『サイダーのように言葉が湧き上がる』:2021、日本

小田市の団地で暮らす男子高校生のチェリーは、俳句を作ってはキュリオ・シティーに投稿している。女子高校生のスマイルは前歯が出ているので、矯正具を付けている。彼女は矯正具を隠すためにマスクを着け、キュリオ・ライブで動画配信する。チェリーの俳句は、町のあちこちにタギングされている。老人のフジヤマは『YAMAZAKURA』というアルバムのレコードジャケットを抱えて、ショッピングモールのヌーベルモール小田から外に出た。捜索に出たチェリーは彼を見つけ出し、ヌーベルモール小田に連れ帰った。
スマイルはヌーベルモール小田の歯科医院で定期検診を受けた後、「かわいい」を見つける動画配信を始めた。夏休みで人は多く、監視室ではフロアマネージャーの元プリが防犯カメラを凝視している。小学生のビーバーが天乃川ヒカルの等身大パネルを盗むのを見つけた彼は、すぐに警備員を差し向けた。モールの店員のジャパンは、ビーバーから大ファンであるヒカルのパネルを見せられて興奮した。そこへ警備員が来たので、ビーバーはパネルを持って逃走した。
モールの1階ロビーでは、「赤ちゃんハイハイリレー」のイベントが開催されていた。フジヤマを連れてイベントを見物していたチェリーは、「フライング」が季語かどうかを歳時記で調べようとする。スマイルは可愛い赤ちゃんを撮影するため、ロビーに降りた。スケボーで逃走していたビーバーは、チェリーとスマイルに激突した。チェリーとスマイルは転倒し、スマホを落とした。マスクが外れたスマイルの顔を見たチェリーは、「矯正具」と呟いた。スマイルは慌てて口を隠し、スマホを拾って走り去った。
駐車場に来たタフボーイは、車にビーバーのタギングを見つけて激怒した。チェリーはフジヤマを連れて、モールの福祉施設「陽だまり」に戻った。フジヤマはケアマネージャーのナミから「見つかった?」と訊かれ、首を横に振った。ナミは後輩スタッフのあき子に、彼がレコードジャケットの中身を探していることを教えた。タフボーイが施設に来て、ビーバーへの怒りをチェリーにぶつけた。彼は祖父であるフジヤマを連れて、施設を後にした。
チェリーが仕事を終えて施設を出ると、すぐに近くにタギングがあった。彼は自分の俳句をタギングしている犯人が、ビーバーだと知っていた。スマイルはスマホを取り違えたと気付き、急いで家に戻った。チェリーはモールの屋上へ移動し、ビーバーとジャバンに会った。パネルの頭部が取れたため、ジャパンはビーバーとの取引を撤回していた。スマイルは姉のジュリに、スマホの場所を突き止めてほしいと依頼した。父がメキシコ人のビーバーは日本語を話せるが書けないので、チェリーの俳句で勉強していた。
チェリーは季語を調べようとして、スマホが違うことに気付いた。ジュリがGPSでスマホの場所を特定したので、スマイルは現場へ行こうとする。妹のマリは、電話を掛けたらどうかと提案した。チェリーはスマホが鳴ったので焦り、ジャパンから出るよう促されて「無理」と拒む。しかしジャパンが通話ボタンを押したので、スマイル三姉妹の姿が画面に映った。その途端にジャパンが興奮して「スマイル・フォー・ミー」とポーズを取ると、ジュリが反射的に電話を切った。
ジャパンはスマイルが有名な現役JKキュリオスだと興奮して話すが、チェリーは全く知らなかった。再びスマホが鳴ると、またチェリーは「無理」と動揺する。今度はビーバーがボタンを押し、チェリーとスマイルは自分のスマホを取り戻した。チェリーは施設の老人たちと共に、みゆき先生とのモール吟行に参加した。お盆でチェリーが施設のパートを辞めるため、主任はシフトを埋めるのに苦労していた。スマイルはジュリとマリの3人で、ヌーベルモール小田へやって来た。小さい頃は出っ歯がチャームポイントでスマイルも気に入っていたが、思春期に入って可愛くないと感じ、マスクて隠すようになっていた。
スマイルはチェリーがみゆきと話す様子を目撃し、3姉妹で後を追って物陰から観察した。チェリーは作った俳句をキュリオ・シティーに投稿し、「まりあ」からの「イイね」に渋い顔をした。彼はみゆきから自身の俳句を読み上げるよう促され、激しく嫌がった。最終的には顔を真っ赤にしながら早口で読み上げたが、強い不満を抱いた。みゆきが「声に出して初めて伝わる情景もあると思いませんか」と言うと、チェリーは「伝わるよ、声に出さなくたって」と小声で苛立ちを吐き捨てた。
