『ゼラチンシルバーLOVE』:2008、日本

男はコンクリートに囲まれた部屋で生活し、煙草を吸ってペットボトルの水を飲む。男は窓の方に視線を向け、ビデオカメラを構えて覗き込む。その照準は運河を隔てて建つ家に向いており、そこに住む1人の女を男は盗撮している。朝食を済ませた女が着飾って出掛けるのを、男は確認する。男は常に部屋で留まっているわけではなく、カメラにテープをセットしたまま出掛けることもある。男は目覚まし時計を3つ用意し、テープを交換する時間をチェックしている。
テープが3本溜まった後、男は馴染みのバーへ赴いた。女性ヴァイオニリストが演奏するバーで、男は静かに酒を飲む。男が部屋に戻ると、目覚ましが鳴っていた。次に目覚ましが鳴ると、男は眠り込んだまま起きなかった。夜になっても女は帰宅せず、翌朝になって男が歯を磨いていると、ようやく戻って来た。男はオープンカフェで朝食を注文し、ゆっくりとした動きでトーストにバターを塗った。男は街を歩き、様々な景色を写真に収めた。部屋に戻った彼は、テープを交換する。男は映画館へ行き、『網走番外地』を観賞する。男が部屋に戻ると、女は本を読んでいる。彼女はブラインドから外を少し覗き、照明を消す。女は再び照明を付け、読書を続ける。
翌朝、男がカメラを覗き込んでいると、女はゆで卵の殻を剥いて食べる。女が出掛けると、男は外へ出て風景写真を撮影する。すると、その近くで車が電柱に激突する事故を起こし、運転手が死亡する。現場に歩み寄った男は、女がソフトクリームを舐めているのを発見した。女が事故現場へ歩いて来たので、男は慌てて地面のガラス片を撮影している芝居をする。女が通り過ぎた後、男は振り返ってシャッターを切ろうとするが、女の姿は消えていた。
夜になって部屋に戻った男は、女の盗撮を続ける。男がバーへ行くと、女店主「いいカメラですね。古いのが好きなんです、私。色んな場所で、色んな物を見て来たんだろうなあと思うと、何だか心が動かされるんです」と語る。男は何も返さず、酒を飲み干して「もう一杯」と静かに告げる。ゲームセンターに立ち寄った男は、格闘ゲームに興じる女子高生の手元を撮影する。男が何度もシャッターを切っていると、女子校生は「暇そうだね」と声を掛ける。
2人は一緒にカラオケボックスへ行き、女子校生が椎名林檎を歌う。男が酒を飲んでいると、女は服を脱ぎ始める。しかしテープチェンジの時間が来たので、男は「ごめん、また今度」と金を残して部屋に戻る。男が観察していると、女は部屋の隅に何冊もの本を積んだ状態で寝転がった。翌朝、男は電気量販店へ出掛け、大型液晶テレビとDVDレコーダーを購入する。男は部屋へ戻り、撮影したテープの映像をDVDにコピーした。
翌朝、男は外出して廃船を撮影し、部屋に戻ってテープを交換する。溜まったテープを紙袋に詰めた男は動物園へ行き、依頼人の男性に渡して1週間分のギャラを受け取る。男が「何のために、こんなことをしてるんですか。あの女は、どういう女なんですか?」と質問すると、依頼人は「詮索は特になりません」と答えない。彼は男が封筒を小脇に抱えているのに気付き、「写真ですか?もう撮るのは辞めたんじゃなかったんですか。昔の写真は雑誌なんかで見たことがありますよ。今はどんな写真を撮ってるんですか」と語る。
依頼人は封筒を開けて写真を見るが、「腐ってるんじゃないですか。これ、カビですか。気持ち悪いな」と呆れたように笑う。「何のために撮るんですか?テーマがあるんですか」と問われた男は、「俺には美しいと思えるから撮るんです」と不愉快そうに答えた。すると男は「なるほど、アートってやつですね」と言い、軽く笑った。部屋に戻った男は盗撮を続け、女がゆで卵を食べる様子を観察する。女が外出すると、男は部屋を出て尾行を始めた。女は列車に乗り、別の町へ行く。どこへ立ち寄ることもせず、ひたすら歩き続ける。男は後を追い続けるが、ある曲がり角で見失ってしまった。
夜、男はバーへ出向き、夜になると逆立ちをする砂漠の虫について女主人に話す。男が「一晩中逆立ちして、苦しみに耐え、やっと夜露を味わった虫は、恍惚として我を忘れる。太陽が昇り始める。その黒い虫は、太陽の光に焼かれ、一瞬の内に蒸発する。跡形も無く、自分がこの世界から消えたことも知らずに、あっという間に」と語ると、女主人は「素敵ですね。人生最高の時に消えて無くなれるなんて。そんな生き方、憧れるな」と告げた。
翌朝、男がオープンカフェで新聞を開いていると、いつの間にか向かいの席に女が座っていた。男が驚いていると、女は「何か面白い事件でもありました?」と問い掛ける。男が「いや」と言葉に詰まっていると、女は「その記事、私の仕事なんです」と告げる。男が開いていたのは、連続射殺事件に関する記事だった。「記者の方ですか?警察?」と男が口にすると、女は「違います」と軽く笑った。彼女が「その男、私が殺したんです」と言うので、男は「からかってるのなら、勘弁して下さい」と述べた。
女から「いつもそのカメラお持ちだけど、仕事かしら?どんな写真をお撮りになるの?人物?風景?それとも、何か特別な物とか?」と訊かれた男は、「人に見せるような物は」と言う。「人に見せないと仕事にならないでしょ。何のために撮ってるの?」という女の質問に、男は「俺は自分が美しいと思う物を撮ってるんです」と答えた。すると女は、「美しい物?奇遇ねえ。私も美しい物は好きよ。例えば、人が死ぬ瞬間の顔とか」と口にした。女は「もうお会いすることも無いでしょうね」と言い残し、その場を後にした。部屋に戻った男は、再生した映像に写る女に向かって何度もカメラのシャッターを切った…。

