『呪怨 -ザ・ファイナル-』:2015、日本

不動産会社で働く竹田京介は佐伯一家が住んでいた家の門に鎖を巻き付け、「潰してやる。破壊してやる、跡形も無く」と呟く。彼は家を見上げ、「この家さえ無くなれば、呪いは断ち切られる」と口にして狂ったように笑う。
[麻衣]
ある夜、生野麻衣は「ごめんなさいね、お姉ちゃん」という声で目を覚ます。妹の結衣が来ているのを見つけた彼女は、「何かあった?」と問い掛ける。結衣は何も答えず、鼻歌を歌いながらガラステーブルに指で渦巻を描いた。麻衣が見知らぬ少年の存在に気付くと、結衣は「俊雄くんっていうの、この子」と静かに告げる。結衣が「もう行かなくちゃ」と言ったところで、麻衣は本当に目を覚ました。それは彼女が見ていた夢だった。同棲している恋人の北村奏太が起きると、麻衣は夢に妹が出て来たことを話す。
翌日、麻衣はホテルの客室係として仕事をしながら妹に携帯でメッセージを送るが、一向に返信は無かった。ルームサービスでスープを運んだ彼女は、そこに俊雄が現れる幻覚に驚いた。駅員として働く奏太は最終列車を見送り、ホームを見回る。落ちている新聞紙を拾おうとした彼は、そこから突き出した腕に手首を掴まれる幻覚を見た。帰宅した奏太は、麻衣から携帯に届いた結衣からの録音メッセージを聴かされる。それは「あ゛あ゛あ゛あ゛」という謎の声だった。
[玲央]
女子高生の玲央は父を亡くし、母と2人で暮らしている。親友の碧は10年前に姉が行方不明となっているが、今は元気に過ごしている。玲央の家には、母の兄の息子が来ることになった。それは突然の話であり、今まで玲央は従弟の存在さえ知らなかった。玲央の母は彼を引き取りに行き、家へ招き入れた。麻衣の元には、結衣の荷物を入れた小包が届いた。その中には小学校からの解任通知書が入っていた。クラス写真と調査票を見た麻衣は、夢に出て来た俊雄がいることに気付いた。
学級日誌を読んだ麻衣は、妹が学校を休んでいる俊雄に会うため佐伯家を訪ねたこと、会えないまま去ったことを知る。翌日からの日誌は、ずっと渦巻きが描かれているだけだった。帰宅した玲央は従弟に話し掛けるが、何も喋ろうとしなかった。母は玲央に「何があったの?伯父さん、離婚したの?」と問われると、「あの子のお母さん、最近亡くなったのよ」と告げた。玲央が仏壇に手を合わせていると、天井から黒い染みが広がり、手の形になって彼女を捕まえようとする。気配を感じた玲央が振り返ると、そこには何も無かった。
[絵菜]
病院で入院している少女の絵菜は、窓から見える玲央の家に視線を向ける。彼女がスマホのカメラを使って観察していると、白塗りの俊雄が部屋を通り過ぎた。驚いた彼女が別の部屋に視線をやると、普通の格好をした玲央の従弟がいた。麻衣が客室に誕生日ケーキを届けると、客の姿が消えて結衣の幻影が出現する。結衣は「俊雄くんが付いて来る。もう離れないの」と言って消え、客の姿が復活した。奏太は麻衣がシャワーを浴びている間に、結衣の荷物に入っていた伽椰子の日記を開いた。それを読んだ奏太は恐ろしくなり、ゴミ袋に入れて捨てた。麻衣は風呂場で怪奇現象に襲われ、玲央は就寝しようとして不気味な体験をする。
[まどか]
玲央と碧は学校の食堂で、親友のまどかと一緒に昼食を取る。玲央は母が仕事で遅いことを話し、今夜は泊まりに来ないかと2人を誘う。玲央の母は冷蔵庫を開け、野菜が全て腐っているのを見て困惑する。彼女は出掛ける前に、玲央の従弟の部屋へ行って話し掛ける。白塗りの俊雄が廊下を歩いて行くが、彼女は気付かない。その夜、奏太がうなされて目を覚ますと、麻衣はリビングで鼻歌を歌いながら渦巻きを描いていた。奏太が声を掛けると、麻衣は我に返った。麻衣が捨てたはずの日記を読んでいたので、奏太は「絶対に読んじゃダメだ」と告げて再び捨てに行った。
