『呪怨 -終わりの始まり-』:2014、日本

児童虐待が行われているという通報が入ったため、区の福祉部指導保育課に勤める山本伸哉は児童相談センター職員の吉崎光子と警官1名の3人で山賀邸を訪れた。インターホンを鳴らしても応答は無く、3人は開いていた窓から中に入った。部屋は散らかり、悪臭が漂っていた。両親の姿は無く、吉崎が一人息子である俊雄を呼んでも返事は無かった。中に入って2階へ上がった3人は、押入れで血を流して死んでいる俊雄の姿を発見した。部屋に1人で残った山本は、俊雄の幽霊を目撃した。
[結衣]
生野結衣は乾教頭から学校に呼び出され、3年3組の担任教師を指名された。臨時教員の資格しか持っておらず、1学期が始まったばかりなので結衣は困惑するが、乾は個人的な都合で担任の小西が急に辞めたのだと説明した。結衣は恋人との宮越直人に電話を掛け、弾んだ声で採用が決まったことを報告した。校庭に出た彼女は、渦巻きが描かれているのを発見した。翌日、3年3組の子供たちに自己紹介した結衣は、佐伯俊雄という生徒が1週間も休んでいることを知った。彼女は佐伯家に電話を掛けるが、留守電になっていた。結衣が学級日誌を開くと、俊雄が連絡も無く欠席していたこと、電話にも出ないので小西が家庭訪問に行ったことが記されていた。結衣は乾に俊雄のことを訊くが、詳細は分からないと告げられた。
[七海]
女子高生の莉奈と葵は「誰もいないのに子供の声がする家がある」という噂を知り、同級生の七海と弥生を連れて現場へ向かう。七海が怯えると、その様子を見た莉奈と葵は嬉しそうな表情を浮かべた。かつて山賀一家が住んでいた貸家に到着した莉奈と葵は、門を開けた。葵の姉が不動産屋で管理を任されており、鍵も預かっていたのだ。4人が中に入ると、綺麗に片付けられていた。何も無さそうだったので、莉奈はガッカリした。子供の歌声を耳にした七海は2階へ行き、弥生は子供の絵を見つけて莉奈と葵に見せた。七海は2階の和室で怪奇現象に襲われ、俊雄の幽霊を目撃した。彼女が絶叫して廊下へ飛び出すと、何も知らない3人は笑った。
[伽椰子]
結衣が佐伯邸を訪れると、2階の窓から俊雄らしき子供の腕が見えた。しかし結衣が呼び掛けると、腕は引っ込んだ。結衣がインターホンを押しても反応は無かったが、ドアノブを回すと鍵が開いていた。結衣が中に入ると、俊雄の母親である伽椰子が現れた。結衣が俊雄のことを尋ねると、彼女は「主人公が連れて行きました」と答えた。伽椰子は「どうぞ、お上がり下さい。じきに戻ってきます」と言い、奥の部屋へ引っ込んだ。
子供の歌声を耳にした結衣は、2階へ上がった。すると和室がガムテープで封鎖されており、その中から声が聞こえた。結衣はガムテープを剥がし、中に入った。すると押し入れがガムテープで封鎖されており、その中から歌声が聞こえてきた。結衣が「俊雄君?」と告げて歩み寄ると、背後から伽椰子が現れた。結衣が「俊雄君の部屋を見たいと思って」と釈明すると、「ここは俊雄の部屋ではありません」と伽椰子は告げた。お茶が入っていると言われ、結衣は1階へ下りた。するとお茶は入っておらず、伽椰子は結衣を凝視しながらノートに幾つもの渦巻きを描いていた。結衣は怖くなり、佐伯邸を飛び出した。
[弥生]
弥生はバスケットボール部の練習をしている最中、酷い疲れを感じて休憩を取った。人の気配を感じた弥生は後を追い、ピアノが勝手に音を出したり、幽霊に足を掴まれたりする怪奇現象を体験した。寒気を感じた彼女は保健室へ行き、誰もいないのでベッドに潜り込んだ。するとシーツの中には、クシャクシャに丸めた子供の絵があった。絵を捨てた弥生は、シーツの中に人の気配を感じた。シーツを覗くと中には俊雄の幽霊が潜んでおり、弥生は引きずり込まれて姿を消した。
結衣は俊雄の無断欠席が10日になったことを受け、乾に報告した。すると乾は、「気になるんだったら、もう一度、お母さんにお会いになったらどうですか」と突き放すように告げた。結衣が「小西先生にお会い出来ませんか」と持ち掛けると、乾は「亡くなられました。今朝、ご家族の方から連絡がありました」と告げた。結衣が学級日誌を読み返すと、小西は家庭訪問した際に伽椰子から「俊雄は休んでいます」と玄関口で繰り返されたこと、俊雄と会えなかったことを記していた。そして、その日の放課後に再び訪問することを書いたのが、最後の日誌だった。その後のページには、幾つもの渦巻きが描かれていた。翌日、結衣は教室に俊雄の姿を見つけて安堵する。彼が机に爪で渦巻き模様を彫りながら歌い始めたので、結衣は注意した。結衣は俊雄の腕を掴むが、そこに彼は存在していなかった。
