『009 RE:CYBORG』:2012、日本

世界の大都市で超高層ビルが次々と爆破されるテロ事件が、33件も連続して発生していた。33件目の爆破事件を報じるテレビのニュースを見ていた高校生の島村ジョーは、「随分前から計画していたんだな。先を越されたな」と呟いた。彼は爆破装置を鞄に入れ、街へ出た。ジェット・リンクがバーへ行くと、グレート・ブリテンが待っていた。「いつ以来だ」とジェットが言うと、グレートは「9.11以来だから、12年ぶりかな」と答えた。
ジェットは「世の中の全てが気に入らない」と言い、ギルモア博士からの召喚状が来たことに対しても不満を漏らした。するとグレートは、「だがギルモア博士は俺たちの生みの親だ。有事の際には彼の元に集い、正義のために戦う。それが我々、ゼロゼロナンバーサイボーグに課せられた使命だ」と語る。ジェットは連続爆破テロについて、「お前もアメリカ政府の関与を疑っているのか」と尋ねた。グレートが「お前はどうなんだ?一点の曇りも無くシロだと言い張れるのか」と言うと、ジェットは答えなかった。グレートは「いずれにせよ、爆破テロをやめさせんことには、そう遠くない未来に世界の秩序は崩壊する」と述べた。
ジョーがガールフレンドのトモエを呼び出すと、彼女は「珍しいね、島村君から誘ってくれるなんて」と言われる。ジョーは「デートなら怪しまれないかと思ってね」と告げ、トモエを連れて六本木ヒルズに入った。展望台へ上がったジョーは、「もう長いこと、高校生活を繰り返しているような気がするんだ。それに、いつも誰かに見張られているような感覚もあってさ」と口にした。飛行機で日本上空を飛行していたフランソワーズ・アルヌールは、ジョーの居場所をキャッチしてジェロニモ・ジュニアに連絡していた。
ジョーはトモエに「大丈夫よ」と優しく抱き締められ、心の中で「でも僕は“彼”の声に従って、正義を成さなければならないんだ」と呟いた。グレートはジェットに、「“彼”の声ってやつの噂を耳にしたことないか?」と問い掛ける。連続爆破テロの犯人同士に特定の繋がりは無いと言われていたが、数名の犯人が犯行前に「“彼”の声に従って人類をやり直さなければならない」と話していたことが判明したのだとグレートは語った。しかし、“彼”の正体については何も分かっていなかった。
ジョーを六本木ヒルズで観察中のジェロニモに、フランソワーズは「屋上に彼を誘い出してメチャクチャにして」と指示した。その直後、六本木ヒルズへ向かうアメリカ空軍のミサイルを確認したフランソワーズは、ジェロニモに「急いで009の記憶を呼び覚まして」と告げる。ミサイル攻撃を受けた六本木ヒルズが爆発する中、ジェロニモはジョーに襲い掛かった。屋上へ追い詰められたジョーは、飛行機から飛び降りるフランソワーズを目にした。覚醒したジョーは加速装置を使い、彼女を救った。
ジョーが「僕たちを必要とする敵が現れたってことだね」と尋ねると、フランソワーズは「そうよ。全世界を巻き込んだ同時多発テロを引き起こしている姿なき敵と戦うため、ギルモア博士の元に集う時が来たのよ」と告げた。グレートは尾行している数名の男たちに気付き、1人を始末した。男の正体はサイボーグだった。謎めいた少女を目にしたグレートは後を追い掛けるが、すぐに見失ってしまった。
張々湖はイワン・ウイスキーと通信しながら、港に潜入していた。世界的な中華料理チェーンを展開する際に「張々湖」の名を商標登録したことで、張々湖は長きに渡ってギルモアと泥沼訴訟を繰り返していた。しかしギルモアからの命令は受け入れ、国際海運会社であるSMOの荷物が港から運ばれるのを監視した。イワンは張々湖に、自爆テロで崩壊したビルの瓦礫がSMOを通じて中国へ違法に売却されているという情報を伝えた。トラックを追った張々湖は廃車置き場を調べようとするが、武装した兵士に襲われた。張々湖が反撃して追い詰めると、兵士は自爆した。
考古学者のピュンマは、アルベルト・ハインリヒと合流してギルモア研究所へ向かっていた。少女を見掛けたピュンマは、車を降りて後を追う。少女を見失ったピュンマが周囲を捜索していると、不気味な彫刻があった。ピュンマは「そうか、これが彼の声か」と呟いた。ハインリヒがその場へ行くと、ピュンマは帽子を残して姿を消していた。ジョー、フランソワーズ、ジェロニモが研究所が到着すると、イワンとギルモアが出迎えた。他のメンバーについてジョーが訊くと、ギルモアは「財団に見切りを付け、祖国に雇用先を求めて四散した。それでもハインリヒとピュンマは既にイスタンブール入りしているし、グレートはイギリス諜報部との折り合いが付き次第、合流するとの連絡があった」と説明した。
