『雲霧仁左衛門』:1978、日本
享保七年(1722年)春、江戸・深川。暁星右衛門が率いる盗賊の暁一党は酒問屋の近江屋を襲撃し、女を次々に斬った。暁は近江屋主人を脅して隠し金の場所を教えるよう迫り、妻を強姦した。暁の子分である駒寺の利吉たちは、隠し金を発見した。火付盗賊改方の安倍式部と町方役人たちは近江屋に到着し、暁一党を次々に斬った。利吉たちは小舟に金を乗せて逃亡しようとするが、雲霧一味の因果小僧六之助と木鼠吉五郎に襲われた。三年前から雲霧一味は近江屋の隠し金について調べており、それを知った暁一党が横取りを目論んだのだ。六之助と吉五郎は一味を川に突き落として金を奪い、親分の雲霧仁左衛門に届けた。
暁を始末した式部は、旅籠の亀屋に宿泊する辻蔵之助を検分した。彼の持つ位牌を見た式部は侍だと確信し、怪しい人物ではないと判断した。彼は筆頭与力の山田藤兵衛と相談し、雲霧を捕まえるために捕縛した利吉を使おうと考えた。雲霧一味である七化けのお千代は、呉服商の松屋吉兵衛を色仕掛けで篭絡していた。お千代を吉兵衛に紹介したのは、甲州屋として親しくなっていた吉五郎だった。雲霧一味である三坪の伝次郎はお千代に手を出そうとするが、罵声を浴びて拒絶された。
吉五郎は吉兵衛に、「お千代は公家の後家で親戚に家を乗っ取られた」と吹き込んだ。吉兵衛はお千代の世話を引き受け、尾張に連れ帰る考えを伝えて去った。お千代は雲霧一味の治平が用意した小舟で川を下るが、六之助は利吉が潜んでいるのに気付いて追い掛けた。六之助と治平が利吉を捕まえると、お千代が殺害した。それは掟に反する行為だが、お千代は雲霧に会いたくて、わざと殺したのだった。しかし六之助は彼女を守るため、その罪を背負った。
雲霧一味である州走りの熊五郎は、墓参りに来ている辻の元へ赴いた。待ち人が来ないことを熊五郎が知らせると、辻は尾張藩の世継ぎである庄司丸の元服の祝いがあることを伝えるよう頼んだ。寺を立ち去る辻の姿を、雲霧は木陰から密かに眺めた。お千代は六之助を誘惑し、関係を持った。雲霧一味の隠れ家を突き止めた山田たちは乗り込むが、既に逃げた後だった。吉五郎から報告を受けた雲霧は、情報を流してくれた岡田に礼金を渡し、自分が堀之内の夜参りに行くと伝えるよう指示した。
雲霧が油問屋の武蔵屋の仕事について尋ねると、吉五郎は準備が整っていることを話した。武蔵屋には雲霧一味である大工小僧七松、犬神の亀造、黒塚のお松が奉公人として潜入しており、吉五郎は彼らから情報を得ていた。岡田が愛妾のおまきを訪ねると、長屋では吉五郎が待っていた。吉五郎は礼金を渡し、雲霧から指示された情報を伝えた。山田たちは夜参りを張り込むが、雲霧は来ていなかった。雲霧一味は武蔵屋の人間を捕縛し、隠し金を荷車に積み込んだ。雲霧は捕縛されている連中に目をやり、富の市という男を気にする。吉五郎は彼に、富の市は出入りの按摩だと教えた。
お松は雲霧に、母の形見である櫛簪の包みを忘れたことを話す。彼女の懇願を受けた雲霧は、後から合流することを許可した。お松は包みを見つけた後、箪笥の上に置いてある金庫に気付いて開けようとする。金庫が開かなかったので彼女は持ち出そうとするが、床が開いて穴に転落した。式部の指示を受けた柳助次郎が長屋へ行くと、部屋が荒らされておまきは姿を消していた。式部は岡田が裏切り者であることを部下たちの前で指摘し、見せしめとして追放した。
熊五郎は式部の家来である政蔵に書状を渡し、お松とおまきの交換を持ち掛けた。受け取りの使者は互いに一人ずつで、場所は浮世風呂の扇屋を指名した。お松とおまきが無事に交換される様子を、雲霧は町人に紛れて観察した。彼は手下たちを集め、この十年で充分な金が集まったので、尾張の仕事を最後に盗みと縁を切ると宣言した。富の市は式部を呼び出し、雲霧の正体を教えると告げて取引を持ち掛ける。十年前、彼は鳥塚佐十郎という尾張藩の組頭で、雲霧の顔を見ていたのだ。
