『地獄』:1960、日本
仏教大学の学生である清水四郎は、教室で矢島教授による地獄思想の講義を受けていた。そこへ学友の田村が遅刻して現れ、「昨夜の男、死んじまったよ」と静かに告げた。「本当に死んだのか」と動揺する清水に、田村は「もし本当だったらどうする?それより、昨夜はおめでとう。とうとう幸子さんとの婚約に漕ぎ付けたじゃないか」と薄笑いを浮かべた。幸子は矢島教授の一人娘である。さらに彼は「俺は面白い話を聞いたんだ。あの矢島教授。世間じゃ聖者のようなこと言ってるが、一皮剥けば、あれで暗い過去があるんだ。自分の犯した罪に悩んでるんだ。マライ戦線で」と口にした。
清水は田村の存在に悩まされていた。彼は昨夜の出来事を回想する。清水は矢島邸を訪れ、幸子との婚約を両親から承諾してもらった。清水が幸福の絶頂にいると、田村がやって来た。彼は矢島に「これ、お返しに伺ったんです」と言い、本と共に兵士2名を捉えた写真を差し出した。その写真を見た途端、矢島の顔が強張った。清水は田村に「俺の車で送ってやるよ」と言われ、矢島邸を後にした。
田村は車を運転しながら、清水に「俺は何でも知ってるんだぜ。君は幸子さんと肉体関係がある。幸子さん、妊娠してるんじゃないのか」と告げる。清水は「ちょっとその角曲がってくれないか。寄りたい所があるんだ」と彼に頼む。角を曲がった田村は、酔っ払ってフラフラと歩いていた権藤組幹部の志賀恭一をはねてしまった。その様子を、恭一の母・やすが郵便ポストの陰から目撃していた。田村は倒れた恭一を助けず、車を発進させた。清水が停まるよう促すと、彼は「俺は知らんよ」と冷たく告げた。
恭一は死亡し、やすは彼の情婦・洋子と共に棺を見送った。やすは権藤組の連中から犯人について問われるが、何も知らないと言い張った。帰宅した彼女は、車のナンバープレートを見たこと、乗っていたのが男性2人組だったことを洋子に明かした。彼女は「警察に言うたかて、なんにもならへん。あいつらを殺したんねや」と話し、復讐を持ち掛けた。清水は幸子を呼び出し、「僕は人を殺したんです」と告白した。事情説明を受けた幸子は父に相談するよう促すが、清水は一刻も早く警視庁に行きたがった。
幸子は車に乗ることを嫌がるが、清水は焦った様子でタクシーを停めた。清水と幸子を乗せたタクシーは走り出すが、運転手が運転を誤って電柱に激突した。清水は無傷だったが、雪子は即死した。清水は彼女の母・芙美から、「幸子を返して」と責められた。キャバレーへ繰り出した清水は、酒を飲んで荒れた。そんな彼に女給の洋子が近付き、2人はホテルで肉体関係を持った。学生証を見た洋子は、相手が恭一を殺した犯人だと知った上で、また店に来るよう誘った。
やすは洋子から清水の学生証を見せられ、薬を使って殺害するよう指示た。だが、その夜、清水は店に現れなかった。「ハハキトク」の電報を受け取り、汽車で帰郷したからだ。清水の父・剛造は、天上園という養老施設を経営していた。剛造は病床の妻・イトを放置して、妾の絹子と楽しくやっていた。電報を打ったのも剛造ではなく、天上園で暮らすサチ子という若い娘だった。サチ子の顔を見た清水は、幸子と瓜二つなので驚いた。
サチ子は天上園で絵を描いている谷口円斉の娘だった。才能がありながら酒で身を持ち崩した谷口は、友人の剛造に頼まれ、寺に奉納する地獄絵を描いていた。刑事の針谷は谷口が大阪で詐欺を働いたことを知っており、脅しを掛けてサチ子と結婚しようと目論む。谷口に拒否されても針谷は意に介さず、サチ子に言い寄った。清水はサチ子のことが気になったが、そんな彼に絹子が色目を使った。