イワンは「張々湖とも連絡が付いて単独任務に就いてもらっている」と告げるが、ジェットについては「戻ることは無いだろう」と言う。ただし、それはNSAに所属しているためであり、ジョーとの確執が原因ではないことをイワンは補足した。一連の自爆テロについて、ギルモアはサムエル・キャピタル社が関与していると睨んでいた。サムエル・キャピタル社はアメリカの投資ファンドだが、イスラエル国防総省の出先機関にもなっていた。
サムエル・キャピタル社は世界の秩序を安定させないことで莫大な利益を得ようとしており、アメリカ政府が尻馬に乗ろうと目論んだというのがギルモアの推測だ。サムエル・キャピタル社の関連企業が行っている死体を利用したサイボーグ開発事業にも、アメリカ議会はゴーサインを出していた。最初に起きた自爆テロも、死体サイボーグの仕業だとギルモアは考えていた。サムエル・キャピタル社は自爆テロをインフラ化し、新たな形の世界戦争を継続させて兵器と安全保障を売りさばこうとしているのだと彼は語った。
イワンは「サムエル・キャピタル社とアメリカ政府のマッチポンプの構造こそが同時多発テロの真相だ。そのシステムを運用しているのが、ジェットの所属するNSAだ」と説明するが、その推察をジョーは否定した。彼は「連続テロは“彼”の声によって行われているのではないでしょうか」と言い、自分も“彼”の声を聞いて自爆テロを決行しようとしていた事実を打ち明けた。同じ頃、ジェットは“彼”の声の指図でミサイルを発射した下士官が事情聴取を受け、自害する様子を記録した映像を上司のボイドから見せられていた。
ギルモアはジョーに行動の自粛を命じ、脳を調べることにした。そこへ、アメリカ空軍の爆撃機B−2が消息を絶ってイランへ向かい、ジェットが追跡しているという情報が届いた。ジョーは「B−2のパイロットも“彼”の声を聞いたのだと思います。目的地は、恐らくドバイ」と告げ、テレポーテーションで現地へ送ってほしいとギルモアに願い出た。ギルモアが拒否すると、ジョーは銃を奪って近くにいたフランソワーズを人質に取った。イワンはジョーを現地へ送ることにした。
ジョーが爆撃機に乗り移ると、ジェットが現れた。ジェットは日本人のジョーがリーダーに指名されたことを今でも受け入れておらず、「世界の平和を自由を守って来たのは俺たちアメリカ人だ」と声を荒らげた。ジョーが「それは世界に取っての正義だったのかな」と疑問を呈すると、ジェットは「俺に取っての正義は、俺の邪魔をする者を排除することだ」と言い放った。ジョーは「君が“彼”の声と無関係なら、おとなしく帰るよ。でも、そうでないのなら、僕も“彼”の声に従ってバイロットの行動を支援する」と述べた。
ジェットがジョーを蹴り落とした直後、爆撃機から核ミサイルが発射された。ジョーが加速装置を使って爆風から逃れようとする中、街は大惨事に見舞われた。ジョーは消息不明となり、ギルモアは彼の死を覚悟した。研究所には張々湖とハインリヒがやって来た。ハインリヒはピュンマが失踪したことを告げ、「彼は惨劇に繋がる重要な証拠を見つけていたようだ」と告げて写真を見せた。そこに写っている物を見たフランソワーズは、「天使の化石?」と口にした。
ボイドはNSA長官と通信し、問題解決の方法として「空軍基地に着陸するジェットを捉えた写真をマスコミにリークする」という方法を告げた。ジェットはサムエル・キャピタル社の社長であるサムエル・クラインの元へ行き、米軍の関与を引き起こした“彼”の声とは何なのか尋ねた。サムエルは「これまでの事態は我々の思惑が上手い具合に連鎖していた結果だが、世界は既に我々が手を下さなくても人類をやり直す方向にシフトしている。そこに何の問題がある?我々は初めから“彼”の声に従って動いているのだからね」と述べた。
フランソワーズは仲間たちに、ピュンマだけでなくグレートとの連絡も付かないことを告げた。「ピョンマと同様に消されたか」と口にしたハインリヒは、ピュンマの日記を読んで詳細を調べていた。ピュンマの日記には、アフリカの渓谷で天使の化石を発見していたこと、スタッフの中に「彼”の声を聞いた」と言う者が次々に現れたことが記されていた。彼”の声とは何なのかという問い掛けに対する言葉を受けて、ピュンマはスタッフが宗教的な経験によって神のメッセージを聞いたのではないかと推測していた。
ハインリヒは仲間たちに、「人類の祖先が恐怖から神を作り出していったように、天使の化石を見た連中は心の中に神の声なる幻想を抱いていったのではないか」という推察を語った。ジェロニモが「脳が作り出した存在である神が、人を自爆テロに狩り立てたり、特定の人間を失踪させたりするようなことがあるのだろうか」と疑問を呈すると、ハインリヒは「人間の脳そのものが神になったのではないか」という仮説を話した…。