玲央が俊雄の様子を見に行くと、力が抜けたように座っている。玲央は不安を抱き、遊びに来た碧たちに紹介することをためらった。碧が部屋で1人きりになると、どこからか鼻歌が聞こえてきた。写真立てが棚から落下し、彼女は驚いた。目の前に誰かが現れたので、碧は怯える。戻って来た玲央は、それが従弟だと告げる。そこへ現れたまどかは、従弟を見て「可愛い」と頬を緩ませる。従弟は名前を問われ、「名前は俊雄」と初めて口を開いた。
[俊雄]
佐伯剛雄が包丁を構えて息子の俊雄に歩み寄った時、ある異変が起きた。俊雄の中に入っていた山賀俊雄の悪霊が、外へ抜け出したのである。俊雄は何も知らない玲央の母に引き取られ、彼女の家で暮らし始めた。その時、伽椰子も玲央の家にやって来た。麻衣が佐伯家を訪ねると、家は取り壊されて更地になっていた。そこへ京介が現れ、呪いを断ち切るために家を破壊したことを語る。麻衣は行方不明の妹を見つけるため、俊雄の居場所を教えてほしいと頼む。
絵菜は玲央の家を観察するが、白塗りの俊雄と目が合ったので慌ててカーテンを閉めた。ベッドに潜り込んだ彼女は、俊雄の鼻歌を耳にした。奏太は最終電車を見送った後、ホームに残っている女性を見つけて声を掛けた。奏太は最終電車が出たことを説明し、出口まで案内すると告げる。奏太が歩いていると、背後から付いて来た女性は「子供が欲しい」と呟いた。同じ言葉を彼女が何度も呟いたので、奏太は不気味に感じる。彼が振り向くと、女性の姿は消えていた。
[碧]
まどかは玲央と碧に、俊雄の過去をネットで調べようかと持ち掛ける。碧は「やめなよ」と反対し、玲央に「駄目だよ」と忠告する。碧は1人でカラオケボックスへ行き、姉である弥生の写真を取り出した。カラオケのモニターにノイズが入り、碧はフロントに連絡を入れる。トイレから戻った碧が部屋に入ると、弥生が待っていた。碧は喜ぶが、弥生は消えて白塗りの俊雄が現れる。俊雄の絶叫に碧が怯えていると、再び弥生が現れる。部屋を覗いた店員は、碧が何も無い場所に向かって話しているのを目にした。碧は弥生に襲われ、天井に頭が突き刺さった状態で死亡した。
まどかはファミレスで食事をしながら、ネットで俊雄について調べる。彼女は佐伯家で起きた事件を知り、玲央に知らせる。直後、まどかはテーブルの下にいる黒猫を目撃し、続いて白塗りの俊雄をロメにした。店員が近付くと、まどかは全身が腐ってて死んでいた。事件を知った玲央が俊雄の様子を見に行くと、意識の無い状態で座り込んでいた。その背後から白塗りの俊雄が現れ、玲央は慌てて逃げ出した。階段を転げ落ちた玲央に母が駆け寄ると、伽椰子が襲い掛かって来た。
玲央と母はリビングに逃げ込み、バリケードを作って扉を塞いだ。母は玲央から佐伯家の事件について責められ、何も知らなかったと釈明する。母は台所へ行き、「帰る所が無くなれば、あの子は消える。そうしなければ、終わりは来ない」と口にする。彼女は白塗りの俊雄を殺そうと考えたのだが、背後から現れた伽椰子に襲われて死んだ。玲央は包丁を握り締め、階段を上がって2階へ戻る。彼女は俊雄を抹殺しようとするが、返り討ちに遭って絶命した。
[奏太]
麻衣は玲央の家を訪れるが、ノックしても返事が無いので立ち去った。尾行していた奏太は絵菜の視線に気付き、病室へ赴く。彼は向かいの家について知っていることを教えてほしいと頼み、何も話そうとしない絵菜の肩を掴む。すると奏太の脳内には、絵菜が白塗りの俊雄と会った時の映像が飛び込んで来た。俊雄は飼い猫のマーを抱いて、病室へやって来た。絵菜は俊雄に挨拶し、彼もマーも死んでいることを見抜いた。絵菜は死期が近いと感じており、「私が死んでも、一緒に遊んでね」と俊雄に告げた。
我に返った奏太が玲央の家へ行くと、ドアは施錠されていなかった。勝手に中へ入った彼は、俊雄の部屋に赴いた。俊雄は意識を失った状態だったが、悪霊が肉体に戻って目を覚ます。奏太は俊雄に首を絞められ、逆襲して殺してしまう。急いで帰宅した奏太は、捨てたはずの日記を見つけて驚愕する。そこへ伽椰子が現れ、奏太に襲い掛かった。仕事中に異変を感じていた麻衣は帰宅し、奏太を探す。カーテンにくるまっている奏太を見つけた麻衣は安堵するが、彼は既に息絶えていた…。

