『聖☆おにいさん』:2013、日本

仏教とキリスト教の祖であるブッダとイエスは世紀末を無事に乗り越え、東京・立川のアパートで下界ライフを満喫していた。コンビニから戻って来たイエスは、思い出し笑いをする。何を思い出したのかブッダに問われた彼は、女子高生にチラ見されてジョニデに似てると言われたことを話す。イエスが「21世紀にしてモテ期の予感」と語ると、ブッダはショックを受けた様子で買い物に出掛ける。帰宅した彼は落ち込んだ様子で、近所の小学生たちに白毫を押されたこと、チョー痛かったことを語った。
東京ウサランドへ遊びに出掛けたブッダとイエスは、「せいじん料金」が設定してあることに感心した。ブラック・サンダー・マウンテンに乗りたがるイエスだが、待ち時間が120分だと知ったブッダは驚いた。どういうアトラクションか知らないまま行列に並んだブッダは、悲鳴を耳にして顔を引きつらせた。イエスの「絶叫系」という言葉を「絶叫刑」と聞き違えたブッダは、乗りたくないと言い出す。イエスは「大丈夫だよ」と告げて腕を引っ張り、2人はコースターに乗り込んだ。
係員の「80歳以上の高齢者は命の危険があるので御乗車できません」という言葉を聞いたブッダは、発車と共に読経を始めた。しかし彼は急降下の時に「取るに足らないこと」と悟り、穏やかな表情になった。夜、人気のライトパレードを見に行きたいイエスだが、「その間、お土産屋さんが空くね。今の内に買っちゃおうか」とブッダに言われると、そのことを打ち明けられなかった。しかしイエスの様子で本音を悟ったブッダは、彼を連れてパレード見物に赴いた。
アパートで洗濯物を取り込んでいたブッダは、イエスにも手伝いを頼む。イエスはつまらないダジャレで大笑いし、「ブッダってダジャレが好きなんだから」と言う。ブッダは「好きじゃない」と否定し、「そういうの好きなのはイエスでしょ」と言う。「イエス」という言葉で2人が大笑いし、その声はアパートの外に響く。近所の主婦たちは、2人のことを「松田ハイツの変な外国人」と呼んでいた。
買い物に出掛けようとしたブッダとイエスは、大家の松田と遭遇した。「アンタら、仕事は?」と訊かれた2人は、「休暇中なんです」と嘘をついた。ブッダはタイムセールのチラシを見て、スーパーへ行こうと決めていた。2人は自動販売機に「もとだれ」という万能調味料が入っているのを見て、「飲むんだろうか?」と首をかしげた。以前に額を押した小学生の大輔、良太、幸平が歩いて来るのが見えたので、ブッダは焦った。彼は近くにあった水槽の金魚を跳ねさせ、大輔たちが気を取られている隙に通り抜けた。
寄り道してしまったブッダとイエスが急いでスーパーに到着すると、既にティッシュ1箱98円のタイムセールが始まっていた。イエスは行列に並ぼうとするが、ティッシュは売り切れてしまった。イエスが「私のせいで」と謝ると、ブッダは「これも因果応報。全ては大根を89円で買うために導かれたことなのです」と穏やかな表情で告げた。大根を買ったブッダは、満足そうな様子でスーパーを出る。しかし、向かいの八百屋で大根が1本78円で売られているのを見て愕然とした。初めて銭湯に入った2人は、その心地良さを堪能した。惣菜店の野菜コロッケを買い食いし、花見に行こうと決めた。
夏の暑い日、ブッダとイエスはリニューアルオープンした市民プールへ出掛ける。イエスは浮き輪を浮かべてノンビリするが、ブッダはマダール泳法で思い切り泳ぐ。ブッダから一緒に泳ごうと誘われたイエスは、カナヅチだと打ち明けた。川で洗礼を受けた時も、ヨハネに頭から水を掛けてもらっただけなのだと彼は話す。「君の髪の長さなら、貞子がやれるんだよ。ベタだけど鉄板だよ」とブッダが言うと、イエスは泳ぎを練習する気になった。
ブッダは顔を水に浸ける練習をさせるが、すぐにイエスの聖痕が開いたので慌ててバレないように誤魔化す。「目を開けないでいいから頭まで潜ってみようか」と言われたイエスが勢い良く潜ると、プールの水が真っ二つに割れて観客たちは驚愕した。サウナに入ったブッダは、イエスが隣の男性と話しているのに気付いた。「さすがはイエス」と感心するブッダだが、その男の背中に仏陀の刺青があるのを見て震えた。その男はヤクザの竜二だった。竜二はイエスをムショ帰りの同業と誤解し、すっかり仲良くなった。
竜二が7年もムショに入っていたことを話すと、イエスは事情を理解しないまま「私と同じ境遇ですね」と話す。イエスの「3日で復活した」という言葉を「3日で出所した」と誤解した竜二は、どうやったのか尋ねる。イエスが「父が望まれたので」と言うと、竜二は彼が大きな組織の二代目だと勘違いした。サウナを出てロッカーで着替えたブッダは、帰りにアイスを買おうと考える。しかしロッカー代金の100円が返って来ないことを知り、ショックを受けた。イエスは迷惑を掛けたお返しとして、アイスをおごることにした。2人はコンビニに入るが、ブッダが服を着ていなかったので店員に仰天された。
イエスと共にスイカへ買いに出掛けた帰り道、ブッダは大輔たちの標的にされた。ゴム鉄砲を回避したブッダだが、水鉄砲で額に水を浴びせられた。店から出て来た大輔ママが謝罪すると、ブッダは穏やかに「いえ、彼らは私の良き友人たちですので」と告げる。神輿や獅子舞が通るのを目にして興奮するイエスに、幸平ママは近くの神社でお祭りがあることを教えた。大輔たちは、祭りでブッダを待ち受け、その額を狙うことにした。
その夜、ブッダとイエスが祭りの縁日を見物している様子を、大輔たちは密かに観察した。良太は物陰からゴム鉄砲で狙うが、ブッダが動いたので失敗した。続く幸平も、ブッダが人とぶつかったためにゴムが外れた。場所を移動して再び狙いを定めた彼は、たまたまブッダが顔を隠したのを見て気付かれたと思い込んだ。露店を出していた竜二はブッダに気付き、子分たちと共に挨拶した。その様子を目撃した大輔たちは、仲間が増えたと誤解した。
物陰に隠れた大輔たちはゴム鉄砲の照準を定めるが、ブッダが徳のあることを言ったので後光が差した。まぶしさに目を閉じた大輔たちだが、再び視線を向けるとブッダが元の状態に戻っていたので、何が起きたのかは理解できなかった。頭に付いた綿菓子を取るため、ブッダはイエスから離れて人気の無い場所へ移動した。尾行した大輔たちは、周囲が暗闇に包まれる中でブッダの顔が浮かぶのを目撃し、怖くなって逃げ出した。ブッダが螺髪を解いただけなのだが、あまりにも長すぎるので周囲が暗闇になったのだ。
「あいつは本当にボタン星人だったんだ」と怖くなった良太と幸平は、「こんな遊びやめる」と言って大輔の前から走り去った。ブッダはイエスに誘われ、困惑しながらも法被を着て神輿を担いだ。大輔は仮面ライダーのお面を被り、ゴム鉄砲でブッダを狙う。失敗した彼は、すぐ近くまで行って狙いを定める。しかしゴムが切れてしまい、また失敗に終わった。隣にいた竜二に見つかった大輔は怯えるが、「神輿を担ぎてえのか?」と言われる。ブッダは大輔に担がせるため、神輿の位置を低くしてもらう。おみくじを引いたブッダとイエスが帰ろうとすると、大輔がやって来た。彼は「俺、間違ってた。輪ゴムとか、水鉄砲とか、やめる。そういうのって、強さじゃないよな」と告げた。しかし大輔は「男は正々堂々、素手で勝負」と言い、ブッダの額を押した。
「いえっさ」というハンドルネームでブログをやっているイエスは、特撮ファンと意気投合していた。仮面ライダーの新しい食玩について「いえっささんは全制覇余裕でしょう」「またも神降臨か」という書き込みを見たイエスは、「信者たちが私を待っている」と感じる。ブッダが家計の苦しさを吐露していることに罪悪感を抱きつつ、イエスはコンビニで食玩を買ってしまう。コンビニ店員の田中は、文字が印刷してあるイエスのTシャツがどこで売っているのか気になっていた。実は、それはブッダが密かに印刷しているのだった。
ある日、ブッダとイエスがアパートから姿を見せないので、近所の住人たちは気になって仕方が無かった。翌日になっても、ブッダたちは町に現れなかった。大輔たちは、NASAに捕まったのではないかと考える。通り掛かった竜二は彼らの会話を聞き、ブッダが警察に捕まったと勘違いした。夕方、大輔が「あいつを倒すのは俺だ。俺がライバルと決めた奴を、他に渡してたまるかよ」と泣きながら良太と幸平に話していると、ブッダとイエスが通り掛かった。2人は温泉旅行に行っていただけだった…。