清水が天上園の外でサチ子と話していると、田村が現れた。サチ子が去った後、田村は清水に矢島夫妻が講演旅行で近くへ来ることを話す。清水が「頼む、東京へ帰ってくれ。俺の傍から離れてくれ」と懇願すると、その言葉を受け流した田村は「俺はこの先の宿に泊まるよ。しばらく居るつもりだから」と述べて立ち去った。イトの容態が急変し、そのまま息を引き取った。葬儀が執り行われ、矢島夫妻が天上園にやって来た。精神を病んでいる芙美は、サチ子を見て「幸子」と抱き締めた。
清水や剛造、谷口や絹子らが広間に集まる中、記者の赤川は医師の草間に対し、イトの死が誤診だったことを示唆する質問を投げ掛けた。草間が激昂すると、田村が「誤診だった。気付いていたが、他の医者にみせるのが面倒だった」と見透かしたように言う。すると谷口が「違う、イトを殺したのは剛造なんだ。病気の女房の傍で妾と濡れ汚していた剛造が殺したんだ」と声を荒らげ、かつて恋人だったイトを剛造が横取りしたのだと語った。剛造が怒鳴り付け、谷口はサチ子になだめられて部屋を出て行った。
田村はニヤニヤしながら、「ここにいる人たちはみんな殺人を犯してる」と口にした。そして彼は、針谷が賄賂を貰って一人の男を犯人に仕立て上げて自殺に追いやったこと、赤川が誤った記事で人を死に至らしめたこと、矢島がマライ戦線で戦友を死なせたことを暴露した。そこへ、衰弱していた入居者の1人が死んだことが報告された。劣悪な環境を放置している剛造は、刺青の老人から非難された。
天上園は創立十周年を迎え、剛造は記念祝賀会を催した。漁師が釣った魚を安く売りに来ると、草間は集団中毒を懸念した。しかし剛造は「死んだって知ったこっちゃねえ。どうせ俺たちが食うわじゃねえんだ」と笑い飛ばした。サチ子は父が所望した絵の具を買うため、汽車で町へ向かった。清水は洋子からの手紙で、吊り橋へ呼び出された。清水が出向くと、洋子は自分が恭一の女であることを明かした。愕然とする清水に、彼女は拳銃を構えた。清水は殺されることを覚悟するが、洋子は足を滑らせて吊り橋から転落死した。
清水は洋子が残した拳銃を手に取るが、そこへ田村が来て「よしなよ。死ぬならいつでも死ねるぜ」と告げる。「君はいつでも僕の言う通りにしていればいいんだ」と言われた清水は頭に血が昇り、田村に拳銃を向けようとする。2人は揉み合いになり、田村はバランスを崩して吊り橋から落下した。天上園では宴会が始まり、入居者たちは魚を口にした。宴会を抜け出した絹子は、物置で放心状態となっている清水を見つけ、彼を誘惑した。
剛造は絹子が清水と一緒にいる姿を目撃し、激昂して掴み掛かった。逃げ出そうとした絹子は、誤って階段から転落死した。剛造は清水に対し、口外せずに宴会の場へ行くよう指示した。やすは天上園で厄介になった者の身内と称して訪問し、清水や剛造たちに毒入りの酒を振る舞った。清水たちが毒酒を飲んで苦悶しているところへサチ子が戻り、矢島夫婦が汽車に飛び込んで自殺したことを話した。そこへ生きていた田村が現れて発砲し、サチ子が銃弾を浴びて死んだ。やすに首を絞められた清水は、地獄に落ちた…。監督は中川信夫、脚本は中川信夫&宮川一郎、総指揮は大蔵貢、企画は笠根壮介、製作主任は高橋松雄、撮影は森田守、照明は石森浩、録音は中井喜八郎、美術は黒沢治安、編集は後藤敏男、助監督は土屋啓之助、音楽は渡辺宙明。
出演は天知茂、三ツ矢歌子、沼田曜一、林寛、大友純、山下明子、津路清子、宮田文子、中村虎彦、徳大寺君枝、小野彰子、大谷友彦、宮浩一、山川朔太郎、石川冷、新宮寺寛、泉田洋志、高村洋三、晴海勇三、北村勝造、信夫英一、西一樹、鈴木信二、山口多賀志、加藤章、三宅実、渡邊高光、岡竜弘ら。
