『崖の上のポニョ』:2008、日本

珊瑚の塔に住む魚の子は、父であるフジモトの目を盗んで密かに家出した。だが、ジャムの瓶に頭がハマって抜けなくなり、意識を失って 波打ち際まで流された。そんな魚の子を発見したのは、崖の上にある家に暮らす5歳の少年・宗介だ。宗介は瓶を割って、魚の子を出して やった。その時、宗介は指を怪我して血が出た。その血を、魚の子は無意識のまま舐めた。
目玉のある波が押し寄せてくるが、宗介は崖を上がって家に入っていく。その波は、フジモトが操る魔物・水魚だった。フジモトは水魚 から、魚の子が人間に捕まったことを知らされた。宗介は水を張ったバケツに魚の子を入れる。すると、魚の子は息を吹き返した。彼は 母のリサに呼ばれ、バケツを持って車に乗り込んだ。宗介は魚の子がポニョッとしているので、ポニョと名付けた。いつの間にか指の怪我 は治っていた。サンドイッチを与えようとすると、ポニョはハムだけをムシャムシャと食べた。
リサは宗介を保育園「ひまわり園」に送り届け、自分は勤務しているデイケアサービスセンター「ひまわりの家」へ向かう。宗介は、 「ひまわりの家」の利用者であるよしえさんとカヨさんにポニョを見せ、「ハムが好きで魔法も使えるんだよ」と紹介した。2人はポニョ を「キレイ」「可愛い」と言うが、そこへ現れたトキさんは「人面魚じゃないか」と嫌悪感を示し、「昔から人面魚が陸に来ると津波が 来ると言われているから、早く海に返しておくれ」と口にした。
宗介はポニョに、「僕が守ってあげるからね」と告げた。するとポニョは初めて声を発し、「ポニョ、宗介、好き」と嬉しそうに言った。 それを聞いた宗介は、笑顔で「僕も好き」と返した。だが、そこへ水魚が襲い掛かり、ポニョを海へと連れ去った。リサは宗介から話を 聞き、「ポニョは海で生きるように産まれたから、海に戻ったんだよ」と励ました。ポニョが来た時の目印として、宗介は家の柵にバケツ を引っ掛けておくことにした。
その日は宗介の父・耕一が久しぶりに帰ってくる予定になっていた。耕一は内航貨物船「小金井丸」の船長をしている。だが、耕一は電話 で、帰れなくなったことを告げる。リサは激怒して電話を切り、不貞腐れてしまった。宗介は耕一から頼まれた通り、夜中に双眼鏡で船を 確認すると、ライトを点滅させて合図を送る。耕一はライトのモールス信号で「ごめん」「とても愛してる」と送るが、リサは「バカ」と 返した。宗介は「航海の無事を祈る」と合図を送った。
珊瑚の塔に連れ戻されたポニョは、フジモトが食事を与えようとしても「ハムがいい」と拒絶した。ポニョの本名はブリュンヒルデで、 大勢の妹たちがいた。「人間になる」と言うポニョに、フジモトは「人間は海から命を奪い取るだけだ」と返した。かつて彼は人間だった が、その愚かさに愛想を尽かして人間を辞めた。そして現在は、海の農場で海洋生物を増殖させて暮らしていた。
ポニョが「手足が欲しい」と望んで力を入れると、鳥の足のような手足が生えて来た。人間の血を舐めたことで、変身能力が芽生えたのだ。 彼は生命の水を飲んでパワーを強化し、ポニョを元の姿に戻した。自分の力では抑え切れないと感じたフジモトは、「やはり、あの人に 来てもらわねば」と呟いた。彼は生命の水を塔の中にある井戸に溜め込み、忌まわしき人間の時代を終わらせて、デボン紀のような海の 時代を復活させようと目論んでいた。
フジモトが去った後、ポニョは妹たちの助けで意識を取り戻し、再び鳥のような手足を伸ばした。彼女は宗介の元へ向かうため、水槽から 抜け出した。塔を出るため窓に穴を開けたことで、外の水が入り込んできた。生命の水が外に溢れ出し、それを浴びたことで完全なる人間 の少女へと姿を変えた。ポニョは宗介の元へ向かうために津波を起こし、それに小金井丸も巻き込まれた。
夜、台風の中で宗介は幼稚園を出た。ひまわりの家へ行くと、停電で真っ暗になっていた。トキさんたちは泊まりなので、ひまわりの家に 留まっていた。宗介がよしえさんたちに金魚のお守りを渡した直後、電気が付いた。リサの仕事が終わり、宗介は車で帰路に就く。海沿い を走る車を、津波が追い掛けてきた。リサは避難命令が出たことを知るが、それを無視して家を目指した。
宗介は、少女が津波の上を走って追い掛けてくるのを目にした。家の近くまてせ来たところで、津波の中から少女が出現した。リサは車を 停めて駆け寄ろうとするが、少女は宗介に駆け寄って強く抱き締めた。宗介は、それがポニョだと気付いた。リサは2人を抱えて家に入る。 リサは蜂蜜入りの熱いお茶を注ぎ、ハムの入ったインスタントラーメンを作った。
ラーメンを食べている間に、ポニョは眠り込んでしまった。リサが外を見ると、波が静まっていた。リサは山を回り、ひまわりの家へ行く ことを決めた。「僕も行く」と言う宗介に、「この家は今、嵐の中の灯台なの。真っ暗な中にいる人は、この光に励まされている。だから 誰かが家にいなきゃダメ。ここを守っていて。必ず戻ってくるから」と説き伏せ、車で出掛けた。
小金井丸で海を漂っていた耕一は、海の水が集まって山になっている場所に辿り着いた。エンジンが停止した直後、波が押し寄せた。その 波の中に、巨大な女性の姿が見えた。耕一は「観音様が見えた」と口にする。その女性が通過すると、船は再び動き出した。フジモトは崖 の上の家に侵入しようとするが、ポニョが本格的な結界を張っていたため、入ることが出来なかった。
ポニョの妹たちの妨害で水中に落下したフジモトの前に、耕一が目撃した観音様が現れた。彼女は海なる母であり、ポニョの母でもある グランマンマーレだった。フジモトは「ポニョが生命の水を全て飲んでしまった。魔法を使い放題だ。何をしているか分かっていない。 世界に大穴を開けてしまった。人工衛星まで落ち始めた」と告げ、ポニョが人間になったことを説明する。
グランマンマーレはフジモトに、「ポニョを人間にしてしまえばいいのよ。古い魔法。宗介の心が揺らがなければ、ポニョは人間になって 魔法を失うわ」と提案した。フジモトは「しくじればポニョは泡になってしまう」と難色を示すが、グランマンマーレは「私たちは元々、 泡から生まれたのよ」と口にする。フジモトは「たった5歳で、無理だ」と、なおも反対の意思を示した。
翌朝、ポニョと宗介が目を覚ますと、海面は家の軒下スレスレまで上昇していた。「船があったらリサを捜しに行けるのに」と考える宗介 のために、ポニョは魔法を使っオモチャの船を巨大化させた。その船はローソクの炎が動力になっている。2人は船に乗り込み、家を出発 した。いばらく進むと、ボートで佇んでいる赤ん坊連れの夫婦と遭遇した。ポニョは赤ん坊のために、スープとサンドイッチを渡した。 町の人々は、数隻の漁船を漕いで山の上のホテルへ向かっていた。
ポニョと宗介は彼らと別れ、さらに先へ進む。だが、魔法を使いすぎたポニョは、眠り込んでしまう。船が元のサイズに戻るが、宗介は ポニョを引きずって何とか陸地に辿り着いた。宗介はリサの車を発見するが、彼女の姿は無い。宗介は泣き出してしまうが、寝ぼけ眼の ポニョと手を繋いで歩き始めた。一方、ひまわりの家は水中に沈んでいたが、フジモトによって守られており、留まっている利用者は普通 に呼吸が出来る環境になっていた。フジモトは利用者たちに、ポニョと宗介に待ち受ける試練の立会人になるよう依頼した。リサは グランマンマーレと話した後、利用者たちに「みんなでポニョと宗介を応援してください」と告げる…。

