『海月姫』:2014、日本

倉下月海は幼い頃、水族館のクラゲを見て「綺麗」と興奮した。すると母は彼女に、「女の子は大きくなったら、みんな綺麗なお姫様になるのよ」と語った。しかし20歳を迎えた月海は、自分がお姫様ではなく腐った女の子になってしまったと感じていた。恋愛はおろか男と喋ることも出来ず、大好きなクラゲに夢中だった。そんなクラゲオタクの月海が暮らすアパート「天水館」の住人は、癖の強い女子ばかりだった。まややは三国志オタク、ばんばさんは鉄道オタク、管理人の娘である千絵子は和物オタクで、ジジ様は枯れ専だ。しかし月海にとって天水館は、心の安らぐ場所だった。
天水館の主は売れっ子BL漫画家の目白だが、まだ月海は会ったことが無い。住人達は何か提案があると紙をドアの下から滑り込ませ、目白の託宣を受けるのだ。住人は全員が独身で恋人もおらず、自分たちのことを「尼〜ず」と呼んでいる。鹿児島からイラストレーターを目指して上京して半年になる月海は楽しく過ごしているが、たまに寂しくなる時がある。そんな時は、近所にある熱帯魚店「ぷかぷか」でクラゲを見るのが彼女の日課だ。
ある日、熱帯魚店へ出掛けた月海は、間違った飼育方法でタコクラゲが死の危機にあるのを目にした。しかし店員が男性だったため、話し掛けることをためらう。何とか勇気を振り絞って事情を説明するが、その異様な態度に店員は怯える。月海が追い出されたところへ、謎の美女が通り掛かった。美女が間に入ったことで、月海は店員に事情を理解してもらえた。美女が「死んじゃうんでしょ。じゃあ頂戴」と店員に言い、タコクラゲを引き取った。
翌朝、アパートで目を覚ました月海は、自分がタコクラゲを引き取った上に美女を泊まらせたことを思い出した。しかしベッドから起き上がった彼女は、美女がカツラを着用して女装した青年だと知って驚いた。青年は鯉淵蔵之介という名前で、趣味で女装しているだけでノーマルだと話す。部屋中に貼られているクラゲのイラストを見た彼は、「いいじゃん。こういうの、すっげえ好き」と口にした。月海が天水館に男性を連れ込んだ場合のペナルティーを目白に尋ねると、「死」という答えが返って来た。
その夜、尼〜ずの鍋パーティーに蔵之介は女装で現れる。月海は動揺した尼〜ずから、帰ってもらうよう求められる。しかし蔵之介は全く気にせずに挨拶し、月海は「蔵子」と紹介する。みんなの会話を聞いていた蔵之介が「そうか、ここの人たちってオタクなんだ」と言うと、尼〜ずは一斉に固まった。蔵之介が失礼な発言を繰り返すので、千絵子は帰るよう要求する。しかし蔵之介が高級な松坂牛を持参したことを知ると、尼〜ずの機嫌は良くなった。
帰宅する蔵之介に付いて行った月海は、彼が城のような豪邸に住んでいることを知った。蔵之介の兄である修がメルセデス・ベンツからスーツで現れると、月海は焦って逃げ出した。修は蔵之介の女装趣味を認めておらず、すぐに着替えるよう指示した。蔵之介は運転手の花森に質問し、自分が家へ来る前から修が堅物だったことや童貞であることを聞き出した。蔵之介と修の父である慶一郎は、民自党最大派閥のリーダーだ。修は蔵之介の異母兄で、慶一郎の秘書を務めている。
蔵之介は翌日も、女装姿で天水館にやって来た。月海は彼を放置し、江の島の水族館へクラゲを見に行こうとする。月海が普段着のまま外出しようとするのを見た蔵之介は、彼女を自宅へ連れ帰る。そして自分のメイク道具や衣装を使い、月海を変身させた。逃げ出そうとした月海を見た修は、彼女に一目惚れした。蔵之介が月海と一緒に水族館へ出掛けると、修も同行した。修の気持ちに気付いた蔵之介は、ニヤニヤしながら「処女だよ」と教えた。しかしキラキラした月海の目を見た蔵之介は、彼女を可愛いと感じる。
クラゲの水槽の前で月海と修が抱き合っているのを目撃した蔵之介は、ムカムカした気持ちになってしまう。修は月海が急に泣き出したこと、彼女が母と最後に見たクラゲであることを蔵之介に説明した。慶一郎は修に、天水地区の再開発事業計画に絡んでグローバル・シティー・クリエイトという会社が鯉淵派の支援を取り付けたがっていることを話す。地元住民からは反対の声が上がっているが、計画を推進したがっている慶一郎は修に「この件は任せる」と告げる。
再開発事業計画を知った蔵之介は天水館へ行き、尼〜ずに事情を説明する。母親に電話を掛けた千絵子は、彼女が天水館を売って韓国へ行きたがっていることを知る。蔵之介は現実から目を背けようとする尼〜ずを叱責し、翌日の説明会へ行かせる。会場には修も来ていたが、月海が前日とは全く違う姿なので気付かなかった。プロジェクト担当者の稲荷翔子が会場に現れ、計画について説明を始めた。まややが大声で騒いだので注意を受け、尼〜ずは彼女を連れて退散した。
翔子は計画を確実に進めるため、修を誘惑しようと考える。2人が相合傘で歩く様子を見た月海は、ショックを受けた。尼〜ずが反対表明せずに天水館へ逃げ帰ったことを知り、蔵之介は叱責した。翔子が天水館へ挨拶に来ると、蔵之介は「ここの住人は、出て行く気は無い」と挑戦的な態度を取る。「それはオーナーさんが決めることですから」と翔子が告げると、彼は「それなら天水館を全員で買ってやるよ」と言い放った。
翔子は修とデートに出掛け、酒に薬を混入して眠らせた。彼女はベッドで修の服を脱がせると、ツーショット写真を携帯電話で撮影した。蔵之介は尼〜ずと共にフリーマーケットへ行き、自分たちの物品を売って金を工面しようとする。尼〜ずが持って来た品物に「売れるわけがねえだろうが」と呆れる蔵之介だが、月海が作ったクラゲのマスコットだけは大量に売れた。修は翔子から写真を見せられ、激しく動揺した。2人の様子を見た月海は、ショックを受けて天水館へ戻った。
幼少期のことを思い出した月海は、近くに合った布を被ってクラゲのドレスに見立てる。それを目にした蔵之介は、クラゲのドレスを作って売ろうと尼〜ずに提案する。蔵之介は布も購入するが、尼〜ずは全く乗り気ではなかった。それでも蔵之介が協力を要請すると、千絵子は「縫うだけなら」と承諾した。出来上がりは全く希望と違っていたが、月海が手を加えた。蔵之介は枯れた政治家の写真でジジ様も誘い、自宅へ行く。月海は真珠のネックレスをパーツとして使い、一着目のドレスを完成させた。
蔵之介は男だとバレてしまうが、本当は女として生きたい人間なのだと嘘をついて千絵子とジジ様を納得させた。慶一郎は修に、議員生活30周年パーティーに翔子も招待したことを話す。彼はプロジェクトの出資者も集まるので、正式に協力の意志を説明するつもりだと話した。ばんばさんとまややも月海たちに協力するようになり、ドレス作りは順調に進んだ。蔵之介は資金集めのパーティーのことを知り、同じ日にファッションショーを開いて金持ちの客を奪おうと目論んだ。
千絵子が「場所はどうすんの。あったとしても借りるにはお金が」と言うと、月海は天水館で開催することを提案する。蔵之介は「ここなら天水館もアピールできる」と賛同し、まややには自分と共にモデルをしてもらおうと考える。まややは体型のコンプレックスを吐露するが、千絵子や月海の言葉を受けてモデルになることを承諾した。修は水族館の前にいる普段着姿の月海を目撃し、本当の彼女を初めて知った。月海は修とのデートに出掛け、結婚を前提に付き合ってほしいと告げられる…。

