『地獄』:1999、日本
閻魔大王は、近頃の人間の行いが乱れていることに憤りを覚えていた。年を経るごとに、地獄の亡者は増え続けていた。閻魔大王は、悪戯 に罪を裁くことのみを欲せず、この地獄の究極の恐怖を人間どもに知らしめ、乱れた世を正そうと考えた。彼女は和服姿の老婆となり、 海王と魔子の兄妹を引き連れて人間界へ赴いた。閻魔大王は公園で佇んでいたリカという少女に声を掛け、「貴方の悩みが何か全部 分かっています。私は貴方の救世主。このままでは貴方の人生は破滅」と告げた。
閻魔大王が「今の内なら間に合う。方法は一つ。地獄を見聞きする」と言うと、リカは「死ねって言うんですか」と尋ねる。閻魔大王は 「貴方には生きたまま見せてあげましょう。貴方は選ばれた人。地獄の恐怖を汚れた人間どもに伝えるための特別な人。地獄には案内を 付けますから」と言う。魔子が道案内をすることになった。リカは三途の川に落とされ、魔子が船の用意をする。リカは亡者と間違えられ 、三途の川を守る鬼たちに上着を脱がされた。
リカは魔子と共に船で三途の川を進み、閻魔大王の元へ到着した。閻魔大王はリカに、業鏡を覗かせることにした。業鏡とは、罪を犯した 亡者の現在・過去・未来を全て写し出す鏡だ。最初に閻魔大王は、宮島ツトムという男の犯罪を見せた。宮島は幼女を次々に誘拐して強姦 し、ノコギリで切り刻んで殺害した。閻魔大王はリカに、「あのずる賢い男は精神病を装って罪を免れようとしている。だが、例え娑婆で 人の目を欺いても、この地獄の掟を逃れることは出来ん。近い将来、奴が受ける罰がどんなモノか、しかと見届けよ」と言う。
宮島は青鬼や赤鬼たちによって、ノコギリで体をバラバラに切断された。閻魔大王は、すぐに彼の体を元に戻して甦らせた。宮島は感謝 するが、閻魔大王は再びノコギリで体をバラバラに切断させ、「お前はノコギリ引きの罰で永遠の苦痛を味わうのじゃ」と鋭く言い放った 。それから彼女はリカに向き直り、「お前には悪縁が付いておる。だが、今ならそれを断つことも可能じゃ」と告げた。そして、彼女が 入信している宇宙真理教の所業を業鏡で見せることにした。
宇宙真理教は、反対同盟のリーダーである館弁護士を疎ましく思っていた。館が脅しに屈しないため、教祖の瘡原は「ポアしろ」と幹部の 相谷や村西たちに命じた。館は妻子と共に殺害された。教団への批判が高まる中、瘡原は政党を結成し、24名が選挙に立候補した。全員が 落選したが、瘡原は「政府が票を抜き取ってインチキをした」と信者たちに言う。彼は「世界はハルマゲドンによって破滅する。救われる には沖縄へ移住するしか無い。一人30万円を用意しろ」と言い、参加費の収入3億円を手にした。
ハルマゲドンは起きなかったが、信者たちは村で修業を続けていた。リカの信者仲間である夢子は、教祖から特別なイニシエーションを してもらえると聞き、大喜びした。彼女は村西の案内で、瘡原の部屋に赴いた。瘡原はイニシエーションと称し、夢子をレイプした。瘡原 は幹部たちに、世界最終戦争に備えてサリンを50キロ製造しろと指示した。教団には病気を抱える患者もおり、ある老婆はパーキンソン病 で苦しんでいた。毛利医師は「信仰が大切です」と言い、出家するよう促した。
薬剤師の折沢は、教団の医療の酷さを知っていた。彼は老婆の息子・須田に会い、母親の命を救うために脱走させるよう持ち掛けた。須田 は折沢と共に、母親を医務室から連れ出した。しかし看護婦・明子に見つかり、たちまち信者たちに捕まった。瘡原は2人をポアするよう 幹部に命じた。命乞いをする津田に、瘡原は「お前が折沢を殺せば家に帰してやる」と言う。折沢は首を絞められ、殺害された。
