『ジーン・ワルツ』:2011、日本

帝華大学医学部産婦人科学教室助教である曾根崎理恵は、保守的な考えの持ち主である屋敷教授が取り仕切る現在の医療体制に批判的な考えを抱いている。准教授の清川吾郎は、自分が教授になることで変えてみせると告げるが、理恵は冷淡な態度を取る。理恵は帝華大学の仕事だけでなく、マリアクリニックの院長代理も務めている。院長の三枝茉莉亜が末期癌で病床にあることから、クリニックは既に閉院することが決まっている。
理恵は助産師の妙高みすずと2人で病院を切り盛りしているが、患者は4人となっていた。荒木浩子は5年前から人工授精に取り組んでいるが、今までは失敗の連続だった。今回、ようやく8週目を越えることが出来たため、夫の隆は感涙した。20歳の青井ユミは子供の父親に逃げられ、中絶を希望している。妊娠中にも関わらず喫煙を続けている彼女は、理恵に対して生意気な態度を取る。理恵は同意書に父親の署名が必要だと説明するが、ユミは執拗に中絶手術を要求している。
主婦の甘利みね子は、今回は夫の健司が同行せず、一人でクリニックに現れた。「夫と相談して結論を出した」と彼女は話すが、その表情には影があった。4人目の患者は、55歳の山咲みどりだ。理恵は彼女に、体外受精で体内に戻した受精卵が2つとも着床し、双子を妊娠していることを説明した。4人の診察を終えた理恵は茉莉亜の様子を見に行き、彼女の息子である久広の話題になる。茉莉亜の病気だけでなく、久広が収監されたことも閉院の原因になっていた。
ある妊婦の出産を受け持った際、久広は胎盤癒着を起こした彼女に懸命の処置を行った。しかし残念ながら妊婦は助からず、医療ミスで訴えられた久広は逮捕された。理恵と清川は不当逮捕だと主張し、久広を救うために奔走した。しかし当人の久広は妊婦を死なせたことに強い罪の意識を抱いており、無実を訴えようとはしなかった。仕事を終えた理恵が帰宅しようとすると、清川が待っていた。清川は理恵を車で自宅まで送り、クリニックでの仕事を屋敷が快く思っていないことを告げた。
後日、理恵はクリニックで浩子を診察する。経過が順調であることを知らされ、また隆は喜びに涙する。ユミは理恵に同意書を見せるが、彼女が夫の分も署名したことは筆跡で明らかだった。偽造を見抜かれたユミは、「別の病院で中絶する」と言い放った。みね子はユミの態度を非難し、命を授かることの素晴らしさを訴えた。健司はユミに詫びを入れ、みね子を連れて診察室に入る。健司は理恵に、中絶を決めたこと、派遣の仕事を切られて経済的に厳しくなったことを話した。しかし出来れば子供に光を当ててあげたいという気持ちは抱いており、何か良い方法は無いものかと彼は理恵に訴えた。
清川は後輩医師から、クリニックに通っている高齢の女性がいることを知らされる。「代理出産ではないか」と言われ、清川はクリニックを張り込んだ。みどりが出て来るのを目撃した清川は、子宮頸がんを患った理恵から卵巣の全摘出手術を頼まれた時のことを回想した。理恵は大学で代理母の問題について講義し、子供を産みたくても産めない人々の気持ちを考えるよう生徒たちに説いた。そこへ清川が屋敷を伴って現れた。屋敷は理恵に授業の中止を要求した。
理恵は清川から代理母のことを問い詰められ、「私、決めました」と口にした。かつて理恵は、清川と一夜を共にしたことがあった。その時に清川から求婚された彼女は、「私、決めました」と言っていた。清川は、久広の逮捕、茉莉亜の病気、自らの卵巣摘出手術という3つの不幸が重なったことで、理恵が何かを決意したのだと感じた。しかし理恵は清川に問われても、何を決めたのかは言わなかった。
理恵はクリニックで浩子を診察し、彼女が自然分娩を希望していると知って困惑した。理恵は浩子に、基本的には自然分娩で調整するが、万一の場合に備えることを説明した。ユミは別の病院で中絶手術を承諾してもらえず、クリニックに姿を見せた。みね子に文句を言いたいと要求するユミに、理恵は彼女が中絶したのでクリニックには来ないことを告げた。みね子が中絶を選んだことをユミが批判すると、理恵は詳しい事情を明かした。みね子の子供は無能症で、子宮から出ると数分で死んでしまうことが分かっていた。それでも夫妻は光を当ててやろうと決意し、中絶手術で取り出された胎児は5分だけ生きたのだった。
診察に訪れたみどりは、理恵はいつもと違うことを見抜いた。理恵の母親である彼女には、わずかな変化でも分かってしまうのだ。みどりは理恵の代理母として、双子を妊娠していた。体制の中で現状を変えていくことが困難だと感じた理恵は、屋敷に辞表を提出した。休診日にクリニックを訪れたユミは、茉莉亜に呼ばれる。茉莉亜はユミの考えに変化が生じていることを察知し、「赤ちゃんが産まれると世界が変わるわよ」と告げた。後日、クリニックを訪れたユミは、理恵に出産することを宣言した。
清川が病院のテレビを見ていると、理恵が田中美紀というジャーナリストの取材を受けた番組が写し出された。インタビューを受けた理恵は、妊婦を取り巻く環境が整っていない現状を語る。そして彼女は、母親になりたいと考える女性の願いを叶えるため、マリアクリニックの閉院後に母子救済センター・セントマリアクリニックを開院することを話した。屋敷は清川に、セントマリアクリニックを潰すよう命令した。清川は「放っておいても潰れる」と説き、強硬な手段に出ることを押し留めた。
清川と連絡を取った理恵は、帝王切開を1件引き受けて欲しいと頼んだ。台風が上陸する中でクリニックを訪れた清川は、引き受ける条件として理恵に3つの質問を投げ掛ける。最初の質問は、「中から現状を変えるという自分を信じていなかったのか」ということだ。現状を変えるには時間が必要だと清川は説明するが、理恵は「そんなことを言っている間にも出産を迎える妊婦が大勢いる」と反発した。
2つ目の質問は、「代理母の子供は理恵の子供か」ということだ。「自分の母親に代理出産させるのであれば、協力は出来ない」と清川は言う。みすずから電話が入り、交通手段が麻痺しているので予定通りに到着することが出来ないと理恵は聞かされる。そんな中、みどりとユミが立て続けに破水し、産気付いた浩子もやって来た。暴風で診察室は破壊され、使えなくなる。清川は帝華大学に電話を掛けて応援を要請するが、大半の医師は学会で外出しており、残っていた後輩医師も交通手段を理由に断った。「せめて、あと1人いれば」と言う理恵は茉莉亜を思い浮かべるが、それは無理だと分かっていた。しかし、茉莉亜は病気の体でありながら、手助けに駆け付けた…。

