『坂道のアポロン』:2018、日本

大学の付属病院で勤務する西見薫は、老齢の男性患者に優しく話し掛ける。彼が看護師と話しながら廊下を歩いていると、子供たちが駆け寄ってきた。子供たちは『Moanin'』を弾いてほしいと頼み、ロビーに置いてあるピアノの前まで薫を引っ張っていく。薫は「忙しいから、ちょっとだけだぞ」と言い、ピアノを演奏した。1966年、佐世保。薫は伯母に引き取られ、横須賀から引っ越してきた。彼は新しい高校へ初めて行く日、長い坂道を疎ましく感じた。
担任教師は生徒たちに薫を紹介し、家庭の事情で引っ越してきたと説明する。クラスメイトは「医者の家に住むで金持ち」と薫に聞こえるように語り、彼に冷たい視線を向けた。誰も薫に近付こうとしなかったが、クラス委員の迎律子が「校内の案内を任された」と話し掛けた。薫はクラスメイトの冷淡な視線を浴びて気分が悪くなり、屋上へ走る。すると扉の前で、川渕千太郎という同級生が寝ていた。目覚めた彼は薫から「ここを通してほしいんだよ」と言われると、ここは鍵が掛かっとるけん」と告げた。
そこへ上級生3人組が屋上の鍵を持って現れ、千太郎に「1万円持って教室へ来い言うたよな」と凄む。喧嘩を要求された千太郎は屋上へ行き、3人と戦って鍵を手に入れた。彼は薫に鍵を投げ渡し、「おいも教室ば息が詰まる。怖がっとっても、なんも良かことなかぞ」と語った。帰宅した薫がピアノを弾いていると、伯母が「ウチに来たからには病院を継ぐために努力してもらわないと」と注意する。彼女は「貴方のお父さんも、そう思ってるんじゃないの」と亡くなった薫の父に言及し、母については「息子を捨てた女」として扱き下ろした。伯母の娘は薫に、「あんまり自由にされても困るわ。ここ、貴方の家じゃないんだから」と言い放った。
次の日、薫が英語の授業で指名されて教科書を読んでいると、クラスメイトは彼の流暢な英語に嫌味を浴びせる。薫が小声になっていると、千太郎が教室に入って来た。その途端、教師も生徒も怯えた様子を見せた。千太郎が薫に気付いて話し掛けると、律子は彼を注意した。放課後、薫は律子と一緒に下校し、彼女が千太郎と幼馴染だと知る。薫がクラシックのレコードが置いてある店について尋ねると、律子は「ウチに一杯あるよ」と家に来るよう誘う。薫は喜ぶが、彼女の自宅は『ムカエレコード』というレコード店だった。
律子は薫がピアノを演奏できると知り、地下室へ連れて行く。すると地下室はスタジオになっており、千太郎がドラムセットに座っていた。千太郎は律子から薫がピアノを弾けると聞かされ、鼻で笑って「どうせボンボンの、おすましクラシックやろ」と言う。薫は憤慨するが、千太郎がジャズドラムの腕前を披露すると圧倒された。千太郎は「ここはジャズ以外、禁止やぞ」と言い、『Moanin'』の冒頭をピアノで弾く。下手なので薫は「聞いてられない」と告げると、律子は2人のセッションが聞いてみたいと言い出した。
薫は店を去る時、律子に千太郎が弾いた曲名を尋ねる。律子の父である勉から『Moanin'』だと教わった彼はレコードを購入し、帰宅して採譜した。薫が授業中に机をピアノ代わりにして指使いを練習していると、気付いた千太郎は鉛筆をスティックにしてリズムを刻む。2人はセッションすることになり、律子と共に『ムカエレコード』へ行く。すると勉は千太郎に、桂木淳一が来ていることを教えた。千太郎は大喜びし、スタジオへ向かう。律子は薫に、淳一は千太郎にとって憧れの人物なのだと教えた。
薫は律子から、淳一が東京の大学に通っていること、たまに帰郷してセッションしていることを話す。勉がスタジオにきてウッドベースを持ち、淳一はトランペット、千太郎はドラムでセッションを始める。薫は千太郎に誘われ、怯えながらも途中から演奏に参加した。最初はビクビクしていた薫だが、すぐに馴染んだ。閉店後、勉は淳一と2人になると、「まだ学生運動してるのか」と訊く。「セクトには顔を出してない」と淳一が答えると、彼は「大学にも行ってないんだろ」と指摘する。淳一は彼に、「しばらく、この町で暮らすのもいいかもしれないな」と告げた。
夏休み、薫は律子に電話を掛け、図書館で勉強しないかと誘う。律子はOKし、教会に来るよう告げる。薫が教会へ行くと、律子は千太郎とミサに参加していた。千太郎は薫に「行くぞ」と言い、律子も連れて海へ向かった。千太郎と律子が海で遊び始めたので、仕方なく薫も加わった。薫は千太郎が首から下げているロザリオに気付き、律子に質問する。律子が「普通は首に掛けたりするもんじゃなかとよ。でも神父様が千太郎は特別やって」と話すと、千太郎は「要らんこと喋らんでよか」と制した。