監督は落合正幸、脚本は一瀬隆重&落合正幸、エグゼクティブ・プロデューサーは高木ジム&今山武成&村田嘉邦&久保忠佳&江守徹、プロデューサーは山口敏功&平田樹彦、コー・プロデューサーは福島聡司、アソシエイト・プロデューサーは大畑利久、クリエイティブ・スーパーバイザーは一瀬隆重、撮影は岡田博文、照明は舘野秀樹、美術は尾関龍生、録音は松本昇和、編集は深沢佳文、視覚効果は松本肇、特殊造型は松井祐一、音楽プロデューサーは慶田次徳、音楽は はい島邦明。
主題歌「Circle of Life」Double 作詞:SWEEP TAKAYO、作曲:SWEEP Maestro-T、編曲:Maestro-T SWEEP。
出演は平愛梨、桐山漣、佐々木希、袴田吉彦、おのののか、黒島結菜、柳ゆり菜、松浦雅、RIMI、中原果南、最所美咲、小林颯、緋田康人、矢吹春奈、堀口ひかる、和田亮太、児玉みちこ、滝裕可里、HIKAKIN、大河原生純、松元那実、松本悠里、山田都和子、榎本陸、西野大作、朝比奈加奈、高田和加子、藤巻碧、二田萌ら。


ビデオ版『呪怨』『呪怨2』をリブートした2014年の映画『呪怨 -終わりの始まり-』の続編。
どうやらリブートした時点で、前後篇として企画されていたようだ。
前作に引き続いて、監督を落合正幸、脚本を一瀬隆重&落合正幸が担当している。
前作からの続投キャストは、結衣役の佐々木希、京介役の袴田吉彦、弥生役の黒島結菜、伽椰子役の最所美咲、俊雄役の小林颯、剛雄役の緋田康人。
麻衣を平愛梨、奏太を桐山漣、玲央をおのののか、碧を柳ゆり菜、まどかを松浦雅、絵菜をRIMI、玲央の母を中原果南が演じている。

映画が始まると、いつものように「呪怨」という言葉の意味に関する説明の文章が表示される。それが終わると、前作のおさらい映像が流される。
ただし、1分ちょっとの短い映像だし、前作を見ていない人には何の手助けにもならない。
この映画は前作の内容と直接的に繋がっているため、ちゃんと理解するには『呪怨 -終わりの始まり-』を見ていることが必須条件となる。もっと厳密に言えば、ただ観賞しているだけでなく、その内容をキッチリと覚えていることが求められる。
登場人物や相関関係も含めて前作と関連性があり、一見さんのために最初から説明するような配慮は無いのでね。

これまでの「呪怨」シリーズは、時系列をバラバラにして構成するのがお決まりだった。
しかし今回は、登場キャラクターの名前を付けた章ごとに分割する構成は引き継いでいるものの、時系列は組み替えていない。視点を移動させているだけであり、物語の進行は時系列の通りになっている。
これまでの時系列シャッフル構成ってのは、「伽椰子と俊雄の悪霊が出現して脅かす」という作業が続く単調な内容であることを誤魔化すために、複雑に偽装するための戦略として用いられていた。
それを採用しなかったことで、分かりやすさは手に入れたものの、それと引き換えに、ワンパターンであることがハッキリとした形で露呈してしまっている。

それだけでなく、わざわざ登場人物の名前ごとに章を設けて分類しているはずなのに、どのエピソードにも全て麻衣が登場する。それも、その章の主人公と関わる人物、つまり脇役としてチラッと顔を出すわけではなくて、「麻衣のターン」が用意しているのだ。
そうなると、もはや人物名で章を分けている意味が無くなる。
麻衣のエピソードを描きたいのなら、なぜ最初の[麻衣]のパートで大半を消化しておかないのか。そこで大半を食べ残して、他の章で少しずつ描いて行くってのは、明らかに構成として難があるぞ。
そういう形を取るなら、人物名ごとに章を分ける手法を取らなきゃいいでしょ。

ただ、もはや「時系列をシャッフルする構成にするべきか否か」とか、「人物名で章を区切るべきか否か」とか、そういう問題ではない。
一応はリブートの形だけど、こっちからすると「シリーズの続き」という風に受け取ってしまう。
そして、そのように受け取った時に何を感じるのかというと、「とっくに飽きてるんですけど」ってことだ。
もう俊雄や伽椰子は、恐怖の対象としての力を失っている。これまでのシリーズと、基本的には同じことを繰り返しているだけだ。なので俊雄や伽椰子が登場しても、「また出ましたね」という印象になる。
おまけに、映画の宣伝に堂々と俊雄や伽椰子を登場させちゃうもんだから、すっかりマスコットキャラクター化しているのだ。

