『KYOKO』:1995、日本&アメリカ

21歳のキョウコは、トラック運転手の仕事で金を貯め、アメリカへ渡ることにした。幼い頃に出会い、半年で去ったGIのホセに会いに行くのが目的だ。ホセは別れる時、大きくなったらニューヨークの家に遊びにおいでと告げて、住所のメモをキョウコに渡していた。
キョウコは4歳の時に両親を自動車事故で失い、基地の町に暮らす叔父夫婦の元で育った。8歳の時、ホセと出会ったキョウコは、彼からラテン・ダンスを教わった。そのことが、孤独な日々を送っていたキョウコに安らぎを与えてくれたのだった。
ニューヨークに到着したキョウコがホセの家を探していると、ラルフ・ビッグスという黒人のりムジン運転手が声を掛けて来た。ラルフから、メモに書かれた場所があるクイーンズまで180ドルで乗せて行ってやると言われたキョウコは、その誘いをOKした。
メモに書かれていた住所に立つアパートには、デヴィッドというエイズ患者が住んでいた。デヴィッドはホセという男は住んでいないと告げ、住人のダンサーが通うダンス・スタジオを教えてくれた。ダンス・スタジオに行ったキョウコは、ホセが腰を痛めて最近はスタジオに来ていないこと、彼の親友ホルヘがホテルのクロークをしていることを知る。
キョウコはラルフ共に、ホルヘが勤務するホテルに向かった。ホルヘは、最近はホセに会っていないが、彼はキューバ系アメリカ人なので、キューバ人協会に聞けば何か分かるかもしれないと告げた。キョウコはキューバ人協会に電話を掛け、ホセの叔父パブロ・コルテスが“スル・カリーベ”というバーを経営していることを聞いた。
キョウコはラルフと共に、スル・カリーベへ出向いた。キョウコはダンスを踊って自分がホセと知り合いだと証明し、パブロからホセがラテン慈善会のホスピスにいることを知らされた。翌日、ホスピスに行ったキョウコは、ホセがエイズを患っていることを知る。
ホセはエイズ痴呆症のため、自分がスター・ダンサーだったという妄想の世界に生きていた。ホセは過去のことを全く覚えておらず、もちろんキョウコのことも記憶から削除されていた。ホセが故郷の母親に会いたがっていることを知ったキョウコは、約2000キロ離れたマイアミまで、彼を連れて旅をすることを決意する…。
監督&原作&脚本&音楽プロデュースは村上龍、製作は江尻京子&村上龍、共同製作はジャド・クレマータ&マイク・エリオット、製作総指揮はロジャー・コーマン、撮影はサラ・コーリー、編集はジェームズ・ステラーJr.、美術はジョン・マイケル・ティロットソン。
主演は高岡早紀、共演はカルロス・オソーリオ、スコット・ホワイトハースト、マウリシオ・ブスタマンテ、オスカー・コロン、エンジェル・スティーヴンス、ブラッドフォード・ウエスト、パトリシア・アルヴァレス・マリン、アレクサンダー・ヴァローナ・マレロ、サンディ・ゴードン、フォード・ウィンター、ラクウェル・ロドリゲス、メリッサ・グエラ、マリオ・モラレス他。


作家の村上龍が監督&原作&脚本&製作&音楽プロデュースを担当した作品。アメリカのインディーズ映画界の帝王ロジャー・コーマンが、製作総指揮を務めている。冒頭のシーンだけが日本で、それ以降のシーンでは日本人俳優は高岡早紀だけだ。

周囲のほとんどが外国人という環境の中、ほぼ全編に渡る英語のセリフを話し、撮影前にはキューバへ行って、ラテン・ダンスのレッスンを1ヶ月に渡って受けた高岡早紀は、頑張ったと思う。でも、厳しい言い方だが、ミスキャストだったと思う。
たった1ヶ月のダンス特訓では、「8歳から21歳までずっとダンスを続けてきた」というキョウコのキャラクター設定に説得力を持たせるような、華麗なダンスを踊ることは不可能だ。そして、そのことは、この映画にとって致命傷となってしまう。

キョウコがダンスを披露するシーンは、それほど多いわけではない、全部で4シーンだ。しかし、量の問題ではない。その数少ないダンスシーンには、大きな役割が課せられているし、長くカメラを回しているからには、そこが見せ場だという意識があるはずだ。
例えば、キョウコがホセからダンスを教わったことを証明するために、パブロにルンバ・コロンビアを踊って見せるシーンがある。ここでは、ただ単に「踊れる」というだけでなく、「上手く踊れる」ことを見せないと、見せ場として成立しない。しかし、キョウコの踊りには、しなやかな“うねり”のような体の流れが無く、動きが硬い。

高岡早紀はバレエの経験があるので、主演に起用されたのかもしれない。しかし、バレエとラテン・ダンスは、全く違うものだ。ここは、「芝居が出来てラテン・ダンスも上手い」という都合のいい人材が見つからなければ、ある程度の演技力を犠牲にしてでも、ラテン・ダンスが上手い人を主演に選ぶべきだったと思う。

村上龍という人は、アブノーマルなセックスやドラッグを小説に取り入れるのが大好きな作家だが、根っこの部分では、メルヘンチックなスピリットの持ち主なのだろう。この映画でも、目の中に星が瞬いている少女マンガのような視線が伺える。
たまたま出会ったラルフは、ずっとキョウコに付き合ってくれる親切な男だ。宿泊拒否に会っていたら、偶然にも通り掛かった元弁護士が助けてくれる。たまたま出会った少年は、エイズ患者でも泊まれるホテルを知っている。全ては、乙女チックだ。

キョウコはホセをマイアミまで連れていくが、いくら過去に優しくしてもらったとは言え、そこまでの行動に至らせる推進力は弱い。日本から来た見知らぬ女性1人に、危険な状態にある患者を任せるホスピスのスタッフは、どういう感覚なのかと考えてしまう。しかし、メルヘンなので、そういうことは考えてはいけない。
最後にキョウコはキューバに行くのだが、そうする必然性は感じない。しかし、メルヘンチックな話としては、そういうエンディングにすることが、ふさわしいということだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会