『人類資金』:2013、日本

1945年、特務将校の笹倉雅実は「連中にこの財宝を渡すな。未来のために正しく使え」と言われた言葉を思い出す。GHQ特務工作機関のハリー遠藤が同席する中、雅実は弾薬箱に隠された金塊を部下たちに運ばせていた。その内の一部を、彼は見せ金として海に投げ込んだ。合計600トンの金塊は、そもそも近衛隊の黒瀬少尉たちが本土決戦と国家再起のため、日銀の地下から運び出したものだ。雅実から米軍が上陸する前に隠すと言われ、黒瀬は彼を信じたのだった。
黒瀬から約束が違うことを非難された雅実は、「この金塊は通貨との生き残りを懸けた戦争に使う。俺と一緒に世界を救ってみないか。この金塊、M資金と共に」と告げる。「約束したんだ。この金塊は正しく未来のために使うと」と雅実は説くが、黒瀬は納得しなかった。爆薬が用意されていると知った黒瀬は目的を尋ねるが、雅実は答えなかった。黒瀬が拳銃を構えたので、雅実は彼を刺し殺した。
2014年。真舟雄一は相棒の酒田忠と共に、「M資金管理の財団に雇われている」と称し、会社かに融資を持ち掛けて金を巻き上げる詐欺を繰り返していた。騙された会社の社長たちが被害届を出さないため、真舟は逮捕されずに済んでいた。ある会社のCEOを騙そうとしたところへ、張り込んでいた刑事の北村たちが現れた。北村は部下たちに酒田を連行させ、M資金の存在を信じている真舟に「M資金なんてねえんだよ。もっと別のことに使え、その才能を」と告げた。
真舟は石優樹という男に呼び止められ、「御同行をお願いしたい。財団の人間が待っています。貴方が詐欺の時に良く使う財団。名前はJIC、日本国際文化振興会」と告げられる。石は「上野の御徒町会館。お待ちしています」と告げ、「理事長の名前は笹倉暢彦。今はイーキャップ・インベストメントという投資顧問会社を隠れ蓑にしています」と語る。彼が口にした設立年月日や前身の組織名は、真舟の死んだ父が持っていた資料に記されていた情報と合致していた。
真舟が御徒町会館へ行くと、石が「場所を移します」と告げる。そこへ防衛省情報局の高遠美由紀が部下の辻井たちを連れて現れ、「ここは財団が戦後間もなく建てたビルよ。貴方たちは何をしようとしてるの」と尋問する。石は局員たちを倒し、真舟を連れて地下トンネルに逃げ込んだ。トンネルは地下鉄に繋がっていたが、そこに高遠が姿を現す。彼女は拳銃を構え、「Mはこのビルにはいなかった。どこで落ち合うつもりなの?貴方の雇い主は誰?」と言う。「彼に恩義があるのなら伝えた方がいい。このままだと消される」と彼女は話すが、石は列車が来た隙に真舟を連れて逃走する。辻井は高遠に、「もう100も内規を破っている。お分かりでしょう。我々は存在しないことになっている」と忠告した。
真舟は石に連れられ、本庄一義という男と会った。本庄は真舟に、ベンチャーで開発した貧しい人々のための新型PDAを見せた。彼は真舟に、「我が社の資金繰りに協力してもらいたい。仕事の場所は国外」と告げる。そこへオーナーとして、Mと呼ばれる男がやって来た。「貴方にM資金を盗み出してもらいたい。時価総額10兆円。昭和20年8月15日に、あの海に沈められた金塊を全て」と彼は述べた。
本庄は真舟に、M資金の詳細を説明する。アメリカとの戦争が始まって間もなく、日本軍はフィリピンに侵攻した。当時のフィリピンにはアメリカが各国から集めた莫大な量の金塊が保管されていた。日本軍は奪い取った金塊を国内に持ち込んだが、本土決戦に至らぬまま終戦を迎えた。反乱兵たちは日銀の地下から金塊を持ちだし、軍は回収のために特務将校の笹倉雅実を差し向けた。しかし金塊を奪還した雅実は日銀に戻さず、それを人質にして日本に進駐した米軍と交渉した。日米合意で地下ファンドを作り、日本の復興を裏からコントロールしようと考えたのだ。M資金を管理する財団が作られ、雅実が初代理事長に就任した。
真舟が「経緯はそうだとして、今は?」と尋ねると、Mは「本来の国富ファンドという役割を忘れ、金融ギャンブルへと舵を切った。人や企業を育て国益とする投資ファンドだったはずのM資金は、今や金で金を買う投機ファンドと化し、財団が運営するヘッジファンドの手で世界中を還流している。それは金融市場を自由に動き回る魔物」と話す。本庄は報酬として50億円を約束し、Mは「ルールを変えたい。それが今なら出来るんです。一緒に世界を救ってみませんか」と真舟に持ち掛けた。
高遠は財団の会長であるイーキャップ・インベストメント代表取締役の笹倉暢彦と会い、「おじさんは御存知のはずです。震災から財団をハッキングし続けているのが誰なのか。アメリカは既に動き始めています。私もこれ以上、情報を止めておくことは出来ません」と語った。すると暢彦は、「なら上に報告するがいい。財団を守るのが君たちの任務だ。世界は変えられないんだ。それがあいつには分からん」と静かに告げる。高遠は暢彦に笹倉家の家族写真を渡し、その場を去った。
