『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』:2010、日本

文政12年(西暦1829年)、江戸。不可思議な妖術を使う怪しげな男が現れ、人々を恐怖のどん底に突き落としていた。追い詰められた 南町奉行・大村直助は、蘭学者・上田の元を訪れた。妖術師からは、次に江戸で一番人気の見世物小屋を襲うという予告状が届いていた。 それは将軍様の世継ぎになる人物がお忍びで通っている山田一座の小屋で、太夫姿の山田直子が水芸を披露していた。
大村と共に小屋を訪れた上田は、水芸を見て「ただの子供騙しです」とバカにする。そこへ妖術師が現れ、妖術で小屋に火を放った。芸で 使っている水が全く役に立たずに奈緒子が困っていると、母・里見の「火を以って火を制す」という声が聞こえてきた。奈緒子が何とか 火を持とうとしていると、花やしきの興行主に起こされる。奈緒子は花やしきの出番前に、居眠りをしていたのだ。
日本科学技術大学で教授をしている上田次郎の元をを、栃木県万練村(まんねりむら)の青年団に所属する青年・中森翔平が訪れた。翔平 は上田に、1本だけ外れの入った10本のクジを引くよう促した。上田は何度やっても、外れを引いた。翔平は「今のは、ただの手品です」 と言い、タネを明かした。上田がトリックに気付いていた芝居をすると、翔平は「お願いがあって来ました」と言う。
万練村は昔から、「カミハエーリ」と呼ばれる霊能力者によって治められてきた。翔平の祖母である先代カミハエーリが最近、亡くなった 。村には、百日以内に次のカミハエーリを決めなければ大きな災いが起こるという言い伝えがある。全国から霊能力者を集めて戦わせ、 生き残った者を次のカミハエーリにするというのが村の風習だ。翔平は、集まった霊能力者が全てインチキだと明かしてほしいと依頼する 。彼自身も、その戦いに参加しなければならないのだという。翔平は祖母から、後継ぎとして手品を教わっていた。今まで霊能力者のフリ をしてきたが、村の人たちに霊能力者など無いと分からせてほしいという。
一方、花やしきでは奈緒子が舞台に上がったが、客は熱烈なファンである照喜名保だけだった。ところが子供マジシン兄弟がステージに 登場すると、一気に大勢の客が集まって来た。興行主は奈緒子にクビを宣告し、インターネットで見つけたというカミハエーリ募集の情報 を教える。カミハエーリになれば村人からの貢ぎ物が貰える上、村には財宝があると聞かされ、奈緒子はその気になった。
アパートの家賃を溜め込んだ彼女は、大家の池田ハルに電子錠の番号を変えられた。部屋に戻った奈緒子の元に、上田から電話が入った。 彼は商店街の抽選で温泉旅行が当たったと嘘をつき、奈緒子を騙して万練村へ連れて行こうとする。だが、奈緒子も既に村へ行くつもり だったので、その話を断った。奈緒子がバスで村へ向かう途中、一人の乗客が苦悶の表情で倒れ込んだ。すると鈴木玲一郎という乗客が 手をかざし、その男を回復させた。
奈緒子がバスを降りて村へ向かうと、「カミハエーリ選び実行委員会本部」という看板が役場に掛かっていた。奈緒子が実行委員長の 木下権三郎に声を掛けると、ジャンルと名前を書くよう言われる。役場には鈴木の姿もあった。木下から彼が1時間ほど前には来ていたと 聞かされ、奈緒子は驚いた。一方、上田は村長の宇田川八兵衛と会っていた。翔平は宇田川に、「上田さんはインチキ霊能力者がいたら 暴いて下さる」と説明した。
宇田川は上田に、「駐在所から連絡があり、本物の神と偽ってあちこちで詐欺を働いている者が村に紛れ込んだらしい」と述べた。村の 少女・高階美代子が茶を運んできた直後、村人たちが現れ、「村人相手に怪しげなことをやっている奴がいる」と宇田川に報告した。その 怪しげな奴とは、奈緒子のことだった。彼女は一万円札を村人から借りて千円に変える手品を披露し、霊能力だと称した。
知り合いだと知られては困る上田は、奈緒子を十五地蔵に呼び出した。彼は奈緒子に、村を立ち去るよう要求した。すると奈緒子は上田に 、敵同士だと見せ掛けて協力しようと持ち掛けた。翔平は彼の力を信じている美代子に、「霊能力なんてねえんだ。手品をやってただけ なんだ」と打ち明ける。すると美代子は、「私に考えがある。必ず貴方に誰よりもすごい奇跡を起こさせてみせる」と言う。
奈緒子は上田を、封印の札が貼ってある先代カミハエーリの物置小屋に案内した。そこには手品の小道具が幾つも置かれていた。その中で 上田は、村の記録を発見する。1990年の日記では、「村に魔の物が生まれる」という記述があった。ただし、その数日後には問題が解決 したことを示す記述もあった。一方、奈緒子は小道具の棺桶を見つけ、「これ、使えるかもしれないぞ」と口にした。
