『地獄』:1979、日本

昭和30年。生形竜造は兄嫁であるミホと密通し、妊娠した彼女を連れて逃亡を図った。しかし兄の雲平が追い掛けて来て、竜造を殺害した。慌てて逃げ出したミホだが、トラバサミに足を挟まれた。雲平はミホの腹を踏み付けて、その場を立ち去った。家に戻った雲平は、竜造の妻であるシマに報告を入れる。シマはミホの様子を見物に行き、子供だけは許してほしいと懇願する彼女に「地獄で産めばいい。その子は地獄で産んだら一番似合う」と言って立ち去った。
村人たちがミホを発見した時、既に彼女は絶命していた。ミホの死体からは、赤ん坊が這い出してきた。ミホの死体は坂へと滑り、崖下に転落した。ミホが賽の河原に到着すると、地獄の番人である懸衣翁と懸衣嫗が待ち受けていた。2人はミホの着物を衣領樹に引っ掛け、罪の重さを量った。2人は空に現世の様子を写し出し、「生まれながらに地獄を背負った赤子の生き様、見届けるのだ」と告げた。
村人たちによって生形の本家に赤ん坊が運び込まれると、シマの幼い息子2人は嬉しそうな表情を浮かべた。仕方なく赤ん坊を引き取ったシマだが、風呂に沈めて殺そうと考える。しかし使用人の山尾が制止し、「村の連中は奥様が赤ん坊をどんな具合に育てるか、面白がって見物してるんだ。もし赤ん坊が風呂の中で溺れ死んだりしたら、なんて言いますかね」と説得した。山尾は離れた町で捨て子されていた赤ん坊を連れて来て、ミホの産んだ女児と摩り替えるよう提案した。シマは彼に、ミホの娘を捨てて来るよう依頼した。
20年後。ミホの娘である水沼アキはカーレーサーになっており、鈴鹿サーキットで開催されたフォーミュラ選手権に出場する。シマの長男である松男も、カーレーサーになっていた。彼はアキの顔を見て、どこかで会ったような気がすると感じた。アキはレース中にミホの幻影を見てしまい、松男のマシンに激突して大事故を起こした。休養を取らされたアキは、鬼涙温泉へ行ってみることにした。電車に乗って目的地へ向かっていた彼女は、ミホの声を耳にした直後、突如として開いたドアから転落しそうになる。同じ列車に乗っていた青年が、彼女を助けた。彼はシマの次男である幸男だった。
アキが鬼涙へ行くつもりだと聞いた幸男は、地震で湯元が枯れて温泉が閉鎖されていることを教えた。彼女の持っているガイドブックを見た幸男は、鬼涙の先にある生形村が生まれ故郷であることを話す。するとアキは、ガイドブックに掲載されている笠卒塔婆の写真を見て「ここ知ってる。ずっと昔、見たような気がするの」と言う。幸男は彼女に、「笠卒塔婆の金輪を回しますね。一度止まって、それが逆に回れば、その人は地獄へ落ちるって言われてるんですよ」と説明した。
幸男はアキを連れて生形村へ向かいながら、出版社に勤めていたが焼き物の窯元である実家を継ぎたくなったことを語った。幸男が本家へ戻ると、妹の久美が出迎えた。彼女は20年前、山尾がアキと摩り替えた娘である。シマはアキを見て、顔を強張らせた。山尾が入浴中のアキを覗き見ると、20年前の赤ん坊と同じ場所に痣があった。シマは幸男がアキに好意を寄せていると気付き、明日には帰ってもらうよう要求した。シマの追及を受けた山尾は、ミホの娘を東京の養護施設に預けたこと、こちらの身許は明かしていないことを話した。
シマは風呂上がりのアキに、ミホの形見である着物を用意していた。シマは山尾に、「あの着物は生方家にとって縁の品。どうしても取り返してほしいと言ったら?」と持ち掛ける。山尾はニヤリと笑い、「取り返しますとも。裸にひん剥いて。村には精力を持て余した若い者が大勢います」と告げた。次の日、墓地へ出掛けたアキは、笠卒塔婆の金輪を回してみた。すると金輪が逆回転し、直後に地震が発生した。アキは崖下へ転落し、首に巻いていた包帯で宙吊り状態になった。
首が閉まって意識が遠のく中、アキは地獄を見た。責め苦を受けているミホが現れ、「私は雲平に殺されたのよ。こんな目に遭わせたのはシマよ。お前は私の分も生きるのよ。私の恨みを受け継ぐのよ」と告げた。意識を取り戻した彼女は、炭焼き小屋に横たわっていた。近くには松男がいて、アキを心配していた。するとアキは「アンタを待ってたのよ。ああ、苦しい」と悶えて彼に抱き付き、体の関係を求めた。「好きよ、好きよ」と絶叫した後、アキは再び気を失った。