監督は神山健治、原作は石ノ森章太郎「サイボーグ009」、脚本は神山健治、製作総指揮は石川光久&紀伊宗之、プロデューサーは石井朋彦、キャラクターデザイナーは麻生我等、絵コンテは青木康浩&林祐一郎、演出は柿本広大、美術設定は渡部隆&滝口比呂志&堀元宣、2Dレイアウトは佐古宗一郎&青木康浩&林祐一郎&堀元宣、色彩設計は山由美子、プロップデザイナーは常木志伸&石本剛啓、メカニックデザイナーは荒牧伸志&臼井伸二、モデリング&アニメーション・ディレクターは鈴木大介、リードアニメーターは植高正典&小川実希、撮影監督は上薗隆浩、アニメーション・プロデューサーは松浦裕暁、美術監督は竹田悠介、編集は佐藤敦紀、音楽は川井憲次。
声の出演は宮野真守、小野大輔、斎藤千和、勝部演之、藤田宗久、玉川砂記子、大川透、吉野裕行、杉山紀彰、増岡太郎、丹沢晃之、佐竹海莉、高橋伸也、内匠靖明、大木鈴之介、江川央生、立花慎之介、泉田豊、てらそままさき、秋保佐永子、石原由宇、今瀬未知、斧アツシ、各務立基、金光宣明、小池謙、合田絵利、小林未沙、酒巻光宏、畠山航輔、八戸亮、花田允光、山根舞ら。


石ノ森章太郎の漫画『サイボーグ009』を基にした長編アニメーション映画。
監督&脚本はTVアニメ『東のエデン』や映画『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』を手掛けた神山健治。
ジョーの声を宮野真守、リンクを小野大輔、フランソワーズを斎藤千和、ギルモアを勝部演之、ボイドを藤田宗久、イワンを玉川砂記子、ハインリヒを大川透、グレートを吉野裕行、ピュンマを杉山紀彰、張々湖を増岡太郎、ジェロニモを丹沢晃之が担当している。

それにしても、今となってはグレート・ブリテンや張々湖(ちゃんちゃんこ)といった安易なネーミングが恨めしいよなあ。
どんなにシリアスに作っても、そこで陳腐になっちゃうもんなあ。
ただし、そこのネーミングを変更してしまったら「そんなの『サイボーグ009』じゃない」という強烈な批判を浴びること必至だし、悩ましいところだねえ。
いっそのこと、海外で作ってもらった方がいいのかもね。それなら名前が変更されても受け入れやすいし。

