『さくら』:2020、日本

長谷川薫が実家で飼っている犬はサクラという名前で、今年で12歳になる。サクラのことを思い出すと居ても立ってもいられなくなり、薫は久々に帰郷することにした。薫には正しいと思ったことの逆をしてしまう変な癖があるが、サクラを選んだ時だけは心の底から自分が正しいと思った。犬を貰いたいと言い出したのは妹の美貴で、生き物を飼う大変さを語る母のつぼみを説得したのも美貴だった。兄の一もサクラを可愛がり、少年時代の薫たちに足りない物など何も無かった。
薫が実家に戻った理由は、もう1つあった。2年前に家出した父の昭夫から、「年末、家に帰ります」という手紙が届いたのだ。薫が帰宅すると、昭夫はサクラを連れて買い物に出ていた。しのぶは「今日はお父さんになんも言わんでええよ」と告げ、夕食は昭夫のリクエストで鍋に決まっていることを教えた。昭夫が帰宅すると、薫はサクラを散歩に連れて行った。夕食の時、食卓に一の姿は無かった。ビールをこぼした昭夫はしのぶに注意され、「すいません」と敬語で謝った。かつて昭夫は運送会社で働いており、トラックの運転手たちに無線で速いルートを連絡する姿を少年時代の薫は格好良いと感じていた。しのぶも子供たちに、昭夫のことを自慢していた。美貴はサクラを室内に入れ、口から漂う悪臭に顔を歪めた。サクラが放屁したので、薫と昭夫は苦笑した。
今の場所に引っ越して来る前、薫たちの家は狭かった。夜中に両親がセックスした時、しのぶが発したを喘ぎ声を美貴が聞いた。次の朝、美貴から「昨日の夜、何してたん。猫みたいな声してた」と質問されたしのぶは、「美貴がお父さんにもお母さんにも一にも薫にも似てんのはな、お父さんとお母さんが好き同士の魔法を掛けたからや」と語った。美貴が「どうやって?」と尋ねると、しのぶは「うーんと好きやって思って、裸でお父さんがお母さんの体全部にキスしてくれんねん」「お父さんは美貴の体を作る素を持ってる。お母さんは美貴の心を作る素を持ってる。それを1つにするんや」「お父さんはその素をおチンチンの中に持ってるそれをお母さんのお腹に入れるねん」などと、子供の作り方を彼女なりに説明した。
美貴が産まれた時、薫と一は妹のために花をプレゼントしたいと思った。誰も見たことが無い花を探しに行った2人は、警察に保護された。2人は両親から叱責されるが、一は何の言い訳もしなかった。帰郷した薫が自室にいると、美貴が「ギョウザ作るで」と呼びに来た。長谷川家では正月に、おせちではなくギョウザを大量に食べる。それは昭夫としのぶのロマンスから始まっている。しのぶは初デートの時に緊張し、昭夫の前でギョウザを食べなかった。思い切りギョウザを食べられる関係になりたいと思った彼女は翌年、当時では珍しかった出来ちゃった結婚をした。それ以来、しのぶは家族にとって大事な日はギョウザを作って食べることに決めたのだ。両親が初めての娘ということで甘やかして育てたため、美貴はワガママで頑固な性格になった。
少年時代、一の仲間内では「勇気あり」という遊びが流行した。「フェラーリ」と呼んでいた恐怖の男が近所に住んでいて、どれだけ彼に近付けるかを競うゲームだ。傘を持って暴れるフェラーリの危険性を分かっていた一は、その遊びに決して美貴を参加させなかった。だが、神社の境内で遊んでいた時に美貴が現れたため、一は慌てて「はよ逃げろ」と叫んだ。ところが美貴に駆け寄ったフェラーリは唐突に「思い出した」と言い、翌日から姿を消した。
翌年、一家は新居に引っ越し、子供たちは1人ずつ部屋を与えられた。引っ越した最初の日、一は美貴にクルミをプレゼントした。彼から「ええか、今夜から1人で寝るんやで」と言われた美貴が嫌がったので、薫の部屋で3人で寝ることになった。二段ベッドの下で薫、上で一と美貴が寝た。新居に引っ越してから、サクラが家にやって来た。名前を付けたのは美貴で、一家は記念に集合写真を撮った。サクラが大きくなったので、一家は犬小屋を作った。一が「俺も今日から1人で寝るで」と言うと、美貴は「嫌や、お兄ちゃんと一緒に寝る」と告げた。夜、一は美貴が眠りに落ちるのを待ってベッドを抜け出し、クルミを握らせて自分の部屋に移った。
高校に進学した一は野球部で活躍するようになり、薫は女子生徒から兄にラブレターやプレゼントを渡すよう頼まれることもあった。薫にとって一はヒーローであり、嫉妬心は全く抱かなかったが、自分の存在を確立したいと思うようになった。ある日、一は恋人が家に来ることを家族に伝えた。昭夫は緊張し、慣れないオシャレをして待ち受けた。つぼみは張り切ってアップルパイを作り、美貴は露骨な不機嫌な様子を見せた。一が連れて来た矢嶋優子は無愛想な女性で、サクラを一瞥しただけで可愛がろうとしなかった。つぼみは優子に不快感を抱き、文句を言う美貴と同調した。
