦しそうな様子を見せたので、容子は急いで駆け寄った。そこへ砂織が現れて「ごめんね、遅くなって」と言うと、容子は「病院に早く」と指示した。砂織は病院で容子の事情を聞き、自分が加奈子の担任になる予定だったことを明かした。
ジローは見つからず、保険所からの連絡も無かった。容子は見えない加奈子の食事を作らなくなる一方で、入院した正美の見舞いに何度も訪れるようになった。砂織は彼女に、来月には結婚退職するため、これからは正美の相談に乗ることが難しくなるのだと話す。その上で彼女は、出来れば正美の相談相手になってあげてほしいと容子に頼んだ。正美は両親が離婚し、今は父親と2人で暮らしていることを砂織は容子に説明した。
退院した正美は、良く通っていた古書店を久々に訪れた。ちょうど店に来ていた直也は彼女に気付いて声をかけ、小学校と中学校で2つ下だったことを告げる。松代が「相手は面倒見てくれないの?」と訊くと、正美は「はい」と答えた。松代は正美の腹に耳を当てて胎児の音を聴き、直也に「アンタも聴かせてもらいなさい」と促した。信樹がお盆に向けて馬と牛を作っていると、容子は「やめて」と嫌がった。信樹は正美の出産予定日を尋ねた後、「良く分かんないけど、おかしなことは考えてないよね?」と問い掛けた。
正美が無事に女児を出産すると、容子は花束を持って見舞いに訪れた。容子は夏月という女児の名前を聞き、抱かせてもらった。左の掌に加奈子と同じ黒子があることを確認した彼女は、「良かった」と泣いた。彼女は信樹から「子供を作ろう」と言われると、「今はまだ」と拒んだ。信樹は「加奈子の生まれ変わりになるかもしれない」と語るが、容子は「そんなこと言わないで」と不快感を示した。直也は松代の差し入れを持って、正美の病室を訪れた。容子は夏月を抱いて、窓際で可愛がっていた。
一周忌を終えた容子は、正美&夏月とデパートの喫茶店へ出掛ける。そこへ男児を抱いた砂織が来たので、正美は計算が合わないことを指摘した。砂織は笑いながら、出来ちゃった結婚であることを明かす。直也は松代の差し入れを持参し、正美のアパートを訪れた。すると正美の父親は露骨に拒否反応を見せ、「この子はこんな年で子持ちだ。お前に2人をどうにか出来るのか。何とも出来ないなら、来ないでくれ。2度も3度もバカにされたくない」と述べた。
正美は夏月を抱いて外に出ると、直也に「この子のお父さんに会いに行ったんだ」と明かす。「高校の先輩で、今は大学に行ってる。夏月の顔を見せたいと思って。でも凄く嫌な顔をされた。どうしても会いたかった。冷たくされても、好きだから。この子さえいなければと、その時思った」と、彼女は語った。アパートに戻った正美は、夏月の腕をつねって泣かせた。あやしても夏月が全く泣き止まず、正美は「やめてよ」と怒鳴ってアパートを飛び出した。
三回忌を終えた容子は、信樹から「離婚してくれないか。幸せになろうとしない人を、幸せには出来ないよ」と告げられる。容子が「あと少し待って」と言うと、「そう言われて、ずっと待ったよ」と信樹は口にする。容子が「貴方も夏月ちゃんに会ってみない?あの子を引き取りたいたいの。夏月ちゃんはね、加奈子の生まれ変わりだと思うの。養子縁組が終わったら離婚してもいい」と話すと、「そうしたら、容子は幸せなのか?それなら、一緒にその子を育てる。ただし、その子は加奈子じゃない。新しく授かった子だと思うことにする」と信樹は告げ、「ただね、その子のお母さんが望まなかったら、その子のことは忘れるんだ」と説いた。
夏月の2歳の誕生日を祝うため、容子は正美のアパートを訪れた。砂織も息子を連れて参加し、ケーキを用意して夏月を祝った。容子は夏月をトイレへ連れて行った時、「私が誰だか分かる?」「貴方が夏月ちゃんになる前は?」と尋ねる。夏月が首をかしげるので、容子は好きなおやつや御飯について質問した。しかし、その答えは全て加奈子と異なっていた。焦った容子は「加奈子」と呼び掛けるが、夏月は怪訝そうな表情を浮かべるだけだった。それでも容子の決意は変わらず、正美に養子縁組の希望を打ち明ける…。