当初は押井守が監督を務める予定だったが、「ギルモア博士は既に死亡」「58歳のフランソワーズと犬に脳を移植したイワンだけが登場し、他のメンバーは死亡」というアイデアを出して却下された。
押井塾の教え子である神山健治は、押井守に監督をしてもらいたいという思いで、師匠へのラブレターのつもりで脚本を書いた。
しかし押井は自身のアイデアに固執して首を縦に振らず、神山が監督も兼ねることになったという経緯がある。

まず押井守のアイデアが通らず、監督を降板したのは大正解だ。58歳のフランソワーズと犬に脳を移植したイワン以外のメンバーが登場しないのは「そりゃ『サイボーグ009』でも何でもねえよ」と思うし、そもそも押井守は『サイボーグ009』を撮ろうという気が無いのだ。
「神とは何ぞや」という高尚かつ難解なテーマを描く上で、そのための容器として『サイボーグ009』という有名作品を利用しようと目論んでいたに過ぎないのだ。
しかし代わりに監督と脚本を引き受けたのが神山健治であり、しかも押井守へのラブレターのつもりでシナリオを描いたことで、結果的には「押井監督と大して変わらんのじゃないか」という作品が完成してしまった。残念ながら神山健治は師匠の悪い部分を全て引き継いでしまったようだ。
それは「難解なテーマを難解に描く」「具体性を持たせないと分かりにくい事柄を抽象的に描く」「やたらとセリフによる哲学的な講釈を入れたがる」「本人が分かっているだけで納得してしまい、観客に分からせようとしない」といった特徴だ。

この映画の仕上がりを見る限り、企画から降りた押井守だけじゃなくて、神山健治もエンターテインメントをマトモにやる気が無かったとしか思えない。
さらに「自分が訴えたいメッセージや描きたいテーマのために作品を利用する」という部分まで、神山健治は押井守に似てしまったらしい。
一応、この作品は原作の『地下帝国ヨミ編』『天使編』『神々との闘い編』をモチーフにしており、石ノ森章太郎も「神とは何ぞや」というテーマを掲げていた。
だが、「問題がデカすぎて手に負えない。答えが出せない」と諦めたらしく、原作は未完のままになっているのだ。

途中で投げ出すことも珍しくなかった先生だけど、『サイボーグ009』に関しては賢明な判断だったのではないかという気がする。
たぶん無理に頑張っても、読者が納得できる結末に辿り着かなかったんじゃないかと。
だから本作品も、「なんで原作者が投げ出しちゃったテーマを掲げて、無理に答えを出そうとするかねえ」と思ってしまう。
しかも、そんなテーマをわざわざ持ち込んでおきながら、ボンヤリしたままで終わらせているんだよな。
観客に委ねる部分が、あまりにも大きすぎる。ほとんど投げ出しているのと変わらんぞ。

あと、これって明らかに一見さんだとキツい内容なんだよな。
観客が『サイボーグ009』について詳しく知っていることを前提にして、話が作られているのだ。
何しろ、「かつてジョーたちは一緒に戦っていたけど今は違う」というところから始まるのだ。
つまり、過去にアニメや漫画で描かれた内容に関しては、それを全て「過去にあった出来事」として捉え、「観客は全て知っている」という前提で話が進められていくのだ。

グレートが「いつの間に俺たちは正義の味方じゃなくなってしまったんだ」と漏らすけど、そもそも正義の味方だった頃が描かれていないから、そんなこと言われてもピンと来ない。
原作やアニメを見て内容を覚えている人なら脳内補完できるだろうけど、一見さんや覚えていない人にとっては、気持ちが入り込みにくい中身になっている。
続編じゃないのに、続編としてしか成立しない映画なのだ。
かなり辛辣な表現をしてしまうと、映画としてはものすごく不親切で不誠実な不良品だ。