翌日、大会が開催される。最初に登場したのは、相沢天海とペイズリー教団の面々だ。信者たちが音楽に合わせて踊り、天海は幕に入って 外国人の女性に変身した。続く奈緒子は、土に埋められた棺桶から脱出する術を披露した。その頃、警視庁公安部の刑事・矢部謙三と部下 の秋葉原人は、詐欺師を追い掛けて村へと向かっていた。水晶の力で未来を予知するという村尾園子は、「1週間前に送った手紙に、今 から起きることが書かれている」と言い、村人にトランプを分けさせる。「ダイヤのQで分ける」という文面通りの結果が出たが、奈緒子 は彼女がカードを隠し持っていたことを暴く。しかし上田がその手柄を横取りした。
翔平は美代子に棺へ入ってもらい、そこから脱出させると宣言した。翔平は不安だったが、美代子が「大丈夫、上手くやっから」と告げた 。実際、彼女は見事に脱出してみせた。ギターを演奏して現れた伏見達郎は、不死身な体を持っていると主張した。そして彼はクレーンで 吊り上げた鉄球を自分に落下させ、それでも死なないことを見せ付けた。しかし奈緒子は、地面にがへこむ仕掛けがしてあることを指摘 する。村民たちは、伏見を粛清しようと前に出た。
鈴木が「その人が不死身か確かめさせてもらってもいいですか」と前に出て、「私は呪いで人を殺すことが出来ます」と言う。鈴木は場所 を移し、小屋に伏見を閉じ込めて「1分後に開ける」と告げる。扉を閉じて外に出た鈴木は、手をかざして呪文を唱える。村人が扉を 開けると、伏見の姿は無かった。鈴木は「呪い殺すだけのつもりが、どこかへ移動させてしまった」と余裕の笑みを浮かべる。村人たちは 捜索した。上田は、崖下でバラバラ死体になっている伏見を発見した。
鈴木は大会の参加者たちに、「お互いに呪いを掛け合って勝負を決めるのはどうです?いわば、霊能力者バトルロイヤル」と提案した。 奈緒子たちが返答に困っていると、鈴木は勝手にバトルロイヤルの開始を宣言した。そこへ矢部と秋葉が来るが、村人たちは詐欺師だと 思い込む。奈緒子と上田は事情説明を求められるが、赤の他人を装った。矢部たちは、電気の通った牢獄に監禁された。
小屋に戻った奈緒子は、室内に仕掛けられた罠で殺されそうになった。上田は奈緒子を十五地蔵に隠れさせる。翔平は美代子に、棺桶から 抜け出した方法を尋ねる。すると美代子が「鈴木っていう人がおまじないを掛けてくれた。それ以来、目を閉じると別の場所に行けるよう になった」と語る。奈緒子は上田に、「村には先代の仕掛けが幾つも用意されており、伏見が殺された小屋にも仕掛けがあって、それを 鈴木が利用したのでは」という推理を述べる。だが、上田は「だったら翔平君が俺に言うはずだ」と否定的な見解だった。
その夜遅く、小屋に閉じこもっていた天海が死体で発見された。その頬には4つの小さな穴があり、信者は蛇が出て行くのを見て「毒蛇に 殺されたんだ」と言う。そこへ鈴木が来て、「蛇はどこにでも出入りできますよ」と不敵に笑った。翔平は美代子が森へ向かったと聞き、 捜しに行く。そこで翔平は園子の死体を発見した。宇田川から「これも貴方が?」と訊かれた鈴木は、「いいや」と答えた。
奈緒子は天海の小屋に毒蛇を忍び込ませた方法を見抜き、上田に語った。二重の容器に蛇を隠したのだ。上田は園子を殺した犯人として、 美代子の名前を挙げる。魔の物が生まれたという1990年は、美代子が生まれた年だった。翔平は美代子に、園子を殺した疑惑をぶつける。 すると美代子は「私が人殺しなんかするはずねえべや」と否定し、「私が貴方を絶対に勝たせてあげる」と告げた。
翔平は役場に村人たちを集め、自分が霊能力者ではないことを打ち明けた。鈴木は、インチキを告白した翔平を呪い殺す気は無いと告げる 。翔平は宇田川に「村から出て行ってもらう」と言われ、粛々と応じた。奈緒子は鈴木から、「今晩、伏見を呪い殺した小屋で待ってる」 と告げられた。上田は奈緒子に、「翔平君は美代子さんが自分のために人殺しをしていると考えて、それを止めさせるために一人で村を 出て行ったんだ」と言う。
夜、奈緒子は上田に見送られ、小屋へ向かった。すると鈴木は彼女に、村の歴史について調べたことを語る。何百年も前、南の島から カミヌーリという一人の霊能力者が村に流れ着いた。カミヌーリは村の呪術師と対決して追い払い、万練村を治めるようになったのだと いう。鈴木は奈緒子に「お前はカミヌーリの血を引いた霊能力者だ。一緒に来ないか。私ならお前の力を引き出してやれる」と持ち掛ける 。奈緒子が拒否すると、鈴木は手をかざして小屋に火を放ち、彼女を閉じ込めた…。