[莉奈]
ずっと莉奈が学校を休んでいるので、葵は七海を伴って彼女の家を訪れた。母親の修子は「会える状態じゃないの」と告げるが、葵が頼み込んで家に入れてもらった。莉奈は中からドアノブをセロテープでグルグル巻きにして、開けられないようにしてあった。葵が力尽くでドアを開けると、全ての窓にはびっしりと紙が貼られ、ほとんど光が入らないような状態になっていた。そしてクローゼットや机の引き出しは、全てテープで封じられていた。
莉奈は机の下で小さくなり、莉奈が近付くと「来るの。白い子供が」と震えた。七海は引き出しから腕が伸びる様子や、テープが剥がれて引き出しが開く様子を見にした。葵は莉奈を元気付けようとするが、恐ろしい形相で迫られたので顔を引きつらせた。七海と莉奈が逃げるように去った後、莉奈は台所で湯を沸かす。冷蔵庫から出した牛乳を鍋に入れようとすると、中身は血だった。莉奈が怯えて牛乳パックを落とした直後、やかんの湯が沸騰した。飛んだ蓋が莉奈の顔面に命中し、彼女は左頬に大きな火傷を負った。開いた冷蔵庫の扉から、俊雄の幽霊の腕が伸びた。莉奈は俊雄の幽霊に捕まり、冷蔵庫へ引きずり込まれた。
夜遅くまで職員室でテストの採点をしていた結衣は、伽椰子が廊下を歩いて行く姿を目撃した。後を追った結衣は伽椰子を見失い、3年3組の教室で渦巻きのノートを見つけた。それが伽椰子の日記だと知り、結衣は読み進めた。直人が夜中に仕事を終えて帰宅すると、結衣は窓を見つめていた。直人が呼び掛けると、結衣は無言のまま窓に渦巻きを書いて気を失った。直人は結衣をベッドに寝かせた後、彼女のバッグを調べた。すると、俊雄の調査票と伽椰子の日記が入っていた。
伽椰子の日記には、彼女の子供を欲しがる異常なまでの情念が綴られていた。彼女は子供を授からないことに苛立ちや焦りを覚え、大量の御札を日記に貼り付けていた。しばらく期間が空いた後、久しぶりの日記には、伽椰子が和室で体験したことが綴られていた。いつものように夫の剛雄が出張で不在の時、不意に男の子が現れて笑顔で「お母さん」と呼び掛けたというのだ。伽椰子は子供を授かったと感じ、剛雄には内緒にして父親になってもらおうと考えたこと、俊雄という子供の名を思い付いたことを日記に綴っていた。
[葵]
葵は姉の美和に、幽霊が出る家の噂について確認した。すると美和は「葵には関係ないでしょ」と告げ、その話題を避けようとした。彼女の夫である京介は、「まさか、あの家に行ったわけじゃないよね?」と葵に問い掛けた。葵が「行くわけじゃない」と嘘をつくと、京介は「だったらいいんだけど」と告げた。美和は「やめて、京介。ようやく借り手が見つかりそうなんだから」と苛立ったように告げる。それに対する葵の反応を見た京介は、彼女が呪われた家へ行ったことを悟った。「まさか、家の中に入ったりしてないよね?」と彼が訊くと、葵は「入らないわよ」と嘘をついた。
美和から風呂に入るよう指示された葵は、洗面所へ移動した。そこで彼女は幽霊に襲われ、血痕と引き千切られた下顎を残して姿を消した。七海は列車の中で、怪物化した莉奈、葵、弥生の3人と遭遇した。絶叫した七海は、いつの間にか幽霊の出る家へ移動していた。七海は見えない力に引きずり回され、そして姿を消した。その後、美和が佐伯夫婦を案内して家にやって来た。夫妻は家の事情を知っていたが、伽椰子はすっかり気に入った様子だった。
[直人]
直人は俊雄の調査票で佐伯家の住所を調べ、家を訪れた。玄関のドアが少し開いているのを見た後、彼は不動産屋へ赴いて京介と会った。京介は直人に頼まれ佐伯家に電話を掛けるが、誰も出なかった。どんな家族なのか直人が訊くと、彼は「普通の御家族ですよ」と答えた。「あの家の方、何かあるんですか」という質問に、京介は「借主のことは話せないんです」と言う。直人は俊雄の担任が親しい女性であること、助けたいことを訴えた。すると京介は「おかしいのは家族じゃない、家です」と告げ、19年前に子供が置き去りにされて死んでいること、10年前に自分の妻と妹が家へ入っただけで命を落としたことを明かした…。