監督&原作&脚本は宮崎駿、プロデューサーは鈴木敏夫、制作は星野康二、作画監督は近藤勝也、作画監督補は高坂希太郎&賀川愛& 稲村武志&山下明彦、美術監督は吉田昇、美術監督補は田中直哉&春日井直美&大森崇、色彩設計は保田道世、映像演出は奥井敦、編集は 瀬山武司、録音演出は木村絵理子、音楽は久石譲。
主題歌『海のおかあさん』作詞は覚和歌子&宮崎駿(覚和歌子「さかな」より翻案)、作曲・編曲は久石譲、歌は林正子。
『崖の上のポニョ』作詞は近藤勝也、補作詞は宮崎駿、作曲・編曲は久石譲、歌は藤岡藤巻と大橋のぞみ。
声の出演は山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージ、奈良柚莉愛、土井洋輝、柊瑠美、矢野顕子、吉行和子、奈良岡朋子、 左時枝、平岡映美、大橋のぞみ、羽鳥慎一、 竹口安芸子、山本与志恵、片岡富枝、田畑ゆり、佐々木睦、山本道子、金沢映子、斎藤志郎、石住昭彦、田中昭生、脇田茂、つかもと景子、 山本郁子、沢田冬樹、渋谷はるか、川辺邦弘、手塚祐介、柳橋朋典、塚本あいら。