監督・脚本・編集は栗村実、原作は新津きよみ『ふたたびの加奈子』(ハルキ文庫刊)、製作は飯島三智&小崎宏&亀山千広&水口昌彦&百武弘二&冨木田道臣、プロデューサーは山崎康史&和田倉和利&中山賢一、共同プロデューサーは前田久閑&市原明、撮影監督はニホンマツアキヒコ、照明は上嶋ゆきお、録音は小原善哉、美術は福田宣、衣装は宮本まさ江、VFXスーパーバイザーは大萩真司、音楽は佐村河内守。
出演は広末涼子、稲垣吾郎、福田麻由子、高田翔(ジャニーズJr.)、江波杏子、吉岡麻由子、田中里衣、永井秀樹、岸建太朗、戸田みのり、横溝菜帆、吉満蒼、安藤聖、山城秀之、富永凌平、増本庄一郎、岡野謙三、米谷澪、西岡航、太田しずく他。


新津きよみの小説『ふたたびの加奈子』を基にした作品。
監督&脚本&編集を務めたのは、コロンビア・カレッジ・ハリウッド映画学科の出身で、初長編映画『飯と乙女』でモスクワ国際映画祭最優秀アジア映画賞を受賞した栗村実。これが2本目の長編監督作となる。
容子を広末涼子、信樹を稲垣吾郎、正美を福田麻由子、直也を高田翔(ジャニーズJr.)、松代を江波杏子、砂織を吉岡麻由子、乳母車を押す女性を田中里衣、加奈子を戸田みのり、夏月を横溝菜帆が演じている。

この映画を批評する上で絶対に触れたくなるのは、「あの佐村河内守が音楽を担当している」ってことだ。
2014年2月にゴーストライターを使っていたことが明らかにされたため、しばらくは本作品のDVDが出荷停止になったり、テレビでの放送が中止されたりするという影響が出た。
もちろん彼を起用した時点で製作陣はゴーストライターのことなど何も知らず、「訴求力に繋がるだろう」と思っていたんだろう。
実際は大した訴求力に繋がらなかっただけでなく、公開終了後ではあるが予想外のケチが付く結果となったわけで、その部分に関しては製作陣に同情する。私は意地が悪いので、ほんの少しの同情心だけどね。

仕方のない事故であるものの、加奈子をひいて死なせた運転手が存在する。その女性は事故のシーンでチラッと後ろ姿が写るだけで、それ以降は全く登場しない。
でも容子と信樹は加奈子の死に強烈なショックを受けるわけで、その一方で運転手の女性に対して何の怒りも恨みも抱く様子が無いのは不可解に思えるのだ。
もちろん急に飛び出した加奈子の方に過失があるのだが、それでも遺族である両親からすれば「もう少し早くブレーキを掛けてくれたら助かったのに」といった恨みを抱いても良さそうなモノだ。運転手女性に対して何の感情も抱いていない様子なのは、かなり引っ掛かる。
「そこに言及すると描きたい話からズレてしまう」ってことを考慮して、あえて運転手の女性を話に絡ませないようにしているんだろうけど、それなら「加害者が存在する死亡事故」という死因そのものを変更しちゃった方が良かったんじゃないかと。

オープニングで葬儀の様子が描かれ、すぐにセールスポイントの1つであろう伴奏音楽が流れて来る。このBGMが、悲しみを誘うと言うよりは、明らかに不安を煽るような曲調になっている。
確か公開された当時は「女性向けの感動的なヒューマンドラマ」として宣伝されていたはずなので、「それでホントに合ってるのか?」と首をかしげたくなる。
しかし話が進むにつれて、それが正しかったことが分かる。むしろ、感動的なドラマのように宣伝したことが間違いなのだ。
考えてみれば、原作小説はハルキ・ホラー文庫として最初に刊行されていたわけで。だから映画がサイコ・ホラーになるのも、当然っちゃあ当然なのだ。

