『劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日』:2013、日本

1582年6月2日の京都で、本能寺の変が勃発した。炎に包まれる本能寺に明智光秀の軍勢が攻め込む中、博多から茶会に招かれていた豪商の島井宗叱は下男を失いながらも茶器を取りに戻った。6月13日、タイムスクープ社第二調査部に所属する時空ジャーナリストの沢嶋雄一が到着した。タイムスクープ社はタイムワープ技術を駆使し、あらゆる時代にジャーナリストを派遣して人々の営みを映像で記録し、アーカイブ計画を推し進めている機関である。
情勢不安に包まれる京都の町で、沢嶋は庶民への取材と記録を開始した。ただし沢嶋は、事件の調査をすることは出来ない。彼の所属する第二調査部は、歴史の教科書には載らない名も無き人々の取材が専門だからだ。混乱に乗じて略奪や暴動が発生する中、生活を失った人々は天皇の住居である禁裏に逃げ込んだ。敷地内に勝手に仮説小屋を設営して避難生活を送る人々の中に、今回の取材対象である矢島権之助の姿があった。難民救済に当たる矢島は、11日前までは禁裏で警備を担当する旧織田方の武士だった。
沢嶋が密着取材を行っていると、所司代の家中である勝田勘兵衛がやって来た。勝田は島井を伴っており、彼を博多まで武士に送り届けてほしいと矢島に依頼する。勝田は右脚に怪我を負い、長旅は無理な状態だった。困惑する矢島に、勝田は禁裏の人々の世話を引き継ぐと告げる。主人を失った勝田に「織田家への最後のご奉公でござる」と懇願され、矢島は役目を引き受けた。沢嶋は矢島と島井に同行し、博多を目指して旅立った。
途中で明智軍の足軽たちと遭遇した3人は、刀を向けられた。だが、そこへ庶民の一団が押し寄せて足軽たちに襲い掛かり、沢嶋たちは危機を免れた。醍醐付近で野盗に殺された行商人の死体を発見した矢島は、林の中を抜けようとする。しかし直後に3人組の野盗が現れ、茶器を奪おうとする。矢島が野盗たちを押し倒し、3人はその場から逃げ出した。野盗を殺さなかった矢島に、沢嶋はマイクを向けた。すると矢島は、一向一揆で集められた時に無益な殺戮だと感じ、降参してきた百姓たちの殺害命令を拒否したために出世の道を外れたことを明かした。
3人が再び歩き始めた直後、向こうから山伏が現れた。山伏はいきなり銃を発砲し、茶器を奪い去ろうとする。沢嶋は追い掛けて山伏と揉み合い、川に転落した。茶器は川を流され、山伏は逃亡した。その映像をコントロールルームで見ていた第二調査部ナビゲーターの古橋ミナミは、部長の谷崎勉に報告した。2人は局長の一ノ瀬忠文に映像を見せ、第一調査部が護身用に採用しているフリーズガンを山伏が使ったこと、彼が幻と言われる国宝級の茶器「楢柴」を狙っていたことを報告した。本来の歴史では、楢柴は1587年に豊臣秀吉の元へ渡り、やがて徳川家の所有となり、最後は江戸時代の明暦の大火で消失することになっている。
アフターチェックルームで待機していた沢嶋に、古橋は犯人はオルタナだろうという推測を述べた。オルタナとはタイムワープを使って歴史的遺物を略奪する闇のコレクター集団で、目的や黒幕については何も分かっていない。実行犯はオルタナ・スナッチャーと呼ばれており、お金で雇われた単なる盗賊だ。盗んだ品物は複雑な売買ルートを辿って黒幕の元へ行くため、真相究明を難しくしている。
沢嶋は一ノ瀬から、茶器を回収して島田の元へ戻す歴史修復作業に入るよう指示された。戦国時代の川に戻るのかと考える沢嶋に、古橋は1985年の新聞記事を見せる。それは、五松学院という高校で楢柴が発見されたという記事だ。川を流された茶器が下流の地層に埋まり、時を経て五松学院に辿り着いたのだろうと古橋は語る。彼女は沢嶋に、信頼できる後輩をアシスタントとして同行させることを告げた。
1985年10月7日にタイムワープとした沢嶋は、新人ジャーナリストの細野ヒカリと合流した。セーラー服姿で現れた彼女は、時代に合った服を沢嶋に渡した。五松学院は女子高なので、細野が単独で潜入した。沢嶋がメガネ型の端末を使って指示を送り、細野は資料室にあった茶器の箱を盗み出した。しかし沢嶋が箱を開けると、茶器は破損していた。同封されていた紙には、「茶器の名前は不明。1945年の空襲で一部破損」と書いてあった。
1945年にタイムワープしようと考えた2人は、不良グループに絡まれた。2人はエレベーターに逃げ込み、細野が持参したタイムワープ装置で1945年5月29日に移動した。2人は婦人会の女性たちや指導員に服装を怪しまれ、非国民として追い掛けられた。何とか逃亡した2人は五松学院へ忍び込み、楢柴を盗み出した。学校を出ようとした2人は、婦人会の面々や警官たちに見つかって追い詰められる。だが、空襲警報が鳴り響いたため、人々は慌てて避難した。爆撃機の編隊が迫る中、沢嶋と細野は急いでタイムワープした。
沢嶋と細野は1582年6月13日にタイムワープし、矢島と島井がフリーズガンの停止機能から解放されるのを確認した。沢嶋は島井に茶器を渡し、本部に任務完了の連絡を入れた。細野は古橋に、「差し支えが無ければ、この時代に残って取材させて頂きたい案件があるんです」と言う。沢嶋の質問を受けた彼女は、翌日の6月14日に安土城が消失すること、今でも原因が不明であることを話す。彼女が今回の任務を受けた目的は、最初から安土城消失の謎を解明することにあったのだ。
沢嶋は「それは第一調査部の仕事だ」と却下し、大きなスクープを得ようとする細野の考え方を全否定する。2人の言い争いを諌めた谷崎は、タイムワープした犯人が周辺にいないかどうか捜索するよう指示した。だが、通信を終えた直後、先程の野盗が仲間と共に現れた。沢嶋、細野、矢島、島井は野盗に包囲され、彼らが乗っ取った大幡村へ連行された。沢嶋たちの他にも、4人の村人が捕まっていた。残る村人は殺されたか、逃げたかのどちらかだった。
野盗の頭領は元織田方の伴山三郎兵衛で、矢島とも顔見知りだった。伴山は織田方を見限り、明智方にも付かず、安土城に残る財宝を盗み出そうと目論んでいた。伴山は細野のタイムワープ装置が何かも知らないまま、それを奪い取った。安土城にいた明智の残党が去ったという知らせを受け、伴山は仲間を引き連れて出発することにした。彼は呼び寄せた人買いに、捕まえた8人を無料で引き渡すと告げる。島井は自身の素性を明かし、茶器を渡すことで自分だけ助けてもらおうとする。しかし刀を向けられたため、慌てて安土城までの案内を申し出た。「宝ありかを知っておる」と彼が言うので、伴山は連れて行くことにした。
人買いは沢嶋たちを牢に閉じ込め、客としてやってきた武士を案内する。武士は拾って来た遊び女の志乃と交換で、矢島を買い取った。武士は手柄を偽装するため、矢島を身分の高い侍に見せ掛けて首をはねようとする。そこへ大幡村出身の足軽たちが駆け付け、人買いや武士たちを始末した。矢島は島井を連れ戻すため、安土城へ急ごうとする。すると足軽たちは、信長に奪われた村の守り神“お石様”を取り返すために自分たちも行くと告げる。沢嶋はタイムワープ装置を奪還するため、細野は取材目的で、やはり同行することにした。志乃も「遊び女たちのために宝を手に入れ、供養してやりたい」と言い出し、そこにいる全員で安土城へ向かう…。

