『劇場版 SPEC〜結(クローズ)〜 爻(コウ)ノ篇』:2013、日本

当麻紗綾は城旭斎浄海の襲撃を受け、シンプルプランのウイルスを浴びた。しかし未詳に来た馬場香、鹿浜歩、猪俣宗次は、それが単なるインフルエンザのウイルスだと判明したことを教えた。当麻は浄海が殺された意味が無いと考え、「彼女はシンプルプランに感染した。だから戻ることが許されなかった。あの女がプロフェッサーJだとして、シンプルプランに感染しただけで誰かに殺されるもんですかね」と疑問を口にした。
当麻は湯田に疑念を抱いて法務省のデータベースにアクセスし、彼の正体がプロフェッサーJだと確信した。当麻や瀬文焚流たちは、すぐに東京中央警察病院へ向かった。しかし湯田は場名直人の体を乗っ取り、御前会議がSPECホルダーを匿った無菌室へ赴いた。彼は大人のSPECホルダーを始末し、子供のSPECホルダーがいる部屋にウイルスを撒いて逃走した。現場に駆け付けた当麻たちは苦しんでいる夏木という少女を見つけ、すぐに治療を要請した。医師の市郷甘雄は、「ただのインフルエンザのはずなのに」と首をかしげた。「もっと良く見ろよ」と彼に掴み掛かった当麻は、その場に倒れて意識を失った。
湯田は厚木基地で開かれた国際会議に出席し、メンバーから「なぜ裏切った」と非難される。湯田が平然と「SPECホルダーを殲滅せよとのオーダーだったはずだ」と言うと、メンバーは「殲滅しろとはオーダーしていない」と否定した。「管理しているSPECホルダーは世界の平和秩序のために必要だ」と説くメンバーに対し、湯田は「SPECホルダーはお前らの道具しゃねえ。我々の仲間だ。だから俺が片っ端から殺して、輪廻の部屋へ回収した」と語った。
「お前が目指す物は何だ?」と問われた湯田は、「簡単なことだよ。貸してた物を返してもらう。それだけだ。SPECホルダーはガイアの意志と会話する能力を持つ先人類と末裔のことだ。その外来種の雑草が、お前ら人間だ。ファティマ第三の預言の時だ。ガイアがお前らに愛想を尽かしたんだ」と話して変身した。一方、投与された薬の効果が見られない当麻は、普通の人間とSPECホルダーにはDNAの違いがあり、それをインフルエンザで突いたのだろうという推測を瀬文と吉川州に語った。
当麻は瀬文と吉川に「使いますよ、SPEC。湯田を倒すためなら、鬼にも悪魔にもなる」と告げ、左腕の力を解放した。彼女は八咫烏の群れと共に空を飛び、厚木基地の会議場に出現して「テメエら全員、悔い改めろ」と言い放った。厚木基地では大爆発が発生し、瀬文は八咫烏の群れを眺めて「当麻が呼んだ悪霊だな」と口にした。そこへセカイが潤を伴って現れ、「悪霊とは失礼な。先人類の霊体だ」と述べた。吉川が怒りを示すと、セカイは軽く弾き飛ばした。
潤は瀬文を挑発し、「自分を撃てば霊体になって出て行く」と告げる。瀬文は拳銃を構えるが、青池里子が駆け付けて「撃たないで」と叫んだ。里子が潤の盾になると、瀬文は拳銃を捨てた。セカイは時を止め、「本能に支配される生き物とは、哀れなものだな」と口にした。彼は「八咫烏が人間の欲望と疑念をくすぐっている。やがて世界中で核戦争が起こり、ガイアは浄化され、自らリセットへと向かうはず。浄化まで、あと2億年ってとこかに」と語った。
セカイがバブルを終わらせようとすると、「舐めんな」という瀬文の声が聞こえた。それは瀬文の精神の声だったが、肉体を動かすことは出来ず、セカイに弾き飛ばされた。八咫烏の群れが当麻を連れて来たので、セカイは「ついにソロモンの鍵がやって来た。現人類の歴史に終止符を打ち、先人類のガイアの魂を戻す躯体」と呟いた。セカイは八咫烏の群れに、「ソロモンの鍵の躯体へ入り、負の霊体が正の実体へ反転する時を待て」と指示した。
八咫烏の群れが当麻の体内へ吸い込まれると、湯田がやって来て「ついに、この時が来ましたな」とセカイに言う。潤は当麻の中に入るため、自分の体にナイフを突き刺そうとする。しかし当麻が彼女に歩み寄り、ナイフを持つ腕を掴んだ。セカイが「目覚めているのか」と問い掛けると、当麻は「うっせえな。ずっと起きてるよ。私の肉体は私のモンだ。勝手に使うんじゃねえ」と言い放った。セカイは「次の機会を待つか」と漏らし、当麻を消そうとする。しかし、その掌に八咫烏の羽根が突き刺さり、当麻の元にはSPECホルダーのマダム陽、ニノマエ、志村美鈴、地居聖、冷泉俊明、海野亮太、サトリが結集した…。

