『劇場版 SPEC〜結(クローズ)〜 漸(ゼン)ノ篇』:2013、日本

当麻紗綾は瀬文焚流が入院している東京中央警察病院を訪れ、全治までに3ヶ月は掛かるだろうと主治医の場名直人から聞かされる。当麻が1人で捜査に行く素振りを見せると、瀬文は強引に退院する意思を示した。当麻は瀬文に、青池潤が警察病院で発見されたこと、母親の里子を連れて姿を消したことを教えた。一方、SWATは地下施設に突入し、ニノマエのクローンたちが殺されている様子を目撃した。隊長が「良くプロフェッサーJは、この臭いに耐えて実験を続けていられたもんだ」と言っていると、隊員の1人が狂ったように襲い掛かった。そんな様子を記録した映像が、国際会議のサイトに送り付けられていた。
国際会議に出席したアジアの代表者同士が言い争いを始める中、正会員ではない日本代表が「茶番はおやめなされ。シンプルプランは既に実行されているではないか。この会議で人類の未来が決められぬようなら、我が国は全面闘争も辞さず。シンプルプランの即時中止、放棄を要求する」と口にした。他国の代表者が驚く中、彼は「戦はとうに始まっている。我が名は卑弥呼。先人類の末裔」と述べた。彼は女性1人だけを残して他の面々を消滅させ、「生き延びて、権力の亡者どもに、このことを伝えよ」と告げた。
潤は大人の姿に変化し、セカイと行動を共にしていた。彼女は里子の傷を治療し、病院から連れ出した。再び子供の姿に戻った潤は、監禁した里子の前に現れた。里子が「何を企んでるの?」と問い掛けると、彼女は「返してもらうだけよ。今に分かるわ」と答えた。国際会議で生き残った女は卑弥呼が「権力の亡者ども」と呼んだ面々の会議に出席し、レベルAメンバーの全滅を報告した。会議の参加者たちは、プロフェッサーJがシンプルプランの効果をコントロールしていることを知るが、その目的までは分かっていなかった。
野々村光太郎は正汽雅にせがまれ、有給休暇を使ってハワイ旅行へ出掛けることにした。彼は当麻たちに引継書を渡すと、未詳を後にした。当麻は各国の情報機関がシンプルプランの実行を工作員に命じていることを知り、「ついに人種間戦争が始まりますな」と漏らした。馬場香は御前会議がシンプルプランを使ってSPECホルダーを闇に葬ろうとしていたこと、最近になって「シンプルプランを阻止せよ」と方針が変更されたことを明かした。つまり、日本だけが欧米とは違う判断をしたことになる。
野々村が待ち合わせ場所に行くと、雅は「来てくれると思わなかった」と口にした。彼女が「刑事として成すべきことを全て済ませたら、生きて帰って来て」と言うと、野々村は「分かった。ハワイで待っててくれ。少し遅れるかもしれないが、必ず行くから」と述べた。一方、当麻が瀬文を連れて祖母の葉子を訪ねると、亡き父の友人である湯田秀樹が来ていた。当麻は湯田のことを覚えていなかったが、彼がNASSA勤務だと知って興奮した。
当麻は湯田に、両親や弟が殺された理由を知らないかと問い掛けた。すると湯田は、当麻の父である天がパラレルワールドの研究をしていたこと、地球が意思を持った1つの生き物だという証拠を掴んだことを話す。彼は当麻に、「犯人は分かってる。真の秘密結社だ。その中のメンバー、プロフェッサーJと呼ばれる女が協力を断られて殺した。ニノマエのクローンを作った究極のマッド・サイエンティストだよ」と語った。
そこへ何者かに憑依された葉子が現れ、湯田に「裏切ったな」と告げて部屋に幾つもの手榴弾を落とした。当麻は「SPECを使え」「こっちに来い」という声に誘われ、自らのSPECを使おうとする。しかし瀬文の呼び掛けによって、彼女は正気に戻った。当麻、瀬文、湯田は部屋から飛び出すが、爆風を浴びた。その頃、野々村は港で小さな瓶を手に入れ、「これがシンプルプランか」と呟いていたそこへ宮野珠紀が部下たちを率いて現れ、上からの命令なので瓶の引き渡すよう求めた。
宮野は野々村に、「そのウイルスで、対抗するワクチンを作る」と説明した。すると野々村は、「そのワクチンは、その国のSPECホルダーにも配られるんだろうね。とあるアジアの大国がSPECホルダーを確保してるという噂がある。クローンを作ったりと、非人道的なことをやっているという報告もある。このウイルスから作られるワクチンが、その国だけの物になれば危険なことになる」と述べた。さらに彼は、「このウイルスを作ったプロフェッサーJは、最近までその国にいた。だったら君たちアジアの某大国も、ウイルスかワクチンを貰えばいい。つまり貴国は、プロフェッサーJに逃げられたということか」と語った。正体を見抜かれた宮野は野々村を射殺するが、瓶の中に入っていたのはウイルスではなかった。
警察病院に赴いた当麻は瀬文から、葉子の死が確認されたことを聞かされる。彼女は瀬文に、湯田が大火傷で意識不明の重体に陥っていることを話した。そこへ馬場、鹿浜歩、猪俣宗次が駆け付け、野々村の引継書を読むよう促した。そこには、野々村がシンプルプランを阻止いるために死を覚悟して単独行動したことが綴られていた。「どうして私たちを出し抜いて?」と当麻が口にすると、馬場は「それは君がSPECホルダーだからだ」と述べた。
馬場は当麻に、「シンプルプランはSPECホルダーを殲滅するための兵器だ。君を、そのリスクかに巻き込むまいと思ったんだろう」と語る。病院の屋上へ移動した当麻は、自分のSPECを使おうとする。しかし暴走の恐怖に見舞われ、なかなか覚悟を決めることが出来なかった。そこへ瀬文が現れ、SPECを使おうとしたのだろうと指摘する。当麻が見つけ出すために使おうとしていたことを認めると、瀬文は「そんなこと、野々村課長は望んでねえ。野々村課長の思いを舐めんな。俺たちの思いを舐めんな」と叱り付けた…。