監督は川村泰祐、原作は東村アキコ 「海月姫」(講談社刊)Kiss連載、脚本は大野敏哉&川村泰祐、エグゼクティブプロデューサーは豊島雅郎&鈴木伸育、プロデューサーは井手陽子&宇田充&松下卓也、共同プロデューサーは鈴木俊輔&加茂義隆、アソシエイトプロデューサーは坪屋有紀、ラインプロデューサーは橋本竜太、ドレスデザイン/スタイリストは飯嶋久美子、撮影は福本淳、照明は市川徳充、美術は笠井亜紀、録音は小松将人、編集は森下博昭、衣装は井手珠美、音楽プロデューサーは安井輝、音楽は前山田健一。
主題歌『マーメイドラプソディー』words by Saori、music by Nakajin、performed by SEKAI NO OWARI、arranged by SEKAI NO OWARI/CHRYSANTHEMUM BRIDGE。
出演は能年玲奈(現・のん)、菅田将暉、長谷川博己、池脇千鶴、太田莉菜、馬場園梓(アジアン)、篠原ともえ、片瀬那奈、速水もこみち、平泉成、浅見れいな、中村倫也、内野謙太、大石吾朗、大里菜桜、嵐祐人、島村まみ、菅登未男、ドン小西、有末麻祐子、佐藤あや、高田秋、怜花、新平真里亜、大野ひかる、鯨エマ、荒井志郎、黒岩司、阿部翔平、松井茜、新森大也、中島愛里、中野剛、佐藤貴也、、Tanya V.、山本明寛、川井靖子、田中丸善大、國枝佐和子、榛地良行、大塚千尋、筒井孝平、清水美輝、更貝昴、三塚瞬、磯野大、大平有沙、裟羅、安田杏実、高原愛、高橋絵美、稲本弥生、手嶋智子、白石さえ、稲田楓、内野萌奈、椎山なつみ、筒泉茉莉花ら。
ナレーションは佐藤健輔。