監督は落合正幸、脚本は落合正幸&一瀬隆重、エグゼクティブ・プロデューサーは田中順&今山武成&百武弘二&久保忠佳&鶴谷誠、プロデューサーは山口敏功&平田樹彦、コー・プロデューサーは福島聡司、クリエイティブ・スーパーバイザーは一瀬隆重、撮影は岡田博文、照明は舘野秀樹、美術は尾関龍生、録音は松本昇和、編集は深沢佳文、視覚効果は松本肇、特殊造型は松井祐一、音楽は上野耕路、音楽プロデューサーは慶田次徳&篠崎恵子。
主題歌:「祈りが言葉に変わる頃」鬼束ちひろ 作詞/作曲:鬼束ちひろ。
出演は佐々木希、青柳翔、トリンドル玲奈、袴田吉彦、最所美咲、小林颯、緋田康人、金澤美穂、高橋春織、黒島結菜、石川真希、江田結香、池田昌子、大村彩子、植村恵、網川凛、宮城大樹、松井晶煕、有木緋彩、久下朋也、府金來玖、富田航平、渡邊樹大、瀧嘉郁、竹内誠珠、所祥司、所晃輝、池田陸翔、金本美咲、萩原丞美、山西未紗、梶原百葵、関彩花、佐々木柚、五十嵐乃音、日原亜矢子、和田心優、関澤愛莉、高橋えみり、青木満理子、朝比奈加奈、上原まこと、大塚佳奈江、川崎美海、木下美麗、菅原彩香、所山真林、ひみやなな、フォグラシオン玲奈、古川梨奈、星野優菜、山邊霞、吉岡サラ、吉村緋奈乃ら。


2009年の『呪怨 黒い少女』と『呪怨 白い老女』以来、5年ぶりに「呪怨」シリーズを復活させた作品。
監督は『シャッター』『劇場版 怪談レストラン』の落合正幸。
脚本は落合正幸とクリエイティブ・スーパーバイザーの一瀬隆重。一瀬隆重が脚本を務めるのは、2013年の『トーク・トゥ・ザ・デッド』に続いて2度目。
結衣を佐々木希、直人を青柳翔、七海をトリンドル玲奈、京介を袴田吉彦、伽椰子を最所美咲、俊雄を小林颯、剛雄を緋田康人、莉奈を金澤美穂、葵を高橋春織、弥生を黒島結菜、乾を石川真希、美和を江田結香、修子を池田昌子、吉崎を大村彩子、警官を植村恵、山本を網川凛、バスケットボール部顧問を宮城大樹、小西を松井晶煕が演じている。

