『黒いドレスの女』:1987、日本

朝吹冽子が高速道路を歩いていると、車で通り掛かったアキラという男が声を掛けた。冽子が東京の大井へ行くと知り、アキラは車に乗るよう促した。アキラがヤクザ風だったため、一度は断った冽子だが、結局は乗せてもらった。バー経営者の田村は、大井競馬場で弁護士の山本と会っていた。山本は田村に、ヤクザの庄司を外国へ飛ばす手配を依頼した。庄司は別のヤクザたちに追われており、逃亡先が日本ではダメなのだと山本は説明した。
競馬場で当たり馬券を破り捨てた庄司に、アキラがゆっくりと歩み寄った。アキラがナイフを構えたので、田村は庄司に叫んで注意を喚起した。しかし庄司は全く逃げようとせず、ナイフを腹で受けた。アキラが逃亡するのと入れ違いで、冽子が競馬場にやって来た。田村は庄司に駆け寄り、傷の具合を心配する。庄司は「大丈夫だ。抉られちゃいねえ」と彼に告げた。その様子を、冽子が見つめていた。
夜、田村がバーで働いていると、黒いドレスを着た冽子が現れた。冽子は田村に自分のしている首飾りを見せ、静岡にいる三井葉子から貰ったことを告げる。葉子は田村の義妹だが、もう7年も会っていなかった。冽子が働かせてほしいと言うので、田村は住み込みで雇うことにした。田村は裏稼業の相棒である立岡と会い、庄司の逃走ルートが見つかったことを知らされる。清水から船で外国へ送るルートを聞き、田村は店に戻った。冽子が不在の内に彼女の荷物を調べた田村は、拳銃を発見した。そこへ戻って来た冽子は、自殺用に携帯しているのだと告げた。
入院していたはずの庄司が、勝手に抜け出してバーに現れた。田村は2階に冽子が住み込んでいることを話すが、庄司は「俺は相部屋でも構わんがね」と言う。すると冽子は、「私、構いません」と告げた。田村は立岡と会い、ルートを用意した仲介人と接触するのが明日だと聞かされる。「アンタがコートを着て女と宮下公園を歩いている」と連絡方法を説明された田村は、偽装のデート相手に冽子を同行させた。山尾という男と公園で会った田村は、3日後の同じ時間の同じ場所に客だけを連れて来るよう指示された。
冽子と田村が店に戻ると、庄司がバーテンダーとした働いていた。ホステスのめぐみは、庄司の腕がプロ級だと田村に言う。閉店後、田村は庄司に、義妹が拳銃を冽子に持たせて送り込んで来たことを語った。その拳銃は、田村の亡き妻の兄が所持していた物だった。田村の義兄はカタギの人間で、既に亡くなっている。ヤクザの一味が店に乗り込み、冽子の引き渡しを要求した。田村は冽子を2階に行かせるが、ヤクザたち暴行される。庄司はヤクザの一人を包丁で刺し、脅しを掛けて退散させた。
田村が2階へ行くと、冽子は窓から逃げ出していた。夜の町に出た田村はヤクザの一味に見つかり、冽子の居場所を教えるよう脅された。リンチを受けた田村は丸太を拾って反撃し、一味を追い払った。ディスコで踊り狂った冽子は、アキラと遭遇した。冽子はアキラの車に乗り、海へ出掛けた。「貴方が人を刺すのを見たわ」と冽子が言うと、アキラは「あれは俺のオジキだ。チンピラの時から仕込んでくれた、大事な人だ」と話す。
アキラは冽子に、「抉らなかった。刺したという形で、ケリを付けようと思った。しかし、組はそれじゃ済まねえって言ってる。もう一度、あの人を刺さなきゃならねえ」と語った。「どうしても刺さなきゃならないの?」という冽子の問い掛けに、アキラは「ああ。もう網に引っ掛かってる。清水から船に乗るつもりで、今頃は車でも転がしてるだろう。こっちの罠だとも知らねえでよ」と口にした。
田村は庄司を車に乗せ、清水へ向かっていた。ヤクザの一味が追跡して来るが、田村は激しいカーチェイスの末に全員を蹴散らした。田村は立岡と合流し、彼の用意してあった車に乗り換えた。田村は庄司を立岡の手配したエンゼルホテルまで送り届け、「会っておきたい人間がいる」と告げて立ち去った。田村は葉子の家を訪れ、「あの拳銃は何かのメッセージか」と尋ねた。「拳銃のこと、覚えていてくださいました?」と葉子が訊くと、田村は「自分の女房があれを握り締めて、一発も発射できないまま殺されたんだぜ」と告げた。