監督は堤幸彦、脚本は西荻弓絵、製作は岩原貞雄、エグゼクティブプロデューサーは濱名一哉、プロデューサーは植田博樹&今井夏木、アソシエイトプロデューサーは大原真人&渡邉敬介、ラインプロデューサーは市山竜次、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、撮影は斑目重友&高原晃太郎、照明は川里一幸、録音は臼井久雄、VEは吉岡辰沖、美術プロデューサーは山下杉太郎、美術デザインは大木壮史、編集は伊藤伸行、助監督は白石達也、音楽は渋谷慶一郎&ガブリエル・ロベルト。
出演は戸田恵梨香加瀬亮、北村一輝、栗山千明、竜雷太、北大路欣也、浅野ゆう子、向井理、大島優子、堀北真希、岡田浩暉、松澤一之、載寧龍二(現・さいねい龍二)、有村架純、佐野元春、石田えり、神木隆之介、福田沙紀、城田優、田中哲司、安田顕、真野恵里菜、遠藤憲一、イ・ナヨン、宅間孝行、半海一晃、森山樹、多田木亮佑、Simone、高橋孝輔、田中裕士、永沼友由輝、松浦崇文、植田靖比呂、辻本耕志、竹森千人、吉田ウーロン太、鬼頭真也、三宅十空、砂川禎一朗、原慎一、大重わたる、GUY他。


TVドラマ『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』の劇場版第3作。
2部作として製作された完結編の後編。監督の堤幸彦、脚本の西荻弓絵は、共にTVシリーズからのスタッフ。
当麻役の戸田恵梨香、瀬文役の加瀬亮、野々村役の竜雷太、津田役の椎名桔平、ニノマエ役の神木隆之介、美鈴役の福田沙紀、馬場役の岡田浩暉、鹿浜役の松澤一之、猪俣役の載寧龍二(現・さいねい龍二)、雅役の有村架純といった面々は、TVシリーズからの続投。
マダム陽役の浅野ゆう子、里子役の栗山千明、宮野役の三浦貴大、セカイ役の向井理らは、『劇場版 SPEC〜天〜』からの続投(向井理は前作ではアンクレジット)。
卑弥呼役の北大路欣也、大人の潤役の大島優子、湯田役の遠藤憲一は、前作からの続投。

前作では「先人類」「ラプラスの悪魔」「バブル」といった用語を持ち込んでいたが、今回も新たに「輪廻の部屋」だの「ネオコード」だの「アンシャンレジームのサブコード」だのと、意味ありげだけど何の意味も無い用語を投入している。
そうやって謎めいた雰囲気を醸し出しておいて、解明する気がサラサラ無いってのは今までと同じだ。
そもそも本作品にあるのは明快な答えの無い謎だから、キッチリとした解明なんて出来るはずも無い。
ホッジ予想やリーマン予想なら、難解であっても必ず答えが存在する。しかし本作品の場合、最初から答えの用意されていない謎なのだ。

「世界規模の人種間戦争」というトコまで話を広げちゃったもんだから、「そうなると未詳じゃ手に負えないでしょ」と言いたくなる。
世界各国の諜報機関でさえ厳しいぐらい突き抜けたレベルになってんだから、もはや公安や捜査一課ごときが何をどう頑張ろうと絶対に阻止できないでしょ。
だから、幾らTVシリーズからのレギュラー陣が「全力で頑張る」みたいな態度を取っても、何となく冷めた気持ちになってしまう。
対抗できるのはSPECホルダーの当麻ぐらいで、普通の人間でしかない他の面々は役に立たないでしょ。

で、実際に当麻を除く面々は全く役に立たず、最終決戦を前にしてカヤの外へと置かれてしまう。
でも、TVシリーズから見ているファンからすると、「それは違うだろ」と感じるんじゃないか。
少なくともTVシリーズの時点では、「当麻さえいれば、後はどうでもいい」という話ではなかったはずでしょ。あくまでも「未詳」のチームとして、悪と戦う話だったはずでしょ。
それなのに、完結篇に入ったら未詳なんて全く無価値になってしまうのは、やっぱり風呂敷の広げ方を間違えているとしか思えん。

前作は「当麻や瀬文も、セカイの方も、特にこれといった行動を取っていない」という状況が続き、そのせいで話は遅々として進まず、盛り上がりにも欠ける仕上がりとなっていた。
今回は、さすがに話を終わらせなきゃいけないので、どちらも積極的に活動している。それに伴い、VFXも使ってファンタジー・アクションとしての派手な見せ場を用意している。
ただ、イベントとしてはデカいことが起きているんだけど、何が何やら良く分からないので、ちっとも高揚感や緊迫感に繋がらない。
ワケの分からないことを言ってる奴らが、ワケの分からないことをやっているだけなので、「勝手にどうぞ」って感じなのだ。

