『西遊記』:2007、日本

唐の時代。三蔵法師は弟子の孫悟空、沙悟浄、猪八戒を引き連れ、天竺を目指して旅をしていた。一行は広大な砂漠を歩いていたが、 苛立つ孫悟空が沙悟浄と猪八戒を挑発して喧嘩を始めようとする。三蔵は制止して説教を始めるが、孫悟空らは全く耳を傾けずに鳥を追う。 その先には、王の墳墓があった。孫悟空らは、食べ物があるのではないかと駆け寄った。
その時、どこからか馬に乗った集団が近付いて来た。三蔵一行が慌てて身を隠すと、一人の少女と護衛だった。少女たちは墳墓の前で馬を 止め、頭を下げた。孫悟空は飛び出し、少女に水と食料を要求した。しかし少女は無視して、護衛を引き連れて去った。一頭の馬を発見 した孫悟空らは、追い掛けて捕まえようとする。その時、彼らは砂漠の向こうにある町を発見した。
虎誠(フーチェン)という看板が掲げられた町に辿り着くと、偽の三蔵一行が町を出て行くところだった。壁には、三蔵を募集する貼り紙 があった。突如、フードを被った何者かが一行に襲い掛かった。それは先程の少女だった。彼女は孫悟空らの腕前を確かめるため、襲撃 したのだ。彼女は一行を家に招いた。その家とは、大きな宮殿だった。彼女は虎誠の王女・玲美だった。
近衛隊長の文徳は、この国を救うとされている伝説の人物が三蔵法師だと説明した。文徳は呪いで亀に変えられた国王と王妃の姿を見せ、 お経で元に戻すよう三蔵に依頼した。三蔵は読経してみるが、そんなことで元に戻るはずも無い。文徳は「また偽者だ」と言うが、玲美は 「妖怪を退治しないと元には戻らない」と三蔵一行に告げた。かつて緑豊かだった国は、金角大王と銀角大王によって一日で砂漠と化した のだという。妖怪退治を依頼され、孫悟空、沙悟浄、猪八戒は敬遠するが、三蔵だけは正義感に燃えた。
三蔵一行は玲美の案内で、金角大王と銀角大王がいるという臥竜山へ向かう。途中、一行はトラップに襲われ、二班に別れてしまった。 沙悟浄と猪八戒は、地中に埋まって寝ていた老子と遭遇する。残る3人は、大王たちの住処への入り口を発見した。沙悟浄らの元には凛凛が 現れ、臥竜山に大王達がいないことを告げた。玲美が何かを企んでいるに違いないという。
玲美は呪文を唱えて扉を壊し、先へ進む階段を出現させた。そこへ沙悟浄らが駆け付け、金角大王と銀角大王が山ではなく宮殿にいること を告げた。凛凛が宮殿に泥棒に入り、彼らの姿を目撃していたのだ。玲美は「山にある秘薬を使えば両親が元に戻る」と釈明するが、三蔵 や沙悟浄らは町に引き返すべきだと考えた。しかし孫悟空だけは「約束したから」と主張し、玲美と共に山へ向かう。
町に戻った三蔵は、孫悟空の言っていたことが正しかったのかもしれないと考え、山に向かおうとする。沙悟浄と猪八戒は、町に留まる よう三蔵に告げて、山へ向かう。孫悟空と玲美は雪の積もる場所に辿り着き、しばし戯れた。2人の眼前に小屋があった。小屋に入った 玲美は、そこにいた老人を見て「お爺ちゃん」と呼んだ。老人は彼女の祖父・劉星だった。
そこへ沙悟浄と猪八戒が駆け付け、町に戻るよう孫悟空を説得する。一方、三蔵は文徳と近衛隊に捕まって気絶させられた。孫悟空は劉星 が懐に秘薬を持っていると確信し、隙を見て奪おうとするが、ことごとく阻止された。劉星は、自ら懐に隠している物を見せた。それは 秘薬ではなく、無玉という物だった。劉星は、それを持って来るよう玲美が大王たちに命じられたことを見抜いていた。
大王たちは、この世から太陽を無くし、暗黒の世界にしようと企んでいる。宮殿の地下には、玲美の先祖が封印した黒い雲を生み出す魔物が いる。無玉があれば、魔物を復活させることが出来るのだ。暗黒の世界になれば、多くの生き物が死に絶える。それを知りながら、玲美は 両親を救うために大王たちの命令に従ったのだ。同じ頃、三蔵が目を覚ますと、大王たちの宮殿にいた。そこに銀角大王が現れ、瓢箪の中に 三蔵を吸い込んだ。銀角大王は劉星の小屋に現れ、無玉を奪い去った…。

