『続・人間革命』:1976、日本

昭和21年、戦後第一回地方折伏。戸田城聖は三島由造に、「戦前の学会が脆かったのは、車軸と歯車の問題のような気がする」と語った。同年11月17日、創価学会の第一回総会にして牧口常三郎の三回忌で、戸田は弔辞を読んだ。彼が最後に牧口と会ったのは、東京地方裁判所だった。巣鴨の東京拘置所に収監された戸田は、牧口の遺志を継ぐことを心に誓った。戸田が1年前から始めた法華経の大講演会と座談会によって、新しい信者は増加していた。
ある時、戸田は清原かつたちを従えて参加した座談会で、19歳の山本伸一から「自分にとって一番正しい人生とは、どういう人生ですか」と質問された。彼は人間の生死に関する答えを自分で捕まえる必要があると説き、日蓮大聖人が唱える大生命哲学に飛び込む以外に道は無いと告げた。翌日、戸田は山本が入信の意思を示したことを知り、三島と山平忠平に寮まで案内するよう指示した。しかし三島たちが勤務先の城南工業会へ行くと、山本は仕事があるので日曜に入信すると告げた。
重なるインフレによって再販や重版では儲けが出なくなり、日本正学館の経営状況は悪化した。戸田は儲けを出すため、婦人向け月刊誌を創刊することにした。彼は東洋銀行の支店長と会って協力を要請し、実業家の湯浅に支援を求めた。湯浅は資金提供を快諾するが「学会に入れ込み過ぎないように。実業家にとって、一番の娯楽は政治と宗教だ」と釘を刺した。理事の加藤は戸田に、会費を取ることを提案した。戸田は却下し、正学館の売り上げを伸ばすよう指示した。山本は歓喜寮へ行き、創価学会への入信手続きを済ませた。
昭和22年10月19日、第二回総会の参加者は前回より大幅に増加し、幹部たちは喜んだ。しかし戸田は「頭数だけ増えても意味が無い」と声を荒らげ、学会活動への取り組みが足りないと批判した。島谷組の金木は入信した妻のユリ子から別れを告げられ、仲間の黒川たちと共に支部へ乗り込んだ。支部長の泉田から報告を受けた戸田は、翌日に全理事と青年部幹部を招集した。泉田は組事務所で金木と会うことになっており、戸田は松村に同行を指示した。彼は昨夜の件について、三島と原山に警察へ知らせるよう指示した。
ユリ子を折伏させたのは、戦争未亡人で5人の娘を持つ千谷ハツだった。ハツは責任を感じ、1人で組事務所へ赴いた。島谷は戸田に電話を掛け、過去に会っていることを説明した。彼は金木と黒川を地方に飛ばし、問題を解決した。戸田は三島たちに、「弱い者は弱いままでいるのが一番強い」と説いた。山本は青年部の三川英子たちから、夏期講習会に参加するよう誘われた。戸田は参加者への講義で、仏とは自分自身の命のことなのだと説いた。戸田の言葉に、山本は感銘を受けた。
山平は山本に、自分の後釜として日本正学館で働かないかと持ち掛けた。山本は喜んで了解し、1月3日に日本正学館を尋ねた。すると誰もおらず、山本は散らかっている社内の掃除を始めた。日本正学館に来た戸田は、山本が挨拶しても無言のままだった。彼は二階へ上がり、これからの学会について考えを巡らせた。社会情勢の変化に伴って物価は上昇し、中小企業の倒産件数は増える一方だった。日本正学館が発行する『冒険少年』と『ルビー』は売り上げが芳しくないため、山本は懸命に動いた。
デフレが続く中、戸田は友人の栗川から、購買組合の理事長を務める大井徹が信用組合に変えたがっていることを聞かされた。栗川は以前に戸田が金融会社を経営していたことに触れ、協力してはどうかと提案した。山本は戸田を訪ね、『冒険少年』の内容を大幅に見直して誌名も『少年日本』に変更してはどうかと意見した。戸田は迷わずに了承し、自身も手を打つ必要があると考えていたことを話す。しかし山本が宣伝に力を入れてほしいと訴えると、戸田は「正学館に大出版社のようなことは出来ない」と却下した。さらに山本が西條八十の詩を掲載したいと言うと、彼は「金を掛けて本は売れるなら誰でも売れる。お前の工夫はどこにあるんだ」と激怒した。
戸田は東洋銀行の支店長から、信用組合を作る件について「銀行としては困ります」と告げられる。支店長は新規の用立てが難しいと言い、手形の書き換えも今回限りにすると通告した。戸田は湯浅に融資を依頼するが、3分の1しか出さないと言われる。山本は『冒険日本』の改題を宣伝する広告を発見し、戸田に感謝した。戸田は山本に、『少年日本』の編集長に就任するよう指示した。山本は画家の西山に挿絵を頼んだり、西條八十の家を訪問して詩を依頼したりと、積極的に動いた。
戸田は東光建設信用組合を発足させ、創価学会本部の事務所に看板を掲げた。彼は日本正学館の奥村に営業部長を兼任させ、三島に詳しい説明を任せた。青年部の6人は山崎産業の一方的な首切りに憤慨し、闘争中に会社が警察を呼んだために逮捕された。知らせを受けた戸田は警察署へ赴き、身柄を引き取ろうとする。しかし捕まった6人は闘争による社会改革を訴え、警察や会社が非を認めるべきだと主張した。戸田は彼らの考えを真っ向から否定し、経済闘争や政治闘争は妥協で片付くのだと説いた。
山本は正学館で講演会を開き、立正安国論について熱心に語った。三島は彼の講義が独創的すぎるのではないかと懸念するが、戸田は自由にさせるよう促した。戸田は正学館の社員を集め、経営状況の厳しさについて奥村に具体的な数字を説明させた。その上で彼は、もう妙案が無いので全ての出版物の出版を停止すると告げた。戸田は誰も解雇せず、東光信用組合で勤務させる。しかし信用組合も資金繰りが悪化し、戸田は合併によって危機を乗り越えようとする…。