脚本・監督は中尾浩之、製作統括は依田巽、製作は中祖眞一郎&加藤雅巳&佐藤寿美&池内裕啓、エグゼクティブプロデューサーは小竹里美、プロデューサーは松下剛&平賀大介、協力プロデューサーは朴木浩美&村野英司、撮影監督は小川ミキ、衣装デザイン・スタイリングはBaby mix、ヘアメイクは新宮利彦、美術は吉田透、録音は野津晶子、ラインプロデューサーは神谷春香、脚本協力は田中徹、時代考証は清水克行、編集は小澤謙、VFXスーパーバイザーは菅原悦史、音楽は戸田信子。
出演は要潤、夏帆、杏、時任三郎、宇津井健、上島竜兵、小島聖、カンニング竹山、山中崇、吉家章人、嶋田久作、末吉くん、小林和寿、兄者、川嵜祐樹、イマニシケンタ、真木順子、中田敦夫、古川真司、三山将、五頭山夫、高橋K太、坪内悟、岡けんじ、川島麻有弥、鮫島満博、萩原宏樹、宮本浩平、片山知彦、横内宗隆、河島あみる、松尾健司、溝口秀治、中島真介、江口信、甲斐将馬、山端零、塩谷太自、松本勝、熊井仁美、伊藤優希、佐藤かなえ、森嶋明美里、望月智弥、小林大祐、鹿谷恭介、黒川昌信、林田かずえ、春日亀千尋、深澤さやか、小柳ふよう、嶋本勝博、のむらいおん他。