監督は澤田鎌作、脚本は坂元裕二、製作は亀山千広、企画は大多亮、プロデューサーは小川泰&和田倉和利、 プロデュースは鈴木吉弘、プロデュース補は菊地裕幸&上原寿一、 エグゼクティブプロデューサーは清水賢治&島谷能成&飯島三智、撮影は松島孝助、録音は滝澤修、照明は吉角荘介、美術は清水剛、 特撮監督は尾上克郎、VFXプロデューサーは大屋哲男、音楽は武部聡志、主題歌『Around The World』『GANDHARA』はMONKEY MAJIK。
出演は香取慎吾、内村光良、伊藤淳史、深津絵里、鹿賀丈史、岸谷五朗、小林稔侍、水川あさみ、大倉孝二、 多部未華子、三谷幸喜、谷原章介、南原清隆、草なぎ剛、猫ひろし、倖田來未、相築あきこ、菅原卓磨、須永祥之ら。


フジテレビ系で2006年に放送された連続ドラマの映画版。
孫悟空を香取慎吾、沙悟浄を内村光良、猪八戒を伊藤淳史、三蔵を深津絵里、金角大王を鹿賀丈史、銀角大王を岸谷五朗、劉星を小林稔侍 、凛凛を水川あさみ、老子を大倉孝二、玲美を多部未華子、国王を三谷幸喜、文徳を谷原章介が演じている。
また、偽者の三蔵一行として、南原清隆(ニセ悟空)、草なぎ剛(ニセ悟浄)、猫ひろし(ニセ八戒)、倖田來未(ニセ三蔵)が出演して いる。
監督はドラマ版の演出家だった澤田鎌作。

実写ドラマの西遊記といえば、1978年から1980年に放送された堺正章主演のシリーズがあった。日本テレビで放送された堺正章版の西遊記 は、未だに名作として語り継がれるほどのドラマだ。
そこに手を出している時点で、香取版の西遊記は無謀な挑戦だと言える。
だから私も、その精神を見習って、無謀なことをしてみたいと思う。
それは、この映画を誉めるということだ。
素直に批評するならば、こんなものはクソ以下だ。海外ロケを全く活かし切らないカメラワーク、本来なら1時間でも厳しい程度の ボリュームで仕上げてしまった薄い脚本、その薄さで2時間を埋めようとして生じた間延び感、チープなセットに陳腐な芝居と演出、どこ を取ってもヒドい映画だ。
にも関わらず、それを誉めるという、無謀な挑戦をやってみるのだ。

キャスティングからして、TVドラマならともかく映画としては、かなりのチャレンジと言えるだろう。
三蔵を女性に演じさせるのは、日テレ版で夏目雅子がやっていたからだろうが、しかし、どんな女優にやらせたところで、夏目雅子に敵う はずが無い。そこは真似をせず、男優を起用して「まるで別物」として作った方が勝てる可能性があるんだが、それでも女優を起用して 真正面から日テレ版に挑むという、その精神が素晴らしい。
堺正章のポジションに香取慎吾を起用しているのも、これまたスゴいチャレンジ魂だ。
何しろ、ただギャーギャーと騒いでいるだけなのだ。演技もへったくれも無い人の主演で映画を作るんだから、スゴいことだ。
『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』で既に分かっているはずなのに、それでも起用するんだから、スゴいチャレンジ・スピリット だよ。
この人の言う「生半可」じゃなかった、「なまか」のセリフも寒いだけだが、27時間テレビでも大々的に使う辺り、フジテレビの攻める 姿勢はスゴいよ。

内村光良は、それなりにアクションの出来る人だ。しかし、どうやら香取慎吾のレベルに合わせて動きを制限されたらしい。
沙悟浄が格闘アクション、孫悟空が妖術という役割分担にしておけばいいものを、孫悟空は全く妖術を使わない。どうやら香取慎吾が、 それほどアクションが出来ないにも関わらず、映画版では「もっとアクションを」と要求したそうだ。
で、それを受けて悟空のアクションシーンが大幅に増えたのだが、香取慎吾は練習をサボったらしい。
その大胆不敵なところは、大物としての器を感じさせる。
それでも内村はマシな方で、伊藤淳史なんて全く存在意義の無いキャラと化している。大ボスであるはずの鹿賀丈史も、まるで活躍の場が 与えられていない。
そこまで周囲のメンツを抑えてでも、香取慎吾をだけを目立たせようとしているのだ。
これは、昔のスター映画を意識したものなんだろう。
スマップの人を前面に押し出すというフジテレビの営業方針は、とても分かりやすくて潔い。