監督・撮影監督は操上和美、原案は操上和美、脚本は具光然、プロデューサーは原田雅弘&小西啓介、ラインプロデューサーは石田基紀、製作は高橋増夫&小西啓介&安永義郎&林田洋&熊澤芳紀、美術は池谷仙克、撮影は千葉史朗、照明は石井大和、録音は山方浩、振り付けは首藤康之、衣装は祐真朋樹、編集は丸山光章、音楽は今堀恒雄。
主題歌『LOVE LILA』作詞:井上陽水、作曲:井上陽水、編曲:井上陽水。
出演は永瀬正敏、宮沢りえ、役所広司、天海祐希、水野絵梨奈、SAYAKA(香月さやか)ら。


主に広告業界で活躍し、数多くの賞を獲得してきた写真家の操上和美が、初めて監督を務めた映画。原案と撮影監督も兼任している。
脚本は『偶然にも最悪な少年』『THE 焼肉 MOVIE プルコギ』の具光然。
操上和美がCDジャケットやツアーパンフレットの撮影を手掛けていた関係で、井上陽水が主題歌を担当している。
男を永瀬正敏、女を宮沢りえ、依頼人を役所広司、バーの女店主を天海祐希、女子学生を水野絵梨奈、ヴァイオリニストをSAYAKA(香月さやか)が演じている。

操上和美は初めて映画監督を務めるにあたり、その業界で長く経験を積んで来た面々を揃えることも出来ただろう。自分が新参者で色々と分からないことも多いのだから、経験者で固めた方が助言を受けられて、スムーズに撮影が進行するかもしれない。
しかし彼は、そういう選択肢を選ばなかった。
映画業界で長く仕事をしていたスタッフもいるが、照明の石井大和や 編集の丸山光章、衣装の祐真朋樹など、広告業界の人間も起用した。
脚本の具光然も、既に兄と組んで映画の仕事はしていたが、広告業界の人間だ。

これまで一緒にして来た仲間を集めた方が、仕事がやりやすいという考えがあったのかもしれない。ただ、それだけでなく、「新しい物を作ってやろう」とい野心も強かったのではないだろうか。
この映画は操上和美の実験であり、挑戦なのだ。
例えば、映画が始まってから約25分、バーの女店主が「いいカメラですね」と言うまでは、一言も台詞が発せられないまま時間が経過する。
これは、台詞を出来る限り排除した中で、登場人物の思いを表現してやろうという実験であり、挑戦なのだ。