東村アキコの同名漫画を基にした作品。
監督は『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE 〜勝どき橋を封鎖せよ!〜』『映画 ひみつのアッコちゃん』の川村泰祐、脚本は『武士道シックスティーン』『私の優しくない先輩』の大野敏哉と川村監督による共同。
月海を能年玲奈(現・のん)、蔵之介を菅田将暉、修を長谷川博己、ばんばさんを池脇千鶴、まややを太田莉菜、千絵子を馬場園梓(アジアン)、ジジ様を篠原ともえ、翔子を片瀬那奈、花森を速水もこみち、慶一郎を平泉成が演じている。

公開前から話題になっていたように、菅田将暉の女装は確かに「綺麗」と評するにふさわしい。あんなニューハーフがいたら、間違いなく店でナンバーワンの人気を得ることが出来るだろう。
「どんな説明だよ」と呆れた人がいるかもしれないが、ようするに菅田将暉の女装は「綺麗なニューハーフ」に見えるけど、どう頑張っても「美女」ではないってことだ。見た目だけなら何とかなっただろうけど、すぐに声を出しちゃうのでね。そして声を発した途端、男であることが露呈してしまう。
幾ら尼〜ずが男に縁の無いオタク女子たちであっても、「蔵之介が男だと気付かない」ってのは相当に無理があると言わざるを得ない。
ただし、そこが本作品を観賞する上で重要なポイントになっているという捉え方も出来る。
「蔵之介が男だと気付かない」ってのは無理があるけど、「気付かないのが普通」ってのを基準として、「そういうルールや世界観で作られている映画ですよ」ってことを観客が理解すればいいのだ。
もちろんシリアスでもなければ「現実社会との合致」という意味でのリアリティーも無いけど、それどころじゃなくて「陳腐さやバカバカしさも受け入れましょう」という映画なのだと理解すべきなのだ。

月海が美女の正体を知った時、「説明しよう、尼〜ずたちがキチンとした大人やオシャレ人間に遭遇したり、答えられないことを訊かれた時に、固まってしまう現象を石化という」というナレーションが入り、補足としての映像が挿入される。
そのように、いかにも漫画チックな表現を多く散りばめることによって、映画の雰囲気を作り出している。
そういう方向性が、全面的に間違っているわけではない。ただし本作品の場合、致命的にテンポや構成が悪い。
テンポや構成の悪さは、序盤から顕著に表れている。
「月海が美女に救われた翌朝、相手が男だと知って動揺する」→「蔵之介が部屋を出て、見られたらマズいので月海が慌てて連れ戻す」→「蔵之介からイラストを褒められてアタフタする」→「蔵之介から処女なのかと質問されて石化する」→「男子禁制のルールについて目白にぺナルティーを尋ね、答えが返って来る」→「蔵之介が大学で女友達と話す」手順を踏んで、「蔵之介が夜の天水館で女子として尼〜ずに挨拶する」というシーンに到達するんだけど、なんかモタモタしているなあと。
幾つかの手順は省いた方がいいし、逆に「男子禁制のルールを月海が蔵之介に説明する」という手順は入れた方がいいし。

鍋パーティーのシーンにしても、なんか散らかっているんだよなあ。
「能天気な蔵之介がオタク女子たちのペースを乱す」ってのを描写したかったんだろうけど、そのシーン自体のペースが乱れている。
蔵之介への拒絶反応を示していた尼〜ずが松坂牛で態度を急変させるというオチにしても、テンポや間の取り方が悪いから綺麗な形でオチていない。
どうせ荒唐無稽にやっているんだから、もっと大げさな形でチェンジ・オブ・ペースを作ればいいのに。

「月海が蔵之介のオシャレ部屋を見て驚く」というシーンでは、ドアが開いて入って来る月海を室内から捉えたカットを先に入れている。
そこでは蔵之介が部屋に置いてある派手な衣装が見えていて、それから「オシャレ部屋」と叫ぶ月海、そして部屋全体を見せるカットへと繋げている。
つまり、月海が驚くより前に、オシャレ部屋の一部分が写り込んでしまっているのだ。
だけど効果ってことを考えれば、彼女がオシャレ部屋に驚くまでは内装を見せちゃ絶対にダメでしょ。

