『劇場版 SPEC〜天〜』:2012、日本

1917年7月17日、ポルトガルの小さな町ファティマで聖母マリアが公衆の面前に出現し、三人の羊飼いの子供たちに「預言」を託した。これが有名な「ファティマの預言」である。三部からなる預言の内、「第一」「第二」は、その後の世界情勢を正確に言い当てた。第一次世界大戦の終焉、第二次世界大戦の勃発、その後のソ連の台頭と東西の軍事的政治的対立である。世界は残る「第三の預言」に注目したが、それはバチカンによって長らく厳重に秘匿された。
ところが1981年5月13日、バチカンは教皇ヨハネ・パウロ2世がサンピエトロ広場で狙撃された事件を指して、「これこそがファティマ第三の預言であり、これにてファティマの預言は全て実現された」との見解を発表する。しかし、出来事の文脈が、これまでの2つとは大きく異なっている。羊飼いの子供の一人が述べていた内容や、別のバチカン関係者の証言などから、バチカンが公開した第三の預言は一部に過ぎず、重要な核心は隠匿されているという指摘がある。我々人類は、その予言の刻を迎えた。
2014年11月3日。正汽雅は野々村光太郎の手紙を読んだ。そこには「この手紙が君の目に触れたということは、私はこの世にいないということだ。もしかしたら、当麻君も瀬文君も、この世にはいないかもしれない。君は生き延びて、この真実を必ず歴史に残して欲しい」と記されていた。雅が出入りしていた未詳(警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係)では、かつて野々村や当麻紗綾、瀬文焚流といった面々が、スペックホルダーと呼ばれる特殊能力者の犯罪を取り締まっていた。多岐に渡る能力を持つスペックホルダー同士の戦いが激化する中、やがて暴走が始まったのだった。
2012年8月30日。御前会議の面々は、シンプルプランのパーツが奪われたことについて話し合う。5つの内3つも届いておらず、情報が漏れていると考えられたが、それについては1人のメンバーが「想定内だ。別ルートで持ち込ませている」と述べた。しかし彼らには、他にも第三の預言に出てくる「左手に火の剣を持つ天使」の存在を危惧していた。同年9月6日。フリーズドライされたまま漂流しているクルーザーが、漁師によって発見された。船に乗っていた全員が、ミイラ化した状態で死亡していた。
9月8日。未詳の市柳賢蔵係長たちの元へ、警視総監の似内晶と内閣情報調査官の福富薫がやって来た。ミイラ化死体事件の捜査を依頼された当麻は、マル暴刑事の吉川と同じ手口だと感じる。似内たちは何者かに憑依され、「これは見せしめだ。シンプルプランを辞めないと、全員そうやって殺しちゃうわよ。今度は私たちが世界のサブコードを支配する番よ」と喋った。当麻と瀬文がミイラ化事件の捜査に出た後、市柳は津田助広の姿になり、「裏切り者まで出した責任は取る」と口にした。
野々村はパーツの1つであるゴエティアを所持しており、「何としても第三の預言だけは阻止しなければならん」と心に誓った。潤という幼女が捜査中の瀬文に「パパ」と話し掛けて来たが、ベビーシッターの境が連れ戻しに来た。被害者全員に家族がいないことから、当麻は身許を隠した公安か政府関係者ではないかと疑う。瀬文は志村美鈴からの電話で、狙われているみたいなので助けてほしいと頼まれる。当麻と瀬文が急いで駆け付けると、美鈴を狙っていたのは内閣情報調査室(サイロ)特務班所属の青池里子と宮野珠紀だった。
宮野は当麻たちに、正式な命令が出ており、邪魔すると処罰の対象になると語った。里子たちは美鈴が機密を知っていると睨み、強硬な態度で取り調べた。しかし美鈴が何も話さないので、鎮静剤で眠らせて身柄を保護した。津田は御前会議のメンバーを集め、国を二分するテロを企てている者がいると指摘した。それがシンプルプランだと彼は言うが、御前会議のメンバーはテロを否定して立ち去った。瀬文は元恋人の里子と2人きりになり、美鈴とミイラ化事件の関連について尋ねるが、何も教えてもらえなかった。
当麻の前に死んだはずのニノマエが現れ、「スカウトに来た」と言う。驚く当麻に、彼は死んだように装って姿を消していたことを明かす。ニノマエは権力と戦うための組織を作ったことを話し、スペックホルダーに力を貸すよう求めた。「もう人殺しなんてやめな」と当麻が口にすると、彼は「何度も言うけどさ、虐殺に遭ってるのは僕たちの方だ」と告げる。さらに彼は、当麻の両親がスペックホルダーだったために殺されたこと、クルーザーでもスペックホルダー殺しの計画であるシンプルプランが語られていたことを話す。
ニノマエは「だから僕たちは、生きていくために実権を奪う」と言い、以前から美鈴もスカウトしていたことを話す。「私は行かない」と当麻が拒絶すると、ニノマエは「ファティマ第三の預言は絶対に阻止して」と言う美鈴を連れて姿を消した。ニノマエは御前会議の場へ行き、メンバーに加えるよう要求した。「我々は化け物と手を組まないことを決定した」と拒否されると、ニノマエはダミーメンバーだと分かった上でスペックホルダーの伊藤淳史を呼び寄せ、同席した福富を含む全員を殺害させた。
帰宅した里子は遅かったことを境に咎められ、余分な金を渡した。尾行していた瀬文は潤の顔を見て、「パパ」と呼び掛けた幼女だと気付いた。「俺の子なのか」という質問を里子は否定し、潤の血液型やDNAが自分とも瀬文とも異なることを話す。潤の周囲には不思議なことばかり起きるのだと、彼女は話した。9月9日。ニノマエはダミーメンバー殺害の映像を未詳に送り付けた。ダミーメンバーの死体はミイラ処理され、内閣調査室に送られていた。映像にはマダム陽という女も写っており、ニノマエは「マダム陽が皆さんを全滅させに行く」と告げた。
津田は特殊能力者統合対策本部を設置して当麻たちを集め、指揮を担当すると宣言した。彼は当麻たちに、首相から「ニノマエと仲間を全員逮捕せよ。生死は問わない。超法規的措置を認める」という命令が出ていることを明かした。里子は当麻がニノマエが姉であることから、スパイの可能性があると指摘した。津田は「詳細は調査する」と告げ、1時間以内の再集合まで待機するよう全員に指示した。一方、伊藤がマダム陽と話していると、ニノマエが潤を連れて来た。
津田は対策本部の面々を再集合させ、ニノマエたちを殲滅する作戦を説明しようとする。しかしニノマエが電波ジャックし、縛り上げた似内の姿を見せ付けた。似内が怪我を負わさせても「テロには屈しない」と言うと、ニノマエは「じゃあ、この子はどう?」と潤の姿を対策本部の面々に見せた。彼は「早く来ないと、全員こうだ」と猫を殺し、映像を遮断した。津田は作戦開始を宣言するが、当麻と里子には待機を命じ、宮野には2人の監視を指示した。
当麻は宮野と野々村を薬で眠らせ、反抗的な態度を取る里子を連れて潤の救出に向かうことにした。彼女は鹿浜歩と猪俣宗次を呼び出し、必要な物を入手する仕事を依頼する。当麻が捜査一課の馬場香に車を運転させて御前会議の屋敷に向かっていると、里子は娘にスペックがあることを話した。宮野は野々村より先に起きてゴエティアを見つけ出し、その中身を書き換えて元の場所に戻した。しかし野々村は眠っているフリをしていただけで、その行動に気付いていた。
警察の救出チームは屋敷へ突入するが、マダム陽の能力によって次々にミイラ化する。瀬文もマダム陽&陰の攻撃を受けて危機に陥るが、そこへ当麻と里子が駆け付けた。里子は当麻の渡した拳銃でマダム陽&陰を銃撃し、瀬文を救った。当麻はマダム陽&陰に銃を向け、人質の居場所を吐くよう要求した。マダム陽は「ここにいるわけないわよ」と不敵に笑った直後、伊藤の攻撃を受けて始末された。ニノマエの命令を受けた伊藤の攻撃は続き、当麻を守った里子は重傷を負って倒れた。当麻は封印した左手の力を抑え切れなくなり、スペックを暴走させてしまう。しかし美鈴が伊藤を金属バットで殴り付けて攻撃を止め、当麻の左手も元の状態に戻った…。