暢彦はアメリカのハロルド・マーカスから電話を受け、御徒町会館の事件について市ヶ谷から報告が無いことを指摘される。ハロルドは「M資金の運用管理は我々にも責任がある。貴方はお父上とも、亡くなられた子息の笹倉雅彦とも違う。ビジネスに私情を挟んで我々の信用を裏切らないでもらいたい」と釘を刺した。ハロルドは御徒町会館の地下トンネルを調べていた遠藤治に連絡し、「そこにネズミはいない。海外なら市ヶ谷でも手が出せない。米国人の血に懸けて命令を遂行しろ。お前の祖父や父親がしてきたように」と告げた。
真舟と石はロシアのハバロフスクへ飛び、財団のロシア支部であるベタプラス社を訪れた。2人は財団の監査役を詐称し、社長の鵠沼英司と会った。真舟は鵠沼が多額の焦げ付きを抱えながら報告を怠っていることを指摘し、「ロシアに有益な投資先がある」と持ち掛けた。彼は500億円が必要なことを告げ、「海外ファンドのマネージャーはM資金を担保に金融機関から借り入れする特別緊急措置が認められている。即日、現金を引き出させる」と話す。
真舟はロシア連邦保安庁のセルゲイという男を登場させるが、実際は売れない役者だった。セルゲイは鵠沼に、「北方領土にM資金を投入し、大統領が全島を経済特区にして日本企業を呼び込む。日本との合弁企業の設立が条件」などと説明する。真舟は500億が大統領への裏献金だと明かし、断れば死ぬしかない状況に鵠沼を追いこんだ。石は遠藤が見張っているのに気付き、Mに連絡を入れた。Mは真舟に、遠藤が在日CIAであること、祖父の代からM資金に関わっている精算人であることを説明した。
Mは遠藤の動きを危険だと感じ、「すぐに引き上げて下さい」と告げる。しかし真舟は、「詐欺の世界に2度目のチャンスは無いんだよ」と断った。Mは電話を終えた後、「もう犠牲はいい」と呟いた。彼の部屋には、笹倉雅彦が資金詐欺に関与した疑惑を掛けられた中で自殺したことを報じた新聞記事の切り抜きがあった。真舟の計画は、鵠沼が特別処置を実行したらパソコンのウイルスが融資願いを200通にコピーし、200の銀行に提出されるというものだった。それによって、占めて10兆円が手に入るという算段だ。
真舟が銀行員の隠語を知らなかったことで、鵠沼は詐欺に気付いた。真舟たちは追い込まれるが、そこへMが現れた。彼の顔を見た鵠沼は驚き、「笹倉暢人さん」と口にした。暢人は「全て今回のことは私が計画しました。北方領土の融資話は事実です。しかしリスクがあるため父の承服が得られず、独断で資金を動かせなかった」と説明し、鵠沼に謝罪した。彼は本物の保安庁の人間としてペトロフという男を呼んでおり、「自分を信じて欲しい。一緒に財団を手にしてみませんか」と鵠沼に持ち掛けた。
鵠沼は暢人を信用して特別処置を実行するが、ペトロフも役者だった。暢人は真舟に航空チケットを渡し、「しばらくは日本へ帰らない方がいいでしょう。その前に、貴方に見てもらいたい物がある。世界が変わる、その始まりの瞬間を」と告げた。暢人は空港で石に搭乗の手続きを任せて、真舟に「本当の彼の名はセキ・ユーキット。最初に会った時、彼は字も読めませんでした。知っていたことは機関銃の撃ち方だけ。反政府ゲリラに捕まって、もう少しで人身売買組織に売られるところだった」と語る。
「そこを助けたのか」という真舟の言葉に、「1人だけ。その時、犠牲になった子供たちの中には彼の妹も。ジャングルで彼を見つけた時、彼の目は死んでいました。それが今の彼は6ヶ国語を喋れる。その気になれば博士号だって取れる。才能はあらゆる場所に存在する。世界は広いんです」と暢人は語る。3人は3日間も飛行機を乗り継ぎ、さらに貨物船で先へ進もうとする。だが、そこには遠藤と手下たちが待ち受けていた。暢人は遠藤に、「2人には手を出さないでくれ。自分の覚悟は出来てる」と告げた。
暢人は遠藤に少しだけ時間を貰い、真舟に「ここからは石と2人で行って下さい。いつかM資金のMは別の意味があると言いましたよね。70年前、M資金を運び込む時、責任者だった祖父の笹倉雅実は現地の司令官から言われたんだそうです。この財宝を大国に渡すな。お前の責任において未来のために正しく使え。これは戦争で犠牲になった者たちの血と涙の結晶。人類資金であるべきだ。マン・カインド」と述べた。つまりM資金のMには、「人間」という意味が込められていたのだ。
暢人が遠藤たちに連行された後、石は真舟を連れてカペラ共和国へ向かう。「お前の故郷に何があるんだよ」という真舟の質問に、石は「あの人の心」と答えた。故郷の村に到着した石は持参した大量のPDAを子供たちに配り、使い方を教えた。一方、本庄は暢彦と会い、「援助ではなく投資です。ODAのような一時的援助ではなく、人間一人一人に対する。そのための10兆円。暢人君は答えを見つけたんです。70年前に出された笹倉雅実の問い掛けに対する答えを」と語る…。