監督は堤幸彦、脚本は蒔田光治、製作は上松道夫&島谷能成、共同製作は尾崎徹&水野文英&吉田鏡&長坂信人、エグゼクティブ・ プロデューサーは平城隆司&市川南、企画は梅澤道彦&塚田泰浩、チーフプロデューサーは桑田潔&山内章弘、プロデューサーは船津浩一 &蒔田光治&樋口優香、協力プロデューサーは小久保聡&吉川大祐、コンテンツプロデューサーは高野渉、撮影は斑目茂友、編集は伊藤伸行、 録音は臼井久雄、照明は川里一幸、美術は稲垣尚夫、VFXは野崎宏二、映像は中村寿昌、イラストレーターは千原櫻子、音楽は辻陽、 主題歌「月恋歌」は熊谷育美、ナレーションは森山周一郎。
出演は仲間由紀恵、阿部寛、生瀬勝久、松平健、野際陽子、佐藤健、夏帆、藤木直人、片瀬那奈、戸田恵子、平泉成、三浦理恵子、 きたろう、島崎俊郎、増本庄一郎、山寺宏一、河本準一、大島蓉子、池田鉄洋、ガッツ石松、瀬戸陽一朗、アベディン・モハメッド、 なすび、田所二葉、魁三太郎、山上兄弟、森下哲夫、長澤つぐみ、顔田顔彦、坂田鉄平、松村真知子、平川和宏、沼田康弘、久保晶、豊、 真砂皓太、吉永秀平、鬼頭真也、山崎和如、海老原正美、窪寺昭、柴崎真人、齊藤義洋、泉州山喜裕、三浦高典、前川貴紀、杉本崇、 本多剛幸、中尾和彦、縄田雄哉、市川裕之、中野高志、乾あきお、安福毅ら。


既に終了しているTVシリーズ『トリック』の劇場版第3作。
シリーズ10周年記念作品として、前作から4年ぶりに製作された。
奈緒子役の仲間由紀恵、上田役の阿部寛、矢部役の生瀬勝久、里見役の野際陽子、ハル役の大島蓉子、秋葉役の池田鉄洋などは レギュラー出演者。鈴木を松平健、翔平を佐藤健、美代子を夏帆、伏見を藤木直人、園子を片瀬那奈、天海を戸田恵子、宇田川を平泉成が 演じている。
監督はTVシリーズから引き続いて堤幸彦が担当している。