フジヤマが3姉妹を見て俳句を書いたので、スマイルたちは隠れているのがバレた。スマイルはチェリーと散歩に出て、ヘッドホンで何を聴いているのか尋ねた。スマイルは人に話し掛けたくと済むから付けているだけで、何も聴いていないと答えた。スマイルはチェリーからマスクについて「夏風邪?」と問われ、慌てて話題を逸らした。チェリーは彼女の質問を受け、歳時記で季語を調べ、俳句をキュリオ・シティーに投稿していることを語った。
この場で作ってほしいと頼まれたチェリーは、動揺しながらも思い付いた俳句を発表した。するとスマイルは「可愛い」と感想を述べ、声も可愛いと告げた。帰宅したチェリーは、作ったばかりの俳句をキュリオ・シティーに投稿した。彼は来月の引っ越しに向けて、準備を始めた。俳句に「イイね」を押している母のまりあはギックリ腰で、彼女の代わりにチェリーは福祉施設で働いていた。スマイルから俳句に「イイね」が届いたので、チェリーは激しく驚いた。マリはスマイルのスマホを奪い取り、他の俳句にも次々と「イイね」を押した。チェリーはスマイルをフォローし、キュリオ・ライブもチャンネル登録した。福祉施設でチェリーの仕事を手伝ったスマイルはナミたちに頼まれ、パートとして働き始めた。
8月。17日には引っ越しを控えているチェリーだが、まだスマイルには打ち明けていなかった。モールの夏祭りに向けて、福祉施設ではだるま音頭の稽古が始まっていた。小山田だるま祭りが開催されるのは、8月17日だった。フジヤマを送迎車で家まで送り届けることになり、チェリーとスマイルは同行した。フジヤマは小さなレコード店に入って、カウンターに座った。彼は『YAMAZAKURA』のジャケットを抱いたまま、「このレコードが一番何度も聴いた。もう一度聴けば思い出す」と漏らす。スマイルが「何を?」と尋ねると、フジヤマは泣き出して「忘れたくない。思い出せない」と口にした。
スマイルはフジヤマからジャケットを見せてもらい、帯が入っているのを見つけた。その帯には、「さよならは 言わぬものなり さくら舞う」という俳句が記されていた。チェリーがレコードを探すと言い出すと、スマイルは協力を申し出た。フジヤマは急に具合が悪くなり、駆け付けた娘のつばきが部屋に運んで介抱した。チェリーとスマイルはネットで『YAMAZAKURA』について調べるが、何の手掛かりも得ることは出来なかった。
チェリーとスマイルは福祉施設の老人たちに『YAMAZAKURA』のことを尋ね、その場所が以前はレコードのプレス工場だったこと、フジヤマが働いていたことを知った。2人はCDショップで働くジャパンから、『YAMAZAKURA』はピクチャー盤だろうと教えてもらった。スマイルはキュリオ・ライブの視聴者に情報提供を呼び掛け、ジャケット写真の場所が馬伏山の電波塔だと知った。チェリーとスマイルは電波塔を訪れ、隣の資料センターに入った。すると地元の雑誌が展示されており、小山田出身のシンガーソングライターの藤山さくらがアルバム『YAMAZAKURA』をリリースした時の記事が掲載されていた。
チェリーとスマイルはつばきに質問し、さくらがフジヤマの妻であること、つばきを産んですぐ病死したこと、フジヤマが彼女のレコードを売るために店を始めたことを知った。つばきは2人に今週末でレコード店を畳むこと、タフボーイが片付けを始めていることを話した。チェリーはつばきに、自分も片付けを手伝い、『YAMAZAKURA』を探したいと告げた。するとスマイルは、自分も一緒に探すと言う。つばきは自分も探したことがあると明かし、「みんなで探せば見つかるかな」と述べた。
チェリーはビーバーとジャパンにも手伝ってもらい、店のレコードを調べ始めた。どれだけ暑くても、スマイルは人前では決してマスクを外さなかった。チェリーは自室を片付けている時、棚の後ろに隠れていた俳句雑誌を見つけ、山桜に「出っ歯」の意味があることを知った。彼はキュリオ・シティーに、「やまざくら かくしたその葉 ぼくはすき」という俳句を投稿した。スマイルは投稿された俳句を発見するが、「イイね」は押さなかった。
チェリーたちは店のレコードを全て調べるが、『YAMAZAKURA』は無かった。チェリーは冷蔵庫の後ろを調べ、落ちている『YAMAZAKURA』を発見した。ジャパンはレコードプレーヤーとスピーカーを用意し、チェリーはコードを取りに行く。追い掛けたスマイルは明後日の夏祭りのことを話し、一緒に花火を見に行こうと誘う。スマイルは引っ越しのことを打ち明けようとするが、ジャパンに「コード、早く持って来いって」と言われると「行くよ」と告げて戻った。スマイルはOKの返事だと理解し、喜んだ。レコードが波打っていることに気付いた彼女は、平らに直そうとする。しかし畳に置いて押すと、レコードは割れてしまった…。