オープニングのシーンが終わった後、時間を遡って「加奈子と両親が花見に行った時の様子」が描かれる。
他にも大勢の仲間たちが参加する中、加奈子は信樹に結婚式ごっこをねだる。信樹が「今度」と告げると、加奈子は「今がいい」とねだる。
そこで信樹は「お母さんに頼んでごらん」と促し、加奈子は容子の元へ行く。加奈子は「お嫁さんごっこして」とせがむが、容子は忙しいので適当に流す。
加奈子が「ポケットにある物、何だと思う?」とクイズを出すと、容子は後で見てあげるから」と言う。そこで加奈子は「約束だよ」と告げ、その場を離れて1人になる。そしてポケットに手を突っ込み、桜の花びらを楽しそうに撒く。

加奈子が桜の花びらを撒いた時点で「どういうこと?」と言いたくなるのだが、それは置いておこう。
それより引っ掛かるのは、「そこで何かが起きるわけじゃない」ってことだ。
両親が遊び相手になってくれず、加奈子が花見の場を離れて1人になったので、そこで彼女が死に至る出来事が起きるのかと思ったら、そうではない。加奈子が花びらを撒くと、彼女が古書店で松代と知恵の輪遊びをしている様子が描かれるのだ。
だったら花見のシーンって、まるで要らないでしょ。

古書店で松代が加奈子と遊んでいると、常連客の直也が来る。容子が加奈子を迎えに来て、2人で店を去る。
カットが切り替わると、直也は友人たちと自転車を走らせている。友人の1人が乳母車を押す女性を見つけ、「頭がおかしいんだよ」と言う。
それって、どういう構成なのかと。
後の展開へ繋げることを考えれば、どこかで「直也が夫と息子を亡くした女性の存在を知る」という手順を入れておきたいのは分かる。ただ、そこじゃないでしょ。

その後、入学式へ行く前の加奈子がジローと遊び、容子が食事を用意する様子が写し出される。
それは「平穏で幸せな家族の光景」のはずだが、流れて来るBGMは、なぜか緊張感を醸し出すような不穏な曲調だ。
ってことは、「この頃から、この一家は表面的には幸せだが、実は問題を抱えていたり、崩壊していたりした」ってことなのかと思いきや、そうではないのだ。加奈子の死亡事故は、何の前触れも無く起きるのだ。
だからホラーか否かに関わらず、そのBGMは間違えているとしか思えない。

市役所で書類に記入する信樹と、自宅でデジカメを泣きながら破壊する容子をカットバックで描くシーンで流れるBGMも、不条理な印象を強く感じる。
「私は武満徹が音楽を担当したATGの実験的映画を見ているのだろうか」と思ってしまう(それは言い過ぎだけど)。
どういうイメージでそういう音楽を用意したのか、何を伝えようとしているのか、それがサッパリ分からない。
普通に考えれば「喪失感」や「悲哀」のはずだが、感じるのは不気味さだけだ。少なくとも、容子と信樹に対する憐みの気持ちは全く喚起されない。

首吊り自殺を図る容子の目線でカメラが映像を捉えるシーンは、ちょっとホラー的な匂いが漂う。
その後、「通報者がいて助かるが、それは信樹じゃない」ってことが明らかになり、「じゃあ誰が通報したのか」ってトコでもホラーの要素が感じられる。
何も見えないのに容子が「そこに加奈子がいる」と言い出すのも、「ヤバい女だな、ちょっと怖いぞ」と感じる。
「娘を亡くしたショックでおかしくなったんだろうな」とは思っても、同情心は全く湧かない。

ジローが見えない加奈子に気付いているかのように鳴く様子が写し出されるのは、前述した「謎の通報者」という要素も含め、「容子がイカれちゃったわけではなく、本当に見えない加奈子が存在する」と観客に思わせるための手順だ。
どうやら製作サイドとしては、「当初は加奈子の幽霊が容子の近くにいて、赤ん坊として生まれ変わるため、他の母親の胎内に入った」という設定にしているようだ。
ただ、どうであろうと、何も見えないのに「そこに加奈子がいる」と訴える容子がサイコな女にしか見えないのは事実なのよ。