その夜、薫は一から「彼女、どう思う?」と訊かれ、「なんか寂しそうな感じがする」と評した。すると一は、優子の幼少期に両親が離婚して母と2人暮らしをしていること、母が連れて来る男がコロコロ変わること、その男に母が殴られることを語った。さらに一は、優子にセックスの経験があるらしいと語った。その後も優子は長谷川家を訪ねて来るようになり、その度に美貴は自分の部屋で大きな物音を出すことで邪魔をした。
ある日、昭夫に溝口サキコという人物からの手紙が届き、つぼみは子供たちの前で激しい怒りを見せた。美貴は面白がり、声に出して手紙を読んだ。帰宅した昭夫はつぼみに追及され、学生時代の同級生だと説明する。つぼみがアルバムを渡してサキコを教えるよう要求すると、昭夫は溝口先史という男子の写真を指差した。彼はサキコと名乗り、オカマバーを開いていた。長谷川家の5人は、サキコの店へ遊びに出掛けた。サキコは子供たちに、「いつかアンタらにも、お父さんよりもお母さんよりも好きな人が出来る。いつかお父さんとお母さんに嘘をつく時が来る。嘘をつく時は、自分も苦しい、愛のある嘘をつきなさい」と説いた。
優子は頻繁に長谷川家へ通う内に、笑顔で挨拶したり、サクラを撫でて可愛がったりするように変化していった。薫は学年で一番の成績を取っている同級生の須々木原環が足を挫く現場を目撃し、心配して声を掛けた。すると環は「家まで送ってくれない?」と言い、薫を自分の部屋に招き入れた。薫は彼女に誘惑され、初めてのセックスを体験した。二学期の期末テストで環は1位を取り、薫は2位だった。環は薫にコンドームをプレゼントし、「もっとワークアウトしなきゃダメよ」と告げた。
薫は一に、環からコンドームを貰ったことを話した。一は薫に、優子が引っ越すことを明かした。母の恋人が九州へ転居するので、付いて行くことになったのだ。一は薫と共に引っ越しを手伝い、いつか必ず結婚しようと誓い合って優子を見送った。美貴はバスケットボール部で大友カオルと仲良くなり、彼女を頻繁に家へ招くようになった。カオルは夕食を一緒に取ることも多く、「兄弟が多いので両親は心配しない」と軽く告げた。
薫は環との関係について両親から問われると、明確な返答を避けた。彼は環を好きなのかどうか分かっておらず、ただ体がセックスの快感を覚えているだけだった。毎日のように届いていた優子からの電話と手紙がパッタリと途絶えたことで、一は元気が無くなった。一は大学の寮に住むことになり、出て行く日に家族は集合写真を撮影するが、美貴は部屋から出て来なかった。美貴とカオルは不良少女3人組に因縁を付けられるが、逆に殴り倒して撃退した。薫は環に、「女の人、好きになったことある?」と尋ねた。
夏休みに一が帰郷し、美貴は喜んだ。一は薫と美貴にに、優子のことを相談するためサキコに会ったことを話す。彼はサキコから誰の助けも無しに自分で会いに行けと助言され、九州へ行くためにバイトしていた。一は時計の電池を買って来ると言い、コンビニへ出掛けた。彼を待っている間に、薫は美貴に「カオルさんのこと、好きなんか?」と質問した。「なんでなん?」と美貴が質問で返すと、薫は理由を答えなかった。
一はコンビニへ出掛けた時、猛スピードのタクシーにひかれて大怪我を負った。彼は病院で手術を受けるが、下半身の筋肉と顔の右半分の表情を失った。両親は悲しむが、美貴は一の前で楽しそうな様子を見せた。薫は環から「最近の薫、冷たい。辛いことがあったら何でも言ってね」と言われるが、一の事故について何も話さなかった。環に好きな人が出来て、薫は彼女と別れた。一は退院するが自力では歩くことが出来ず、薫と昭夫が抱えて家の前にある石段を運ぼうとする。一は「もう降ろしてや」と言い、両手と臀部を使って石段を上がろうとする。思うように動かない自分の体を実感し、彼は泣き出した。退院して以来、一は楽しそうな家族の前で苛立った様子を見せるようになった。そんな彼の姿を見て、美貴は笑顔を浮かべた。
美貴の卒業式の日、カオルは卒業証書を受け取ってから壇上のマイクを奪い取った。彼女はマイクを取り返そうとする教師を突き飛ばし、「私は長谷川美貴が好きです」と宣言した。彼女はレズビアンだと騒いでいた生徒たちの反応を間違っていると指摘し、美貴が自分を一度も変だと言わなかったことを語る。そして「世の中には、きっとあたしみたいなのが何人かいると思う。でも、あたしはその人らのことを絶対笑わんし、いつかきっと、それがおかしくない時が来る。その時のために努力する」と語り、マイクを置いて去った。
美貴は進学せず、ずっと一と一緒に過ごすようになった。2人が公園に出掛けた時、近くで遊んでいた子供たちは一の顔を見ると怯えて逃げ出した。夜、長谷川家の面々は一の誕生日を祝った。一は家族に「俺、まさか自分がフェラーリみたいに、小さい子供に逃げられるとは思わんかった。神様はいると思う。心の中から毎日俺らにボールを投げて来る。今まで直球しか投げられたこと無かった。けど、最近思うねん。神様、ちょっと悪送球やって。打たれへんボールを投げてくんねん。打たれへんよ」と語り、寂しそうに泣いた…。