監督は高雄統子、原作は中村光(『聖☆おにいさん』講談社モーニングKC)、脚本は根津理香、企画は夏目公一朗&鈴木伸育&新坂純一&植田益朗、プロデューサーは黒須礼央&淀明子&針生雅行&五味秀晴&古澤佳寛&川村元気&落越友則、アソシエイト・プロデューサーは黒崎静佳、アニメーションプロデューサーは清水暁、キャラクターデザインは浅野直之、チーフ演出は神戸守、演出は高雄統子&神戸守&原田孝宏&柴山智隆、絵コンテは高雄統子&神戸守、総作画監督は浅野直之、作画監督は河合拓也&奥田佳子&江本正弘&植村淳、美術デザイン レイアウト監修は植村淳、美術監督は薄井久代、色彩設計は中尾総子、撮影監督は佐久間悠也、編集は三嶋章紀、音響監督は長崎行男、音楽は鈴木慶一&白井良明。
主題歌『ギャグ』星野源 作詞・作曲:星野源。
挿入歌『誰もいないね』鈴木慶一 白井良明 作詞:鈴木慶一、作曲:白井良明。
声の出演は森山未來、星野源、鈴木れい子、立木文彦、くまいもとこ、永澤菜教、日比愛子、西原久美子、園崎未恵、斉藤貴美子、来宮良子、島田敏、白川周作、高乃麗、竹本英史、島崎信長、山本兼平、半田裕典、高森奈津美、原紗友里、庄司宇芽香、佐藤正治、山内あゆむ、町田広和、楠田亜衣奈、吉岡沙知、森嵜美穂、谷和希、竹内想、酒井俊輔、上田卓、石山智規、西田篤ら。