監督は舛田利雄、原作は池田大作、製作は田中友幸、脚本は橋本忍、撮影は西垣六郎、美術は村木与四郎、録音は増尾鼎、照明は石井長四郎、製作補は鈴木政雄&西川善男、編集は小川信夫、監督助手は橋本幸治、特技監督は中野昭慶、音楽は伊部晴美。
出演は丹波哲郎、あおい輝彦、仲代達矢、新珠三千代、渡哲也、志村喬、名古屋章、芦田伸介、夏純子、大竹しのぶ、徳永れい子、春川ますみ、稲葉義男、中谷一郎、新克利、森次晃嗣、小泉博、青木義朗、長谷川明男、黒部進、浜田晃、児玉泰次、尾藤イサオ、橋本功、岸田森、桑山正一、田島義文、浜田寅彦、加藤和夫、内田稔、山田はるみ、下塚誠、潮哲也、石井富子(石井トミ子)、富田仲次郎、常田富士男、人見明、久野四郎、笠井一彦、福山象三、久遠利三、音羽久米子、人見きよし、弘松三郎、頭師佳孝、朝倉隆、谷岡行二、山村裕、鷹尾秀敏、若尾哲平、笠原玲子、堺美紀子、加賀麟太郎、吉原正皓ら。


創価学会の第3代会長である池田大作の同名小説を基にした1973年の映画『人間革命』の続編。
監督の舛田利雄、脚本の橋本忍は、前作からの続投。
戸田役の丹波哲郎、日蓮役の仲代達矢、幾枝役の新珠三千代、島谷役の渡哲也、栗川役の名古屋章、牧口役の芦田伸介、三島役の稲葉義男、山平役の森次晃嗣、桑島検事役の青木義朗らは、前作からの続投。
山本をあおい輝彦、清原を夏純子、三川を徳永れい子、ハツを春川ますみ、加藤を中谷一郎、山中検事を新克利、東洋銀行支店長を小泉博が演じている。

本作品には特殊撮影班がいて、特技監督の中野昭慶や撮影の富岡素敬、監督助手の川北絋一たちが参加している。
内容を考えると、どこに特殊撮影が必要なのかと疑問を抱くかもしれない。しかし序盤から、特殊撮影のシーンが用意されている。
第一回総会の後にオープニング・クレジットがあり、そこから「立正安国論」と文字が出て、鎌倉時代の村が暴風雨や津波や地震に襲われる様子が描かれる。ここではミニチュアが使われ、特撮シーンになっているのだ。
だけど、東宝が得意とする特撮シーンを入れたくて、無理にミニチュア撮影シーンをネジ込んだんじゃないかと言いたくなるぐらい、必要性を感じないシーンだ。

ただ、立正安国論の内容を朗読して映像も入れるのは、それだけ詳しく説明したいという意図があったのかもしれない。
と言うのも、この映画には戸田の半生や創価学会の歴史を描くだけでなく、プロパガンダとしての目的もあるからだ。
だから学会の教義を解説するパートに多くの時間を取り、丁寧に描いている。
そこでは丹波哲郎が得意とする、一人喋りがメインになる。彼は会話劇よりも、一方的に説法をする演技の方が遥かに得意なのだ。
それ以外のシーンでも、丹波が一方的に喋るシーンは、かなり多い。