意識を取り戻したアキは周囲を見回し、「どこなの?」と口にする。彼女は自分が松男と情事に及んだことに気付き、ハッとなって「私、どうしたんだろう」と狼狽した。「地滑りがして、地獄を見たんだわ。地獄から生まれて来たのよ」と彼女が言うと、松男は大笑いした。松男はアキを連れて、本家へ戻った。幸男はアキから「私、悪い女なの。母親の淫らな血が体の中を流れてる。ミホは私の母親。ミホは死んでから私を産んだの」と聞かされるが、到底信じられなかった。「助けて」と言う彼女に、幸男は接吻をした。
久美がアキの首の包帯を取り替えていると、背後に掛けてあった着物がふわりと落ちて彼女に被さった。「袂の中にお守りが入っていたの。久美さんが探して下さいね」とアキは告げる。ミホの着物を着てお守りを探しに出掛けた久美は、村の若い衆にアキと間違われて強姦された。それを知った雲平はシマを冷笑し、久美がミホの実子ではないことを幸男の前で暴露した。幸男が「ミホさんの子供は?」と質問すると、シマが「今見せてあげる」と言い、女中の芳に命じてアキを連れて来させた。雲平は「ミホ」と叫んで驚愕した。シマから出て行くよう迫られたアキは、「出て行きません。もう出て行くわけにはいかないんです」と拒否した。
アキは尼僧に案内してもらい、村の人々が祟りを恐れて離れた場所に設置したミホの墓を訪れた。アキが笠卒塔婆の金輪を回すと、逆方向に勢い良く回転した。アキは「私をどうしようって言うの?母さん、私を身代わりにしようって言うの?そんなの嫌。私から離れて」と泣きそうになりながら、手を血だらけにして金輪を止める。「私には地獄が見えるんです。血の繋がった兄を愛して、愛してもいない別の兄と男と女の交わりをして、地獄に落ちないんですか」とアキに詰め寄られた尼僧は「御仏を信じなさい」と告げるが、怯えて逃げ出した。アキは絶望し、「分かったわ、母さん。救いなんて、ありゃしないってことが」と呟いた。
アキは幸男の元へ行き、彼に抱かれようとする。そこへ怒りに我を忘れた久美が突入し、「殺してやる」と言いながらアキを棍棒で殴る。アキと幸男は滝壺へ行き、情事に及ぼうとする。しかし久美が覗き見ているのに気付いたアキは、「今夜来て。離れで。約束して」と幸男に告げて立ち去った。シマはアキを蔵へ呼び出し、ミホの形見だという三味線を見せた。シマはミホが温泉を流れて歩く女芸人だったことを語った後、床下の地下室にアキを突き落とす。そこにはミイラ化した竜造の死体があった。「体の中は防腐剤で一杯。だけど、こうしておけば、いつまで経っても私だけの竜造」とシマは笑い、アキを地下室に閉じ込めた。
離れで待ちぼうけを食わされている幸男の元に、松男がやって来た。2人がアキのことで喧嘩をしていると、シマが来て「やめなさい。久美が帰って来ないのよ」と激しくうろたえる。息子たちを引き連れて窯へ赴いた久美は、「匂う。髪の毛の燃える匂い」と口にした。釜の入り口を壊すと、奥には正座している久美の姿があった。駆け寄ろうとするシマを幸男が止めた直後、久美の体は燃え上がった。
アキが三味線を弾いていると、竜造のミイラが涙をこぼした。ミイラが倒れて白骨化し、その奥にある壁が崩れて地下道が現れた。アキが三味線を弾きながら地下道を進むと、古井戸の真下に出た。助けを求めて大声を出したアキは、通り掛かった雲平に救助された。分家にアキを連れ帰った雲平は、欲情して彼女を抱こうとする。ミホの声を耳にしたアキは、三味線のバチで雲平の両目を切り裂いた。それでもアキに執着した雲平は彼女を追い掛け、崖から転落死した。
久美の葬儀が執り行われていると、雲平の死体が担ぎ込まれた。シマが蔵へ行って地下室を確かめていると、地震が起きて地下道の入り口が埋まった。階段が引き上げられ、シマが視線を向けると三味線を持つアキの姿があった。アキはシマに、「ミホが地獄で待ってるわ。私は貴方をそこへ送る案内人なのよ。ミホの恨みの落とし子なのよ。私は貴方を、ミホと同じ苦しみを味あわせるために生まれてきたのよ。私はミホなのよ。死んで地獄に行けばいい。死ね。死んでしまえ」と狂ったように喚き散らした…。