監督は堤幸彦、脚本は西荻弓絵、製作は渡辺香、エグゼクティブプロデューサーは濱名一哉、プロデューサーは植田博樹&今井夏木、アソシエイトプロデューサーは大原真人&渡辺敬介、協力プロデューサーは市山竜次、ラインプロデューサーは赤羽智比呂、撮影は斑目重友、照明は川里一幸、録音は臼井久雄、美術プロデュースは小林民雄&山下杉太郎、美術デザインは大木壮史、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、編集は大野昌寛、音楽は渋谷慶一郎&ガブリエル・ロベルト、主題歌『NAMInoYUKUSAKI〜天〜』はTHE RiCECOOKERS。
出演は戸田恵梨香、加瀬亮、竜雷太、椎名桔平、神木隆之介、浅野ゆう子、栗山千明、伊藤淳史、福田沙紀、でんでん、岡田浩暉、松澤一之、載寧龍二(現・さいねい龍二)、有村架純、麿赤兒、三浦貴大、利重剛、カルーセル麻紀、野添義弘、河原さぶ、多田木亮佑、藤田秀世、森山樹、金内喜久夫、杉野なつ美、小島康志、夏目慎也、成瀬労、石川浩司、大竹浩一、安田裕、田付貴彦、外川貴博、本田真大、斉藤和彦、稲垣雅之、大坪夏己、辻村草太、松永さえ、松永かいと、向雲太郎、松田篤史、塩谷智司、奥山ばらば、渡邊達也、小林優太ら。
声の出演は戸田恵子、山寺宏一、平田広明、たんぽぽおさむ、久松信美。