前作もそうだし、この続編もそうだけど、そこに惰性しか感じない。
いや厳密に言うと、惰性の他にも一瀬隆重の「稼ぎたいんや」という切なる願いは感じるけどね。
ともかく、誰が監督を務めるとか、誰が脚本を執筆するとか、誰が出演するとか、そういうことを見る以前の問題として、「シリーズを続けること自体、どうなのかね」という印象なのよ。
よっぽど有能な監督、よっぽど秀逸な脚本じゃないと、どんどんジリ貧化しているシリーズを救うことは難しいんじゃないかと。

ホラー映画がシリーズ化していく時に、どんどん質が低くなっていくという問題は避けられない。
同じパターンやフォーマットを使わないとファンは納得してくれないけど、それだと必ずマンネリ化が起きるというジレンマがある。
そこを解消する方法って、かなり難しいと思うのよね。
だから『13日の金曜日』シリーズにしろ、『ハロウィン』シリーズにしろ、『エルム街の悪夢』シリーズにしろ、どんどんダメになっていった(それだけが理由ではないけど)。

ジャンルを問わず、どんな映画でもシリーズが長く続くと質の低下は起きやすい。ただ、ホラー映画の場合、特にその傾向が強い。
他のジャンルであれば、「同じ出演者が続投する」「過去の人気キャラクターが再登場する」という部分でファンの気持ちを掴むことが出来る。
しかしホラー映画の場合、それは難しい。
主要キャラクターの大半は殺されるために登場するわけで、それだと続投や再登場は不可能だ。そして生き残った登場人物にしても、続編では殺さざるを得なくなるケースが多い。「ハロウィン」シリーズのルーミス教授のようなケースもあるが、大勢のキャラを何作も続投させるわけには行かない。
そこはホラー映画をシリーズ化する上での弱点になる。

前述した3つの人気ホラー映画は、シリーズが打ち止めになった後、いずれの作品もリブートで復活した。しかし残念ながら、芳しい評価は得られなかった。
オリジナル版の評価が高ければ高いほど、リブート作品を作る上ではハードルが高くなる。しかも、シリーズが長く続いているってことは、それだけ多くの人々が観賞しているし、まだ覚えている可能性が高い。
また、他のジャンルに比べると、ホラーはリブートで改変できる余地が少ないという問題もある。
なので、色々と厄介なのだ。

この作品は『呪怨 -終わりの始まり-』の続編だし、監督も脚本も同じだ。
前作がポンコツだったのだから、この映画がどううう出来栄えになるのかは見る前から容易に予想が付いた。そして、その予想は見事に的中し、やはり前作同様にポンコツ映画として仕上がっている。
前述したように、誰がやっても難しい作品ではあるが、「だから仕方が無い」という言い訳にはならない。
作ってしまった以上は、ハンデの無い状態で査定される立場になる。

ただし、この映画で最初に引っ掛かるのは演出でも脚本でもなく、平愛梨の芝居である。
バラエティー番組で天然をイジられている平愛梨には好感を持っているし、あまり悪く言いたくはないのだが、残念ながら「演技力に難有り」と批評せざるを得ない。
とは言え、そんな平愛梨を起用したのは一瀬隆重だから、やっぱり彼は酷評の対象に含まれる。
それと、平愛梨の芝居も酷いけど、キャラとしての動かし方も変なのだ。それは演出の問題だから、やっぱり落合正幸も酷評の対象に含まれる。

具体的に「キャラとしての動かし方」に触れると、まず冒頭シーン。麻衣が見知らぬ少年の存在に気付くと、結衣は「俊雄くんっていうの、この子」と静かに告げる。それに対する麻衣の反応は、「どこの子?誰の子なの?」という質問。
いや、そういう問題じゃねえだろ。
なんちゅうトンチンカンな質問だよ。そこを平愛梨の天然キャラに寄せてどうすんのよ。コメディーじゃないんだからさ。
そもそも、普通に質問できるような状況じゃないはずでしょ。幾ら夢だからって、そこを「当たり前の光景」みたいに受け入れてどうすんのよ。