監督は神代辰巳、脚本は田中陽造、企画は翁長孝雄&日下部五朗&松平乗道&奈村協、撮影は赤塚滋、特撮監督は矢島信男、美術は鈴木孝俊、照明は金子凱美、録音は溝口正義、助監督は俵坂昭康、編集は玉木濬夫、擬斗は土井淳之祐、音楽は真鍋理一郎、作詞・作曲・唄は山崎ハコ。
出演は原田美枝子、林隆三、田中邦衛、岸田今日子、栗田ひろみ、石橋蓮司、西田健、稲野和子、浜村純、天本英世、毛利菊枝、加藤嘉、金子信雄、佐藤友美、マンモス鈴木、大位山勝三、原田力、団巌、広瀬義宣、阿波地大輔、五十嵐義弘、笹木俊志、福本清三、志茂山高也、細川純一、泉好太郎、岡島艶子、和歌林三津江、丸平峰子、木谷邦臣、友金敏雄、有島淳平、小峰隆司、畑中伶一、波多野博、藤沢徹夫、曲龍伍、片岡大昌、前川恵美子、藤本英之、上田孝則ら。


日活で『四畳半襖の裏張り』や『黒薔薇昇天』など数多くのロマンポルノを手掛けてきた神代辰巳が、東映京都撮影所に招かれて撮った作品。
脚本は、こちらも日活で『花と蛇』や『生贄夫人』などロマンポルノを手掛けてきた(一般映画も担当しているが)田中陽造。
アキ&ミホを原田美枝子、幸男を林隆三、雲平を田中邦衛、シマを岸田今日子、久美を栗田ひろみ、松男を石橋蓮司、竜造を西田健、雲平の後妻・浪江を稲野和子、懸衣翁を浜村純、地獄の案内人である茶吉尼天を天本英世、懸衣嫗を毛利菊枝、山尾を加藤嘉、閻魔大王を金子信雄、尼僧を佐藤友美が演じている。

前述のように、一般映画も幾つか手掛けているものの、日活ロマンポルノでの活動歴が長い2人を監督と脚本家に起用していることからしても、東映がピンク映画としてのアプローチを求めていたのではないかと推測される。
実際、劇中では原田美枝子と栗田ひろみが脱いでおり、公開された当時は内容よりも何よりも「原田美枝子のヌード」が大きなセールスポイントになっていた。
そして実際、本作品を見た印象としても、それが一番の売りになっている映画だと感じる。

原田美枝子が脱ぐ必然性があるのかというと、別に脱がなくても話は成立する。でも、これがピンク映画だとすれば、女優が脱ぐことは必須条件となる。
1967年から始まった東映のポルノ路線は1977年で終了しているので、ピンク映画として作られているわけではない。
ただ、東映は1968年から1969年に掛けて石井輝男監督に異常性愛シリーズを撮らせていたが、その流れを汲むようなテイストを感じさせる映画ではある。
天尾完次がプロデューサーを務めていれば良かったのにね(何が良かったのかは分からんが)。