中村光の同名漫画を基にした長編アニメーション映画。
TVアニメ『THE IDOLM@STER アイドルマスター』のシリーズ演出を担当していた高雄統子が、映画初監督を務めている。
脚本は『君に届け』の根津理香。
イエスの声を森山未來、ブッダを星野源、松田を鈴木れい子、竜二を立木文彦、大輔をくまいもとこ、良太を永澤菜教、幸平を日比愛子、大輔ママを西原久美子、良太ママを園崎未恵、幸平ママを斉藤貴美子、ナレーションを来宮良子が担当している。

私は原作を呼んでいないが、どうやら宗教ネタが作品にとって重要な要素になっているようだ。
そりゃあ、読んでいなくても、そんなことは容易に想像が付く。宗教ネタを多用しないのなら、主役コンビをブッダとイエスにしている意味が無い。
この映画版でも、冒頭にブッダがアパートで昼寝をしていたら鳥たちが集まって来て、「違う違う、これは涅槃とかじゃないから」と追い払うシーンがある。
そこのネタが面白かったので、この調子で続くのなら期待できそうだと思ったのだが、残念ながら以降は低調だった。

アヴァン・タイトルでは、ブッダ&イエスが立川のアパートに住んでいることがナレーションで説明される。そしてアパートで暮らす2人の様子、買い物先で体験した出来事を語る様子が少し描かれる。
あくまでもプロローグのような箇所であり、その後から本格的に作品が動き始める構成のはずだ。
ところが、タイトルロールで東京ウサランドが写し出され、そのままブッダとイエスがそこで遊ぶエピソードが描かれる。
なんでだよ。
まずはアパート周辺での出来事をスケッチすべきだろ。プロローグの次が、いきなり立川を離れた場所での出来事って、どういうセンスだよ。立川を離れるエピソードなんて、最後までゼロでも別に構わないぐらいなのに。

そのウサランドのエピソード、売り子に「成人男性2名ですと8千円です」と言われたブッダとイエスが「成人」を「聖人」と間違えて感心するネタは、しつこく「せいじん」という言葉を繰り返すけど、笑えない。何度も重ねることで笑いに繋げる方法もあるけど、そこは単にしつこいだけで笑えない。むしろ冷める。
店員がブッダの螺髪を頭飾りと間違えてバーコードでタグを読み取ろうとするってのも、無理を感じるだけ。そこで写っている飾りは全てウサ耳の飾りであって、螺髪に似た飾りなんて登場していないんだし。
「絶叫系」という言葉を「絶叫刑」と聞き違えるってのも、そもそもイントネーションとして無理があるし、そういう「言葉の取り違え」系のネタが他にも色々とあるけど、どれもつまらない。
東京ウサランドのエピソードだと、ブッダが徳のあることを言ったせいで後光が差してしまい、ティンカーベルのミニスカをイエスが指摘すると邪念が入って光が消えるというネタなんかもあるけど、宗教ネタよりも「ゆるふわな日常風景」を連ねて行くという構成に重点が置かれている印象が強い。