導入部、孫悟空らが鳥を追い掛けると、墳墓を発見する。墳墓に近付こうとすると、玲美と護衛がやって来る。馬を追い掛けると、町 を見つける。
色々とありそうだが、ストーリーは大して進んでいない。
コントをやるにしても、鳥を追うなら鳥を使って、墳墓を発見したなら墳墓を使って、馬を追うなら馬を使って、ひとまずパンチライン まで行けばいいものを、そういう構成を拒絶する。
そこに着いたら、すぐ別の場所に目を向ける。鳥も墳墓も馬も、何の意味も成していない。
いちいち固執しない潔さを、誉めておこう。

町に到着すると、ニセの三蔵一行が登場する。
だが、自己紹介したと思ったら、さっさと立ち去ってしまう。
そこにも、やはり彼らを使って一つのコントをやろうという気が無い。
ニセの一行を演じるのは、いわばスペシャルゲストの面々だ。
だから「スペシャルゲストですよ」ということを強調するためにも、短時間で退場させたのだろう。
その判断を誉めておこう。
っていうか、もう序盤だけで、かなり無理のある誉め方になってるぞ。大丈夫か、こんなんで。
いや、でも頑張ろう。

三蔵一行は臥竜山に辿り着くまでに、かなり長い道程を冒険している。
だが、そこをダイジェストで処理しているため、困難で長い道程だったことを、まるで感じさせない。
「マトモにアドベンチャーを描く気が無いのなら、さっさと山に行けばいい」と言いたいところだが、きっと今までの冒険映画に対する アンチテーゼなのだろう。
って、マズいな、また苦しい誉め方になってるぞ。

唯一と言っていいアドベンチャーの見せ場は、インディー・ジョーンズの模倣だ。
模倣でも何でもいいから、もっと幾つも災難や罠を畳み掛ければいいものを、マッタリとした空気を漂わせている。
これはたぶん、お子様たちへの配慮なのだろう。
あまり次から次へと速いテンポで進めたら、それに付いていけないし、目が疲れてしまうという考えによる配慮なのだろう。
うーむ、やっぱり無理のある誉め方になってしまうな。
誉め殺しさえ出来ないなんて、なんというスゴい映画なんだ。

悟空は山に大王たちがいないと聞かされても、「約束したからには最後まで守るべき」と主張し、玲美に同行する。
三蔵も町に戻ったものの、「悟空の言うことは正しかった」と考える。
玲美が仮に悪巧みをしていたとして、それでも「約束を守るべき、危険を冒すべき」という主張が正しいと言えるだろうか。
そういうことを考えれば、この映画が訴える誠実さや勇気ってのはメチャクチャだ。
だが、これは「映画やドラマのメッセージなんて、デタラメだらけなんだよ」という現実を、子供たちに教えようとしているのだろう。

悟空が熱弁しても、ただバカなだけとしか思えず、何の共感も抱かない。
三蔵の説教にも、全く説得力が無い。
たぶんエモーションの喚起を狙っているであろうセリフにも、全くキレが無い。
そもそも、そこに持って行く流れも地均しも無い。
それはたぶん、アクション映画においてメッセージやテーマなど無くても構わないのだ、ということを主張したいがための、意図的なもの だろう。

あれだけ長い距離を進んで山に行ったのに、三蔵らは、あっという間に町まで戻っている。そして、あっという間に、沙悟浄と猪八戒は町 から劉星の小屋まで辿り着いている。
時間や距離を狂わせてしまうぐらい、強烈なパワーを本作品は持っているようだ。
玲美は大王たちに命じられ、無玉を取りに行っている。だったら、一人で行けばいい。大王を倒す目的が無いのなら、わざわざ三蔵一行が 来るのを待つ必要など無い。彼らの助けを必要とするようなポイントも、小屋までの道程には見当たらないし。
で、それを玲美に命じたはずの銀角大王は、ついさっきまで宮殿にいたのに、あっという間に小屋に辿り着き、そして無玉を奪っている。
自分で来られるのなら、玲美に命じる必要など無い。扉を開ける呪文が分からなかったというのなら、それだけを聞き出せば良い。
この辺りは、「娯楽映画には矛盾が付き物だ」ということを指摘するブラック・ジョークなんだろう。

たった2時間程度、しかもアート系や文芸映画ではなく娯楽映画で、チープで全く頭を使う必要の無い薄っぺらいモノを見ただけなのに、 強烈な疲労感に襲われる。
この映画は、それぐらいスゴいパワーを持っているということだ。
なお、この映画はカンヌ国際映画祭の各部門から正式招待されていないにも関わらず、カンヌに乗り込んで10億円を掛けてお披露目 パーティーを催した。
こんなモンで堂々とカンヌに乗り込める、その厚顔無恥なところがスゴい。
映画そのものはクソだけど、そのズ太い神経はスゴい(あ、映画そのものはクソって認めちゃったね)。

(観賞日:2008年10月18日)


2007年度 文春きいちご賞:第7位

 

*ポンコツ映画愛護協会