『地獄』という映画は、1960年に中川信夫監督が、1999年には石井輝男監督が撮っている。
本作品も含めた3本は、いずれも全く無関係に作られている。本作品が1960年版のリメイクだとか、1999年版が本作品のリメイクだとか、そういった関連性は無い。
ただし、いずれも「現世で罪を犯した人間が地獄へ落ち、そこでの様子が描かれる」という大まかなプロットは共通している。
本作品が1960年版を意識していることは、ほぼ間違いないと言っていいだろう。

ただ、中川監督版にも「地獄の責め苦が足りないなあ」と感じたのだが、本作品にも同様の感想を抱いた。
神代監督は、自分が望んだ企画ではなかったのか、どうも「地獄絵図を描く」ということに対する興味が強くなかったんじゃないかと感じられる。それよりも、現世での「呪われた血筋」「世代を超えた復讐」という部分に重点を置いているように感じられる。
もっと「おどろおどろしい地獄絵図」が見えてほしいところなんだが、それよりも「ドロドロした人間ドラマ」が圧倒的に強いんだよな。
で、ドロドロした人間ドラマが描きたいのなら、もはや地獄に落ちてからの様子なんてバッサリと削ぎ落として、その部分だけで映画を構築してしまった方がスッキリするんだよな。
そこが作品の中核部分だとすると、地獄に落ちてからの様子は、むしろ邪魔な部分になってしまう。

冒頭、地獄を描いた日本画が写し出される。
そして天本英世のナレーションで、「人はいつか死なねばならぬ。死に至るまでに多くの罪を犯す。法の裁きは仮の罰となる。死後の世界そのものが、真の刑罰として存在するのではないかと、人々は何千年もの長きに渡って夢想してきた。それが地獄である。地獄は恐怖の夢である。人は今も、地獄を道連れにして生きているのだ」と語られる。
この段階では、山崎ハコの歌う主題歌『心だけ愛して』の効果もあって、期待感を煽るだけのモノはある。
だが、その期待は、すぐに萎んでしまう。

まるで似ていない兄弟として田中邦衛と西田健が登場した時点で「なんか違うかも」と感じてしまうが、岸田今日子が登場することで一気に挽回してくれる。
それぐらい、岸田今日子の持つパワーは相当なものだ。何もしなくても、なんか薄気味悪い(下手すりゃ失礼な言葉だが、一応は褒め言葉のつもりだ)。
ただ、赤ん坊が出て来た直後にミホの死体が頭からスルスルと滑っていき、そのまま崖下へ転落するシーンで、チンチンリンのカックン状態になる。
「不気味で恐ろしい出来事」として演出されているんだけど、どうにもマヌケに見えてしまうんだよなあ。

20年後になると、アキと松男がカーレーサーとして同じレースに出場する。
もはや「カーレーサー」「鈴鹿サーキット」という時点で、おどろおどろしさを表現するには不向きなんじゃないかと思わざるを得ない。
で、レースが開始されると、着物姿のミホがデカデカとアキの前方に出現し、続いてクルリと回転しながら生首がマシンの先端にチョコンと乗っかる。
もちろん、それを「怪奇」「恐怖」として描写していることは間違いないんだが、生首の出来が「いかにも作り物」ってことも手伝って、ちっとも怖さは無い。

電車からアキが転落しそうになるシーンも、やはり何となく滑稽に感じられる。
それは背景がハメ込み合成なのがバレバレってのも影響しているんだけど、それ以上に、「乗り物を使ったアクションシーン」になっていることが大きいんだろうと思う。
カーレースのシーンもそうだったんだけど、その前にミホの声が聞こえる表現はあるものの、それに続いて起きる怪奇現象が「派手なアクションシーン」として描かれていることに違和感があるんだよな。そのせいで、「おどろおどろしさ」や「禍々しさ」が伝わらないのだ。
ひょっとすると『オーメン』辺りの影響を受けているのかもしれんけど、だとしたら間違った形で影響を受けちゃってる。

