『佐賀のがばいばあちゃん』:2006、日本

サラリーマンの岩永明広は、小倉へ向かう新幹線の中でパソコンを打っていた。得意先から電話が掛かり、彼はデッキへと赴いた。電話を 終えた後、新幹線は広島に到着した。少年が1人で祖母のいる小倉へ向かうらしく、母親に見送られて乗り込んできた。少年は泣きべそを かき、母との別れを寂しがっていた。それを見た明広は、自分が幼かった頃のことを思い起こした。
昭和32年、広島。明広の母は夫を原爆症で亡くし、居酒屋で懸命に働いて明広と兄を育てていた。だが、しばしば明広は泣きべそをかいて 店に現われ、母に迷惑を掛けていた。母は悩んだ挙句、ある頼みごとのために姉の真佐子を呼び寄せた。翌日、明広は何も知らずに真佐子 を駅まで見送りに行く。発射のベルが鳴った途端、母は明広に押し込んだ。走り出した列車の中で、明広は自分が佐賀にいる祖母の元へ 預けられることになったと初めて知らされた。
明広の婆ちゃんは、田舎の古い家に一人で暮らしていた。真佐子は明広を預け、去っていった。婆ちゃんは明広を離れの小屋に連れて行き 、火吹き竹を手渡して御飯の炊き方を教えた。そして、自分は朝早くから仕事に出掛けるので、明日から自分で御飯を炊くよう告げた。 58歳の婆ちゃんは毎朝4時に起き、掃除婦として元気に働いているのだ。翌日、母を恋しがる明広は線路沿いに歩くが、5キロほど行った ところで動けなくなり、警官が婆ちゃんの家まで連れ帰った。
婆ちゃんは鉄屑を集めて金に換え、家の裏に流れる川に棒を張って引っ掛かる野菜を拾い集めた。明広が線路へ行くと、大人になった明広 がいた。明広は大人の自分に広島の方向を教えてもらい、そちらを見て母に話し掛けた。明広は婆ちゃんに付き添われ、新しい学校に 赴いた。転校早々、豊という同級生が婆ちゃんのことでからかってきたた。明広は豊とケンカを始めて先生に止められ、バケツを持って 立たされた。先生の仲介によって明広は豊と仲直りし、2人は親友になった。
2年後。佐賀に来てから明広は一度も広島に帰っておらず、母も会いに来たことが無かった。今度の冬休みには帰ろうと誓う明広だが、 婆ちゃんは「冬は汽車が走ってない」と言う。ところが豊と一緒に遊んでいた明広は、実際に汽車が走っているのを目撃した。それを報告 すると、婆ちゃんは「それは貨物列車で、手を振ったのは人じゃなくて家畜」と平然と言い放った。
明広は剣道部の練習を見て、自分も始めたいと考えた。しかし婆ちゃんに相談すると、剣道着などに金が掛かるならやめておけと言われる。 次に柔道をやりたいと言うが、やはり婆ちゃんの反応は同じだった。「何かスポーツをやりたい」と明広が訴えると、婆ちゃんは走ること を勧めた。走るだけなら金が掛からないからだ。ただし、婆ちゃんは「靴が減るから裸足で走れ」とも言った。
ある日、外を走っていた明広は、自転車の少女とぶつかって目を怪我してしまった。病院に行って治療してもらうが、医者は治療代を無料 にした上、帰りのバス代までくれた。しかし帰宅した明広がそのことを語ると、婆ちゃんは「人様の世話にはならん」と怒って金を返しに 出向いた。夜、明広は婆ちゃんに、なぜウチは貧乏なのかと尋ねた。すると婆ちゃんは、「ウチは明るい貧乏だし、先祖代々からの貧乏 だから自信を持ちなさい」と話した。
運動会が近付き、明広は今度こそ来て欲しいと母に手紙を書いた。しかし母が来なかったため、明広は拗ねた。そんな彼に、婆ちゃんは 「母さんは必死でお前を産んだ。おらん方がいい子なんて、いるはずがない」と励ましの言葉を掛けた。運動会に参加した明広は、昼休憩 になると1人で教室に行き、婆ちゃんの作った弁当を広げた。そこへ担任の先生が現われ、腹が痛いので弁当を交換してくれと言ってきた。 先生の弁当は豪勢だった。その後、他の先生も次々に「腹が痛いので弁当を交換してくれ」と言ってきた。
明広が仲間と草野球に興じていると、運動神経の鈍い同級生・池田が現われ、「自分も混ぜて欲しい」と言ってきた。和菓子屋の息子で 金持ちの彼は、新品のグローブやキャッチャーミットを持っていた。皆の道具も買ってもらえると言うので、明広達は仲間に加えた。試合 の後、明広たちは池田の家へ遊びに出掛けた。池田の母を見た明広は、自分の母のことを思い浮かべた。明広の母は、しばらく体調を崩して いた。婆ちゃんへの手紙を盗み見て母の病気を知った明広は心配するが、婆ちゃんが元気付けた。
3年後、中学生になった明広は、勉強はからっきしだったが、野球部のピッチャーとして活躍していた。担任の中野先生は、明広が野球部 のキャプテンに就任することを婆ちゃんに報告した。キャプテンの意味が分からない婆ちゃんだが、「大将みたいなもの」と言われて喜ぶ。 婆ちゃんは明広を連れて既に営業時間の終わった運道具店へ押し掛け、最も高価なスパイクを購入した…。