千太郎は3人の男たちに絡まれている女性に気付き、助けに入った。男たちは千太郎の名前を聞き、怯えて走り去った。千太郎はその女性に一目惚れし、それに気付いた律子は寂しそうな表情を浮かべた。夏休みが終わっても、千太郎は女性のことばかり考えていた。薫は女性の情報を調べ、東京から戻って来た20歳の深堀百合香だと千太郎に教えた。薫は千太郎の初恋だと知り、「作戦会議だ」と持ち掛けた。いつもなら放課後はスタジオで演奏するのだが、その日の千太郎は彼を自宅へ連れて行った。千太郎は路地裏の家で、母と4人の弟&妹の5人で暮らしていた。
薫が何のアイデアも持っていなかったため、千太郎は呆れて「恋の話は淳兄たい」と言う。その夜、千太郎は薫を連れて歓楽街へ出掛け、淳一が通うジャズバーに入った。淳一は薫と千太郎に、「マスターに、今度ここでライブやらないかって誘われてた」と話す。そこへ米兵が来て「日本人がジャズなんて」と馬鹿にすると、千太郎が激怒して掴み掛かる。淳一は「暴力なんて何の意味も無い」とトランペットを吹き始めると、薫と千太郎がピアノとドラムで演奏に加わった。淳一が途中で歌い出すと、店の客は喝采を送った。
ジャズバーに来た百合香は薫たちのセッションを見た後、演奏を終えた淳一に歩み寄った。「お嬢さんがこんな店に何しに来た?」と淳一が言うと、彼女は「貴方がいると思ったから」と答えた。薫は2人の様子を見て、その関係を察した。しかし千太郎は気付かず、百合香を見ると嬉しそうに駆け寄った。淳一が百合香との関係について「ただの知り合いだ」と言うと、千太郎は何も疑わなかった。彼は百合香に絵のモデルを頼まれ、別の日に屋外でポーズを取った。百合香は絵を描きながら、千太郎をアポロンのようだと評した。
薫がスタジオへ行くと、律子が『My Favorite Things』を口ずさんでいた。『サウンド・オブ・ミュージック』で子供たちに教えるシーンが好きなのだと彼女が話すと、薫は「先生とか似合う気がする」と告げた。卒業後の進路を訊かれた薫は、「どうかな、俺は」と明確な返答を避けた。千太郎が古いスティックばかり使っていることに彼が気付くと、律子は一緒に新しい物をプレゼントしないかと誘った。薫は1人でプレゼントした方がいいと促すが、彼女は2人で贈りたいと告げた。
千太郎は律子の恋心に全く気付かず、教室で百合香に描いてもらった絵を自慢する。さらに彼は、能天気に恋の相談まで持ち掛けた。律子はプレゼントのスティックを用意し、薫&淳一と共にスタジオで千太郎を待った。千太郎が百合香を連れて来ると、淳一は「ここは部外者た立ち入り禁止じゃなかったのか」と冷たく告げた。律子はスタジオを飛び出し、薫が後を追った。淳一は「俺も帰る」と言い、スタジオを後にした。
薫は律子を見つけ、衝動的にキスしてしまう。彼は慌てて謝るが、律子はスティックを落として逃げるように走り去った。薫はスティックを千太郎の家へ届け、「君はいいよな、温かい家庭に囲まれて。欲しい物は何でも持ってて。君には家の中に居場所の無い人間の気持ちなんて分からないだろう」と苛立ちをぶつけた。すると千太郎は薫を教会へ連れて行き、自分が捨て子だったことを明かす。教会の神父に拾われた彼は、子供のいなかった川渕家の養子になった。しかし実子が生まれると養父はそちらを可愛がるようになり、千太郎は卑屈な思いを抱えるようになった。彼はドラムと出会い、それが救いになった。千太郎の話を聞いた薫は、彼だけがロザリオを首から下げることを許されている理由を悟った。
薫は律子にキスのことを謝罪し、許してもらった。彼が好きな気持ちを打ち明けると、律子は「気持ちは嬉しかよ。でも、どがんしたらええか分からんとよ」と困惑しながら告げた。淳一が町を去ると知った百合香は、同行を希望した。「この先、どうなるか分からないのに、道連れにするわけにはいかない」と淳一は反対するが、百合香の覚悟を知って連れて行くことにした。千太郎は2人が歩いて来る様子を目撃し、ようやく関係性を理解した。淳一と百合香は無言のまま、彼の横を通り過ぎた。
苛立った千太郎が喧嘩をしていると、通り掛かった薫が止めに入った。千太郎は薫が淳一と百合香の関係を知っていたと聞いて腹を立て、自分のことを笑っていたんじゃないかと非難した。律子は文化祭実行委員に選ばれ、薫はクラスの女子たちから男子の委員になってほしいと頼まれる。別のクラスの松岡星児が来て、千太郎を文化祭で演奏するロックバンドに勧誘しようとする。薫は「千太郎はロックなんかやらない」と告げるが、千太郎は彼を一瞥して松岡の誘いを承諾した。
律子は千太郎に、ロックバンドだけでなく薫とのジャズセッションでも文化祭に参加するよう持ち掛けた。しかし千太郎が冷たく拒絶して立ち去ったので、薫は怒って後を追った。彼が殴り付けると、千太郎が反撃して馬乗りになった。千太郎はパンチを浴びせようとするが、律子が叫んだので思い留まった。文化祭の当日、千太郎はロックバンドの一員としてステージに上がる。しかし電気系統のトラブルが発生してステージは暗転し、バンドは演奏できなくなってしまう…。