宮崎駿監督が『ハウルの動く城』から4年ぶりに手掛けた作品。
「アニメーションの根源に戻ろう」という宮崎監督の意向を受け、作画にはCGを全く使用していない。
『ハウルの動く城』までのジブリ作品とは、明らかに絵のタッチが異なっている。
リサの声を山口智子、耕一を長嶋一茂、グランマンマーレを天海祐希、フジモトを所ジョージ、ポニョを奈良柚莉愛、宗介を土井洋輝、 子連れの女性を柊瑠美、ポニョのいもうと達を矢野顕子、トキさんを吉行和子、よしえさんを奈良岡朋子、カヨさんを左時枝が担当して いる。

国民的アニメ監督となった宮崎駿が、ここまでのカルト映画を作るとは思わなかった。
ほとんどキチガイ映画と言ってもいいぐらいだ。
こんなシナリオ、宮崎監督じゃなかったら絶対に製作のゴーサインが出ない。
それは確信を持って断言できる。
駆け出しの脚本家が本作品のシナリオを映画会社に持ち込んだとしたら、プロデューサーからケチョンケチョンに酷評されて終わりだろう。

プロレスに例えると、ゴングが鳴ってから手四つに行かずにトップロープに飛び乗ってミサイルキックを繰り出し、序盤から相手の技を 全く受けずに派手な大技を連発するが、それが終わると急にグラウンドでの地味な締め技で時間を費やし、立ち上がったかと思うと、 いきなり投げっぱなしジャーマンで試合を終わらせるという感じ。
もう試合の組み立てとか流れはメチャクチャ。
「既成の概念に捉われない」というレベルを遥かに超越しており、論理や理屈、整合性は気にせず、そのシーンの意味や繋がりは 完全無視。
起承転結とか話の流れとかクライマックスとか、そんなのは完全無視。
「描きたいものだけを描く」というやり方をしているため、いびつな作りになっている。
元々、シナリオの破綻や整合性の崩壊を気にしない監督だったが、その傾向が一気に強くなっている。

不可解なこと、良く分からないことが非常に多い作品だ。
「説明不足で分からない」という問題と、「登場人物の行動が不可解で理解に苦しむ」という問題と、両方の問題を抱えている。
「フジモトはどういう奴なのか」「グランマンマーレは何者なのか」といった問題は前者であり、「大津波で町が水没しているのに、なぜ 避難中の人々は呑気なのか」というのは後者に属する。

監督は「5歳児が直感的に分かる映画を目指した」らしいが、しかし出来上がった映画は全く違う。
5歳児が本作品を見ても、多くの大人のように「その行動の説明は?」とか「話の辻褄は?」とか、そういった疑問を抱かないかも しれない。
だが、それは直感的に分かっているのではない。5歳児なら細かいことは気にならないから、不可解な点に疑問を感じずにスルーして しまうということだろう。
あと、子供のために作った映画なら、「海から来た魚を水道水に入れても平気」という描写は、いかがなものかと思うぞ。
そこで間違った知識を植え付けるのは違うんじゃないか。

宗介は魚の体に人間の頭がくっ付いたポニョを見ても、全く驚かずに受け入れる。
主人公が奇妙な存在を不思議に思わないというのは、メルヘンでは良くあることだから(っていうかメルヘンのルールと言ってもいい)、 それは構わない。
しかし、ポニョを「金魚」として受け入れることには違和感を覚える(彼だけでなく、リサも幼稚園の友達のクミコも、金魚として 受け入れている)。

で、宗介は、金魚じゃないものを金魚と言っている一方で、目玉の津波には「変なの」と言っている(リアクションとしては薄いけど)。
その世界ではポニョが魚なのは当たり前という世界観なのかと思ったら、トキさんだけは「気持ち悪い人面魚」と言う。
どうなっているんだ。
ファンタジーの世界の中に宗介たちの住む「いかにも日常の世界」が存在しているのか、つまり彼らはファンタジーの世界も当たり前に 受け入れているのかと思ったら、それは違うんだよな。
良く分からない。
メルヘンをやるにしても、メルヘンとしてのルールをキッチリと構築してほしい。ただのデタラメになっている。