旧シリーズの劇場版『呪怨2』までは伽椰子を藤貴子、剛雄を松山鷹志、俊雄を尾関優哉が演じていたが、この作品では配役が総入れ替えになっている。
尾関優哉は成長して小学生役を演じるのは無理があるから、交代は当然だろう(既に『呪怨 黒い少女』と『呪怨 白い老女』では交代していたし)。
で、それに合わせれば、両親役の交代も止む無しかな。
ただ、伽椰子はともかく、俊雄は旧シリーズの方が怖かったように感じたけど、それは演者の問題じゃなくて演出や脚本が原因なのかなあ。

相変わらず時系列をバラバラにする手法が取られ、エピソードごとに登場人物の名前が付けられている。
上述した粗筋の後、[俊雄]という章で締め括られる。
時系列順にザックリとした出来事を並べると、「19年前に山賀俊雄の死体が発見される」→「10年前に女子高生4人と美和が死亡する」→「小西の後釜として結衣が3組の担任教師になる」→「ずっと休んでいる佐伯俊雄が気になって結衣が家庭訪問したり日記を読んだりする」→「結衣の変化を気にした直人が行動する」という流れだ。
ビデオ版『呪怨』『呪怨2』のリブートであり、基本的な内容は引き継いでいるものの、伽耶子の出産する俊雄が剛雄の息子ではなく最初から悪霊だったり、剛雄が伽耶子を殺す理由が異なっていたり、呪われた家が豪邸になったりと、旧作には無かった設定を色々と持ち込んでいる。

冒頭のエピソードでは、山本が喋りながら回すビデオカメラの映像が使われている。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の大ヒット以降、世界中で使われるようになったPOV(主観映像)ってやつだ。
児童虐待の可能性がある家に、区の職員がビデオカメラを回しながら突撃訪問するってのは違和感たっぷりだが、もっと問題なのはPOVを使っている意味が無いってことだ。俊雄の死体を見つけた途端、画面は「ビデオカメラを持つ山本を捉えるショット」に切り替わるのだ。
一応、ビデオカメラに俊雄が写るというカットはあるんだけど、POVを貫かないのなら、それを採用している意味が良く分からん。
ただし、仮にPOVを最後まで徹底したとしても、それで恐怖や不安が強まるのか、効果的なのかと問われたら答えは「ノー」だが。

[結衣]のエピソードでは、俊雄が1週間も休んでいることを知った結衣が、なぜかクラスメイトに彼のことを訊こうとしない。
恋人の直人は駆け出しの脚本家という職業設定があるが、そこには何の意味も無い。
彼の職業が何であろうと、ストーリー展開には何の影響も与えない。
わざわざ「映画の脚本を書いている」という設定を用意するぐらいだから、それが何か絡んで来るんだろうと思っていたが、最後まで何も無かった。

[七海]のエピソードでは、七海が呪われた家のことを聞かされて怯んでいると、弥生が莉奈と葵を「やめなよ」と注意する。注意するフリをして一緒にからかっているわけではなく、真剣な表情で注意している。
しかし、それなのに「嫌なら帰ってもいいよ」と七海を心配して告げるようなことはなく、なぜか「大丈夫だよ」と言って貸家に連れて行く。クラス委員タイプなのかと思ったが、良く分からないキャラになっている。
しかも、家に到着すると子供の絵を見て莉奈&葵と一緒に笑っているし、悲鳴を上げて飛び出した七海をバカにするように笑っている。
キャラがブレブレじゃねえか。
なんで最初から「いじめっ子タイプ3人と、いじめられっ子タイプの七海」という分かりやすい関係性にしなかったのか。弥生を中途半端でボンヤリしたキャラにしていることのメリットが見えない。