NHK総合テレビの番組『タイムスクープハンター』の劇場版。
脚本&監督はTVシリーズに引き続いて中尾浩之が担当。劇場用映画は2008年の『東京オンリーピック』に続いて2作目となる。
沢嶋役の要潤と古橋役の杏は、TVシリーズのレギュラー。細野を夏帆、矢島を時任三郎、一ノ瀬を宇津井健、島井を上島竜兵、志乃を小島聖、谷崎をカンニング竹山、平太を山中崇、勝田を吉家章人、伴山を嶋田久作が演じている。

『タイムスクープハンター』は「未来の時空ジャーナリストが過去へ行き、歴史の教科書に載らない人々の営みを取材する」という体裁を取った歴史教養番組である。モキュメンタリー方式で作られているが、主人公が未来人という設定からして、視聴者に「そこで描かれている内容は真実」と思わせようとする狙いは皆無である。
テレビ版は何度か見たことがあり、面白い番組だと思った。ただし、あくまでも「テレビの歴史教養番組として面白い」と感じたのであり、どう考えたって映画向きではない素材だ。
民放各局が映画製作に参入し、ちょっと人気の出た連続ドラマを安易に映画化する流れが確立される中、NHKも自社コンテンツの劇場版を作ることに対して積極的な姿勢を見せるようになった。しかも、『ハゲタカ』や『セカンドバージン』のような連続ドラマだけでなく、バラエティー番組である『サラリーマンNEO』、そして歴史教養番組である『タイムスクープハンター』にまで手を出した。
もはや、その節操の無さは、民放よりもタチが悪いのではないか。

時空ジャーナリストの沢嶋は、どの時代へ飛んでも未来のコスチュームを着用し、カメラを回し、未来のハイテク機器を人々の前で使用している。
これはテレビ版を見ていない人からすると、「その時代に全く溶け込んでいない格好で、未来の道具を使っているのに、なぜ普通に取材できているのか」と違和感を覚えるのではないか。
私も最初にテレビ版を見た時は、「そこは大いに無理があるなあ」と感じた。でも、「まあテレビ番組だし」ということで受け入れた。つまり、「未来の格好で未来の道具を使う未来人が普通に取材できている理由」の説明に説得力を感じたわけではなく、かなり無理のある設定だと分かった上で受け入れたのだ。
しかし、同じことを映画でやると、テレビ版にも増して「無理のある設定だなあ」ってのは強く感じる。「特殊な交渉術で取材許可を得ている」と沢嶋は説明しているけど、それは俗に「御都合主義」と言われるモノだからね。

この劇場版でTVシリーズと最も大きく異なる点は、「多くの有名人が過去の人物を演じている」ということだ。
映画版を作ろうとなった時に、それなりに豪華な感じを出そうと考えるのは分からなくもない。しかし本作品の場合、出演者の顔触れで「テレビ版との差異」を示そうとするのは明らかに間違いである。
なぜなら、これはモキュメンタリー方式の作品だからだ。
モキュメンタリーというのは、まるでドキュメンタリーのように作られているところに意味があるのだ。しかし有名人が多くの登場人物を演じることによって、「作り物」としての印象が強くなり、モキュメンタリーとしての意味が薄れてしまうのだ。

『タイムスクープハンター』は歴史教養番組なので、正確な時代考証を行い、出来る限りリアリティーを追及しようとしていた。また、歴史に名を残さないような市井の人々の生活を記録するという体裁を取っていた。
そういう意味でも、過去の時代を生きる人物を全て無名のキャストで固めたのは大きかった。無名キャストだからこそ、「密着ドキュメンタリー風」の味付けが活きたのだ。
しかし、時任三郎や上島竜兵が侍や商人を演じている様子を同じ方法で見せられても、それを「リアルな密着ドキュメンタリー」として受け取ることは無理だ。
モキュメンタリーの体裁を取っている意味が、もはや完全に崩壊している。

ところが、この劇場版は、それどころではない問題を抱えていた。
なんと本作品は、「歴史教養番組」としての枠組みさえ破壊してしまう。
途中から「楢壺が奪われて改変された歴史を元に戻すため、沢嶋が行動する」という話になり、完全にフィクション・ドラマとしての方向へ舵を切るのである。
そうなってしまったら、もう『タイムスクープハンター』の劇場版とは言えないでしょ。