監督は倉内均、原作は島田洋七、脚本は山元清多&島田洋七、企画は江原立太、プロデューサーは伊藤伴雄&竹本克明、撮影は三好保彦、 編集は阿部亙英、録音は森英司、照明は石田厚、美術は内藤政市、音楽は坂田晃一。
出演は吉行和子、浅田美代子、鈴木祐真、池田晃信、池田壮磨、緒形拳(特別出演)、三宅裕司(特別出演)、島田紳助(友情出演)、 島田洋八(友情出演)、山本太郎、工藤夕貴、穂積ぺぺ、吉守京太、石川あずみ他。


自費出版から出発して次第に評判を呼び、ついにはベストセラーになった漫才コンビ“B&B”の島田洋七による 自伝的小説を基にした映画。
監督はテレビ番組の製作会社“株式会社アマゾン”の社長である倉内均。テレビのドキュメンタリー作品を多く手掛けており、劇場映画の 演出は1989年の『冬物語』に続いて2作目。
脚本は原作者と劇団黒テントの演出家・山元清多。
婆ちゃんを吉行和子、明広の母を工藤夕貴、真佐子を浅田美代子、中学の担任・中野先生を山本太郎、中学生の明広を鈴木祐真、小学校 高学年の明広を池田晃信、小学校低学年の明広を池田壮磨、大人になった明広を三宅裕司、豆腐屋を緒形拳、運動具店の店主を島田紳助、 婆ちゃんと共に働く大学の清掃員を島田洋八、小2の担任教師を穂積ぺぺが演じている。

元々、島田洋七がテレビ番組で祖母のことを話していた頃は、「豪快で愉快な婆ちゃん」の笑える話だったはずなんだよね。
それが、いつの間にか「含蓄のある言葉を語る婆ちゃんの感動ドラマ」みたいなイメージになっちゃってる。
まあ金儲けを考えると、破天荒な老女の喜劇よりは感動的な家族ドラマの方が大勢の人々に受ける確率は高いわけで、イメージ戦略と しては正解なのだろう。
ただし、個人的には何となく違和感、ムズ痒い感じが残る。
あと、正解が必ずしも面白いってわけじゃないしね。

そもそも「がばい」ってのは「非常に」という意味だから(「すごい」の意味として解釈するのは間違い)、タイトルを変換すると 『佐賀のトンデモばあちゃん』ってな感じになるんだよね。
でも、その「がばい」印象が薄いぞ、この映画だと。
明広が婆ちゃんのとんでもない言葉に唖然としたり、とんでもない行動に仰天させられたりするようなことは皆無。
これじゃあ、婆ちゃんは生活の知恵に長けた節約名人ってだけじゃん。
なんか、おとなしいじゃん。“がばい”おとなしいよ。

これ、ホントは人生哲学とか人生訓とか、そんなものを人々に教え込むような教育的(もしくは説教的)なモノじゃないはずなのよ。
「すげえ婆ちゃんだな、ガハハ」と笑う類の話なのよ。
ところが本作品では婆ちゃんが何かキメの言葉を言う度に、しっとりしたような雰囲気になっちゃう。
そもそも監督が「世の中の母親たちへの子育て教育」の意識で作っちゃってるのが大間違いなんだよな。