逃げ出したジローを容子が追い掛けるシーンでは、彼女視点の手持ちカメラによる映像が使われる。
そこはBGMも含めて、完全にホラーのノリとなっている。いきなり悪霊が出て来ても不思議じゃないような雰囲気が作られている。
妊婦の正美と出会った容子が加奈子の食事を作らなくなる代わりに、頻繁に見舞いへ訪れるようになるのも、怖さしか無い。
演じる広末涼子の表情が、完全に「ヤバい人」になっているのでね。

砂織が「来月には結婚退職する」と嬉しそうに話すのは、容子の事情を知っているはずなので、ちょっと引っ掛かる。デリカシーに欠ける女として受け止めればいいのかもしれないが、そういうキャラとして描かれているわけでもない。
正美の相談相手になってほしいと依頼するのも、ちょっと虫が良すぎるんじゃないかと感じる。
松代が正美の承諾を得ないで腹に耳を当てるのも、デリカシーに欠ける行為だと感じる。
それでも、まだそこは受け入れられる。しかし、直也に「アンタも聴かせてもらいなさい。触らせてもらいな」と言い出すのは、「いや、おかしいだろ」とツッコミを入れずにいられないぞ。

松代は戸惑う直也に「この子はね、男に出来ないことをやってるの」と話しているけど、「だから腹に耳を当てて胎児の音を聴きなさい」ってのは、まるで理屈が通らないぞ。
正美はOKしているけど、すんげえ不自然なシーンだわ。
どうしても「直也が正美の腹の音を聴く」というシーンを入れたかったんだろうけど、段取りをスムーズに処理するための計算式が全く出来ていない。
おまけに、そんなに無理をして持ち込んだ「直也が正美の腹の音を聴く」という行為は、大して意味を持っていないのだ。そこをバッサリとカットしたとしても、後の展開には何の影響も与えないのだ。

容子が産まれたばかり夏月を抱く様子には、不気味さしか感じない。中盤以降も流れ続ける現代音楽のBGMは、相変わらず不安を煽る。
夏月が本当に加奈子の生まれ変わりか否かに関わらず、「私が誰だか分かる?」「貴方が夏月ちゃんになる前は?」などと質問し、しまいには「加奈子」と呼び掛ける容子は、ヤバい女としか感じない。
正美の育児疲れや虐待を見せておくことで、夏月を引き取ろうとする容子の考えを肯定しようとしているが、何の効果も無い。
そんな策略を打ち砕くほど、容子の狂気はパワーを放っている。

サイコ・ホラーならサイコ・ホラーで、ちゃんと割り切って描いてくれれば、それはそれで有りなのだ。
しかし、どうやら監督は、この作品をサイコ・ホラーとして撮っている意識が無かった様子なのだ。それどころか、子供の喪失を乗り越えて夫婦が再生していく、希望と感動の物語として撮ったらしい。
つまり、サイコ・ホラーじゃなかったはずなのに、結果としてサイコ・ホラーにしか感じない映画に仕上がってしまったということなのだ。
そのことが、ある意味ではホラーだわ。
っていうか、希望を持たせる感動のドラマとして描く意識があったのなら、佐村河内守(っていうか新垣隆)の用意した伴奏音楽は絶対に合わないだろ。その段階でNGを出して変更してもらうべきだろ。それを使っている時点で、どう頑張ってもサイコ・ホラーになっちゃうぞ。

容子が正美に養子縁組の申し入れを断られても、これっぽっちも同情心は喚起されない。ただ、その辺りからは一応、ヒューマン・ドラマとしての色合いを濃くしようとしていることが感じられる。
しかし、何しろ容子のイカれっぷりが強すぎて、まるで敵わないのだ。
そして「没後4年」になると、砂織の息子が加奈子の生まれ変わりであることが判明する。これは容子の思い込みじゃなくて、「事実」という描写になっている。
でも、それが事実であろうとも、やはり感動など無い。容子が男児を連れ去る展開は、やっぱり恐怖に満ちている。
そして、そんな行動を取る容子には、やっぱり「ヤバい女」という印象しか無いのである。

(観賞日:2017年3月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会