笠卒塔婆の金輪を回した直後に地震が発生し、アキが崖下へ落ちて宙吊り状態になるというシーンも、乗り物は使っていないけど、やはり「派手で見栄えのするスペクタクル」としての味付けが感じられる。
だけど、そういうことじゃないような気がするのよね、この映画が取るべきアプローチって。
そりゃあケレン味は持ち込んでいいと思うし、何もかも地味にやれと要求しているわけではないのよ。ただ、スペクタクル方面に舵を切ったせいで、オカルト映画としての怪奇性が薄まってしまうのはマズいんじゃないかと。
例えば、「アキが何度も幻覚を見て、その中で派手でケレン味たっぷりの地獄絵図が描かれる」ということでも良かったんじゃないかなと。

ザックリと言うならば、アキが生形村へ来てからは、「彼女が母の怨念を受け継ぎ、恨みを晴らすために様々な策を凝らす」という内容になる。
その行動の基本線が「男たちを色仕掛けで翻弄する」というモノになっている間は、安っぽいエロティック・サスペンスの匂いが強い。
その後、久美が窯で自害したり、アキが雲平を転落死させたりと、死者が出るようになっていくに伴って、混沌と狂気の面白さが上昇していく。
もう後半に入っているので、エンジンの掛かりは遅いけど、最後まで掛からないよりはマシだ。

ただ、オカルト風味とシュールな味わいを含んだ復讐劇としては面白くなっていくけど、「これって何を描く映画だったっけ?」とは思ってしまうわな。
『地獄』という題名を「この世の地獄」という意味も含まれていると解釈すれば、まあ無理に納得できないことはない。 だけど、本当の意味での「地獄」の様子は何度かチラッと挿入されるだけで、現世の出来事が開始から1時間45分ほど続くんだぜ。
地獄に落ちてからの様子は、20分強しか無いんだぜ。

それと、そもそも「現世で罪を犯した物が地獄に落ちて責め苦を受ける」という話になるはずなのに、現世での物語は、こんな展開で本当にいいのかと思ってしまう。
生形家の連中は罪を犯しているんだけど、アキや幸男に関しては「そんなに悪い奴らかね」という印象なのだ。
そうじゃなくて、「そりゃあ責め苦を受けて当然だわ」という連中が地獄を見る様子を描いた方がいいんじゃないかと思ったり。
ただし、だからといってアキや幸男に同乗して不憫に感じるのかというと、そうでもないが。

アキは母の怨念を継がされてしまっただけで、ある意味では被害者であり、「姦通の罪を犯した女の娘は、その罪も受け継ぐ」というのは理不尽極まりないなあとは思うけど、なぜか同情心は全く沸かない。
幸男はアキを純粋に愛しただけであり、仏教的には姦通の罪を犯しているのだが、卑劣な悪事を働いたりしているわけではない。
でも、これまた、なぜか同情心は沸かない。
こいつらに同情心が沸くと、地獄の責め苦を受ける様子を素直に受け入れることが出来なくなるから、それは全面的に悪いことじゃないかもしれんけど、ただし「何の感情も湧かない」ってことになっているので、それじゃあダメだろ。

で、遅れ馳せながら舞台が地獄に移ると、ようやく盛り上がっていたところから、一気に失速してしまう。
そもそも閻魔大王が金子信雄という時点で、コレジャナイ感が強いし。
一応は地獄の様子を見世物小屋の感覚で描いているんだけど、怖さは薄い。
それより何より、地獄に落ちたミホの姿がチンチロリンのカックン状態。「食肉獣になった亡者」ということらしいんだけど、髪の毛がボサボサで妙にコンモリと盛り上がっているキグルミ姿は、ちょっと滑稽だ。
タイミング良く入る天本英世の「これが地獄だ」という言葉は、笑いを誘う。

(観賞日:2014年4月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会