TVドラマ『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』の劇場版。
内容は2012年4月1日に放送されたスペシャルドラマ『SPEC〜翔〜』の続編になっている。
TV版から引き続いて、『BECK』『はやぶさ/HAYABUSA』の堤幸彦が監督を務めている。
当麻役の戸田恵梨香、瀬文役の加瀬亮、野々村役の竜雷太、津田役の椎名桔平、ニノマエ役の神木隆之介、美鈴役の福田沙紀、馬場役の岡田浩暉、鹿浜役の松澤一之、猪俣役の載寧龍二、雅役の有村架純といった面々は、TVシリーズからの続投。市柳役のでんでんは『SPEC〜翔〜』からの出演。
他に、マダム陽&陰を浅野ゆう子、里子を栗山千明、似内を麿赤兒、宮野を三浦貴大、福富を利重剛が演じており、伊藤淳史が本人役で出演している。

堤幸彦という人は、雇われ仕事だと悪くない結果を出すこともあるんだけど、自ら企画した作品で好き放題にやらせると、ロクなことにならない監督だ。
誰かが手綱を握ってコントロールしないと、完全に内輪受けの作品に仕上げてしまう人だ。
それは過去の『ケイゾク』や『トリック』シリーズでハッキリと分かっていたことであり、TVシリーズを任せたTBSも承知の上で好き放題にやらせたんだろう。
まだTVシリーズなら「一部のマニアックなファンだけが楽しむカルト作品」として成立するかもしれないが、これが劇場版となると、目も当てられない状況になるのが堤幸彦の仕事だ。

私が勝手に呼称しているところの「コミューン映画」に当たるので、TVシリーズを見ていなければ話に付いて行くことは難しい。
しかも本作品の場合、TVシリーズだけでは不充分で、その後のスペシャルドラマ『SPEC〜翔〜』も見ておく必要がある。
そこまで観客層を絞り込んでも、商売になるとTBSは踏んだのだろう。
ただ、TVシリーズの視聴率はお世辞にも高くなかったはずで、「それでもマニアックなファンが大勢いるから大丈夫」という判断だったのだろうか。

冒頭、「ファティマの預言」に関する説明がテロップ表示される。
TVシリーズもスペシャルドラマも見ておらず、この映画から入ってしまった不幸な観客、もしくは珍奇な観客の中には、「TVシリーズで使われていた設定が、映画でも続いているんだろうな」と思う人がいるかもしれない。
しかし「ファティマの預言」という要素は、この映画で初めて持ち込まれた設定だ。TVシリーズを観賞していないからワケが分からん、付いて行けないってことではない。
そこに関しては、TVシリーズやスペシャルドラマを見ている人も、新参者も、全く同じレベルだ。
でも、無理して付いて行こうなんて考える必要は無い。最初の時点で「なんか無理っぽい」と感じた人は、その感覚が正解だと信じればいい。
無理して付いて行こうと努力しても、それに見合う満足感など与えてくれない映画なのだから。

