『人生劇場』:1983、日本

明治末期、三州・吉良。青成瓢吉は村一番の肥料問屋に生まれた。しかし彼が小学校に入学する頃には、父・瓢太郎の病気から家は没落した。父は瓢吉に「喧嘩が弱くては一人前の男になれない」と教え、拳銃で花火を打ち上げて見せた。
他の生徒に苛められる瓢吉を、瓢太郎の下で働く吉良常が助けてくれた。吉良常は幕末の侠客・吉良二吉の血筋を引く男だった。隣村のヤクザ一味の怒りを買った吉良常は、逆に彼らを刺し殺して服役することになった。
大正7年、早大生の瓢吉は仲間の吹岡早雄らと共に、総長夫人の銅像建設に反対する。早大出身の代議士・岡部は、西野学長の一派を打倒せよと学生達に訴える。そんな中、瓢吉は旅館の女中・お袖と知り合い、恋仲になった。
学生の間に、白川博士を新学長に推す派閥と、西野学長を守ろうとする派閥が生まれた。瓢吉はいずれの派閥にも入らず、早稲田派としてどちらの派閥も打倒すべきだと訴える。しかし、瓢吉には大学から退学処分が下される。
その頃、横浜では娼婦・おとよに身受けの話が持ち上がっていた。だが、彼女は互いに惹かれ合うヤクザ・飛車角と共に逃亡する。飛車角の兄弟分・奈良平の協力で、2人は東京・砂村の小金親分に世話になることにした。
瓢吉はお袖のヒモのような生活を送りながら、小説を書き始めていた。そんな彼の元を、同じく小説を書いている吹岡が同人誌仲間の小岸照代と共に訪れる。吹岡は瓢吉が書いている小説を読んで笑うが、照代は独特の文体だと称賛した。
瓢太郎が出所した吉良常に瓢吉への手紙を託し、自害した。お袖が金のために体を売っていたと知って怒った瓢吉の元に、父死亡の知らせが入る。お袖を振り切って帰省した瓢吉が再び東京へ戻ると、お袖は別れの手紙を残して姿を消していた。
飛車角は小金親分の出入りに助太刀することを決め、おとよを隠れ家に残して出掛けて行く。出入りを終えた飛車角が家に戻ると、おとよが姿を消していた。奈良平の元を訪れた飛車角は、彼が金目当てでおとよを横浜に連れ戻していたことを知る。
奈良平に命を狙われた飛車角は、逆に彼を殺害する。飛車角が逃げ込んだのは、瓢吉と吉良常が暮らす家だった。瓢吉と吉良常は、飛車角を警察からかくまった。しかし、2人の元を立ち去った飛車角は警察に逮捕されてしまった。
横浜でおとよが売られた売春宿には、お袖の姿があった。飛車角と面会した吉良常は、彼が会いたい女・おとよのことを聞いて売春宿に会いに行く。身受けしたいと申し出る吉良常だが、おとよは飛車角の弟分・宮川と愛し合う仲になっていた。
瓢吉と照代が文藝新人賞で入選した。2人は惹かれ合い、結婚を決める。ヨーロッパ旅行を与えられた2人は、雑誌社へと出向いた。そこで瓢吉は、無断で写真を使用したことで雑誌社に抗議に来ていたお袖と再会する…。

監督は深作欣二&佐藤純彌&中島貞夫、原作は尾崎士郎、脚本は野上龍雄&深作欣二&佐藤純彌&中島貞夫、企画は高岩淡&佐藤雅夫&豊島泉&斉藤一重&高杉修、撮影は安藤庄平&並木宏之&北坂清、編集は市田勇、録音は中山茂二&荒川輝彦&平井清重、照明は中山治雄&海地栄&金子凱美、美術は佐野義和&井川徳道、衣裳は森護&黒木宗幸&宮崎智恵子、凝斗は土井淳之祐、音楽は甲斐正人、音楽プロデューサーは高桑忠男&石川光、主題歌は内藤やす子。
出演は永島敏行、松坂慶子、若山富三郎、松方弘樹、三船敏郎、中井貴恵、風間杜夫、森下愛子、叶和貴子、奥田英二(奥田瑛二)、平田満、西村晃、三条美紀、室田日出男、菅貫太郎、成田三樹夫、蟹江敬三、小林稔侍、藤岡重慶、市川好郎、守田学哉、片桐竜次、梅津栄、成瀬正、野口貴史、岡本麗、丹古母鬼馬二、三島ゆり子ら。


尾崎志郎の小説の13度目の映画化。
瓢吉を永島敏行、お袖を松坂慶子、おとよを中井貴恵、照代を森下愛子が演じている。女優は3人とも濡れ場を披露する。吉良常を若山富三郎、飛車角を松方弘樹、瓢太郎を三船敏郎が演じるという豪華な配役である。

「自分達は早稲田派として大学の自治を云々」などと、さんざんアジる瓢吉。
だが、肝心な時には学生運動を放り出して、お袖と情事にふけっている。
退学処分を知って慌てて大学に戻った瓢吉は、再びアジる。
しかし、なんとも説得力の無いことよ。

ほぼ出ずっぱりの瓢吉だが、単なるダメ男にしか見えない。
ただでさえ印象が薄いのだが、飛車角と吉良常が絡み始めたりすると、何しろ演じるのが松方弘樹&若山富三郎なので、ますます主人公としての存在感が失われていく。

始まって10分ぐらいで、瓢吉と吉良常の別れのシーンが訪れる。
まだ2人の関係についてほとんど描かれていないので、悲しみもヘッタクレも無い。
幼馴染み・おりんにしても少ししか触れられていないので、後で再登場しても「ああ、そんな奴がいたなあ」という程度で終わってしまう。

瓢吉の父・瓢太郎は最初に10分ぐらい出演した後、1時間ぐらい経過して、すっかり忘れた頃に再登場する。そして自害して役目を終わるのだが、自ら死を選ぶほど追い込まれていく様子は描かれていないから、感情は動かされない。

学生運動に取り組む瓢吉だが、そんな熱い気持ちを持つに至る流れは全く無い。
お袖と出会うと、すぐにキスしてセックスへ。
次第に惹かれ合っていくとか、互いの心の距離が少しずつ近付いて行くとか、そういう盛り上げ方は全く無い。

大学を退学処分になった瓢吉が中学時代の恩師・黒馬先生と再会するシーンがあるが、映画で中学時代は描かれていないので、「何のことやら」という程度の印象。
照代との関係はお袖の時と一緒で、いきなり燃え上がってセックスヘ突入する。

一事が万事、そんな調子。
大量のデータを無理矢理にギュウギュウ詰めにしたものだから、1つ1つのエピソード、1人1人のキャラクターが全て薄っぺらくなっている。
当然のことながら、映画全体の印象も薄っぺらいものになってしまうわけだ。

物語は、お袖を見失った瓢吉が照代と別れ、旅に出るシーンで幕を迎える。
で、結局のところ、この作品は何が言いたいんだろうか。
昔の女のために夢を捨てるのは正しいことだ、とでも言いたかったんだろうか。

 

*ポンコツ映画愛護協会