教団では恋愛が禁止されていたが、明子は毛利と密かに肉体関係を持っていた。教団では夫婦であっても別々にされていたが、瘡原だけは 例外だった。彼は妻の寿子に3人も子供を産ませて通っているだけでなく、相谷の恋人まで取り上げていた。そんな瘡原に対し、明子は 不満を募らせていた。リカは夢子の前で、瘡原に対する懐疑心を口にする。リカは、過去に瘡原の部屋に連れ込まれて強姦されそうに なったこと、必死に抵抗して操を守ったことを語る。
リカは教団や教祖への疑念を強めており、第7サティアンで毒ガスを作っているのではないかという疑いも持っていた。それは事実であり 、数名の信者が松本市へ行ってサリンを撒いた。水野とみ子という金持ちの老婦人は、幹部から出家を勧められていた。出家すれば全財産 を寄付しなければならないが、とみ子は教団へ来たことを後悔していた。とみ子が逃げ出したため、瘡原は捜索を命じた。
とみ子の兄・成田清一は、妹の居場所を教えるよう求められるが、協力を拒否した。幹部たちは彼を拉致し、教団本部へ連行した。しかし 信者たちが麻酔薬を大量投与したため、成田は死んでしまった。瘡原は死体を始末するよう命じる。瘡原は警視庁の捜査から目を逸らす ため、サリンを使ってハルマゲドンを起こすよう指示する。地下鉄でサリンが撒かれ、大勢の犠牲者が出た。警視庁は教団の強制捜査を 行い、身を隠していた瘡原は無様な格好で発見された…。脚本・監督は石井輝男、プロデューサーは石井輝男、製作総指揮は小林悟、美術監督は原口智生、撮影は柳田友貴、照明は野口素胖、録音 は谷口シマ、美術は港博之、編集は井上和夫&河辺美津子、助監督は村松健太郎、製作担当は徳山嘉拓、特殊メイクは宗理起也、特殊造型 は栄福哲史&山田陽、キャラクター造型は伊藤成昭&山岡英則、音楽は竹村次郎。
出演は丹波哲郎、斉藤のぞみ、佐藤美樹(さとう樹菜子)、小野裕美、前田通子、薩摩剣八郎、高崎隆二、桂千穂、木全公彦、掛札昌裕、 藤田むつみ、平松豊、和田洋一、北村有起哉、若杉英二、鳴門洋二、浅見比呂志、三輪禮子、吉家明仁、田崎敏路、戌亥照雄、石坂晋輔、 大月壮太、辻岡正人、平山久能、新恵みどり、里見瑶子、河合}威子、大地輪子、川上さゆり、川上利幸、守屋端香、佐藤雅実、木村優介 、小林英武、徳山嘉拓、曽根芳文、西村有可、吉田チホ、幸野賀一、木葉撩樹、原公総ら。
石井輝男が『ねじ式』に引き続き、自ら立ち上げた石井プロダクションで手掛けた作品。
1993年の『ゲンセンカン主人』で久しぶりに劇場映画の世界へ復帰して以来、『無頼平野』『ねじ式』と続く3本は全て漫画が原作だった が(原作はつげ義春&つげ忠男)、今回は石井輝男によるオリジナル脚本。
リカ役の佐藤美樹は、ピンク映画女優・さとう樹菜子の別名義。閻魔大王役は新東宝の人気女優だった前田通子で、1957年以来の銀幕復帰 。魔子を斉藤のぞみ、夢子を小野裕美、明子を藤田むつみが演じている。この作品は、連続幼女誘拐殺人、オウム真理教事件、毒入りカレー事件という実際に起きた事件の容疑者(この映画が公開された時点では 、まだ誰の刑も確定しておらず「容疑者」の状態)、オウム真理教に関しては教団を擁護した弁護士や学者も、地獄で拷問を与えられると いう内容になっている。
まあ、いわるキワモノ映画だね。
この内、オウム真理教(宇宙真理教)の描写に大半が割かれている。なんせ予算が無いので、最初に登場する地獄のセットからしてチープ。
「行け、地獄へ」という老婆の声でリカが地獄へ落下していくシーンとか、三途の川を船で進むシーンとか、そういう時の背景も月曜 ドラマランドかと思うぐらい安っぽい。船なんて動いていないのがバレバレだし。
あと、演技力に問題のある役者も少なくない。
例えば宮島ツトムに娘を殺された両親が怒りを吐露する芝居なんかも下手。
全てにおいてチープであり、そのチープさというフィルターによって、監督が映画に込めているであろう怒りのパワーは遮断されてしまう 。
この映画を見ても、監督の怒りは観客まで伝わって来ないだろうなあ。序盤、幼女連続誘拐殺人の様子を描いていくが、そこからしてヌルい。