『亡霊怪猫屋敷』『東海道四谷怪談』の中川信夫が監督と共同脚本を務めた作品。
清水を天知茂、幸子&サチ子の2役を三ツ矢歌子、田村を沼田曜一、剛造を林寛、谷口を大友純、絹子を山下明子、やすを津路清子、芙美を宮田文子、矢島を中村虎彦、イトを徳大寺君枝、洋子を小野彰子、草間を大谷友彦、赤川を宮浩一、漁師を山川朔太郎、刺青の老人を石川冷、針谷を新宮寺寛、恭一を泉田洋志が演じている。
アンクレジットだが、新東宝のトップスターだった嵐寛寿郎が閻魔大王の役で出演している。オープニング・クレジットでは、全裸や下着姿の女性が次々に登場し(顔は見せない)、ポーズを取る。
「貴方〜」と色っぽい声がして、「よーい、スタート」という男性の声と共にカチンコが鳴らされる。
何が何やらサッパリ分からんが、とにかくシュールなイメージを感じさせるオープニングだ。
まるでポルノ映画のような始まり方だが、それは中身と全く関係が無い。
そういう映像だったら、中身はエロいのかと思うのが普通だろう。でも、まるで違う。本編に入ると、まずは男の声で「明日に紅顔の美少年も、ひとたび無常の風に誘われると、夕べに白骨となる。人間はいつかは死なねばならない。死に至るまでには幾つかの罪を犯した人間も無数である。彼らはその罪に対し、法の刑罰を受けたであろうか。法網は何とかくぐり抜けられても、逃れることの出来ないのは罪の意識である。宗教は人間の死後、法に代わって刑罰を与えてくれる世界を夢想した。これが地獄である」という説明が入る。
そのナレーションの間、画面にはタイル張りの浴槽が写っており、そこには包帯で全身をグルグル巻きにされた2つの死体が浮かんでいる。
ナレーションが終わり、画面が切り替わると、黒い空、赤い雲、白い川と、色彩をいじった景色(セット)が写し出される。
女性の歌が流れる中で、川の近くには学生服の天知茂がうずくまっており、立ち上がって両手を見つめる。そして両手で顔を覆い、絶叫する。そして炎が湧き出す大釜の中に、彼が真っ逆さまに落下していく。
この導入部には、「そりゃあカルト映画として後世に残るわな」と感じさせてくれるインパクトがある。この映画のテーマを一言で説明するなら、「生きるも地獄、死ぬも地獄」だ。
前半は現生における地獄のような苦しみが描かれ、後半は地獄に落ちてからの様子が描かれる。
前述したように、冒頭部分ではシュールでインパクトのある映像表現があるが、それ以降、前半部分は陰気なドラマが普通に描かれていく。
ただしアングルなどの部分で、映像的に凝ったことをやろうという意識は感じられる。例えば、やすと洋子が家で恭一のことを話す時の、天井からのショット。
矢島が教室で清水に話し掛け、外へ出るために画面右側へ移動すると、向こうの方にいる田村の姿が現れるというカット。
タクシーに乗り込む清水と幸子を捉える俯瞰のショット。
キャバレーの踊り子と清水を床から見上げるショット。
やすが清水の学生証を眺める時の、斎壇の下を通して彼女を捉えるショット。
下駄で線路沿いに歩く清水の足元を捉え、立ち止まったところでカットが切り替わると背後を汽車が通過するという映像。
吊り橋へ向かう清水を俯瞰から捉え、そのまま天地が逆転する映像などだ。現生での出来事を描く前半部分では、沼田曜一が存在感を示している。
清水が教室で講義を受けているシーンでは、最初は彼の隣に誰も座っていない。カットが切り替わり、ノートのアップになると、そこに薔薇の花が落ちる。またカットが切り替わると、隣に田村が座っている。