夏期講習会のシーンでは、十界論や三悪道、六道輪廻について清原と山平が質問し、参加者が答えるシーンに多くの時間を割いている。それは既に戸田の講習が終わった後という設定で、「本当に理解したかどうか確かめるための質問」という形を取っている。
それは物語の進行だけを考えれば、全く意味が無い無駄な時間だ。そんな手順を設けているのは、その質疑応答を通じて、観客にも仏法の内容を講義するためだ。
この映画には、それこそ「創価学会の講習」としての目的もあるので、そういうシーンが何度も用意されている。
そのため、物語の中身に比べて、上映時間が長くなっている。物語だけを考えれば、この半分ぐらいで済む内容だ。

夏期講習会のシーンでも、ずっと一方的に戸田が喋るシーンが大半だ。
彼は「仏とは何か」「十界互具」などについて、饒舌に語り掛ける。そして「宇宙の中心で爆発が起きる」と言うと、急に物干し台で家族が話す様子が描かれる(大竹しのぶが長女を演じている)。
その会話を挟んで、また戸田が「宇宙全体は大きな生命体である」と語る様子に切り替わる。そこで終わらず、宇宙や生命、南無妙法蓮華経に関する説法が続く。
家族の劇中劇を挟むのは、「分かりやすく噛み砕いて説明する」という意図なんだろう。
しかし不自然な台詞を使って教義を押し付けて来るので、説教臭さが余計に強くなっている。

戸田の講義を聞いた山本は感銘を受けて涙まで流すのだが、こっちは全く心を揺さぶられない。部外者からすると、戸田の弁舌には何の説得力も感じないからだ。
なので、ただ退屈な話を長々と聞かされるだけの時間になってしまう。
しかし本作品が想定している主な観客は学会員なので、何の問題も無い。
戸田城聖が語る創価学会の教義は、問答無用で心に刺さるようになっているのだ。退屈でも何でもなくて、興味をそそられる内容のオンパレードになるわけだ。

開始から1時間20分ほど経過すると「休憩」が入り、後半に入る。そこから5分ほど経つと、また「立正安国論」と出る。
今度はモノクロで現代の人々や景色が映し出され、日蓮が登場するパートも挿入される。ここは戸田ではなく、山本が講義を担当して長々と説法をする。
別に丹波哲郎のスケジュールが調整できず、出番を減らしたわけではない。
前作に続いて戸田が主人公なのは変わらないが、今回は山本が匹敵するぐらい大きな扱いになっている。彼の成長や変化、苦悩や葛藤を描く部分も、多くなっている。

「出版社の経営状況が芳しくないので、新雑誌の発刊で何とかしようとする。売り上げが伸びないので山本が案を出して奮闘するが、状況を大きく変えることは出来ず、事実上の倒産に追い込まれる」ってのは、かなりドラマティックな内容が多く含まれているはずだ。
しかし何度も講義や説法のシーンを挟むことで、ちっともドラマとしての力を感じないように仕上がっている。
っていうか、むしろ講義のパートがメインで、たまにドラマを挿入するという捉え方なのかもしれない。
信用組合の件に至っては、山本たちが異動したと思ったら、もう危機に陥っていることがモノローグで簡単に説明される。「ビジネスが上手く行かない中で、宗教だけが心の支えになる」というドラマも、まるで表現されていない。
とにかくプロパガンダが第一で、ドラマの部分は疎かにされている。

終盤、島谷が組員を引き連れて葬儀に殴り込みを掛け、殺されるシーンがある。
戸田や学会関連の物語ばかりだと会話劇が多いので、物語に動きを与えて観客を引き付けようという狙いがあったのかもしれない。ただ、どう考えても、そこは完全に浮いている。
まあ、そういうことを言い出すと、そもそも渡哲也が浮いているんだけどね。
ともかく、その出来事に関しては、戸田は単なる傍観者だし、島谷の死に大きな影響を受けることも無いからね。

こ戸田が島谷の死を看取った後、田舎の寺で南無妙法蓮華経を唱え続けると、日蓮の幻影が出現する。戸田は日蓮に教えを乞い、説教される。
寺から出て来た戸田は、山本に晴れやかな表情で「大きな罰が当たったんだ。学会のことだけをやるべきだったんだ」と話す。
創価学会の話なので、それがハッピーエンドに繋がる形となる。
だけど、ビジネスで失敗して多くの人々に迷惑を掛けたのに、宗教を言い訳にして逃げているだけにしか見えないんだよね。

戸田が「学会だけやる」と決めた後には、30億年前の地球で生き物が誕生し、生命が進化する様子を描くアニメーションが挿入される。
「私は何の映画を見せられているのか」と言いたくなるが、一応は「人間革命の説明に必要な情報だから」という言い訳がある。
それも今までに挿入された実写シーンと同様、戸田の講義の内容という設定だ。でも、そのアニメーションが無くても、実際は大して変わらないと思うけどね。
で、最後は戸田の会長推戴式のシーンになり、戦争や人類の危機に関する講釈が8分ほど続く。
最後も丹波哲郎の得意とする義太夫が延々と続いて、終幕に至るのであった。

(観賞日:2023年7月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会