監督は阪本順治、原作は福井晴敏『人類資金』(講談社文庫刊)、脚本は福井晴敏&阪本順治、製作代表は木下直哉&秋元一孝&井澤昌平&入江祥雄&藤岡修&小佐野保&クリストファー・フライ&宮本直人、プロデューサーは椎井友紀子、協力プロデューサーは池田史嗣&武部由美子、撮影は笠松則通、照明は岩下和裕、録音は照井康政、美術は原田満生、VFXスーパーバイザーは神谷誠、編集は早野亮、衣裳は岩崎文男、アクションコーディネーターは諸鍛冶裕太、クラヴマガ指導は熊谷篤広、音楽は安川午朗、音楽プロデューサーは津島玄一。
出演は佐藤浩市、仲代達矢、香取慎吾、森山未來、観月ありさ、ヴィンセント・ギャロ、ユ・ジテ、豊川悦司、石橋蓮司、岸部一徳、オダギリジョー、寺島進、三浦誠己、松崎謙二、橋本一郎、伊藤紘、信太昌之、侯偉、原田麻由、芹沢礼多、川屋せっちん、峰蘭太郎、重松収、磯貝龍虎、高良光莉、菅原あき、進藤健太郎、鎌倉太郎、村上新悟、辛島陽一、伊藤孝太郎、ウォルター・ロバーツ、ネジャト・シャニーノ、塚本幸男、相内優香(テレビ東京)、笠松伴助、山岡一、安藤岳史、松原征二、河本タダオ、松原末成、岡部尚、康本将輝、大須賀王子、半田浩平、太田正一、我宮大凱、西尾健、徳山洋、石川幸生、青木哲也、塚田知紀、藤井祐伍ら。


