『劇場版NARUTO−ナルト− 大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!』:2004、日本

うずまきナルトは第七班所属の下忍。ある日、彼は仲間のうちはサスケ、春野サクラと共に、映画『風雲姫の大冒険』シリーズを劇場へ見に行った。チームリーダー・はたけカカシから見るよう指示されたからだ。ナルトは風雲姫を演じる映画女優・富士風雪絵に惚れ込み、彼女のような人物を守る仕事に就きたいと考える。
ナルトたちは公園でカカシと会う予定だったが、雪絵が追われている現場に遭遇する。ナルトたちは追っ手を倒すが、それは『風雲姫の大冒険』シリーズのマキノ監督が雇った雪絵のボディガードだった。ナルト達は、カカシが雪絵のマネージャー・浅間三太夫から仕事を引き受けたことを知る。ナルト達の今回の任務は、雪絵の護衛だ。
『風雲姫の大冒険』シリーズ最新作は、雪の国で撮影することになっていた。カカシは、かつて雪の国にいたことがあるらしい。マキノ監督らの話では、雪絵は以前から女優業への意欲を全く見せていなかったが、現場から逃げ出すようになったのは、雪の国でのロケが決まってからだという。カカシは雪絵に催眠術を掛けて、船に乗せた。
やがてナルトたちは雪の国に向かうが、チャクラの鎧を着けた狼牙ナダレ、鶴翼フブキ、冬熊ミゾレの3人に襲撃される。彼らは、雪の国の支配者・風花ドトウの部下だった。ナルトたちは雪絵を船に戻そうとするが、彼女は拒否し、そのまま失神してしまう。ナルトたちは雪絵を連れて、その場から逃走した。
三太夫はナルトたちに、雪絵が雪の国の正当な世継ぎ・風花小雪であり、自分が彼女の父・早雪の従者だったことを告げた。早雪が治めていた頃、雪の国は平和な場所だった。しかし10年前、早雪の弟・ドトウが反乱を起こし、国を乗っ取った。幼かった雪絵を連れ出したのは、カカシだった。三太夫はドトウを倒すため、撮影を利用して雪絵を雪の国に連れて来たのだ。
三太夫は50人の仲間と反乱軍を結成し、ドトウに立ち向かう。しかしドトウの攻撃を受け、皆殺しにされた。ドトウは、雪絵の到着を待ち望んでいた。彼は早雪の財宝を見つけ出そうと企んでいたが、その隠し場所の鍵が雪絵の所持している六角水晶なのだ。ドトウは雪絵を拉致して六角水晶を奪おうとするが、ナルトが必死に追い掛ける…。

監督は岡村天斎、原作は岸本斉史、脚本は隅沢克之、製作は井澤昌平&山下秀樹&布川ゆうじ&島谷能成&竹内成和&秋山創一&竹内淳、企画は岩田圭介&鳥嶋和彦&本間道幸&荻野賢、プロデューサーは具嶋朋子&押切万耀、製作主任は鈴木重裕、演出は照井綾子、絵コンテは岡村天斎&川崎博嗣、総作画監督は田中比呂人、アニメーション監修は伊達勇登、CGプロデューサーは豊島勇作、CGディレクターは大塚康弘、撮影監督は松本敦穂、編集は森田清次、録音演出は神尾千春、美術監督は高田茂祝、音響演出はえびなやすのり、キャラクターデザインは西尾鉄也、メカニックデザインは荒牧伸志、コンセプトデザインは遠藤正明、色彩設計は水田信子、音楽は増田俊郎&六三四プロジェクト、主題歌「Home Sweet Home」はYUKI。
声の出演は竹内順子、杉山紀彰、中村千絵、井上和彦、甲斐田裕子、石塚英彦、美山加恋、大塚周夫、磯部勉、鈴置洋孝、唐沢潤、金子はりい、西川幾雄、高瀬右光、宝亀克寿、仲野裕、古澤徹、田中完、渡辺英雄、高階俊嗣、細野雅世、重松朋、YUKI他。


週刊少年ジャンプの連載漫画を基にしたTVアニメシリーズの映画版第1作。
ナルト役の竹内順子、サスケ役の杉山紀彰、サクラ役の中村千絵、カカシ役の井上和彦といった声優陣は、TVシリーズと同じ。
他に、雪絵の声を甲斐田裕子、マキノ監督を大塚周夫、ドトウを磯部勉、ナダレを鈴置洋孝、フブキを唐沢潤、ミゾレを金子はりい、三太夫を西川幾雄が担当している。また、早雪役で石塚英彦、小雪役で美山加恋が特別出演している。