そりゃあ実際に幼女を殺害するシーンを描かないのはいいのよ。むしろ、そこは描いたら完全にアウトだから。
だけどね、宮島の犯罪の醜悪さ、卑劣さ、残忍さ、そういうモノが全く伝わって来ないのよ。
そういうことを描きたかったんじゃないのか。で、そういう醜悪な人間に地獄の恐怖を与える、ということにしたかったんじゃないのか。
それなのに、「幼女に声を掛けて車に乗せ、山林へ連れ込みました」という事象が淡々と描かれるだけ。宮島が幼女に向かって不愉快極まりないことを喋りまくるとか、殺害した後で悦楽に浸っている様子をグロテスクなモノとして飾り立てる とか、そういうことが全く無い。
モノローグを喋らせるくせに、そこで彼に対する観客の怒りや不快感を喚起しようという意識が全く感じられない。
それと、その様子を見た後のリカの反応が何も無いのよね。ノーリアクションで、すぐに閻魔大王のセリフに移ってしまう。
そこは、リカが目を背けるとか、「酷い」と漏らすとか、何かあるべきでしょ。石井監督がやりたかったのは「映画を使ってオウム真理教の罪を裁く」ということであって、その前に描かれる幼女誘拐殺人事件や、終盤 にチョロッと出て来る毒入りカレー事件の夫婦はオマケに過ぎない。
毒入りカレー事件の夫婦なんて、「無理に出さなくてもいいのに」という感じだ。
いっそのこと、オウム真理教(宇宙真理教)だけに絞り込んで話を作った方が良かったんじゃないのかな。ただし、宇宙真理教が検挙されるまでの出来事を描写するために長く時間を使っているんだけど、そうなると「地獄の責め苦を描く」と いうところから完全にズレちゃうんだよな。
それに、オウム真理教がどんなことをやったかってのは、かなり多くの人が良く知っていると思うんだよね。だから、今さらそういうこと を、無名俳優たちを使って描かれても、「だから何なの?」という感じだし。
しかも、それをグロテスクに飾ったり、シュールな映像表現を凝らしたりするわけでもなく、すげえ生真面目に、丁寧に描いているん だよね。
そんな真正面からストレートに描いたら、ますます安っぽさが際立ってしまうでしょうに。
しかも、裁判のシーンまであるんだよ。それもまた、すげえ丁寧に時間を掛けて描いている。
そんなの、どうでもいいでしょ。いや、オウム真理教の所業を全く描くなとは言わないよ。
だけど、監督がやりたかったのは、オウム真理教の真実を映像で再現することじゃないはずでしょ。
それを断罪することにあったんじゃないのか。
だったら、「オウムの幹部の誰か一人が登場し、そいつの犯行を描く」→「その男に地獄で罰が与えられる」→「別の信者たちが登場し、 そいつらの罪を描く」→「そいつらに地獄の罰」という風に、地獄で責め苦が与えられる様子をチョコチョコと挿入しながらという構成 にした方がいいと思うんだけど。ラスト、閻魔大王は「怪しげな宗教なんかに頼らず、永遠なるものに清い祈りを捧げれば良いのです。例えば太陽」とリカに告げる。 で、リカは他の大勢の女性たちと一緒に、裸になって太陽に祈りを捧げて「宇宙真理教よ、永遠にさようなら」と言う。
いやいや、そりゃ違うだろ。
それだと、別の怪しい宗教に走っちゃったとしか見えないぞ。
そのオチはマジなのかギャグなのか、どっちなんだろうか。あと、リカが地獄を去る直前、唐突に忘八者として浪人姿の丹波哲郎が登場し、刀を使って戦うのも、ありゃギャグなのか何なのか良く 分からない。
オウム真理教のトコでは真面目にやっていたけど、悪ふざけがしたくて我慢できなかったんだろうか。
っていうか、それは『ポルノ時代劇 忘八武士道』の明日死能というキャラクターなんだけど、それを見ていないと何のことやらサッパリ 分からないよな。完全に内輪受けだ。
ああ、内輪受けってことは、やっぱりギャグなんだろうな、たぶん。(観賞日:2011年12月4日)