『大鹿村騒動記』『北のカナリアたち』の阪本順治が監督を務めた作品。
かつて監督を務めた『亡国のイージス』の原作者である福井晴敏にM資金を題材とする映画の構想を持ち掛けたことが、企画の発端となっている。
福井が阪本と共に脚本を手掛け、それと並行して小説の執筆も開始した。つまり、完成した小説を基にして映画が作られたわけではなく、小説と映画が連動して製作されたという形である。
真舟を佐藤浩市、暢彦を仲代達矢、暢人を香取慎吾、石を森山未來、高遠を観月ありさ、ハロルドをヴィンセント・ギャロ、遠藤をユ・ジテ、ハリーを豊川悦司、北村を石橋蓮司、本庄を岸部一徳、鵠沼をオダギリジョー、酒田を寺島進、辻井を三浦誠己が演じている。

香取慎吾の暢人役ってのは、明らかにミスキャスト、もしくは力不足。
最初は正体不明の男として登場し、謎めいた雰囲気を出そうと努力はしているんだろうけど、人物として「奥底が見えない」という印象はゼロで、まるでミステリアスじゃない。
その後、国際問題や経済に関して小難しいことを色々と喋るんだけど、なんせ香取慎吾だから、口先だけにしか思えない。「ホントは何一つ理解できてないだろ」とツッコミを入れたくなってしまう。
どれだけ石が暢人への心酔や敬愛を表現しても、こっちの心に響いてくるモノが無い。

この映画で扱われているのはM資金だが、「日本軍がフィリピンで接収して国内に持ち込んだ隠し財産」というのは山下財宝の要素だ。
2010年の『日輪の遺産』でもM資金と山下財宝の要素がミックスされていたけど、そういうのが最近は主流になっているんだろうか。
ただ、『日輪の遺産』でもそうだったんだけど、M資金と山下財宝の要素がミックスさせている意味が全く感じられないんだよな。
で、どっちかと言えば、山下財宝の要素だけで成立しちゃう。
山下財宝よりはM資金の方が認知度が高いから、そこに「日本軍がフィリピンで接収して云々」という要素を盛り込んだってことなのかな。

「福井晴敏が関与した映画にロクなモンは無い」というのが、私の持論だ。
『ローレライ』『戦国自衛隊1549』『亡国のイージス』『真夏のオリオン』と、原作や脚色を担当した映画は、全てポンコツだった。
もちろん福井晴敏に才能が無いわけではないが、なぜか彼が関わった作品は全てポンコツな出来栄えになってしまうのだ。
この映画にしたって、ポンコツな仕上がりになっているが、その責任の大半は福井晴敏ではなく、阪本順治が背負うべきものだろう。

この映画が駄作になった最大の原因は、、阪本順治監督の政治的主張や社会派のメッセージを伝えようとする意識が強すぎるってことだ。
その意識は冒頭から強烈に放たれており、観客が映画に入り込むことを妨害する。
観客を引き込もうとする力が、ちっとも感じられない。
クレイジーケンバンドの横山剣ばりに「俺の話を聞け」という熱量は感じるけど、お説教の匂いが臭すぎて敬遠したくなってしまう。