監督・脚本・演出はイシグロキョウヘイ、原作はフライングドッグ、脚本は佐藤大、企画は佐々木史朗、製作は伊藤将生&高橋敏弘&村田嘉邦&菊池剛&森下勝司、プロデューサーは尾留川宏之&石川吉元&向井地基起&深尾聡志&笠原周造&小石川淳、アソシエイトプロデューサーは石川義洋、絵コンテはイシグロキョウヘイ、キャラクターデザイン・総作画監督は愛敬由紀子、演出は山城智恵、作画監督は金田尚美&エロール・セドリック&西村郁&渡部由紀子&辻智子&洪熙昌&小磯由佳&吉田南&愛敬由紀子、美術監督は中村千恵子、色彩設計は大塚眞純、美術設定は木村雅広、3DCG監督は塚本倫基、撮影監督は棚田耕平&関谷能弘、編集は三嶋章紀、音響監督は明田川仁、アニメーションプロデューサーは小川拓也、プロップデザインは小磯由佳&愛敬由紀子、レイアウト監修は木村雅広、音楽は牛尾憲輔、主題歌はnever young beach『サイダーのように言葉が湧き上がる』。
声の出演は市川染五郎(八代目)、杉咲花、山寺宏一、井上喜久子、潘めぐみ、花江夏樹、梅原裕一郎、中島愛、諸星すみれ、伊藤静、鈴木みのり、神谷浩史、坂本真綾、内匠靖明、森なな子、久川綾、沼倉愛美、柳田淳一、津田英三、佐久間元輝、吉富英治、杉崎亮、所河ひとみ、三輪夏紀、平ますみ、江越彬紀、村上裕哉、真木駿一、清水彩香、貫井柚佳、小林千晃、大地葉、長谷川育美。


アニメーション音楽レーベル「フライングドッグ」の設立10周年記念作品。
TVアニメ『四月は君の嘘』『クジラの子らは砂上に歌う』のイシグロキョウヘイが映画初監督を務めている。
脚本はTVアニメ『怪盗ジョーカー』『パズドラクロス』の佐藤大。
チェリーの声を市川染五郎(八代目)、スマイルを杉咲花、フジヤマを山寺宏一、つばきを井上喜久子、ビーバーを潘めぐみ、ジャパンを花江夏樹、タフボーイを梅原裕一郎、ジュリを中島愛、マリを諸星すみれが担当している。

スマイルが自分のスマホの場所をジュリに特定してもらった時、なぜ電話を掛けようとせず、その場に向かおうとするのか良く分からない。
どう考えても誰かが拾った可能性、っていうか取り違えた相手の持ち主が持ち去った可能性が高いんだから、その人物に連絡して交換してもらおうとするのが普通の行動じゃないかと思ってしまうんだけど。
ひょっとすると今の若い年代としては、その場へ向かって捜索する方が一般的な行動なのかな。
そこは違和感が強いなあ。