監督は矢崎仁司、原作は西加奈子『さくら』(小学館刊)、脚本は朝西真砂、製作は大角正&山元一朗&久保雅一&山勝彦&関顕嗣&本庄浩樹&野口英一&中村一政、企画は宮下昇、エグゼクティブ・プロデューサーは高橋敏弘、プロデューサーは小松貴子&関顕嗣&宮下昇、撮影は石井勲、照明は大坂章夫、音響は弥栄裕樹、美術は田中真紗美、編集は目見田健、音楽はAdam Gyorgy、主題歌『青のID』は東京事変。
出演は北村匠海、小松菜奈、吉沢亮、永瀬正敏、寺島しのぶ、小林由依(櫻坂46)、水谷果穂、山谷花純、加藤雅也、趙a和、山優香、葉月ひとみ、吉倉あおい、小槙まこ、竹内ももこ、青木柚、福山光太、志保、沢木楓、土居健蔵、福井貴大、草野康太、荻野友里、椋田涼、岡嵜吏緒、吉田奏佑、てん子、佐藤大志、高橋曽良、来夢、ブルボンヌ、ヴィヴィアン佐藤、肉乃小路ニクヨ、ドリューバリネコ、プリンセスティンコー、tasty、合志風彦、池波玄八、寺田もか、吉岡礼恩、沼田陽人、藤戸野絵、今井桜子、田島夏向、吉川大樹ら。


西加奈子の同名小説を基にした作品。
監督は『無伴奏』『さくら』の矢崎仁司。
脚本は『無伴奏』の朝西真砂が担当。
薫を北村匠海、美貴を小松菜奈、一を吉沢亮、昭夫を永瀬正敏、つぼみを寺島しのぶ、カオルを小林由依(櫻坂46)、優子を水谷果穂、環を山谷花純、サキコを加藤雅也、フェラーリを趙a和、幼年期の一を岡嵜吏緒、幼年期の薫を吉田奏佑、幼年期の美貴をてん子、少年期の一を佐藤大志、少年期の薫を高橋曽良、少女期の美貴を来夢が演じている。

序盤から何となく違和感はあったのだが、その違和感の正体がサキコのエピソードで明確になる。ここで薫のナレーションが、サキコの店を「オカマバー」と呼ぶのだ。
しかし今の時代だったら「オカマ」という表現は基本的に避けるはずで、だからゲイバーと呼ぶはずだ。それに、夫婦は店でチークダンスを踊っているし。
そして、ここで明確になった違和感の正体とは、「いつの時代の話なのか」ってことだ。
登場人物は、誰一人としてスマホを使っていない。台詞としても、「ケータイ」や「メール」という言葉は全く出て来ない。
それだけを取っても、映画が公開された2020年の設定じゃないことは明らかだ。

当時の世相や風俗を感じさせる描写が皆無に等しいので想像に頼るしか手は無いが、バブルの匂いは皆無だし、学生服のデザインからすると1980年代の設定だろうか(不良少女が長いスカートを履いているし)。
ひょっとしたら、ボンヤリとした「昭和」のイメージなのかもしれない。
ただ、過去の設定にするなら、明確に「昭和何年」みたいな設定を決めちゃった方が何かと得策だと思うんだよね。
そこを曖昧模糊とさせておくことのメリットは、何も見出せない。