霊能力を自称する連中の披露する技が、全て「いかにも手品です」というモノなのは前作と同様。
TVドラマは全く見ていなかったが、映画は1作目から見ているので、そういうノリなのは既に理解している。
また、トリックの面白さで引き付けようという気は、さらさら無いらしい。全て陳腐だ。
トリックの種明かしは全て「なるほど、そうだったのか」という高揚感に乏しいものばかりだし、ヒントを集めて正解に辿り着く面白さが あるわけでもない。

そもそも、トリックを使って実践された行為そのものが、滑稽で陳腐なものとして描かれているので、後から種明かしをされても「別に どうでもいいわ」という感じなんだよな。
本格推理のトリックが明かされる時のような、その種明かしの重要性を全く感じないんだよな。
極端な話、ホントに使用者が霊能力を使っていたとしても、「それでも別に構わんけどね」と思ってしまうぐらいだ。
いや、ホントはダメなんだけど、ようするに「どーでもいい」という気持ちになってしまうってことだ。

このシリーズの特徴は、これでもかと小ネタを盛り込むことだ。
例えば里見が「紀伊半多」と書道で書く(野際陽子は『キイハンター』に出演していた)とか、里見の「火を以って」という言葉を奈緒子 が「火を持って」と勘違いするとか、大学のキャンパスに座っている4人のネームプレートにノーベル賞受賞者の苗字が書いてあるとか、 里見の美字っ館の開館祝いに「プーチソ」「オバヌ」「鶏山由紀夫」から花が届いているとか。
他にも、奈緒子がチキンラーメンに卵を乗せて食べるとか(仲間由紀恵がチキンラーメンのCMをやっているので)、村の案内図には 「若久浜(じゃっくはまー)」や「毎茄子硫黄川(まいなすいおんがわ)」や「名牛風ノ谷(なうしかぜのたに)」という地名があるとか 、ド田舎の村なのに、「ファッションセンターしむまら」があるとか(決して「しまむら」ではない)。
さらには、大会受付で「マジシャン」と書こうとした奈緒子が途中でマズいと気付いて「マジ超能力者」と書くとか、小屋に「不」「気」 「味」の文字があるとか、道案内に「織田無道」の文字があるとか、「魔の物」と聞いた奈緒子が「きゅうりとか、くらげとか、もずく とか」と酢の物を挙げるとか、他にも色々と小ネタが用意されている。
ここに挙げたのは、まだ前半に出て来たネタばかりだ。
正直、物語の充実よりも、小ネタの羅列に重点を置いているように見受けられる。

万練村という名前を使っているぐらいだし、製作サイドは分かった上でマンネリズムを持ち込んでいるようだ。
世の中には、偉大なるマンネリズムで高い人気を得た作品も存在している。
例えば『男はつらいよ』シリーズは、どれを見ても全て同じパターンだが、それでも国民的映画として高い人気を得ていた。
ただし、『男はつらいよ』の場合、そこにあるのは物語のフォーマットとしてのマンネリズムだ。
それにベタではあるが、それは感動させる人情喜劇のパターンだ。

それに対して、こちらのマンネリズムは、「面白い物語」としての基盤が無いんだよね。
この作品がやっているマンネリズムは、「小ネタを散りばめる」というものだ。
だげとね、それは偉大なるマンネリズムになってないのよ。
物語としての盛り上がりが全く無いし、それに同じパターンの小ネタを繰り返されても、それで笑うのは難しいよ。ただ既視感に 見舞われて「もう飽きたよ」と感じるだけ。

吉本新喜劇みたいに「来るぞ、来るぞ」と思わせてギャグをカマすというマンネリ喜劇の作り方をしているわけでもないし、単に「ダメな ユルさに満ち溢れた、笑えないコメディー」になっている。
そもそも劇場版の1作目から感じていることだが、この作品を映画にする必要性を全く感じない。
これも1作目から感じているが、この作品のテイストだと2時間のTVスペシャルでも厳しくて、1時間の枠が限界じゃないだろうか。

(観賞日:2011年3月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会