清水が矢島邸で婚約を交わしたシーンでは、玄関の鍵は掛かっているはずなのに、カットが切り替わると、いきなり室内に下からの青いライトを浴びた田村が立っている。まるで音も立てず、瞬間移動したかのように出現する。
線路沿いにいる清水の元へサチ子が来て話し掛けた後、カットが切り替わると後ろに田村が座っている。
まさに神出鬼没である。清水が地獄に落ちると、三途の川で田村と会う。そこから画面が切り替わると、清水顔面血まみれで逆さ吊りにされ、首を刃が貫通している状態で、閻魔大王から「八大地獄の責め苦を受けよ」と厳しい口調で宣告される。
前半は清水が精神的苦痛を受ける様子がずっと描写されていたので、そこからは肉体的苦痛が続いて行くのだろう、ある意味で一気に解放されるのだろうと期待していたら、まるで期待には応えてくれなかった。
残念ながら、後半に入ってからテンションが高まるどころか、むしろ真逆だった。と言うのも、清水は地獄に落ちて以降、ちっとも肉体的苦痛を受けないのである。相変わらず、陰鬱な雰囲気の中で精神的苦痛が続いていくのである。
閻魔大王の宣告があった後、場面は賽の河原に移動し、そこで清水は幸子と出会って詫びる。
幸子は妊娠していたこと、娘に春美と名付けたことを話す。その春美を蓮の葉に乗せて川に流したと彼女が話すので、清水は追い掛ける。
場所を六道の辻に移動した清水は、矢島夫妻と出会って詫びる。田村が六道の辻に現れ、矢島が最後の水を奪って戦友を死に追いやったことを指摘する。
ここまで、清水が肉体的苦痛を受けることも無ければ、亡者が責め苦を受ける様子を見ることも無い。
回想シーンが入り、矢島が戦友の水を奪った出来事が描かれ、再び地獄に戻ると、亡者たちが水を求めて手を伸ばす。膿と腐った死泥の淵が出現し、やすが清水の首を絞める。
それは肉体的苦痛と言えなくもないが、「地獄の責め苦」ってのとは少し違う。清水は大勢の亡者が死体となっている場所に移動し、その中にいる恭一から「良くも俺を殺しやがって」と非難される。詫びを入れた清水は、今度は恭一に首を絞められる。亡者の死体は一瞬にして白骨化し、今度は等活地獄に場所が移動する。
剛造と絹子は大釜に落下し、草間が鋸で腰から真っ二つにされる。
ここでようやく、「責め苦」と呼ぶにふさわしいシーンが登場する。
そういうグロテスクで残虐な地獄ショーを期待していたのよ、こっちは。
大釜に落下するのは合成バレバレだし、ちっとも残酷なイメージを受けないしね。ところが残念ながら、草間が鋸引きの刑を受けた後、残虐ショーが続くことは無い。針谷の両腕が切断されるシーンは、その切断の瞬間は彼が悲鳴を上げる顔のアップになり、残虐描写は避けている。
鋸引き以外には、剛造と絹子の全身の皮を剥ぐシーンぐらいかな、印象に残る「責め苦」の描写は。
後半の方がストーリーらしいストーリーが無い分、むしろ前半より退屈だ。
コラージュのように短いカットがブツ切り状態で散らばっているのもマイナス。
もっと粘着質に、悪趣味に、地獄の責め苦を描いてほしかったなあ。後半、清水が田村にそそのかされてサチ子とキスしたところにイトが現れ、実はサチ子が自分と谷口の娘であり、つまり2人は兄妹であることを打ち明ける。それを聞かされた清水は、禁断の愛に苦悶する。
だけど、そんなのは現生で描くべき話だよ。で、「知らずに肉体関係を持ち、兄妹だと聞かされて清水が愕然として、地獄に落ちてからそのことで責め苦を受けるという展開にでもした方がいい。
地獄でキスして「実は兄妹」と判明しても、「どうせ死んでるんだし」と思ってしまう。
そんなことより、責め苦を描けと言いたくなる。
地獄の様子には、シュールや混沌は感じられても、恐怖や苦痛は乏しいんだよな。(観賞日:2013年8月17日)