葉子が「あれは兄と姉を殺した同じ相手が、あの子を追っているというメッセージのつもりでした」と話すので、田村は「野木原が?」と驚いた。葉子は彼に、野木原が抱えているヤクザが追っていることを話す。その理由を田村が尋ねると、葉子は「あの子が言っていないのなら、私にも分かりません」と答えた。田村は妻が死んだ時のことを回想した。防波堤に呼び出された彼が駆け付けると、死体となった妻の傍らに葉子が立っていた。彼女は田村に、「「兄さんを殺した相手を見つけたの。決着を付けるんだって」と述べた。形見として拳銃を受け取って欲しいと言われた田村は、「サラリーマンには必要の無い物だよ」と断った。
田村が葉子の家を出ると、張り込んでいた静岡県警の大野が声を掛けて来た。葉子との関係を問われ、田村は名前を告げた。大野は田村が妻を亡くしていることも、以前は極東酒造の東海支社に勤めていたことも、現在は東京でバーを営んでいることも知っていた。大野は田村に、冽子を追っていることを明かす。冽子の父親である英一郎がマンションのベランダから転落死したが、不審な点があるので警察は事情聴取を続けていた。その間、冽子を葉子に預けていたが、姿を消してしまったのだと大野は説明した。
田村は庄司の元へ戻り、立岡と共に逃走ルートのことを話し合う。冽子は田村に電話を掛け、清水から船に乗るルートは罠だと教えた。田村は山尾の待つ店へ行き、客は車で待たせていると話した。すると店の奥にいたヤクザの連中が立ち上がり、外へ出て行った。その中にはアキラの姿もあった。しかし田村が車で待たせていたのは、庄司ではなく立岡だった。山尾はヤクザたちを裏切ったとみなされ、アキラにドスで掌を突き刺された。
田村は庄司を葉子に預け、冽子の元へ赴いた。田村は数学教師をしている恋人の小夜子を訪ね、冽子を3日ほど匿ってほしいと頼んだ。小夜子は承諾するものの、冽子に対して強い嫉妬心を示した。田村がバーの営業を終えようとした頃、大野が現れた。冽子を捜しに上京したばかりだと語る大野に、田村は「あの子を捜てるのは、おたくだけじゃありませんよ」と告げる。すると大野は「知ってるよ。代議士の野木原、それに極東酒造の和久田」と口にした。
和久田は田村が極東酒造にいた頃の同僚だが、今は東海支社のマネージャーに出世していた。大野は田村に、野木原と和久田は相互銀行の理事である英一郎が結託して資金の横流しを行っていたことを話す。英一郎が死んだ後、彼が資金の流れを克明にメモした書類が消えていた。全ての鍵を握るのは冽子であり、だから大野は彼女を見つけ出そうとしていたのだ。そこへ冽子が姿を現したので、田村は大野の頭をビール瓶で殴り付けて気絶させた。
冽子は田村に、小夜子がシャープで自分のことを見抜きそうだったので出て来たと釈明した。「君の何をだい。君が義理の父親を殺したことをか」と指摘された冽子は、当時のことを回想する。英一郎に強姦されそうになった冽子はベランダに逃げたが、そこで気を失ってしまったのだった。田村は冽子を連れて葉子の家へ行き、野木原たちと取引することを明かした。復讐心を燃やす葉子は反対するが、冽子は「私には、もっと大きな問題があるんです。父親殺しっていう」と弁明した。
どこにメモがあるのか問われた冽子は、「マンションです」と答える。「どこにも無かったわよ?隠し金庫の中にも」と葉子が言うと、もう一つの隠し場所があることを冽子は明かした。田村は何かあった時の用心として、庄司にも同行を依頼した。4人が車でマンションへ向かっていると、アキラが追跡して来た。庄司は車を停めてもらい、ドスを抜いたアキラに「待ってくれねえか。付き合いで片付けなきゃならねえ用事がある」と告げた。アキラが承知して立ち去った後、冽子たちはマンションへ赴いた…。