チェリーはスマホが鳴ると激しく狼狽し、「無理」と言って出ようとしない。
それが人付き合いが苦手なキャラクターとしての描写なのは分かるけど、そこまでの反応は嘘臭さを感じてしまう。
ジャパンがスマイルを見た途端に興奮して「スマイル・フォー・ミー」とポーズを取るのも、これまた同様。
アイドルオタクというキャラとての表現なのは分かるけど、なんか嘘臭い。
アニメとしての誇張なのは分かるが、その辺りで気持ちが萎えちゃうんだよなあ。

スマイルにとってのマスクは、自分を守るための大事な道具になっている。彼女にとっては出ている前歯や矯正具がコンプレックスであり、それを隠すためにマスクは必要不可欠な道具だ。
それと同じように、チェリーにとってのヘッドホンも、彼を守るための道具のはずだ。
ところが、チェリーは集中するとヘッドホンが外れても気付かないし、ヘッドホンを付けている間は誰とも喋らないわけでもない。
なので、それがチェリーを守るための道具として上手く機能していない。

スマイルと親しくなったチェリーは、あっさりとヘッドホンを外すようになる。
もちろん「スマイルとの出会いで不要になった」ってのは分かるけど、あまりにも簡単に要らなくなるので、「じゃあ最初から要らなくないか」と言いたくなる。彼が抱えていた問題は、その程度のモノだったということでしょ。
あと、そもそもチェリーが自分を守りたいと思っているのなら、自分の俳句をビーバーが色んな場所にタギングしているのは、もっとキツく注意して止めさせるべきじゃないかと思うのよね。
そこだけは承認欲求が勝っているというわけでもなさそうだし。

チェリーにはビーバーやジャパンという友達がいて、そこでは普通に喋っている。
ネットに俳句を投稿することだけで他者との繋がりを持とうとしているわけではなくて、実社会でも普通に仲良く出来る友達がいるのだ。
なので「伝わるよ、声に出さなくたって」という主張も、すっかり弱くなってしまう。
彼が声に出して気持ちを伝えることを極端に嫌い、人付き合いを極端に避けようとしているのであれば、「友達はおらず、他人どころか家族との会話さえ乏しい」ぐらい徹底したキャラで良かったんじゃないかと。

チェリーは「チェリー」名義でキュリオ・シティーに俳句を投稿しているだけでなく、モール吟行でも普通に「チェリー」として短冊を提出している。
つまり彼が「チェリー」名義で俳句を作っていることを、周囲の人間は知っているわけだ。
そのくせ、彼はみゆきから俳句を読み上げるよう言われると、顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
それって、キャラとして中途半端に感じるんだよね。
ホントに恥ずかしいという意識があるのなら、「チェリー」名義で俳句を作っていることを知られるだけでも恥ずかしいんじゃないかと。

なので、もっと言っちゃうと、堂々と吟行に参加し、短冊に俳句を書いて提出している時点で、なんか違和感があるんだよね。
自分が俳句を作っている事実を周囲に知られることさえ恥ずかしがる方が、キャラとしてはスッと入って来る。
書いた俳句を老人たちの前でみゆきが読み上げるのは平気なのに、自分が読み上げることだけは嫌がるってのは、どういう感覚なのかと。
「俳句は文字の芸術だから声に出して読まなくてもいい」ってのが彼の主張だけど、それも「俳句の基本も分かってねえのな」と感じるし。

スマイルはみゆきと話すチェリーを見ると、後を追い掛けて物陰から観察する。それは明らかに、「好意」としての強い興味を持っての行動だろう。
だけど彼女がチェリーに好意を抱くきっかけなんて、何も無かったぞ。出会いのシーンでは「矯正具」と言われたので印象は悪いはずだし、スマホで会話するシーンでもガラリと印象が変化するような出来事は無かったし。スマホを交換するシーンは省略されているから、そこでのやり取りは不明だし。
その後、チェリーとスマイルが仲良くなっていく過程は台詞無しのダイジェスト映像で処理されており、見事なぐらい段取りを消化するだけになっている。
それによって、ウブなチェリーがスマイルに惹かれるのはともかく、スマイルがチェリーに惹かれる理由がサッパリ分からないという状態になっている。
そのため、男にとって都合の良すぎる青春恋愛映画という印象が強くなる。