監督は堤幸彦、脚本は西荻弓絵、製作は岩原貞雄、エグゼクティブプロデューサーは濱名一哉、プロデューサーは植田博樹&今井夏木、アソシエイトプロデューサーは大原真人&渡邉敬介、ラインプロデューサーは市山竜次、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、撮影は斑目重友&高原晃太郎、照明は川里一幸、録音は臼井久雄、VEは吉岡辰沖、美術プロデューサーは山下杉太郎、美術デザインは大木壮史、編集は伊藤伸行、助監督は白石達也、音楽は渋谷慶一郎&ガブリエル・ロベルト。
出演は戸田恵梨香、加瀬亮、北村一輝、栗山千明、竜雷太、北大路欣也、岡田浩暉、松澤一之、載寧龍二(現・さいねい龍二)、有村架純、大島優子、佐野元春、石田えり、三浦貴大、大森暁美、香椎由宇、遠藤憲一、KENCHI(EXELE)、イ・ナヨン、渡辺いっけい、森山樹、多田木亮佑、高橋孝輔、田中裕士、永沼友由輝、松浦崇文、植田靖比呂、辻本耕志、竹森千人、吉田ウーロン太、鬼頭真也、三宅十空、砂川禎一朗、原慎一、大重わたる、GUY他。


TVドラマ『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』の劇場版第2作。
2部作として製作された完結編の前編。
監督の堤幸彦、脚本の西荻弓絵は、共にTVシリーズからのスタッフ。
当麻役の戸田恵梨香、瀬文役の加瀬亮、野々村役の竜雷太、津田役の椎名桔平、ニノマエ役の神木隆之介、美鈴役の福田沙紀、馬場役の岡田浩暉、鹿浜役の松澤一之、猪俣役の載寧龍二(現・さいねい龍二)、雅役の有村架純といった面々は、TVシリーズからの続投。
里子役の栗山千明、宮野役の三浦貴大、セカイ役の向井理らは、前作『劇場版 SPEC〜天〜』からの続投(向井理は前作ではアンクレジット)。
他に、卑弥呼を北大路欣也、大人の潤を大島優子、SPECホルダーの浄海を香椎由宇、湯田を遠藤憲一、場名を渡辺いっけいが演じている。

前作で幼女として登場させた潤を、今回は基本的に大人の姿で動かしている(たまに幼女に戻ることもある)。
どうして急に成長したのかという説明は何も無いが、そこは「だって先人類だから」ということだろう。そこを受け入れられないような人間は、この映画を見ない方が賢明だ。
この映画、納得できる説明とか、腑に落ちる理由とか、そういうのは皆無に等しい。
「なんか凄い力が作用して、そんな風になっちゃったんだから仕方が無い」というデタラメな説明を甘受できる人のみ、この映画を観賞するハードルを越えられる。

ただ、それにしても潤を大人にする意味は良く分からない。幼女のままでも全く支障は無いし、むしろ幼女のままの方が面白かったんじゃないかと思える。大島優子を捻じ込むために大人へ成長させたんじゃないかと、邪推したくなるぐらいだ。
それと、大人になった潤のキャラ設定にも大いに引っ掛かる。大人になった潤は常にシャックリをしており、喋っている最中も止まらない。ってことは、1つの台詞を最後まで喋り終えることが出来ず、その途中に必ずシャックリが入って分断されるってことだ。
そのシャックリにストーリー上の意味は無いので、「キャラクターに個性を付ける」という意味だけで用意されているんだろう。でも、すんげえ疎ましいわ。
「蟻の巣を見るとイライラしない?」という台詞があるんだけど、「お前を見ているとイライラするわ」と言いたくなる。

完結編が2部作になったのは、「1作では内容が収まり切らないから」というのが表向きの理由である。
しかし実際に見た限りは、「いや、絶対に1本の長編で終わらせることが出来ただろ」と言いたくなる。
何度も回想シーンが入るのは明らかに時間を引き延ばすための工作だし、そういう余計な時間稼ぎを全て省いてシェイプアップすれば、間違いなく1本の長編で収まるはずだ。それも120分じゃなくて、たぶん90分でも大丈夫じゃないかと思うぞ。
それぐらい中身が薄いし、遅々として話が進まないのだ。