監督は崔洋一、原作は北方謙三(角川文庫版)、脚本は田中陽造、製作は角川春樹、プロデューサーは黒澤満&青木勝彦、撮影は浜田毅、美術は今村力、照明は長田達也、録音は中野俊夫、編集は冨田功、助監督は佐藤敏宏、音楽は佐久間正英、音楽プロデューサーは石川光。
主題歌『黒いドレスの女〜Ritual〜』作詞:甲田益也子、作曲:佐久間正英、唄:dip in the pool。
『Tambourine』作詞:甲田益也子、作曲:木村達司、唄:dip in the pool。
出演は原田知世、菅原文太、永島敏行、時任三郎、藤真利子、中村嘉葎雄、成田三樹夫、橋爪功、室田日出男、藤タカシ、本間優二、一色彩子、清水昭博、伊藤幸子、榎木兵衛、飯田浩幾、伊藤洋三郎、尾崎秀、藤原益二、渥美博、菅田俊、伊藤康二、川口明芳、佐藤信、内木場金光、有馬光貴、古川博樹、鎌倉俊明、中瀬博文、茂木和範、後藤正人、白浜健三、甲斐美穂、黒沢瞳ら。


北方謙三の同名小説を基にした作品。
冽子を原田知世、庄司を菅原文太、田村を永島敏行、山本を時任三郎、葉子を藤真利子、野木原を中村嘉葎雄、大野を成田三樹夫、英一郎を橋爪功、立岡を室田日出男、アキラをロックバンド「M-BAND」の藤タカシ、和久田を本間優二、小夜子を一色彩子、山尾を清水昭博、めぐみを伊藤幸子が演じている。
監督は『いつか誰かが殺される』『友よ、静かに瞑れ』の崔洋一、脚本は『キャバレー』『めぞん一刻』の田中陽造。

角川3人娘の1人である原田知世は(ちなみに他の2人は薬師丸ひろ子と渡辺典子)、1983年の『幻魔大戦』で声優として映画デビューし、同年の『時をかける少女』で初主演を務めた。
その後、1984年に主演第2作の『愛情物語』と第3作の『天国にいちばん近い島』、翌年に主演第4作の『早春物語』があって、1987年に主演第5作となる今作が公開されている。
『時をかける少女』では純朴な高校生を演じていた彼女が、その約4年後にはバーでホステスとして働くような女性の役を与えられているわけだ。

『時をかける少女』から4年後なら、まだまだ「少女」の役でもいいんじゃないかと思うのだが、角川春樹としては彼女をアイドル女優から「大人の女優」として脱皮させたいという気持ちがあったらしい。
その脱皮計画が開始されたのは『早春物語』だ。
しかし、あの映画を見て原田知世を「大人の女優に脱皮した」と感じた人は、ほとんどいないんじゃないだろうか。
それまでのようにファンタジックなテイストが強い作品ではないし、大人の男性に恋する話ではあったが、「少女が背伸びして大人っぽく振る舞おうとする」という形だった。
どこまで意図的だったかどうかは知らないが、ともかく澤井信一郎監督は角川春樹の立てた戦略を達成できなかったわけだ。

そこで角川春樹が次に白羽の矢を立てたのが、『いつか誰かが殺される』『友よ、静かに瞑れ』という2本の角川映画を手掛けていた崔洋一だった。
しかも原作として用意したのは、北方謙三のハードボイルド小説だ。どう考えたって、そこに「ファンタジー」や「少女」は場違いなテイストだ。
まず舞台を「大人の世界」として整えることで、やや強引にでも原田知世を大人の女優に脱皮させようと角川春樹は目論んだのだ。
しかし結果としては、今回も失敗に終わっている。

朝吹冽子をファム・ファタールとして描きたいんだろうは思うけど、そうは見えない。
それは原田知世という女優の見せ方を間違えているのが最大の原因だろう。
角川春樹の戦略に合わせて、原田知世は本作品で「大人の女性」を演じようとしているし、演出としても同様の見せ方をしようと試みている。
冽子はバーでマルガリータを注文し、煙草を吸う。「無理に大人っぽく振る舞っているから、すぐ酒に酔ったり、煙草で咳き込んだりする」といった描写は無い。普通に酒を堪能し、煙草を吹かせる。

しかし残念ながら、というか当然のことなのだが、『早春物語』と同様、無理をして背伸びしているのがハッキリと出てしまっている。そして、その「無理に背伸びをしている」というところをヒロインの魅力としてアピールするわけでもないんだよな。
何しろ、ホントに冽子を「大人っぽさのある女性」として描こうとしているんだから。
その極みが、プールで水着になった彼女を見た田村の「体はすっかり大人なんだな」という台詞。
黒のスクール水着を来た原田知世を見て「体は大人」と感じたとしたら、そいつのセンスはおかしい。
可愛さは出まくっているが、艶っぽさや大人っぽさは皆無だぞ。

そうなのだ、この映画、どれだけキャラクター造形として冽子を「大人っぽさのある女性」に見せようとしても、どれだけハードボイルドな雰囲気で周囲から「大人の世界」を固めようとしても、どれだけ原田知世が大人っぽく振る舞っても、ファム・ファタールとしての妖艶な色気が全く発生しないのだ。
なぜなら、原田知世がそういうタイプではないからだ。
これは後から分かることだが、実は「まだ年齢的に大人の女性を演じるのが早すぎた」ということではない。
その後、年を重ねても、原田知世は相変わらず「どこか少女っぽさが残る」というのが魅力の女優なのだ。