エピソードを串刺し式に繋げる構成になっているが、その1つ1つのエピソードが薄いために、ただ散漫という印象しか受けない。
各エピソードの締め括り方もピリッとしないし、次のエピソードへの繋がりもグダグダ。
ただ原作のエピソードを無造作に、適当に並べているだけでしょ、これって。
ゲスト俳優は不自然なアップで「大物が出ています」ということをアピールするだけで、特に重要な役割を果たすわけでもなく、ただ邪魔 なだけだし。

コメディーとしての意識は乏しく、だからといって感動的なドラマが用意されているわけでもない。
どうも昭和ノスタルジー&感動の家族ドラマの融合という『ALWAYS 三丁目の夕日』の路線を狙っている節もあるが、ノスタルジー を誘うような昭和32年、34年、37年の世相や風俗は盛り込まれていない。
ノスタルジーを誘わないにしても、それを取り込まないのは得策と思えないが。

序盤から違和感、引っ掛かりの嵐。
まず成長した明広を芸人じゃなくてサラリーマンにしてあることからして違和感がある。
その後、大人の明広が泣いている少年を見るシーンから、少年の明広が汽車の中で泣いている過去へ移り変わる。
なのに、その後で広島時代の少年・明広の様子が綴られる。
その構成はおかしいでしょ。
回想に入ったところで、既に汽車に乗っているんだから。

回想に入り、居酒屋で働く母を大人の明広が眺めているという演出も引っ掛かる。
そこは今と過去の境界線を跨ぐべきじゃない。ハッキリと分けるべきだ。
そんで、ずっと大人の明広が「過去の自分を見つめる」ということで存在するのかと思ったら、いつの間にか消える。
で、次からは少年の明広が線路で母に呼び掛ける度に登場する。ウザいったらありゃしない。

とにかく描写が淡白で雑。
例えば序盤、どうやら母は明広の兄に対しては、明広を佐賀へ預けることを打ち明けたようだ。
だが、兄が何か聞かされたらしい様子で帰宅するものの、そこから何か話が発展することは無い。
それどころか、兄貴は二度と登場しない。兄弟の絆で感動的なエピソードの1つぐらい作れそうなものだが、何も無い。
だったら、いっそ兄貴なんて登場させない方がいい。

母恋しさから線路を歩き続けた明広が警官に連れ戻された時、それに対する婆ちゃんのリアクションは 全く見せずにシーンが切り替わる。
そこは婆ちゃんのキャラをアピールする格好の場面でしょうに、なぜ反応を描かないかな。
小学校に行った明広は豊とケンカになるが、1分程度で仲直り。
反目から和解へのドラマ、友情を深めるためのドラマなどは皆無である。

自転車でぶつかった少女や、治療代を無料にしてくれた医者など、関わるキャラの大半は、その場限りで消える。
学校に関しても、豊を除けば、ライバルとか好きな少女などの人間関係が全く描かれていない。
明広と婆ちゃんの関係でさえ、例えば明広が婆ちゃんに影響を受けたり感化されたりということも無いし、次第に絆が芽生えていくドラマ があるわけでもない。
運動会のシーンなども、縦も横も学校での人間関係が全く無いので、ただ無作為に時間が過ぎていくだけ。そこでは先生が腹痛を装って 豪華な弁当に交換してくれるという展開があるが、その先生との関係描写も薄いので、何の感動ドラマにも繋がらない。
島田洋七本人が講演会などで話す時と違い、映画やドラマにする場合は、エピソードだけじゃなくてそこに関わる人物との関係を事前に 描写しておくことも必要なのだ。

最初に号泣していた明広だが、田舎暮らしに戸惑うことも無く、すぐに馴染んでいる。
母親への思い、落ち込み、悲しみがすぐに消えるなら、母と別れるまでの導入部分って要らないんじゃないかと思えてくる。
いきなり佐賀へ連れて来られたところから始めてもいいんじゃないかと。
最後まで「母への思い」というところを芯にしてあるのは、どうも違和感を覚える。タイトルは何なのかと。
クライマックスを「マラソン大会で久しぶりに母と再会」ということで感動的に盛り上げようとしているが、それまでの明広と婆ちゃんの 生活はどうなるのかと。
そこは婆ちゃんとの関係でクライマックスを作るべきでしょ。
極端な話、母親なんてほとんど登場しなくたっていいぐらいなんだよな。
一番の涙は、母との再会じゃなく婆ちゃんとの別れに置くべきでしょ。
このタイトルで中身を感動ドラマにするなら、母との再会による涙は、むしろ邪魔かもしんないぞ。

 

*ポンコツ映画愛護協会