監督は大谷健太郎、原作は海堂尊『ジーン・ワルツ』(新潮社刊)、脚本は林民夫、製作は廣田武仁&遠藤茂行&畠中達郎&川城和実&重村博文&軽部重信&喜多埜裕明、プロデューサーは松橋真三&野村敏哉、共同プロデューサーは藤田大輔、ラインプロデューサーは平野宏治、撮影は青木正、照明は平野勝利、美術は太田喜久男、録音は藤丸和徳、編集は上野聡一、音楽は上田禎、音楽プロデューサーは安井輝、主題歌は小田和正『こたえ』。
出演は菅野美穂、田辺誠一、浅丘ルリ子、風吹ジュン、南果歩、西村雅彦(現・西村まさ彦)、白石美帆、桐谷美玲、音尾琢真、大森南朋、片瀬那奈、濱田マリ、大杉漣、須賀貴匡、仁科貴、遠藤由実、小林且弥、井上尚子、大谷俊平、貞包みゆき、平山みゆき、杉内貴、松林慎司、梅舟惟永、藤田美歌子、磐城文恵、陣慶昭、中井寿紀、倉持海月、亀岡みらい、佐藤悠樹、茂木恵玲奈、笹田桃花、飯田琉生、北山瑠一、佐藤天慈、箕浦未央ら。


海堂尊の同名小説を基にした作品。
脚本は『フィッシュストーリー』『ゴールデンスランバー』の林民夫、監督は『ラフ ROUGH』『ランウェイ☆ビート』の大谷健太郎。
理恵を菅野美穂、清川を田辺誠一、茉莉亜を浅丘ルリ子、みどりを風吹ジュン、浩子を南果歩、屋敷を西村雅彦、みね子を白石美帆、ユミを桐谷美玲、健司を音尾琢真、久広を大森南朋、美紀を片瀬那奈、みすずを濱田マリ、隆を大杉漣が演じている。

私は未読だが、原作は医療ミステリー小説らしい。しかし本作品には、ちっともミステリーとしての要素が見当たらない。
あえて言うなら、「みどりは代理母なのか。だとすれば本当の母親は誰なのか」という部分ぐらいだ。
しかし、彼女が理恵の母親であることは中盤で判明するし、そうなれば、おのずと理恵が母親であることも分かる。
で、ホントにそれぐらいしか無いので、ミステリー作品としての面白さや醍醐味は全く味わえない。

「ミステリーとして成立してないだろ」という問題をひとまず置いておき、じゃあ医療ドラマとしての面白さはどうなのかと考えると、これも冴えない。
オープニング・クレジット、理恵が講義をしている様子が写り、一つ間を取ってから「もう一度言います。生命の誕生は、それ自体が奇跡なのです」と言う彼女がアップになって、出演者表記に入って行く。
そういう見せ方をするぐらいだから、そのセリフが本作品の伝えたいメッセージなんだろうとは思う。
だけど、それを本編がキッチリと表現できているようには到底思えない。