そりゃあ、「劇場版でテレビ版と同様の歴史教養番組スタイルを貫いても、お客さんは退屈するだろう」と考えたとしても、分からなくはない。しかも約2時間の尺ってことを考えると、まあ退屈する観客は多いだろうと想像できる。
ただし、そもそも映画化という企画の段階で間違っているわけだからね。
間違った劇場版を作っておいて、テレビ版と全く異なる作品を仕上げるってのは、どうなのかと。
それは企画段階での間違いを修正しようとして、間違いを重ねているようにしか思えないんだけど。

テレビ版でも沢嶋に予想外のトラブルが降り掛かることは良くあった。ただし、あくまでも当時の人間が関与する出来事に限定されており、そのせいで歴史が改変される事態が起きるということは無かった。なぜなら、その時代の生活や風俗を描くことが目的の番組だからだ。
今回の場合、未来の人間が何らかの目的で関与し、そのせいで歴史が改変されるという内容になっており、もはやテレビ版の目的は完全に脇へと追いやられている。ただの安っぽいSF物になっている。
そういうことは、『タイムスクープハンター』でやるべきことではない。そのタイトルで劇場版を作る以上、根幹となるテーマを忘れちゃダメでしょ。
テレビ版との差異を付けるにしても、例えば「特例として有名人や有名な出来事を調査する」とか、そういう方向で考えるべきだよ。沢嶋が取材ではなく歴史の修復作業のために過去へタイムワープするなんて、完全に内容がズレちゃってるでしょ。『タイムスクープハンター』って、そういう番組じゃなかったはずでしょ。

1985年にタイムワープするってのも、完全に描くべきピントがズレていると言わざるを得ない。
まず、複数の時代へ飛んでいる時点で失敗であり、基本的には1つの時代に留めておくべきだ。
歴史的に関連の深い2つの時代へ行くならともかく、そうじゃないんだし。
あと、2つの時代へ行くにしても、1985年はダメだろ。近代にも程があるわ。
しかも取材目的じゃないから、「当時の生活や風俗を記録する」とという作業は薄いし。

1985年にタイムワープすると、「取材以外ではカモフラージュ機能も特殊な交渉術も使えない」ということで沢嶋は普通の服を着るのだが、まあ見事な御都合主義だ。そこは単に、「夏帆にセーラー服を着せたい」ってだけじゃないのか。
いや、そうだとしても、沢嶋まで普通の服を来て「その時代に順応しよう」という行為を取ってしまうと、普段の「どの時代に行っても未来の服やハイテク装備で普通に取材できている」という設定との間に矛盾を感じてしまうわ。
あと、そこは取材目的じゃないから「沢嶋の用意したカメラで撮影している」という体裁も取っていないわけで、それなのに手持ちカメラでドキュメンタリー風に撮っているのは意味が無いでしょ。もはや、ドキュメンタリー・タッチという体裁を取る意味が崩壊しているんだからさ。
そんで、前述したように1985年の生活や風俗を描く作業はペラペラのまま、さっさと1945年へ飛ぶけど、だったら最初からそっちへ飛べと言いたくなるわ。1985年へ行った意味が全く分からんぞ。

1985年のシーンでは不良学生たちに絡まれるが、そんなピンチは心底からどうでもいいわ。
1945年に飛ぶと、今度は服装を怪しまれて追い掛けられるけど、そんな安っぽピンチも、どうでもいいわ。そんな展開を入れたところで、これっぽっちも話は盛り上がらないぞ。
その後、「野盗に捕まる」とか「安土城へ向かう」ってのはオルタナと無関係の出来事だけど、そこも「取材目的じゃない」ってのが大きなマイナス。
取材目的じゃないってことはドキュメンタリー風の演出にする意味が無いわけで、それなのに同じように手持ちカメラを使い、引いたショットを一切入れないという見せ方をしているんだけど、それは単に「安っぽい時代劇」でしかないんだよな。

あと、「野盗に捕まる」とか「安土城へ向かう」ってのがオルタナとは無関係ってことは、オルタナって山伏に化けたスナッチャーが茶器を奪った後、ずっと存在が消えてるんだよね。
そんで終盤、そのスナッチャーが登場するけど、ホントに少し絡んだだけで御役御免になる。
だったら、オルタナの存在なんか排除して、「沢嶋が野盗に捕まり、牢から脱出して安土城へ向かう」という展開を作った方がいいんじゃないかと。
どうせオルタナはスナッチャーを1人捕まえただけで、黒幕の正体も目的も不明なままで終わってるんだし。

(観賞日:2014年10月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会