監督は三木孝浩、原作は小玉ユキ『坂道のアポロン』(小学館「月刊flowers」FCα刊)、脚本は高橋泉、製作は佐野真之&市川南&久保雅一&藤島ジュリーK.&久保田修&高橋誠&林誠&荒波修&吉川英作、エグゼクティブ・プロデューサーは豊島雅郎&上田太地、プロデューサーは八尾香澄&田辺圭吾&岡本順哉、ラインプロデューサーは森徹、撮影は小宮山充、照明は保坂温、美術は花谷秀文、録音は矢野正人、編集は穗垣順之助、音楽は鈴木正人。
主題歌 『坂道を上って』作詞・作曲・編曲:小田和正。
出演は知念侑李、中川大志、小松菜奈、ディーン・フジオカ、中村梅雀、真野恵里菜、山下容莉枝、松村北斗、野間口徹、栗嵜ゆかり、村上優衣、辻幸成、片渕奏汰、大石ことな、植村妃冠、吉岡稔、中村列子、久冨貴憲、辻英樹、田村隆、本多佳祐、小山正平、佐々木琴音、廣田海遥、犬童将、眞名子寧々、森田太陽、塩田みう、長元流生、兼子晃治、中野俊太郎、杉本愛、江口莉沙、秋吉美海、深川詞梨、宮崎大志、行武裕英、ポートマン・翼・ケニー、船村秀次、田中がん、菅野里咲、内田ひろみ、徳留春菜ら。


