『紅の豚』:1992、日本

1920年代末、第一次世界大戦後のイタリア。空の海賊、空賊がアドリア海を荒らしまわっていた。ポルコ・ロッソはそんな空賊を捕まえる、腕の立つ賞金稼ぎだ。彼はその昔、イタリア軍の英雄だったが、今は自分に魔法をかけて豚の姿で暮らしている。
マンマユートのボスを始めとする空賊達は、ポルコにやられてばかりの現状に我慢がならなかった。そこで彼らはアメリカの優秀なパイロットであるカーチスに助っ人を頼む。ポルコはカーチスの挑戦を無視して、エンジン修理のためにミラノに向かった。
だが、途中でポルコの飛行機は故障してしまい、待ち伏せていたカーチスに撃墜されてしまった。何とか助かったポルコは、ピッコロの修理工場へとやって来た。ポルコはピッコロの孫娘フィオと出会い、彼女に飛行機をパワーアップしてもらった。そしてポルコはフィオを賭けて、カーチスとの再戦に挑むことになる…。

監督&原作&脚本は宮崎駿、製作は徳間康快&利光松男&佐々木芳雄、企画は山下辰己&尾形英夫、プロデューサーは鈴木敏夫、作画監督は賀川愛&河口俊夫、美術監督は久村佳津、色彩チーフは保田道世、色彩設計は立山照代&木村郁代、撮影監督は奥井敦、編集は瀬山武司、音楽監督は久石譲、主題歌は加藤登紀子。
声の出演は森山周一郎、加藤登紀子、桂三枝、上條恒彦、岡村明美、大塚明夫、関弘子、阪脩、田中信夫、野本礼三、仁内健之、島香裕、藤本譲、松尾銀三、新井一典、矢田稔、辻村真人、稲垣雅之、大森章督、古本新之輔、中沢敦子、中津川浩子、森山祐嗣、松岡章夫、佐藤広純、種田文子、井上大輔、佐藤ユリ、沢海陽子、喜田あゆみ、遠藤勝代ら。


宮崎駿が監督&原作&脚本を務めたスタジオ・ジブリの映画。
どうしても気になったので、最初にものすごく野暮なツッコミをしておく。
「飛べない豚は、ただの豚さ」と言っていたが、人間の言葉を喋って2足歩行してる時点で、ただの豚ではないと思うぞ。

中年男の生きざま、カッコ良さ、ノスタルジー、そういったものを描こうとする意識が、この映画からは感じられる。これは100%、大人のためのアニメーション映画として作られている。それまでの宮崎監督の作品は難しさはあるにせよ、その視線に子供達が入っていた。それが、この映画にはほとんど感じられない。

この映画がターゲットとしている観客の対象は、あくまでも大人である。しかし、では多くの(アニメファンではない)大人の鑑賞に耐える作品かと言われると、首を傾げざるを得ない。となると、これはアニメファンの大人向けの作品なのか。

いや、違う。実はそうではない。この映画は、単純に宮崎監督が自分の趣味の世界を映画化しただけの、思いっきり私的な、いわば職権乱用のような形で作った映画だ。それでも、“宮崎駿”というブランドさえあれば、商業映画として成立してしまうのだ。

何より主人公が豚である理由が分からないし、違和感がある。豚であることを当然だと思わせる説得力が無い。しかし、説得力など必要が無いのだ。宮崎監督さえ楽しむことが出来れば、それで私的映画としての役目は果たしているからだ。

主人公が豚の姿をしているというのは、たぶん宮崎監督の姿を投影しているからだろう。
この主人公、確かに表面的にはカッコ良く見えるのかもしれない(見た目はともかく、雰囲気として)。だが、彼は決して輝いてはおらず、変に気取っているだけだ。彼よりも、むしろ脇役のマンマミート・ボスやバアちゃんの、なんと生き生きしていることか。

この作品には大人の女性ジーナが登場するが、途中で彼女の存在は薄くなり、少女フィオがヒロインの座を奪う。大人向けの映画としての体裁を取りつつも、大人の女性がヒロインになることは許されていない。
そして中年のオッサン達が少女を奪い合うという、ロリコンめいた話になっていく。
なお、前述したように、主人公には宮崎監督の姿が投影されている。

カーチスとの対決がクライマックスだが、対決する理由が弱いので盛り上がりに欠ける。
だが、理由なんて大したことじゃない。ただ理想の世界観の中で飛行機がブンブンと飛び回っていれば、それだけで満足なのだろう。
観客はともかく、監督は。

 

*ポンコツ映画愛護協会