たぶん「生命の誕生するチャンスを奪ってはいけない。もっと自由に妊婦が出産できる場を設けるべきであり、そのために現状を変える必要がある」ってことを訴えたいんだろうとは思う。
しかし、焦点の定まらないシナリオとボンヤリした演出によって、そのメッセージが伝わりにくくなっている。
そもそも、「産みたい女性の願いを叶える体制を作るべきだ」というのが本作品のメッセージであり、理恵の口を使って発信しているはずなのに、彼女の行動がそれに合致しているようには思えないし。

まず、「妊婦の受け入れ体制が整っていない」ということへの問題提起があって、それとは別に「代理母出産の是非」という問題提起もある。
この2つを同じ作品の中で描こうとして、上手く処理し切れていないと感じる。
それは大まかに言えば「産みたい女性の願いを叶える医療の体制が整っていない」ということに対する問題提起ではあるんだが、さすがにテーマがデカすぎるでしょ。
どっちも充分に描写できれば問題は無いが、出来ないんだったら、どちらか一方に絞り込んだ方が良かったんじゃないかと。

ユミが産む気になるのは自然な流れだし、ストーリー展開としては理解できる。ただし、彼女の考えが変化していく経緯、その心情は全く掘り下げられていない。
心情の掘り下げが乏しいってのは他の患者も同様で、ようやく妊娠した浩子の喜びと不安や、みね子の苦悩も、表面的な部分を定型的になぞるだけで終わってしまう。
結局のところ、4名の患者はテーマを描写するための道具でしかない。理恵が決意を固める経緯にしても、そこの心情ドラマは薄いし。
あと、罪悪感に苛まれていた久広の存在は完全に放置されちゃうのね。何のフォローも無いまま終わっちゃうのね。

クリニックに残った4人の患者が「人工授精の失敗を繰り返し、ようやく出産できそうな中年女性」「出産を嫌がっているヤンキー娘」「出産したら生きられない病を抱えた胎児を孕んでいる女性」「高齢出産を控えた代理母」と、あまりにも類型的なのは引っ掛かる。
出産を巡る様々な問題を描き、生命誕生の尊さを訴える意味で、「それぞれのケース」を代表するには、とても分かりやすいサンプルだ。
これが少女漫画的な映画やコメディー作品ならともかく、重厚な医療ドラマで「そんな都合のいいタイプが4人揃う」という形を作っちゃうと、どうも安っぽい印象がしてしまう。

終盤の展開は、本作品をますます陳腐な印象に落とし込んでしまう。
残っていた3人の患者が、全て同じ日の同じタイミングで産気付く。
台風の影響で診察室が使えなくなり、停電まで起きてしまう。
交通機能の麻痺で助産婦が来られなくなり、応援要請も断られる。
そこまで都合良くトラブルが連発してピンチが訪れるってのは、ものすごく荒唐無稽である。
重厚なテーマを真摯に訴えようとする医療ドラマのクライマックスとして、ふさわしいとは思えない。

理恵は「体制の中では現状を変えられない」と考えて辞表を提出し、セントマリアクリニック開設することを決める。
インタビューで彼女は、「妊婦の診察をどんな時でも受け入れる」「産みたい女性に産ませる」と宣言している。
だが、清川の部下が言うように、そんなのは個人の思いだけで出来ることではないし、財源の問題もある。それについては何の保証も無いのに、理恵は堂々と言い切ってしまうのだ。
そうなると、それは「明らかなウソ」になってしまうでしょ。

実際、マリアクリニックには医者と助産婦が1人ずつしか在籍していないのだ。
たった3人の患者が同時に産気付いただけで四苦八苦しているのに、前述した約束を守ることなんて絶対に無理でしょ。
「妊婦を受け入れたけど、人員不足なので無理でした」ってことになるのは明白だ。
理恵は「理想論でも何でも、誰かがやらなきゃいけない」と言うけど、それは出来る人が始めるべきだよ。
出来ないと分かっていることを約束して妊婦を受け入れちゃうのは、無責任な行為でしかない。

もう1つの問題を理恵は抱えていて、それは「自分が母親を代理母を使って出産した事実を内緒にする」ということだ。
そんな人が妊婦を取り巻く環境について何を主張しようと、そこに説得力が無い。
代理母を使ってでも子供が欲しいと考える女性は日本中に大勢いるはずで、でも制度が整っていないので願いは叶えられない。そういう女性たちに対しても、理恵の「産みたい女性に産ませるためのクリニックを開設する」という言葉は向けられているんじゃないのか。
それなのに、自分が代理出産したことは内緒にしてしまう。しかも清川の精子を勝手に使っているし。
そうなると彼女の代理出産は、私利私欲だけの行動ってことになるでしょ。
代理出産を望む他の女性たちが願いを叶えられる体制を整えることには、全く繋がらないんだから。

(観賞日:2014年3月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会