まず冒頭、笹倉雅実が「ポケットに入れて運ぶには、金塊は重すぎる。だから貨幣が作られた。貨幣は金に価値を担保されている。通貨それ自体に価値は無い。ただの紙切れだ。しかし世間ではこの紙切れをたくさん持っていれば金持ちと言われる。発行されている通貨と同じだけの金塊が本当にあるかなんて気にしない。通貨の価値はもっぱら発行元の国家の信用に懸かっている。それが資本経済のルールだ。この先、それが果てしなく膨らんでいったらどうなるんだろうな。世界中にある金塊よりも多くの通貨が発行されて、誰もその価値を担保できなくなったら?数字だけ膨らませた通貨が一斉に清算を求めて来たら?」と語る。
さらに雅実は、「この金塊は我々を間違わせた原因そのものを撃ち、通貨との生き残りを懸けた戦争に使う。ありもしない富を流通させ、奪い合えと命じるルール。この100年で世界中に浸透したルールが日本を誤らせた。彼らは勝った。ルールはより深く世界に浸透し、日本も飲み込まれるだろう。そのツケは50年後、100年後の子孫が支払うことになる。俺は、それを阻止したい」という言葉も口にする。
石は真舟に「さっきのMって誰だよ」と訊かれた時、「世界の7割の人間が、電話も掛けたことが無いって貴方知ってますか。携帯の契約件数はとっくに50億を超えているのに。今、途上国で需要が伸びているのは、大半が使い捨てのプリペイド携帯。ブラックマーケットの住人たちの必需品です。麻薬や人身売買、日替わりで携帯を使い捨てている連中が、電話を掛けたことも無い人たちを食い物にしている。金融市場では一日に何十兆円もの金が動いているのに、その千円のために体を売らなければならない人間が大勢いる」と話す。

暢人は真舟から「始まりの瞬間って何なんだよ?」と問われ、「才能はあらゆる場所に存在する。情報へのアクセス方法と教育があれば、世界を動かす才能の持ち主はどんな貧しい国からでも現れる。もう先進国や企業の言いなりになる必要は無い」と語る。
さらに「祖父の笹倉雅実は現地の司令官から言われたんだそうです。多くの犠牲を払い、力の論理を身を持って学んだ日本人には、二度と同じ過ちを犯してもらいたくない。資本を背景とした大国の覇権主義はこれからも続く」と話す。
本庄は暢彦から「お前も一枚噛んだってわけか。日銀を辞めて将来を棒に振ってまで」と嫌味っぽく言われ、「将来って何です?このまま見せ掛けの成長を続け、遠からず世界規模の信用破綻を迎える将来。人口の半分が生きていけなくなる将来ですか」と話す。暢彦は「全てが平準化された世界に、進歩や統制という言葉は無い。選ばれた者が力を持ち、舵取りをしてこそ、世界の秩序は保たれる。50億の午餐者のために、20億の進歩が妨げられるなど」と語る。
他にも、メッセージ色の強い台詞が幾つもある。

国際問題や金融問題を扱うというだけで、どうしても専門的な用語や小難しい情報が多くなってしまう。
それを分かりやすく噛み砕こうという意識が足りないから、観客が取っ付きにくい作品になっている。
そういう入り口の部分で観客が退屈したり挫折したりしたら、肝心の金融サスペンスも全く味がしない。
ただし入り口をクリアしたとしても、実は本作品の金融サスペンスは、あまり味がしないのだ。

こっちはスケールの大きな金融サスペンスやコン・ゲームを期待しているし、そういうのを描くべきだろうに、そこに対する意識は薄い。
コン・ゲームとしてのスリルも、成功した時の高揚感も、全く無い。
サスペンスとして盛り上がるべき箇所に来ると、必ずと言っていいほど説教臭い社会派メッセージの演説会になってしまう。
登場人物が語る説法は押し付けがましいだけで、緊迫感を削ぎ取ってしまう。サスペンスとしての面白味は、すっかり無視されている。