女子高生4人組は、莉奈&葵&弥生が同じぐらいの身長で、七海だけが頭一つ飛び抜けている。
見た目もトリンドル玲奈が明らかに浮いていて、それはハーフってこともあるんだけど、1人だけ「高校生役としても浮いている」と感じさせることも大きい(ちなみに金澤美穂は1994年10月、高橋春織が1997年2月、黒島結菜は1997年3月、トリンドル玲奈は1992年1月生まれ)。
実年齢に加えてハーフという要素が乗っかることによって、違和感のある存在になってしまっている。
日本はアメリカ合衆国なんかと比べると、まだまだ多民族国家には程遠いので、ハーフの人間が登場する場合、「そこにいる意味」を用意しないと、どうしても違和感が生じてしまうことが多くなる。で、わざわざ「ハーフ」ということで生じる違和感を押してでも起用するほどトリンドル玲奈に演技力があればともかく、むしろヘチマなわけで。

女子高生4人組を並列にせず、七海だけ特別扱いにしているのは、もちろん「演者の中でトリンドル玲奈がダントツに知名度と人気があるから」ってのが理由だけど、彼女の起用が映画にとってプラスになっているのかというと、マイナスの方が圧倒的に大きいわけで。
最近はアイドルを起用するホラー映画が大量に生産されているが、トリンドル玲奈の起用も似たようなノリなのかもしれない。
ただ、それならアイドルを起用した方が、まだ分かりやすい。
トリンドル玲奈の起用ってのは、訴求力を考えても、営業的にも、色々と中途半端に感じてしまう。

[直人]のエピソードで京介は「おかしいのは家族ではなく家」と言っているが、あの邸宅以外の場所でも怪奇現象は起きているし、俊雄の幽霊は出現している。それに、人々を襲うのは俊雄と伽耶子の幽霊だ。
だから、京介の主張は内容に合致していない。
確かに、あの家へ足を踏み入れた人々が犠牲になっているけれど、「家そのものが呪われているのだ」というイメージは受けないよ。だって、山賀俊雄が死んで悪霊になったことから全てが始まっているんだから、それは「家の呪い」じゃないでしょ。
山賀俊雄の死が家の呪いによるものだったらともかく、そうじゃなくて単なる育児放棄っぽいんだし。

クリエイティブ・スーパーバイザーと脚本を担当している一瀬隆重は1998年公開の『リング』と同時公開の『らせん』を製作して大ヒットさせ、Jホラーのブームを生み出した中心人物の1人である。
その後も『呪怨』をプロデュースして大ヒットさせたり、6人の監督が競作する新レーベル“Jホラーシアター”を発足させたりして、邦画界の重要人物として活躍し続けた。『呪怨』をハリウッドでリメイクした『THE JUON/呪怨』の製作に携わったり、2005年には20世紀フォックス本社とファーストルック契約を締結したりと、アメリカでも地位を高めていった。
しかし『THE JUON/呪怨』以降は、なかなか大ヒット作を生み出すことが出来なくなった。Jホラーシアターは続いていたが、あまり高い評価を得られなくなっていた。
Jホラーのブームは、もう終わっていたのである。

とは言え、ホラー映画自体の人気が完全に消滅したわけではなく、相変わらず日本でもハリウッドでも多くのホラー映画は製作されていた。しかし、一瀬隆重はヒット作を送り出すことが出来ず、Jホラーシアターも3年の中断時期を挟んで2010年公開の『恐怖』によって終結した。
一瀬隆重はホラー以外の映画も何本かプロデュースしているが、そちらも芳しい結果を得ることは出来なかった。そんな中、2012年7月には彼の設立した株式会社オズが経営不振によって潰れてしまった。
それでも彼は映画製作を続け、新進・中堅・ベテラン監督が作品を手掛ける“ネクスト・ホラー・プロジェクト”を企画した。
その3作品は2013年に公開されたが、低予算で公開の規模も小さかったとは言え、それにしても話題にならなかったし、評価も芳しくなかった。