しかも、八咫烏の群れを出現させたり、大爆発を起こしたりと、それなりに「盛り上がってるし、話は佳境に入ってるし、いよいよ最終決戦に突入するよ」という雰囲気を出しておいて、そこからチンタラポンタラと会話を交わして話が停滞するモードになってしまう。
この映画、アクション・パートとドラマ・パートが上手く融合していないのよね。
紀里谷和明監督の『CASSHERN』じゃないんだからさ。
そこはもうちょっと上手くやってほしいわ。

現場に瀬文がいないとか、ダラダラ喋ってテンポを悪くした後だとか、そういう問題はありながらも、過去に登場したSPECホルダーを当麻が結集させ、セカイを欺いていたことが明かされる展開は、それなりに高揚感を生む。
ところが、「それが大逆転の始まりかと思わせておいて、集まったSPECホルダーたちをセカイが簡単に消滅させちゃうのだ。
だったら、そこまでのやり取りは何なのかと。
せっかく結集したSPECホルダーが役立たずのまま消え去るって、そんな展開を誰が喜ぶのよ。

セカイは集まったSPECホルダーを軽く消し去った後、里子の右腕を消し去る。
セカイが苦悶する里子の左腕を消そうとすると、母親への愛を抱き続けていた潤が駆け寄る。セカイが2人とも消滅させると、当麻が激昂して全てを終わらせに掛かる。
だけどさ、里子と潤の消滅がきっかけで当麻が本気になるっていう展開にしちゃうと、今までの話は何だったんだろうと。
そこまでに、本気になるきっかけなんて幾らでもあったでしょ。むしろ里子と潤なんて、当麻との関係性はそんなに強くないでしょ。

『劇場版 SPEC〜天〜』の批評でも触れたように、植田博樹プロデューサーは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の予告編を見て「謎だらけで何が起きるか予測できないワクワク感が凄い」と感じ、同じことをやりたいと考えて劇場版を製作している。
しかし、そこには大きな過ちがある。
「謎だらけで何が起きるか分からない」というのは、予告編だから許される手法なのよ。
本編で「謎だらけのまま何も解決せず、観客を煙に巻いて終わる」ってことをやったら、それは単なる無責任な行為でしかないのよ。

ところが、植田博樹プロデューサーは(そして監督の堤幸彦と脚本の西荻弓絵は)は、本編なのに「謎だらけのまま」という手法を使ってしまった(まあエヴァの『Q』も似たようなモンだけど)。
それはね、「予測できない面白さ」というワクワク感を喚起せず、「ワケが分からねえ」という拒否反応を引き起こすのよ。そして、ワケが分からないってことは、劇中で何が起きようと、どんなことが描かれようと、「どうでもいいわ」という気持ちに繋がるのよ。
しかも、「謎だらけで何が起きるか分からないけど、キテレツなだけなのでワクワク感は皆無」というのを『天』と『結〜漸ノ篇』だけでなく、この『結〜爻ノ篇』でもやっている。
完結編なので、一応は物語を収束に向かわせているんだけど、「全ての伏線を見事に回収し、全ての謎を綺麗に解明している」というわけではない。段取りとして、とりあえずゴールまで辿り着かせているだけだ。
しかも、酸欠状態でフラフラになりながらね。あるいは酒を飲み過ぎてベロベロになりながら、もしくはヤクをやってアパアパになりながらね。

それと、根本的に問題として、「セカイは何がしたかったのか」ってのが引っ掛かるのよね。
いや、もちろん「現人類を滅ぼし、先人類を復活させる」ってのが最終目標なのは分かるのよ。
ただ、その目的から逆算した時に、そこまでの活動ってホントに必要だったのかと言いたくなるのよ。
すんげえ無意味な手間を掛けて、すんげえ無駄なことをやってなかったかと。
先のことを考えずに話を複雑化させて、辻褄を合わせて風呂敷を畳もうとした時にどうしても無理が生じて、そのせいでセカイが支離滅裂なバカになってないか。

ここまで否定的なコメントばかりを並べて来たが、この映画が何の価値も無いのかというと、それは違う。
戸田恵梨香は『SPEC』が自身の代表作になったことや、女優としての活動における重要な作品となったことをコメントしている。
1人の女優の考え方や生き方を変えたターニング・ポイントという意味で、この作品は大きな意味を持っていると言えよう。
えっ、それはTVシリーズのことであって、別に映画版は無くても良かったんじゃねえかって?
いや、まあ、それは、ほら、ね。

(観賞日:2015年10月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会