実のところ、これってM資金に関する映画ではないのだ。そこを外しても成立するし、M資金の部分を何か別の物に変えても全く支障が無い。
阪本順治監督の中に「大国(特にアメリカ合衆国)が金融市場を支配し、多くの貧しい人々を生み出している近代資本主義のルールを糾弾したい」という憤懣や正義感があって、自身の主張を声高に訴えるために、M資金という素材を利用しているだけなのだ。
しかも彼が考える「ルールを変えるための方法」が、ラストで悪役のハロルドが石の演説を評する時に使う言葉を借りるなら、「青臭い」のである。
本当なら、ハロルドの言葉は「そうじゃない」と観客が否定したくなるべきなのに、「確かに青臭い」と思ってしまうのだ。

何しろ、「世界が変わる始まり」ってのが何なのかと思ったら、貧しい村の子供たちにPDAを与えることなのだ。
なんだ、そりゃ。
本庄は「スマートフォンの時代にあえて。この方が頑丈なんですよ。スマホじゃ乾燥地帯やスコールの中じゃ、すぐに壊れてしまう。
音声入力機能を拡充して、文字が読めない人や視覚障害者にでも使えるようになってますしね」と得意げに説明するけど、なぜ「あえてPDA」なのかは全く分からんぞ。
これが「何も分かっていない愚か者の計画」として提示されているわけではなく、おバカなコメディーとして映画が作られているわけでもなく、マジな主張なんだから、どう受け止めればいいのか困惑してしまった。

そもそも石は真舟を本庄に会わせる直前、「世界の7割の人間が電話も掛けたことが無いって知ってますか」「プリペイド携帯の千円のために体を売らなければならない人間が大勢いる」と言っているよね。
そこからすると、通話機能の無いPDAを開発して何がしたいのかと思ってしまうのよ。
「電話も掛けたこともない貧しい人々が大勢いる」ってのと「PDAを配る」ってのは、なんかズレてないか。
暢人は「世界を変えたい、ルールを変えたい」という思いがあって、そのための第一歩としてPDAを配布しているわけで。
それと「電話を掛けたことが無いことが云々」という石の説明がズレているために、おかしなことになっちゃってるんだよね。

そこのズレをひとまず脇に置いておくとしても、やっぱり「ルールを変えるためにPDAを配る」ってのは納得しかねる。
暢人は「最初に石と会った時、彼は字も読めませんでした、それが今の彼は6ヶ国語を喋れる。その気になれば博士号だって取れる。才能はあらゆる場所に存在する」と語っているんだよね。
で、そういう人物を見つけ出して才能を開花させるために、最初にやるべきことが、本当にPDAを与えることなのかと。
そういう道具を与えるよりも、まずは教育じゃないかと思ってしまうんだよな。

残り45分ぐらいになって、株価を操作して10兆円を稼ぎ出そうという作戦が開始されるので、ようやくサスペンスやコン・ゲームとしての面白さが期待できるのかと思いきや、あっさりと処理してしまう。
その後に「カペラ共和国代表としてスピーチするため国連へ向かう石が狙われる」という展開を用意し、アクションで盛り上げようとしているけど、大して盛り上がらない。
そもそも森山未來や観月ありさに格闘アクションをやらせても、その手の技能が高いわけじゃないんだし。

それと、終盤に石が訴え掛けるメッセージは、そりゃあ「カペラ共和国の代表として国連で喋る」という状況だから英語の台詞なのは当然っちゃあ当然なんだけど、これって日本映画であり、基本的には日本の人々に対して阪本順治監督が訴え掛けたいメッセージなんでしょ。
だったら、英語の台詞で字幕を付けるより、日本語で喋らせた方が遥かに伝わる力は強いよな。
「本物の国連本部を使う」というところにパワーを求めたのかもしれないけど、そこに大したインパクトは無いし。

(観賞日:2014年11月30日)


2013年度 HIHOはくさいアワード:9位

 

*ポンコツ映画愛護協会