っていうか、もっと言っちゃうと、「なぜ過去の設定なのか?」と考えた時、そこの答えも見つからないんだよね。
別に現代の設定でも良くないか。それで不自由になる問題って、そんなに無さそうだぞ。
いや、もしかしたら、登場人物の考え方や生き方が現代にそぐわないってことかもしれないよ。トランスジェンダーを取り巻く環境にしても、今とは違っているし。
ただ、そこは映画用にアップデートすればいいだけのことであって。

冒頭、薫が「たおやかで、はかなくて。それでいて力強いものを感じさせてくれるさくらが、僕は好きだ。一度サクラのことを思い出すと、居ても立ってもいられなくなった。さくらに会わなければ」というナレーションを語る。
そして、薫がサクラを可愛がっている少年時代のシーンでタイトルが出る。
そういう導入部の描写や『さくら』というタイトルからすると、完全に「サクラと家族の物語」だと思う人が多いのではないだろうか。
しかし実際は、サクラなんて飾りみたいなモンだ。サクラが関与しないトコで描かれるドラマが大半なのだ。

薫は久々に帰郷してすぐに「サクラは?」と言うし、昭夫が帰宅するとサクラを散歩に連れて行く。
だけど散歩のシーンはカットしているし、すぐに「薫がサクラに会うために戻った」という目的は忘却の彼方へ消える。
それ以降も、「サクラと家族の絆」を感じさせるシーンは乏しい。
「ギクシャクしている家族がサクラの存在によって和やかな空気になる」ってのを描くシーンはあるけど、サクラが絶対的に必要な存在なのかと問われると、「そうでもないよ」と即答できてしまう。

そういうテイストの作品ではないはずなのに、なぜか下ネタが何度か出て来る。
例えば美貴がサクラを室内に入れた時、サクラが放屁する。子供たちが母の喘ぎ声を聞いて、翌朝につぼみが子供の作り方について説明する。一が優子にセックスの経験があるらしいと語った時、薫がシャンプーのボトルをプッシュして手に付着した白い液体を眺めるが、もちろん精液を連想しているってことだ。
一が自殺した後には、美貴が彼を思いながら自慰行為にふけるシーンがある。残り時間が少なくなり、サクラが脱糞するシーンもある。
下ネタをギャグとして持ち込んでいるわけではないのだが、物語を飾り付ける上で上手い効果になっているとも思えない。
「だから何なのか」としか思えない。「それ、別に無くて良くね?」と。そんな隠喩って、何の意味も無くないかと。
例えば薫の性的欲求を強調して、それが以降のストーリー展開に効いてくることは何も無いんだから。

批評に必要だから、完全ネタバレを書く。
終盤、美貴は薫に、優子から一に届いていた大量の手紙を見せる。彼女は手紙を盗んで隠した上に、優子の筆跡を真似て別れを告げる手紙まで書いていたのだ。それを美貴が明かしていた頃、一は「この体でまた年を越すのは辛いです。ギブアップ」と遺書を残して自殺する。
もしも優子との関係が続いていたら、それは一にとって大きな救いになっただろう。生きる目的になっただろう。
一が絶望して自殺したのは、美貴にも原因があると言わざるを得ないのだ。

長谷川家がオカマバーを訪れた時、サキコは「いつかアンタらにも、お父さんよりもお母さんよりも好きな人が出来る。いつかお父さんとお母さんに嘘をつく時が来る。嘘をつく時は、自分も苦しい、愛のある嘘をつきなさい」と説いている。この時、美貴はサキコの手を握るってことは、その言葉に感銘を受けているはず。
しかし彼女はのある嘘をつかず、むしろ真逆の醜悪な嘘をついたのだ。自分も苦しい嘘じゃなくて、自分が喜ぶためだけの嘘をついたのだ。
あえて言うなら「歪んだ愛のある嘘」ってことになるかもしれないけど、サキコのパートから上手く繋がっているとは感じないぞ。

どうやら、これは間違った選択をしてきた家族が自分を肯定する話らしい。どれだけ間違っても、生きて行くためには自分を肯定しようとするってことらしい。
でもさ、それを寛容に許せるのは、間違いのレベルによると思うのよ。
長谷川家の場合、他の面々はともかく美貴に関しては、それでホントにいいのかと言いたくなる。
彼女が自分を責めていたとして、周囲の人間が肯定してあげるのは別にいいよ。それと、本人にしても、自分を存在ごと全否定し、今後の人生においても否定したまま下を向いて生き続けろとは言わない。まだまだ人生は続くんだから、どこかで区切りを付けて「これからの自分を肯定して生きて行く」というスタンスになるのは一向に構わない。
だけどね、過去の罪に対しては、キッチリとケジメを付けなきゃいけないんじゃないかと。その罪も含めて肯定するのは違うんじゃないかと。反省と改善は必要なんじゃないのかと。

(観賞日:2022年6月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会