修が変身した月海と出会って一目惚れするシーンでは、「ドアが開き、ぶつかった修が倒れ込む」というカットの後、階段を下りようとする月海の姿が写る。それから振り向いた月海のバストショット、そして修に歩み寄る顔のアップになり、「修が惚れました」という表現に繋げている。
しかし、そこは「修が月海に人目惚れ」ってことだけじゃなくて、観客に対しても「月海が変身した」ってことを示すためのシーンだ。
それを考えれば、「修の視点からアップの月海を捉える」というカットの前に、「階段を下りて逃げ出そうとする月海」を無造作に挟んでいるのはマズいでしょ。
その時点で顔はハッキリと分からないけど、髪型や服が違うのはバレちゃうわけで。

原作通りだから仕方が無いんだろうけど、「慶一郎は民自党最大派閥のリーダー」「修は慶一郎の秘書」という辺りの設定は、全て邪魔な要素になっている。
この映画って、「自分たちの世界に閉じ篭もっていたオタク女子たちがオシャレ男子と出会い、そのペースに巻き込まれる。最初は困惑したり拒否したりするけど、次第に感化されることで外の世界へ踏み出していく」という話のはずなのよね。
その中で政治家が云々とか、派閥が云々とか、そういう要素って全く要らないでしょ。

修が月海に惚れる展開を考えれば、彼が女性に奥手であることや、蔵之介と違って堅い仕事をしていることは設定として必要だろう。
ただ、そもそも恋愛劇が必須なのかと考えると、外しても良かったんじゃないかと。
オタク女子だった月海に影響を与えて変化をもたらすのは、蔵之介の役回りだ。しかし恋愛劇ばかりに気を取られると、蔵之介の存在価値は薄くなってしまう。軽い嫉妬心を抱くことはあるものの、そこの三角関係で話を進めるわけではない。だから、「修の弟」というだけの存在になってしまう。
重要性では明らかに蔵之介の方が上であり、そこを上手く捌けていない現状を考えると、修が厄介な存在になっちゃってるのよね。

そもそも、かなり早い段階で「修が月海に惚れて云々」という展開に入っちゃったせいで、本来なら真っ先に掘り下げるべき「天水館の住人たち」の存在感が希薄になっている。冒頭で「三国志オタク」「鉄道オタク」といったスーパインポーズまで入れて紹介したくせに、その個性は全く発揮されておらず、ほぼ出オチに近い。
ぶっちゃけ、修の存在をバッサリと削って「天水館の緩やかな日常風景」を厚くしてもいいんじゃないかと思うぐらいなのに、まるでベクトルが逆を向いているんだよな。
再開発プロジェクトや天水館の取り壊し計画という要素を入れて、そこに「政治家秘書としての修」を絡ませて翔子の企みを描くのも、膨らませるポイントを間違えちゃいませんかと言いたくなる。
もう始まってから30分ほどで再開発計画が明らかになるので、それに応じて天水館の面々も動かなきゃいけなくなってしまうし。そのせいで「尼〜ずの穏やかで楽しい生活風景」は薄いし「尼〜ずと蔵之介が次第に仲良くなっていく様子」ってのは皆無に等しいのだが、どう考えても得策ではないだろう。

再開発事業計画が云々ってのは、原作通りの展開だ。計画に関連し、天水館の取り壊しを阻止するための行動として「尼〜ずがドレスを作り、ファッションショーを成功させようとする」という展開を用意して「尼〜ずの変化」を描こうとしているのも分かるのよ。
だけど映画としては、内向きだった尼〜ずの意識を外へ向けさせるために「再開発事業計画」という政治絡みの大きな出来事を使うのが成功しているとは言い難い。作品のテイストや尼〜ずのキャラを考えると、「ユルい雰囲気で日常生活を描く中で、蔵之介に感化されて少しずつ変化が生じて」という形にした方が、魅力的に仕上がったんじゃないかなあと。
「そんな内容にしたら原作と大幅に変わっちゃうだろ」と言われたら全く反論できないんだけど、この映画を面白くするためには、それぐらい思い切った改変が必要じゃないかと。
どうせ再開発事業計画を絡めると、「蔵之介がファッションショーを開くことをマスコミの前で発表したら、天水館に大勢が押し掛け、慶一郎の議員生活30周年パーティー会場は閑古鳥が鳴く」という無理があり過ぎる展開になってしまうんだからさ。
おまけに、そのファッションショーにはクライマックスを盛り上げるための力が全く足りていないし。

(観賞日:2016年8月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会