トップビリングは原田知世だが、実質的な主人公は永島敏行だ。
「田村が冽子に魅了され、翻弄される」というのを見せたいという意識があったのかもしれないが、前述したように、原田知世はハードボイルド映画のファム・ファタールには向かない女優だ。
「その可愛さや少女っぽさで男たちを虜にする」というアプローチなら、大いに有りだろう。だが、それは本作品の雰囲気に合っていないし、そもそも角川春樹が大人の女性への脱皮計画で本作品を用意したのだから、そんなアプローチは有り得ない。
ようするに、「まず原田知世という女優ありき」の企画にも関わらず、主演女優と企画のマッチングに失敗しているのだ。

ただし、「じゃあ原田知世のミスマッチという問題を除けば、他はハードボイルド映画として質の高い仕上がりになっているのか」と質問されたら、答えはノーだ。
まず駄目なのは、話の作りとしても、田村や庄司が冽子に魅了され、翻弄されているわけではないってことだ。
つまり、冽子を別の女優、妖艶な魅力を放つ女優が演じていたとしても、やはりファム・ファタールとしての見せ方には失敗しているってことなのだ。
だから、この映画、実は冽子の存在をバッサリと削ぎ落として構成してしまった方が、ハードボイルド映画としてはキッチリと締まるのだ。

小道具として使われる拳銃は、そもそも田村の義兄が持っていて、それを田村の妻が復讐のために持ち出したというシロモノだ。
しかし、田村の義兄はカタギだったのに、なぜ拳銃なんて所持していたのか。
また、田村の妻は復讐のために拳銃を持ち出したらしいが、素人がいきなり使いこなせるような道具じゃない。
葉子に「拳銃のこと、覚えておいてくださいました?」と問われた田村は「自分の女房があれを握り締めて、一発も発射できないまま殺されたんだぜ」と語るけど、そりゃカタギの女が発砲なんて出来るはずがないよ。使い方も全く知らなかったはずだし。

なぜか不用意に夜の町へ出た田村はヤクザ一味に暴行され、なぜか都合良く落ちていた丸太を拾って反撃する。
不自然さバリバリの喧嘩シーンだ。
車が一台も走っていない場所ばかりで展開される、あまりにも不自然すぎる状況下でのカーチェイスもある。
元サラリーマンで今はバーを経営しているだけの田村が、その道のプロフェッショナルのように驚異的な運転技術でヤクザ一味を蹴散らす。
幾ら逃がし屋の裏稼業をやっているからって、そのスタントマン的な運転技術は不自然だろ。

田村の妻が死んだ時の回想シーンは、引っ掛かる点が幾つかある。
まず、葉子はどういう経緯で、姉の死体を発見したのか。
そこへ復讐に向かうことを事前に知っていたのなら、なぜ同行するなり制止するなりしなかったのか。
また、警察には連絡せずに田村を呼んだ上、姉が握っていた拳銃は持ち去っているのに、なぜ死体は放置したままにするのか。なぜ、そこだけは現場保存のルールを律儀に守るのか。

静岡県警が冽子の事情聴取をする間、その身柄を葉子に預けていたってのは、理由がサッパリ分からない。
葉子は英一郎の愛人だった女なのだが、だったら余計に預けない方がいいんじゃないのか。
それに、重要参考人として事情聴取していたはずなのに、なぜ簡単に逃亡されるようなヌルい監視体制しか取っていなかったのか。そして冽子が逃げ出した後、なぜ刑事は大野しか行方を追っていないのか。
大野は大勢の悪党どもが冽子を追っていると知っているのに、なぜ応援を呼ばずにテメエだけで彼女の身柄を確保しようとするのか。

「田村が庄司を逃がそうとしている」「冽子が父親の転落死に関連してヤクザに追われている」「葉子が野木原への復讐心を抱いている」という3つの要素があるのだが、この内、最初の1つが残り2つと上手く絡んでいない。
庄司は野木原の事件とも、英一郎の転落死とも、全く関係が無い。
成り行きで冽子と知り合い、いつの間にか葉子とは肉体関係まで持ってしまうけど、必要性が薄い。
2つの話を無理にミックスさせようとして、混じり合わないままになっているような印象を受ける。

なお、原田知世は本作品を最後にデビューから所属していた角川春樹事務所を離れ、姉の原田貴和子と共に芸能事務所「ショーンハラダ」を設立した。
独立後の彼女が最初に出演したのが、ホイチョイ・プロダクション(現在は「ホイチョイ・プロダクションズ」)の製作した『私をスキーに連れてって』だ。
映画の質や出来栄えはともかく、原田知世の可愛さだけは素晴らしかった。アイドル女優としての彼女が持つポテンシャルが、存分に発揮されていた。
結局、角川春樹の戦略よりも、本人の判断の方が正しかったわけだ。

(観賞日:2014年11月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会