ポニョと宗介が、あっという間に惹かれ合うのは拙速ではないか。出会ってから好きと告白するまで、20分にも満たない。
そこでの触れ合い、次第に絆が深まって行くところに時間を掛けて、それ以降の部分を削った方がいいような気がするんだが。
それと、津波と共に戻ってくる時に、ポニョが人間の姿になるのも、どうなのかなあ。
「魚の体に人間の頭、そして簡略化された顔立ち」というデザインをあっさりと捨てるのは、勿体無い気がする。
「リアルに描写したらホラーなデザインだが、簡略化されているから可愛い」という、ある意味ではギリギリの可愛さが「魚の子」として のポニョの魅力なのに、人間の姿になると、それは単なる少女だからね。キャラとしての面白味が随分と減退する。
せめて「鳥の手足に平べったい顔立ち」というサナギマン状態をキープしてくれれば良かったんだが、完全な人間体になっちゃったら、 もうガッカリ。
セサミ・ストリートに出てくるマペットみたいなフェイスの方が良かったのに。

あと、ポニョの可愛さ、魅力の大半は、実は声優の女の子にあるんだよな。
「ポニョ、宗介、好き」というタイミングは、前述したように早すぎるとは思うが、それでも「可愛いことは可愛いよな」と思わせるだけ のモノがある。奈良柚莉愛は百点満点。素晴らしいの一言だ。
それに比べて、所ジョージと長嶋一茂のヒドさと言ったら無いよ。
特に所ジョージの棒読み芝居は最悪だ。

ポニョが人面魚というだけでなく魔法も使える設定で、もはや何でもありになっちゃってるのも、どうかと思うぞ。
あと、大洪水で町が水の下に沈むという舞台を作りたかったのは分かるが、それをポニョのせいにしているのはどうなのよ。それだと、 ポニョって悪い奴だろ。
そこを変えていてくれたら、「洪水で誰も犠牲になっていない」という無茶は、ギリギリで受け入れよう。
それを受け入れたところで、ルール無用の作品だというレッテルを取り消すことは出来ないが。

特に意味不明なのが、終盤の展開。
フジモトが「これ以上、月が近付いたら取り返しが付かないんです。宗介くん、君しか世界は救えない」と言うが、ワケが分からない。
それまで月の存在なんて、全く触れていなかったし。
そもそも「ポニョたちへの試練」と「世界を危機から救う」という要素が同時進行しているのが、ゴチャゴチャしていて分かりにくい。
「宗介が試練に打ち勝ってポニョが魔法を失わないと、今後も魔法を使い放題で、それが地球のバランスを崩壊させる」ということの ようだが、まあ分かりにくいこと。

グランマンマーレが宗介に「正体が半魚人でも、ポニョが好きですか?」と問い掛けるが、だけど最初に魚の状態で出会っているんだから、 そんなのは愚問だ。宗介に対する試練として、全く成立していない。
ポニョに対しては「人間になるには魔法を捨てなきゃいけない」と言うが、それもポニョは魔法に固執していないんだから、「愛のために 大事なものを捨てなければならない」という感じは受けない。何がどのように試練なのか、サッパリ分からない。
あと、フジモトは「たった5歳で、無理だ」と試練に難色を示していたが、むしろ、たった5歳だからこそ、深く考えずに承知できるん じゃないかね。
で、宗介がポニョの身許引き受け人になったことで、グランマンマーレは「世界のほころびは閉じられました」と口にするが、「ハアッ? 」って感じ。
そもそも世界が崩壊しそうになっていたことさえ、ほとんど分からなかったよ。

確かに宮崎監督は、『もののけ姫』辺りから妙な方向へ進む兆しは漂っていたが、ここまで思い切った映画を作るとは。
大物になりすぎて、もう誰も止められなかったんだろうな。
宮崎監督は国民的アニメを作る大物として祀り上げられているが、実は本質的には、デヴィッド・リンチのようにカルトな人気を得るべき タイプの人なのかもしれない。
あるいは壊れちゃったか、どっちかだな。

宮崎監督は本作品を作るに当たって、「順番通りに描いて、最後にクライマックスがあって」という、普通のストーリー展開、基本的な パターンを捨てようと考えたらしい。
たぶん監督は今まで冒険活劇を幾つも作ってきて、もう飽きちゃったんだろうな、そういうのに。
だけど、基本のパターンを捨て去ることが、結果的に、「娯楽映画の精神を捨てる」ってことと、ほぼ同じ意味になっている。
それに気付いていない宮崎監督は、もう娯楽映画の監督としては終わっているんじゃないか。
だったらキッパリと娯楽映画を捨てて、アートの世界へ進んだ方がいいだろう。

(観賞日:2009年8月31日)

 

*ポンコツ映画愛護協会