冒頭、まず雪絵が主演している映画のシーンが映し出される。それから、それを見ているナルトたちが登場し、タイトルが表示される。
この入り方は、あまり上手いとは思えない。シリーズ1作目なのだから、まずゲストのキャラクターをフィーチャーするのではなく、主人公を観客に紹介するという導入が良かったのではないだろうか。
そりゃあTVシリーズを見ていた人なら、わざわざ紹介しなくてもナルトのことは良く分かっているだろう。しかし、それでも私は、やはりシリーズ1作目(シリーズではなく番外編という扱いなら、また話は変わってくるのだが)の作り方としては、まず主人公をアピールすることから始めるべきだったと思う。

主要キャラクターの紹介や人間関係&世界観の説明を全くしないままで話を進めるのは、TVアニメの映画版では必ずと言っていいほど採用されている方法なので、今さらどうこう語る必要も無いのかもしれない。しかし、どうしても私は馴染めない。
なぜ最初から「TVシリーズを見ていない人は見なくてもいい」という排除のスタンスを取ってしまうのか。そんなに時間が惜しいのだろうか。物語が厚いので、キャラ紹介や世界観の説明に割く時間が勿体無いのだろうか。

マキノ監督(もちろんマキノ雅弘からの拝借だろう)に映画撮影を続行させたり、「現実は映画とは違う。ハッピーエンドなんて無い」と言う雪絵に対して「気合で何とかなる」と説教させたりしているが、この人を話に積極的に絡ませようとする意味も不明。
映画屋の魂を描く作品なら、それもいいだろう。しかし、そうじゃないんだから。
大体ね、そこで起きている現実の事件に対して、完全なるエクスプロイテーション魂で首を突っ込んでいるのに、なんで偉そうなことを言わせるのかと。
それを愚か者として描くならともかく、「漢」として描くのは違うでしょ。
「この映画はヒットする、話題になる」という理由で撮影を続けているが、本物の殺人を撮影したりするんだから、完全に悪趣味でしょうが。

困ったことに、この映画、完全に雪絵が主人公になっている。
ナルトの物語を描く上で、キーパーソンとして雪絵が大きな扱いを受けるというレベルではない。雪絵の物語を描く中で、ナルトが関わってくるという形なのだ。
それはシリーズの1作目でやるような話じゃないだろう。繰り返しになるが、1作目では、まず「ナルトの物語」ということを強く意識すべきだろう。
そもそも、なぜ「女優としての生き様が云々」という部分にスポットライトを当ててしまうのか。
このアニメは、ナルトが一流の忍者を目指すという目的が軸にあるんじゃないのか。そうであるならば、そこから派生するところで物語を構築すべきだろう。
よりによって、なぜ映画界を題材にしたのか。
映画愛を語るのが作品のテーマでもあるまいに。

「やる気の無い雪絵が、カメラが回った途端に輝く」というシーンがある。
しかし、本物の女優ではないこともあって、その表現が分かりにくい。
まあアニメでも誇張すれば表現できないことはないのだが、一つ間違えばギャグのようになってしまう。
というかさ、ホント、なんで「女優が映画を撮影しに行く」という話にしたのかなあ。

ナルトに全く共感できず、雪絵に強いシンパシーを感じてしまうってのもツラいところだ。
雪絵は「ドトウには勝てないから諦めて帰る」という考え方を示す。それに対してナルトは、「ドトウを倒して自分の国へ帰れ」と怒る。
しかしね、無力な女が立ち向かったところで、絶対に勝てないのよ。三太夫と仲間達も、あっさり皆殺しにされてるし。
ナルトは自分の強さに自身があるから「立ち向かえ、諦めるな」と言えるんだろうが、戦う前から圧倒的な力の差が分かっているのに、無駄に命を落とす戦いを、なぜ選ばなきゃいけないのかと。
そこを看破できないままで、話を進めてしまう。
で、逃げようとしたら「戦え」と怒ったくせに、実際に雪絵がドトウに立ち向かって殺されそうになると「そんなのは逃げてるのと同じだ」と言い出す。
だったら、どうすりゃいいのかと思ってしまうぞ。
結局はナルトが戦って、雪絵は傍観しているだけだし。

「友情、努力、勝利」を熱血アピールする主人公ってのは、いかにも週刊少年ジャンプらしいけれど、そのキャラクターを魅力的に見せるには、雪絵というキャラクターとの組み合わせが悪すぎた。
ナルトの「ドリームズ・カム・トゥルー」的な考え方が、「現実の厳しさを見ない愚か者の楽観主義」というマイナスの印象になってしまう。
「ナルトとの触れ合いによって雪絵の心情に変化が生じていく」というドラマを描くには、ナルトに繊細な心配り、思いやりの気持ちが無さすぎた。がさつなキャラってのが、ちょっとキツい。
ナルトと雪絵の組み合わせだと、2人の間に入って中和剤の役割を果たすキャラクターを置くべきだった。
というか、ホントはカカシという適任者がいるはずなのだが。

 

*ポンコツ映画愛護協会