そんなわけだから、『サイボーグ009』のタイトルは知っているけど内容は良く知らないという人や、全く知らない人なんかは、完全に置いてけぼりを食わされる。
以前に公開された映画の続編として正式に作られているならともかく、そうじゃないでしょうに。
だったら、これを「仕切り直した『サイボーグ009』の映画化企画の1本目」として、まずは知らない人にも分かりやすい話にすべきでしょ。
そんで、これがヒットしたら、シリーズ化を構想すればいいわけで。

それを考えると、『神々との闘い編』をモチーフにして「神とは何ぞや」というテーマを提示すべきじゃないわ。もっとシンプルに、ゼロゼロナンバーズサイボーグが結集し、悪党と戦う内容にすべきだわ。
そもそも「かつて正義の味方として活躍したゼロゼロナンバーズサイボーグが、今では四散して云々」という設定になっている時点で違和感があるよ。その時点で一見さんを無視しているでしょ。
最初から一見さんの観客を完全に無視して、『サイボーグ009』の熱烈なファンだけをターゲットに据えたコミューン映画(私が勝手に考えたジャンル)として企画しているとしても、キャラクターデザインや設定が大きく異なるんだから、アプローチが間違っているでしょ。
ジェットが「世界の平和を自由を守って来たのは俺たちアメリカ人だ」と言い出した時には、「彼とジョーを使ってアメリカの正義に対する批判的なメッセージを訴えるのかよ」と違和感バリバリだったわ。

そもそも、他の連中は普通に過ごしているのに、なぜジョーだけが記憶を抹消されて高校3年間を何度も繰り返しているのか、そこからして良く分からん。
ギルモアは「その姿が日常生活を送る上でストレスになると気付き、過去の記憶を抹消して3年ごとにリセットすることにした」と説明しているけど、こじつけにしか思えない。
それによって「フランソワーズと年齢がどんどん離れて行く」という要素を生じさせ、恋愛劇を厚くするために使うのかと思ったら、大して利用していないし。

ギルモアが考えている「イスラエル国防総省の出先機関である軍産複合体のサムエル・キャピタル社が世界の秩序を安定させないことで莫大な利益を得ようとしており、尻馬に乗ろうとしたアメリカ政府が非合法な事業に次々とゴーサインを出し、サムエル・キャピタル社が死体サイボーグを使った自爆テロを繰り返すことで新たな形の世界戦争を継続させて兵器と安全保障を売りさばこうとしている」という推察は、ものすごく入り組んでいて取っ付きにくい。
で、そこまで小難しい推察を台詞で長々と説明しておきながら、「それは全て間違いで、実際は“彼”の声に導かれた連中の仕業」という真相が待っているのだ。
それなら最初から、ギルモアの説明って完全に無駄でしょ。そんなことを説明して、観客が無駄に頭を使わなきゃならない羽目になっているってのは、「全て間違い」と明かされた時にドッと疲れるわ。っていうか、間違った説明を聞いて噛み砕いている作業の段階で、既に頭が疲れているし。
そんだけ小難しい説明があるなら、もう「それが真相」ってことでいいわ。「“彼”の声に導かれた連中の仕業」というのが真相なら、そこまで具体的な推理の説明なんて邪魔だわ。

他にも「なぜイワンの能力でミサイルをテレポーテーションさせることは出来ないのか」「ジョーは主人公なのに全く魅力的じゃない」「ピュンマの出番が少なくて存在意義が薄すぎるし、サイボーグとしての能力を全く披露していない」「9人が集まって敵と戦うシーンを用意しないのをオリジナリティーだと思っているなら、そんなモノはドブにでも捨ててしまう」など、気になることは色々とある。
「始めに声ありき。言葉は彼なりき」という最初の辛気臭いモノローグからして、「ああ、そういうノリで行くつもりなのね」とゲンナリさせられたのだが、そこで感じた通りの内容だった。
結局、この映画は一見さんにとって敷居が高すぎて、でも御馴染みさんには違和感が強すぎる改装を施し、誰もが入りにくくなった料亭のようなモノだ。
公開当時のキャッチコピーは「終わらせなければ、始まらない。」だけど、終わらせなくても始めることは出来る。別に今までの作品群の完結篇なんて作らなくても、誕生篇から始めればいいのよ。
それで文句を言う奴なんて、ほんの一部の人間だけだって。

(観賞日:2014年9月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会