スマイルは小さい頃は出っ歯がチャームポイントで、「ビーバースマイル」と呼ばれるのも気に入っていたという設定だ。そして本作品には、特に出っ歯というわけでもないのに、ビーバーと呼ばれるキャラクターが登場する。
そうであるならば、その名前には何か特別な意味を持たせるべきだろう。そしてスマイルのドラマに絡めるべきだろう。
ところが、そういう仕掛けは何も用意されていないのだ。だったら、その意味ありげなネーミングは邪魔なだけでしょ。
あと、ビーバーは父親がメキシコ人で日本語が書けないという設定だが、この設定を上手く使えているとは言い難い。
そこはマイノリティーとしての設定だろうと思うが、そもそもビーバーがメキシコ人と日本人のミックスには全く見えないんだよね。

チェリーやスマイルはニックネームであり、本名は別にある。しかし周囲の面々は、みんなが「チェリー」「スマイル」と呼ぶ。
同年代の仲間だけでなく、大人たちも「チェリーくん」「スマイルさん」などと呼ぶ。みゆきも吟行のシーンで、チェリーを本名の「佐倉結以」ではなく「チェリーさん」と呼んでいる。
じゃあ全員がそうなのかというと、家族は別だ。だから、つばきはタフボーイを「やすゆき」と本名で呼んだ直後、「チェリーくん」「スマイルさん」と呼ぶ。
そういうのは、大いに違和感がある。

『YAMAZAKURA』の帯には、ちゃんと歌手名の「藤山さくら」が書いてある。なのでチェリーとスマイルは帯を見つけた時、それも見ているはずだ。
それなのに2人は、その名前を無視して『YAMAZAKURA』について調べ始める。資料センターの雑誌で初めて歌手が藤山さくらだと知っているけど、それは変だよ。
帯を見た時点で歌っているのは藤山さくらだと気付けば、「フジヤマと同じ苗字だ」と気付き、つばきに事情を尋ねて、すぐに「さくらはフジヤマの妻」と分かったはずで。
そこまでの過程に時間を費やすために、チェリーとスマイルに不自然な形で「帯の歌手名に気付かない」という無理を背負わせているのだ。

俳句がチェリーとスマイルを繋ぐ大きな道具として使われるべきなのに、途中からレコード探しがメインになる。
そこに関連して俳句も出て来るけど、「フジヤマが探しているレコード」とか「藤山さくらの歌」ってのが邪魔になる。
フジヤマ&さくらの関係にチェリーとスマイルの関係を重ねたいのは分かるけど、そのせいで俳句から遠くなってしまう。
こんなことならチェリーを「俳句が趣味の男」ではなく、「昔の歌が好きな男」とか「歌詞を書いている男」にでもしておいた方が良かったんじゃないか。

引っ越しのことをスマイルに知られて黙っていたことを釈明し、悲しそうに立ち去る彼女を見送った後、チェリーは再びヘッドホンを耳に当てる。
その時の気持ちを表現するためにヘッドホンを使っているのだが、それよりも「チェリーに全く同情できない」という気持ちの方が勝ってしまう。
「なかなか言い出せなかった」ってのは理解できるけど、それでもなお「あれだけ何度も打ち明ける機会はあったのに、ずっと言わなかったのは、もう無理だな」と。
言い出せない理由と同情心を天秤に掛けると、同情心が勝つ範囲を超えている。

しかも、最終的にはチェリーが自ら勇気を出して積極的に動くのかと思ったら、スマイルやビーバーたちが先に動いて全てお膳立てしてくれて、ようやくスマイルの元へ向かうのよね。なので、ますます「無理」って感じだわ。
あと、スマイルが盆踊りで予定の曲じゃなくて藤山さくらの歌を流すのは、会場に集まった客を無視した勝手な行為だし、どうかと思うぞ。
櫓に上がったチェリーがマイクを奪って俳句でスマイルに気持ちを伝えるのも同様。
あと、俳句なのにラップかポエトリー・リーディングみたいな発声で喋るのも、なんだかなあと思っちゃうし。

(観賞日:2023年9月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会