『このマンガがすごい! 2009』オンナ編で1位を獲得し、第57回小学館漫画賞一般向け部門を受賞した小玉ユキの同名漫画を基にした作品。
監督は『アオハライド』『青空エール』の三木孝浩。脚本は『ミュージアム』『トリガール!』の高橋泉。
薫を知念侑李、千太郎を中川大志、律子を小松菜奈、淳一をディーン・フジオカ、勉を中村梅雀、百合香を真野恵里菜、薫の伯母を山下容莉枝、松岡を松村北斗、千太郎の父を野間口徹が演じている。
知念と中川は約10ヶ月に渡ってピアノとドラムの猛特訓を積み、演奏シーンは吹き替え無しで撮影している。ただし、さすがに演奏の音はプロが担当している。

知念侑李が大病院の医者には全く見えないので、のっけから本作品は大きなマイナスを抱えている。
彼が医者として登場した途端に苦笑せざるを得ないし、「コスプレですか」と言いたくなる。バラエティー番組の1コーナーで、医者のコントでもやっているのかと。
あと、立ったまままピアノを弾き始めるのは不自然だぞ。
幾ら「忙しいから、ちょっとだけ」と前置きしているからって、ちゃんと椅子があるんだから座るのが普通じゃないかと。

そもそも、医者のシーンから始めていることに、意味があるのかなと。
高校時代の出来事だけにしておけば、知念侑李の芝居の稚拙さも、かなり誤魔化せた部分があると思うぞ。背伸びする必要が無くなるんだからさ。
終盤に「薫と律子が失踪していた千太郎の元を訪れる」という展開があるので、高校時代を回想パートにして「現在のパート」を用意しなきゃいけないという事情は分かるのよ。
ただ、それを考慮してもなお、現在パートを用意したデメリットの方が遥かにデカいんだよね。

いっそのこと、現在パートをもっと年月が経過した設定にして、大人になった薫を別人に演じてもらえばいいんじゃないかと思ったりする。
あと、別に医者じゃなくてもいいんだよね。
「西見家の病院を継ぐよう伯母から要求されている」という設定はあるけど、だからって絶対に医者にならなきゃいけないわけでもないし。それだと「伯母の命令に従った」とも受け取れるし。
そこの職業設定を変えるだけでも、随分とマイナスイメージは軽減されると思うんだよなあ。

ただ、どっちにしろ「現在のパートが現在ではない」という問題は残るんだよね。この映画における現在のパートは、1976年の設定なのだ。
だったら現在パートを映画公開の2018年に合わせて、過去のパートも1966年から変更すればいいんじゃないかと。1966年である意味を、ほとんど感じないんだよね。
そりゃあ、「その頃はジャズブームだった」とか「東京では学生運動が起きていた」という当時の世相は持ち込んでいるよ。ただ、それが必要不可欠な要素になっているのかというと、それは無いぞ。
どれだけ頑張っても、1966年であることが必須だとは思えない。設定をいじって、現代でも通じる内容に変えた方がいい。
原作ファンから怒られることは確実だけど、映画としての質を優先するなら、その方が絶対にいい。

冒頭、薫が『Moanin'』の演奏を始めるとモノローグが入り、「あの大嫌いな坂」と語っている。
だったら、彼が新しい高校へ向かう時に「忌々しい坂だ」と呟くのは、ものすごくカッコ悪いぞ。
彼がその坂を嫌っているのは、モノローグで既に説明している。だから薫の様子を見せるだけで、充分に伝わるのよ。
さすがに知念侑李の演技力でも、それが伝わらないってことは無いぞ。
台詞を使って改めて説明する必要があると感じるぐらい、三木監督は知念侑李の芝居に不安があったのか。

「なぜ薫は屋上へ行こうとするのか」ってのは、大いに引っ掛かる。
クラスメイトの冷淡な対応(この時点で大いに違和感はあるのだが)を受けて、彼は気分が悪くなっている。口を押さえているのは、吐き気を催したからだろう。
だったら、まずはトイレに駆け込むべきじゃないのかと。そこで「まずは屋上へ」ってのは、ちょっと理解に苦しむ。
「誰もいない場所に行きたかった」という設定なのは、どれだけボンクラな私でも理解できるよ。
でも、「吐き気は別にいいのかね」と言いたくなるのよ。