後半にも、麻衣の奇妙な反応が待ち受けている。それは、死んでいる奏太を見つけるシーン。
この時、まず彼女は奏太の姿を確認して安堵している。
だけど、カーテンにくるまっている時点で、「何か異常なことが起きている」と気付けよ。そもそも彼女が急いで帰宅したのは、「奏太にヤバいことが起きているかも」と感じたからだろうに。
で、この時、奏太は異様な表情で死んでいるのだが、それを見ても麻衣は全く怯えたり驚いたりしない。「奏太が死んでいる」ってことに対する悲しみの感情だけを表現し、何度も彼の名を呼んで泣き出す。
そこは明らかにリアクションを間違えているぞ。そこに悲しみなんて要らないのよ。あるのは恐怖だけでいいのよ。

そこに必要なのが恐怖だけってことを考えると、そもそも奏太の死に様が中途半端なんだよね。もっと恐ろしい惨殺死体にしておくべきでしょ。
それは奏太だけじゃなくて、他の連中の死に様も同様。すんげえヌルいのよ。
カラオケボックスで碧が天井に頭を突き刺して死ぬシーンも、残虐描写はゼロで、むしろ滑稽になっている。
まどかの全身が腐って死んでいるシーンでは、それをマトモに写さず、ほぼ店員のリアクションだけで片付けてしまう。玲央が体を真っ二つに折られて死ぬのも、やはりマトモに見せようとはしない。
ショッカー描写と残虐描写に力を入れなかったら、この映画に勝ち目なんか無いでしょうに。

麻衣の反応が奇妙だと書いたが、別の意味で奏太も変だ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛」という結衣の録音メッセージを聴いた時、彼は激しく狼狽している。その様子は、何かを知っている奴の反応だとしか思えない。
伽椰子の日記を読んだ後の反応は、「こいつは何か分かっている」という印象をさらに強める。
ところが、こいつは何も知らないのだ。
だったら、その意味ありげなリアクションは何だったのかと。それは観客を欺くための効果的なミスリードじゃなくて、ただの間違った反応になってるぞ。

演技だけじゃなく、映像の面でも違和感を覚える演出が幾つかある。
1つ例を挙げると、仏壇に手を合わせる玲央の背後から手が伸びて来るシーン。
気配を感じた玲央が振り返ると何も無いんだけど、そこの映像表現は変じゃないか。普通に考えれば、「気配を感じて振り返った玲央の表情」のカットを入れるべきでしょ。
ところが、「手を合わせた玲央が気配を感じる」というカットの後、すぐに「玲央が振り返ると何も無い」ってのを示すアングルのカットに移るのよ。

玲央の母が兄の息子を引き取る際、なかなか彼の顔を写さないってのも違和感がある。その日の午後のシーンになり、玲央が話し掛ける時でも、まだ顔を写さない。結局、顔が分からないままで[玲央]の章が終わってしまう。
だけど、それが俊雄なのは誰でも分かることで。だから、隠している意味が全く無い。
俊雄の顔を見せないまま、白塗りの俊雄が動き回る様子まで見せているんだから、ますます意図が分からない。
まどかの前に現れる時、初めて顔を写して「実は俊雄でした」という演出をやるけど、何の効果も無いでしょ。「そんなの、とっくに分かってるっての」と冷めた気持ちにさせられるだけだ。

俊雄の顔が初めて写し出されると[俊雄]の章に入り、「山賀俊雄の悪霊が佐伯俊雄の体から抜け出した」ってことが最初に示される。その上で、改めて玲央の家へ引き取られた時の様子が描かれる。
ようするに、そういう作業をやるために、そこまでは俊雄の顔を見せずに進めていたってことになる。
だけど、そんなことをする意味が無いのよ。
最初に俊雄の顔を見せておいて、その時点で「一緒に伽椰子もやって来た」ってのを見せても、何の支障も無い。

「ザ・ファイナル」と銘打っているが、これでホントに終了させようという気が全く無いことは分かり切っている。まだ稼げると考えたら、そのままシリーズを続行しようと目論んでいることはバレバレだ。
ただし、そうは言っても「これで一応は区切りを付ける」という形を取って、まだシリーズを続けるにしても、少し間隔を開けるつもりだろうと思っていた。
ところが、そんな予想の斜め上を行くオチが、この映画には用意されている。映画が終わった後、2016年に『貞子VS伽椰子』が公開されることを発表するのだ。
そのオチは、この映画でダントツに面白い仕掛けだ。ただしコメディーとして評価できるオチであって、ホラーでやるようなことではない。
それを考えても、もはや製作サイドが「呪怨」シリーズを真っ当なホラーとして捉えていないことが分かろうというものだ。

(観賞日:2017年8月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会