厳しい状況の続く一瀬隆重は、とうとう禁断の果実に手を出した。それが『呪怨』シリーズの復活である。
既に『リング』シリーズは彼の手を離れ、『貞子3D』『貞子3D2』でポンコツ映画への道を辿っている。もはや一瀬隆重に残された切り札は、『呪怨』シリーズぐらいしか残っていない。
だから、そこに頼ったのだろう。
ジリ貧になった映画人が「あの頃の夢よもう一度」ってことで過去のヒット作に頼るってのは良くあることだし、気持ちは分からんでもない。世界的にも、そういう例は幾つもある。

例えば、『ポセイドン・アドベンチャー』を大ヒットさせたプロデューサーのアーウィン・アレンは、評価を下げまくる中で続編の『ポセイドン・アドベンチャー2』を製作した。
『サイコ』のイメージが強すぎて不遇の時期が続いたアンソニー・パーキンスは、23年後の続編『サイコ2』に出演した。
『キャリー』以降はパッとしなかったポール・モナシュは、23年が経過してから『キャリー2』を製作した。
『クロコダイル・ダンディー』で人気がブレイクしたポール・ホーガンは、シリーズ2作目から13年後に第3作『クロコダイル・ダンディーin L.A.』を製作した。

しかも、アーウィン・アレンやポール・モナシュは続編での復活に失敗したが、シルヴェスター・スタローンなんかは16年ぶりの続編となった『ロッキー・ザ・ファイナル』で見事な復活を遂げている。
過去のヒット作に頼って、成功するケースも無いわけじゃなってことだ。
ただし、そこに頼るってことは、それだけ追い込まれている裏返しとも言えよう。
そして追い込まれていた(ってのは私の憶測だが)一瀬隆重は、なんと清水崇を抜きにして『呪怨』シリーズを復活させたのである。

『呪怨』シリーズの生みの親が一瀬隆重ではなく清水崇であることは、ホラー映画のファンなら誰もが認識していることだろう。
彼はビデオ版第1作から劇場版第2作までの全4作で監督と脚本を務め、『THE JUON/呪怨』と続編『呪怨 パンデミック』では監督を担当した。
2009年の『呪怨 黒い少女』と『呪怨 白い老女』では監修、ハリウッド版第3作『呪怨 ザ・グラッジ3』では製作総指揮という形で携わった。
監督からは身を引いても、全てのシリーズに何かしらの形で関与していたのである。

シリーズを復活させるのなら、本来は清水崇がメガホンを執るべきだろう。しかし監督じゃないどころか、脚本や製作にも関わっていない。
ハッキリ言ってしまうと、清水崇の携わらない『呪怨』シリーズなど欠陥品である。それは山田洋次を抜きにして『男はつらいよ』シリーズを復活させるようなものだ。
生みの親が死去していれば仕方が無いが、まだ存命であり、バリバリの現役で活動している。その人が関与しないってのは、どう考えたって「なんか違わねえか?」ってことになる。
一瀬隆重が清水崇と袂を分かったとか、完全に無視したとか、そういうわけではないはずだ。他の映画では一緒に仕事をしているので、たぶん清水崇が復活するシリーズに関わることを断ったんだろう。
しかし、「だったら彼抜きで復活させるのも仕方が無いよね」という風には思わない。清水崇が断った時点で、「シリーズの復活はやめた方がいいんじゃねえか」と考えるべきじゃないかと思ってしまう。

あと、一瀬隆重が脚本に携わっているのも、どうなのかと。
彼は株式会社オズの倒産後、「俺なら他の連中より優れたシナリオが書ける」とでも思ったのか、脚本業にも手を出すようになった。
しかし『トーク・トゥ・ザ・デッド』にしろ、本作品にしろ、彼が脚本にも関わるようになったことが、プラスになっているとは到底思えない。
以前に比べるとプロデューサーとしての力が弱くなっているかもしれないけど、それでも製作に専念した方がいいと感じる。