張りまくった伏線を全く回収せずに放り出しているが、たぶん最初から伏線として盛り込んでいるつもりなんて無いんだろう。
伏線っぽく見せているけど、「っぽい」だけであって、あまり深い意味なんて無いのだろう。
「色んな謎を盛り込んでいるけど解き明かすつもりが全く無い」ってのはエヴァンゲリオンに似ているなあと感じたのだが、植田博樹プロデューサーが大ファンで、意図的に模倣したらしい。
なるほど、そりゃあダメな映画になるのも当然だろう。

植田博樹プロデューサーは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の予告編を見て、謎だらけで予測不能なトコロにワクワクして「同じようなことをやりたい」と思ったらしい。
だけど、ちゃんとエヴァを見て来た人なら、あのシリーズは謎めいたモノを放り込むだけ放り込んでマトモな答えを出す気が無いことぐらいは分かるはず。伏線らしきモノを色々と盛り込んで、まるで回収する気が無いことは分かるはず。
そういう作品を模倣するってことは、やっぱり最初から放り出すつもりで作っているってことか。
でもね、「謎だらけで何が起きるか全く読めない」というトコで期待を煽っても、「謎が何も解決されない」という着地にしたら、その期待を裏切ることになるんだぜ。

そもそも、基本的に堤幸彦が好き放題にやっている映画の場合、「マジになった方が負け」なのである。
「とにかく小ネタだけを堪能する。ストーリーとかドラマは二の次、三の次」というぐらい寛容な気持ちで向き合うべきなのだ。
そこに加えて、今回はプロデューサーがエヴァンゲリオン症候群を患っちゃったもんだから、ますます受け入れてもらえる観客層が狭くなっている。
勘違いしている作り手側の自己満足に、観客が付き合わされる状態が強まってしまった。

今回に関しては、堤幸彦じゃなくて植田博樹プロデューサーの責任が圧倒的にデカいのかもしれない。
むしろ堤幸彦は、ひょっとすると被害者なのかもしれない。
何しろ、堤幸彦の大好きな小ネタの洪水も、「ワケの分からない謎めいた用語の羅列」に邪魔されて、そっちの楽しみに気持ちが行かなくなっちゃうしね。
「マニアックな小ネタの数々を楽しむ」ということだけを考えれば、それ以外の部分で難解で複雑な話やら設定やらを持ち込んで頭を使わせるってのは、どう考えても邪魔なだけだしね。

ただ、堤幸彦と西荻弓絵のコンビは『ケイゾク』でも同じように「風呂敷を広げまくって収拾が付かなくなり、最後は散らかったまま放り出す」という投げっ放しジャーマンを繰り出している前科があるのよね。
『ケイゾク/映画 〜Beautiful Dreamer〜』の終盤に用意してあった心象風景なんて、まんまエヴァのTVシリーズ最終回を模倣したような感じだったしね(『ツイン・ピークス』も連想させたが)。
それを考えると、やっぱり堤幸彦も植田博樹と同罪かな。

公開された当時の惹句は「真実を疑え。」だったが、この映画に真実なんて何も無いよ。
だから、疑うもへっくたれもありゃしないのよ。
ミステリーとしての醍醐味を味わうためには、基盤となる部分に確固たるモノが必要で、それがあった上で「描かれている出来事が本当かどうか、語られている内容が事実かどうか」という風に疑っていく作業になるわけだ。
でも本作品は、「コレはこういうことじゃないか」と疑う以前に、何が何やらワケワカメ状態なので、ボーッと眺めることしか出来ないのよ。

エンドロールが始まって主題歌が流れる中、最初は戸田恵子、次は竜雷太のナレーションが延々と続く。
だったら主題「歌」じゃなくて、インストゥルメンタルの方がいいでしょうに。
主題歌をナレーションで妨害するって、どういうつもりなのかと。
それと、ちなみに主題歌はTHE RiCECOOKERSというグループの『NAMInoYUKUSAKI〜天〜』だが、この映画にとって本当にふさわしいのは、沢田研二の19枚目のシングルである。
どういう意味なのかは、ご想像にお任せする。

(観賞日:2015年10月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会