操上監督は使用する言語を極端に減らし、映像から伝わる“美”の意識だけで勝負しようとしている。
だから1つ1つのシーンに映像としての美しさがあったとしても、ドラマやストーリーの面白さは皆無だ。
きっと操上監督の中では、通常の商業映画、娯楽映画では当然の物として求められるストーリーやドラマを完全に排除して、それでも残る映像の力だけで勝負してやろうというチャレンジ精神が強烈に湧き上がっていたのだろう。

ただし、これは一般的に広く見られている映画と一線を画す作品ではあるものの、「映画の解体」ではない。
映画業界では門外漢である操上監督にとって、基盤となるべき建物は最初から存在しないからだ。枠からはみ出しているのではなくて、守るべき枠が最初から存在しないのだ。
ピカソのように、正確なデッサンを描くことが出来るのに、あえて奇抜なことをやっているわけではない。
理解した上で基本を無視しているのではなく、無知であるが故の大胆さがそこにはあるのだ。

操上監督は3つの目覚まし時計で男のルーズな性格を表現したり、『網走番外地』を観賞することで古風な一面を示したりしている。それが多くの観客に対して、充分に伝わるかどうかは難しいところだ。
だが、その仕掛けが観客に伝わるかどうかは、あまり意味は無い。なぜなら、これは芸術だからだ。
芸術という分野は、作者が満足した時点で成立する。そこが娯楽との大きな違いだ。
監督が娯楽映画として製作していたら、観客に理解してもらい、楽しんでもらうことが求められる。
しかし芸術なので、自慰行為でも構わないのだ。

この映画に意味や理屈を求めても、何の答えも出て来ない。強引に答えを導き出すことは可能だが、どういう内容に至ったとしても、それが正解じゃないことは確実だ。
なぜなら、この映画は意味や理屈など超越しているからだ。
だから、そこに答えを求めて観賞するのは、とてつもなく非生産的で無意味な行為だと断言してもいいだろう。
この映画のテーマを一言で表現するならば、それは「ファッション」である。
ファッションは外見を着飾る道具であり、見た目で勝負するための武器だ。だから、「オシャレだな」と思ってもらえれば、それでいいのだ。
何よりも重要なのは感性であって、思考ではない。

男にとってのファム・ファタールとして描かれているはずの女は、美しさや妖しさが足りていないようにも感じられる。
宮沢りえが美しくないというわけではないが、皺やシミまでハッキリと写っていることもあり、「男が本来の仕事を忘れて魅了される」というほどの力は見えない。
皺やシミが見えても妖艶に感じられる女性もいるんだろうが、宮沢りえの場合は大きなマイナスに作用しているとしか思えない。
少なくとも本作品におけるヒロインとしては、作り物のような状態にしてしまった方が効果的ではないかと感じるのだ。

しかし何しろ操上監督はプロの写真家なのだから、その気になれば幾らでも「綺麗な女性」「妖艶な女性」として写すことは出来たはずだ。
ということは、あえて監督は、オーソドックスな「美しい女性像」を外したのだろう。
しかし残念ながら愚かな私には、その狙いまでは理解することが出来なかった。
そこが本作品の大きな問題で、充分に理解し、充分に堪能するためには、かなり高度な芸術的センスが要求されるのだ。

物語だけを単純に追い掛けると、「女は連続射殺事件を実行している殺し屋で、依頼人は彼女に殺しの仕事を依頼して男に監視させていた。男は女の正体を知っても魅了される」というのがザックリとした筋書きだ。
そして完全ネタバレになるが、最終的に男は女によって射殺されてしまう。
それだけを聞くと、ものすごく凡庸な話に思えるかもしれない。
実際、表面的な部分だけを捉えれば、つまらないとしか言いようのない内容である。

しかし、そういう筋書きに重要性など無い。凡庸な物語は体裁を整えるための道具に過ぎず、その中で表現されている「ファッション」の美しさこそが重要なのである。
だから、この映画に退屈を感じたとすれば、それは芸術に対する感受性が乏しいからだ。私と同じように、自分自身が退屈な人間なのだ。
そういう凡庸な人間には、こういう高尚な映画は不向きなのである。
なので、無理に挑戦することは諦めて、単純に楽しめる類の娯楽映画を観賞した方が、時間を無駄にしなくて済むだろう。

(観賞日:2017年7月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会