清水崇が関与しないのなら、「シリーズが培ってきた要素は残しつつも、新たな要素を持ち込んだり、異なる見せ方や切り口で描いたりする」という方法を取るのも1つの考え方だろう。
しかし本作品は、今までのシリーズとの違いを生み出そうという意識が薄い。
「時系列をバラバラにする」「名前をタイトルにした章ごとに分ける」「白塗りの伽椰子と俊雄(主に俊雄)で脅かす」など、清水崇が生み出した演出を全て踏襲している。
その結果、これは「単なる清水崇監督作品の下手な物真似」として仕上がった。

もちろん、シリーズの御約束から大きく逸脱してしまったら、「そんなのは『呪怨』じゃない」と批判されるだろうし、ファンにそっぽを向かれることは確実だ。
しかし、なんでもかんでも全て今までと同じことだけを繰り返すのであれば、清水崇が撮った過去の作品を見た方がいいんじゃないかと思ってしまう。わざわざ新作を見る必要性が無いんじゃないかと。
偉大なるマンネリズムが歓迎されるシリーズもあるだろうが、これは違うと思うのよ。基本的なルールは引き継ぐべきだろうけど、演出や構成などはマイナーチェンジを加えてもいいんじゃないかと。
ただし困ったことに、落合監督が清水監督との差異を示した箇所も散見されるものの、それが怖さを減退させているという皮肉な結果があったりするんだよね。

そもそも、これまでのシリーズを観賞している人の大半は、もう「白塗り母子が急に現れる」というパターンに慣れてしまい、そこに恐怖を感じることが難しくなっているんじゃないかと思うんだよね。
お化け屋敷と同じで「急に現れて脅かす」というパターンが大半だから、そりゃあ誰だって驚くと思うのよ(怖がるのではない)。
それも今までの映画を見ていると、「この辺りで出て来るんだろうな」ってのが何となく予測できてしまうし。
おまけに、「むしろ俊雄の幽霊が登場するタイミングを、わざと教えようとしてないか?」と思う演出が幾つも目に付くし。

例えば、山本の肩越しに部屋の隅を捉える映像を用意し、「その空間に幽霊が出現しますよ」と予感させておいてから、俊雄が出現する流れにしてある。
七海が何かの気配を感じる様子を描き、彼女が視線を落とすのに合わせてカメラがパンすると俊雄がいる。結衣が何かに気付いた様子を見せて、振り向くのに合わせてカメラがパンすると伽椰子が立っている。
ようするに、「いきなり現れてワッと脅かす」というタイプの仕掛けじゃなくて、その大半が「これから幽霊が現れますよ」と予告してから出現させているのだ。
「カメラが障子を越えたら、後ろを向いていたはずの伽耶子がこっちを凝視しながらノートに渦巻きを描いている」というシーンはギョッとさせられたけど、それぐらいなんだよね。
それ以外は、脅かそうとする意識が弱く、だからって一周回って喜劇チックにしようという開き直りにも至っておらず、ただヌルいだけになっている。

で、そうなると、お化け屋敷感覚の映画としてはヌルくなっていると言わざるを得ない。
このシリーズは「ジワジワ忍び寄る雰囲気」とか「得体の知れない不安」といったモノで感覚的に怖がらせるんじゃなくて、ハッキリと幽霊を見せることで脅かす手法を取っているわけで、つまり「怖がらせる」と言うより「脅かす」という類の映画なのだ。
で、そういう手法を踏襲しておきながら、「急に出て来て脅かす」という部分を甘めに設定したら、どうしようもなくなるでしょ。
ぶっちゃけ、主題歌を担当した鬼束ちひろに素のままで「サイコな女」を演じさせて好き勝手に暴れさせた方が、よっぽど怖いんじゃないかと思ってしまうぞ。なんせマジだし。

(観賞日:2015年6月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会