前作の批評でも書いたが、植田博樹プロデューサーは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の予告編を見て影響を受け、同じようなことをSPECシリーズの劇場版にも持ち込もうと考えた。
そのせいで、前作はすっかりエヴァンゲリヲン化していた。
今回も彼がプロデューサーを務めており、前作の続きが描かれるので、やはりエヴァンゲリヲンの模倣は続いている。
エヴァンゲリヲン症候群という厄介なモノを患ったせいで、このシリーズはどんどんドツボにハマっている。

前作では「ファティマ第三の預言」というキーワードが持ち込まれていたが、今回は「先人類」「ラプラスの悪魔」「バブル」といった用語を新たに投入している。
しかしエヴァンゲリオンを通過している人なら説明不要だろうが、そこに深い意味なんて全く無い。
何となくミステリアスで、それっぽい雰囲気が出るからテキトーに持ち込んでいるだけだ。
「ちゃんと意味を持たせて、ちゃんと回収しろよ」と言いたくなるかもしれないが、エヴァンゲリオンを模倣するのなら、そこは放り出すのが当然だ。

エヴァンゲリオンってのは、言ってみれば「絶対に片付けられない風呂敷」であり、「絶対に解けない数式」なのだ。
だから、それを模倣すれば、ちゃんとした収束など絶対に有り得ない。
しかも、それを模倣した上でダメなトコは修正しようとしているわけではないし、質を高めようとしているわけではない。「謎だらけで予測不能」という部分だけを雑に模倣しているだけの劣化版だ。
エヴァンゲリオンを模倣している時点でマズいのに、その劣化版なんだから、そりゃあ救いようが無い。

たぶん卑弥呼が登場する国際会議のシーンまで来た辺りで、つまり早い段階で、前作を全面的に受け入れることの出来た一部の人々を除くと「これは厳しい」という印象を受けるんじゃないだろうか。TVシリーズの熱烈なファンであっても、『劇場版 SPEC〜天〜』で心が離れてしまったケースが少なくないようだ。
そうなると、この映画では、ますますファン離れが進んだのではないかと推測される。
もはや惰性、もしくは「最後まで見なきゃ」という妙な使命感だけになっている人もいたんじゃないか。
それぐらい、この映画は、っていうか植田博樹プロデューサーは、エヴァンゲリヲン症候群の病状が重い。

「映画だから」ってことなのか、あるいはエヴァンゲリヲン症候群の影響が強すぎるのか(両方だと思われるが)、話のスケールを大きくしようとする意識が見られる。
それは普通に考えれば、決して悪いことじゃない。「映画ならでは」のモノが無ければ、わざわざ映画にする必要性など無いからだ。TVシリーズと同じことをやるだけなら、それはTVスペシャルとして作ればいい。
ただし本作品の場合、スケールを大きくしようとすると、それに伴って話がシリアスな方向へ傾かざるを得ない。
そして、それはTVシリーズから持ち込まれていた「マニアックなネタや小ネタでユルい笑いを取る」という味付けと上手く噛み合わない。

堤幸彦監督は『トリック』でも同じように「マニアックなネタや小ネタでユルい笑いを取る」という演出をやっていて、それが深夜枠の頃なんかだと、上手くハマっていた。
この作品の場合、そもそもTVシリーズの時点で「それはどうかな」という疑問が無かったわけではないが、一部のコアなファンを惹き付けたことは確かだ。
しかし、スケールを大きくしてシリアスさが増すと、そういうノリが激しくミスマッチになってしまうのだ。
そして本作品の場合、それと同時に「時間稼ぎ」という印象にも繋がっている。

ユルい笑いを取りに行く小ネタが持ち込まれる度に、「それって邪魔になってねえか?」「そんなことばかりやってるから、なかなか話が前に進まないじゃねえか」と思ってしまう。
そういうのをバッサリと削ぎ落としてしまった方が、スッキリと締まった仕上がりになるんじゃないかと言いたくなってしまう。
しかし、そういうユルい笑いの方が、むしろシリーズの本流なのだ。
それを考えると、そもそも映画のアプローチが間違ってるんじゃないか、っていうか映画にしたこと自体が間違いなんじゃないかと思ってしまうわけで。

とにかく話がなかなか先へ進まないし、当麻たちの活動も少ない。
「野々村の死」というイベントだけで何とか話を盛り上げ、最後まで乗り切ろうとしているのかもしれないけど、中身の薄っぺらさは誤魔化し切れていない。
実はセカイや潤も、たまに登場して意味ありげな(しかし深い意味など無い)会話を交わすだけで、これといった行動は取っていない。
主役も悪玉のボスも特にこれといった行動を取っていないんだから、そりゃあ話が遅々として進まないのも当然だろう。
1作で終わるトコを2作に引き延ばし、中身の薄さを誤魔化し切れず、ストーリーに観客を惹き付ける力は乏しく、それでも完結編は残っているわけで、「最後まで見なきゃ」という使命感に縛られた人は大変だっただろうなあ。

(観賞日:2015年10月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会