スーパーへ行くエピソードなんかでも、「畳好きなだけに洗濯物を畳むのを手伝う」というダジャレを口にしたイエスの頭に花が咲いて水がワインに変わる奇跡が起きるように、宗教ネタが全く持ち込まれていないわけではない。
和菓子屋の店主から「悩みのある顔をしとる」と言われたブッダが動揺したり、「信じる物は救われる」と言われたイエスが自分の態度を反省したりと、それなりに宗教ネタも盛り込まれている。
ただ、その一方で、ゲームソフトやガチャガチャに気を取られてタイムセールに遅れるとか、行列に並んだのに特売品のティッシュが売り切れてしまうとか、スーパーより八百屋の方が大根が安いので愕然とするとか、そういう「日常ネタ」も多い。

そりゃあ、何から何まで宗教に絡めたネタにするってのは難しいだろうけど、それにしてもブッダとイエスを「東京の下町に住む外国人」として捉えた描写が多いという印象を受ける。
原作には天界の住人やイエスの身内も登場するんだから、そういうメンツを絡ませれば、それだけで「宗教を笑いに転化している」という印象も強まったはずなのだが、なぜブッダとイエスに限定してしまったんだろうか。
この2人に限定したのなら、もっとブッダとイエスというキャラを使った宗教ネタを盛り込まないと「主役コンビが聖人である意味」が薄くなってしまうわけで。
出オチみたいな扱いでもいいから、天界の住人やイエスの身内を使った方が良かったんじゃないかなあ。

たまに入るナレーションも、ただ笑いを邪魔してテンポを悪くしているだけ。
例えば、サウナのシーン。イエスを大きな組織の二代目と誤解した竜二が自分の態度を詫び、ワケが分からないイエスが戸惑い、そんな様子に背中を向けているブッダの様子が写し出されると、「こんなに寒いサウナは初めてだとブッダは思った」というナレーションが入る。
だけど、そこはナレーションを入れちゃダメ。それでオチを付けようとしているんだけど、別の意味で寒いわ。そこは何もナレーションを入れずに終わるか、ブッダに短い一言を言わせてオチにするかの二択だよ。
ただし、ナレーションにオチを任せる方法を排除したとしても、会話のテンポや間の取り方、セリフの喋り方なんかもイマイチなんだけどね。

祭りのエピソードは、他のエピソードと比べても特に低品質で、監督と脚本家に「アンタらは何を考えていたのか」と尋ねたくなる。
何が問題かっていうと、少年たちが主役になっていることだ。
そもそも少年たちが「正義の見方」としてブッダの額を狙うってトコからして乗り切れないモノがあるし、彼らが「男は負けると分かっていても戦わなきゃならない時がある」と燃えても、こっちは何をどう受け止めればいいのか良く分からん。
良太と幸平が去った後で大輔が「ヒーローは負けないんだ」と正義感を燃やしてブッダを狙う様子を描写されても、「何言ってんの?」という感じしか無いし。

そこは少年たちを魅力的だと感じ、彼らに感情移入しないと気持ちが乗っていけないようなエピソードになっているんだけど、何の魅力も感じない。
そんなことより、「ブッダとイエスの話」を描こうよ。なんでブッダとイエスを脇役に回して、ただの少年たちのエピソードを描いちゃうのか。
これがTVのアニメシリーズで、全26話の中の1話ということなら、「たまには異質なエピソードも有りかな」ということで受け入れられたかもしれんよ。
だけど、プロローグを含めても8つしかエピソードが無い1本の映画の中で、そんな番外編的なエピソードを入れるような余裕は無いでしょ。

続く温泉旅行のエピソードも、イエスが食玩を購入した後は、しばらく彼とブッダが物語から姿を消す。そして、2人が姿を見せないことを気にする近所の住人たちの反応が描かれる。
その後には、またもや少年たちが真ん中のポジションに配置されるのだ。
せめて、そいつらが笑いを発信してくれるのなら、まだ何とか受け入れられたかもしれない。しかし、そうではなくて、なぜか「下町人情ドラマ」をやっているだけなのだ。
夏祭りのエピソードにしろ、温泉旅行のエピソードにしろ、宗教ネタどころか笑いそのものが薄いぞ。

クリスマスや初詣のエピソードは、さすがに宗教絡みのネタが多くなるんだろうと思ったが、それほどでもない。
その一方で、「ほのぼのした人情ドラマ」としての色合いが濃い内容になっている。
ひょっとすると、「あまり深いトコロまで突っ込んだネタをやると、無宗教が多い日本人だから、あまり分かってもらえないんじゃないか」ってことで宗教ネタを薄味にしてあるのかなあ。
だけど、そこを薄味にしてクセの強さを消してしまうぐらいなら、『聖☆おにいさん』を映像化する意味が無いんじゃないかと思ってしまうんだよな。

(観賞日:2014年11月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会