屋上で千太郎が喧嘩をするシーンでは、彼が勢いよくジャンプして飛び掛かる様子をスローモーションで演出している。そもそも、そのジャンプからして、人間離れした運動能力だ(たぶんトランポリンか何かを使っているんだろう)。
そして、それまで晴れていたのに喧嘩の途中で急に雷が鳴り、大雨が降り出す。喧嘩が終わると、千太郎は雨を受けながら薫に「気持ち良か。お前も浴びてみんか。スカッとするぞ」と言う。
「マジですか」と言いたくなる演出の連続だ。
古い怪奇映画で「急に落雷が」みたいな演出があるが、それに似たようなモノを感じるわ。つまり今の映画でやると、陳腐にしかならないのよ。
コメディーとしてやっているならともかく、爽やかな青春ドラマとしてマジにやっているので、かなりキツいぞ。

その後に待っている「薫が自宅で伯母と姪からネチネチした嫌味を言われる」というシーンも、苦笑を誘うモノになっている。
伯母と姪の台詞回しや態度が、「いつの時代の映画なんだよ」とツッコミを入れたくなるような古めかしさなのだ。
幾ら時代設定が1966年であっても、そのステレオタイプは意味が違うだろ。これが「懐かしい昭和の時代」を強調する意図を持つ映画ならともかく、そうじゃないでしょ。
ひょっとして、1966年を意識して古臭くしているのか。
でも、「じゃあ最近の話に変えればいいじゃん」と言いたくなる。

薫たちが海で遊ぶシーンも、千太郎が喧嘩をするシーンと同じくスローモーションで見せている。ここに関しても、もちろん粒立てるためにスローモーションを使っているわけだ。
そこを「青春の輝きに溢れたシーン」としてアピールしたいんだろうってのは、良く分かるのよ。
ただ、いつの間にか夏休みに突入していて、すぐに海で遊ぶシーンが訪れるので、唐突で違和感しか無いんだよね。
当然のことながら、演出として期待していたであろう効果は全く得られていない。

ジャズバーのセッションは淳一のトランペット演奏から始まるが、彼は途中で歌い始める。原作は未読だが、たぶんディーン・フジオカに合わせての改変だろうと思われる。彼は歌手としても活動しているからね。
でも、そこはトランペット演奏だけにしておいた方がいいなあ。トランペットか歌に切り替わったところで「全ての客が拍手喝采」という展開になると、説得力が薄れちゃうのよね。
そういう形だと、「ディーン・フジオカの歌が圧倒的に素晴らしい」ってことになっちゃうからね。
決してディーン・フジオカの歌が下手ってことではないけど、トランペット演奏と比較した時に、「そっちの方が米兵に受けるのかよ」と言いたくなっちゃうのよね。

終盤、教会でクリスマスのジャズ演奏会が近付くと、文化祭で和解した薫と千太郎は律子に「演奏に参加して『My Favorite Things』を歌わないか」と持ち掛ける。戸惑いを見せる律子だが、2人が歓迎ムードなのでOKする。
しかし千太郎がバイクの運転中に事故を起こし、後ろに乗っていた律子が意識不明の状態に陥ったので演奏会は中止になる。律子は意識を取り戻すが、千太郎は姿を消してしまい、そこから1976年のパートに戻る。
千太郎が責任を感じるのは分かるけど、そのまま1976年まで行方不明って、そこまでのことなのかと言いたくなるわ。
っていうか、それは逃げたようにしか思えないし。

それはともかく、1976年のパートに戻ると、薫は結婚した淳一と百合香の訪問を受け、千太郎の居場所に関する情報を教えてもらう。そこで薫は久々に律子を訪ね、2人で千太郎の働く教会へ赴く。
ここで3人は再会し、薫と千太郎は『My Favorite Things』をセッションする。千太郎は途中で、律子に歌で参加するよう促す。ところが律子が歌おうとして口を開いた途端、暗転してエンドロールに突入するのだ。
いやいや、そこは律子に歌わせなきゃダメでしょ。なんでエンドロールに突入して別の歌を流すのよ。
「あの時の約束を果たす」というゴールを用意しないのなら、「約束を交わす」という手順からして要らないわ。

(観賞日:2019年11月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会