十年前、尾張藩勘定方だった辻蔵之助は公金横領の罪を問われ、非を認めなかったが切腹断罪を宣告された。藩主の継友は家族にも極刑を言い渡したが、蔵之助と弟の伊織は逆らって逃亡した。鳥塚を含む十名は家老の荒木十太夫に命じられ、辻兄弟を追い掛けた。しかし鳥塚は仲間を殺され、辻兄弟に逃げられた。彼は仲間の首を辻兄弟だと偽り、荒木に差し出して処罰を逃れようとした。口封じとして斬られた鳥塚は崖下に転落したが、一命を取り留めていた。
富の市は雲霧の首を取ると約束し、式部は商談を承諾した。江戸城に呼び出された式部は大久保佐渡守から失敗の責任を問われ、雲霧の実体は掴んでいると述べた。彼は家臣の高瀬俵太郎たちを、尾張へ派遣した。吉兵衛はお千代を松屋へ連れ帰り、女房として使用人たちに紹介した。雲霧一味の山猫三次は、既に番頭として松屋へ潜り込んでいた。賭場で負けた彼は、同じ稼業である櫓の福右衛門に気付かれた。福右衛門が三次を的屋へ連れて行く様子を、政蔵が目撃した。
福右衛門は三次に小判を渡し、松屋の情報を流すよう告げた。そこへおまきが現れ、三次を誘惑した。福右衛門は三次に、おまきは盗人仲間の娘であり、ひょんなことから会ったので仲間に引き入れたのだと話す。政蔵が町方を引き連れて的屋に来たため、三次たちは別々に逃亡する。福右衛門は捕まり、三次は吉五郎、熊五郎、お松が待つおばら家へ辿り着いた。三次は吉五郎たちに、福右衛門に気付かれたことを報告した。おまきがいたことを知った吉五郎は、すぐに始末するよう三次に命じた。三次はおまきを見つけるが、隠れていた岡田に殺された。お松はおまきを襲撃し、格闘の末に始末した。
福右衛門は政蔵たちに、雲霧の尾張での仕事先を教えるから火付の頭に会わせろと要求した。柳は福右衛門を連れて、江戸へ向かう。雲霧は熊五郎に、浜松へ着く前に柳と福右衛門を駕籠に乗せるよう命じた。柳の剣を封じるには、籠の中しか無いと考えたのだ。雲霧は柳が乗った駕籠を襲撃するが、中にいたのは別人だった。雲霧は駕籠屋と入れ替わっていた柳を斬り、熊五郎が福右衛門を始末した。吉兵衛は吉五郎に大金を差し出し、お千代と縁を切ってほしいと頼んだ。「金で売られたと見られたら彼女が辛い思いをする」と彼が説明すると、吉五郎は承諾した。
六之助はお千代に、火付が江戸から出張ってきたので一刻も早く目星を付けるよう雲霧が求めていることを伝えた。仮祝言を挙げた吉兵衛は、稲荷の床下に金蔵があることをお千代に教えた。ただし扉の鍵の隠し場所については、自分しか知らないと言うだけで明かさなかった。寺に来る庄司丸の行列を隠れて覗いていた雲霧は、許嫁だった志乃の姿を見て驚いた。そこへ富の市が現れ、雲霧を殺そうとする。だが辻が来て富の市の背中を突き刺し、雲霧が止めを刺した。辻は弟である雲霧に、仮元服の祝宴の後で警備が手薄になるのを狙って継友を襲う計画を話す。彼が死に場所を求めていることを語って一緒に斬り込んでほしいと頼むと、雲霧は「辻伊織は十年前に果てました。ここにいるのは雲霧仁左衛門です」と断った…。監督は五社英雄、製作は佐藤正之&岸本吟一&杉崎重美、原作は池波正太郎 新潮社刊、脚本は池上金男、撮影は酒井忠&小杉正雄、美術は西岡善信、照明は山田和夫、録音は小沼渡、編集は諏訪三千男、殺陣は湯浅謙太郎&安川勝人、音楽は菅野光亮。
出演は仲代達矢、市川染五郎(六代目)、松本幸四郎(八代目)、加藤剛、岩下志麻、梅宮辰夫、山城新伍、松坂慶子、あおい輝彦、丹波哲郎、岡田を山城新伍、倍賞美津子、山口崇、長門裕之、宍戸錠、高松英郎、夏木勲(夏八木勲)、成田三樹夫、宮下順子、石橋正次、川谷拓三、田中邦衛、山本麟一、稲葉義男、下川辰平、橋本功、佐藤京一、浜田寅彦、内田良平、松本克平、河村弘二、北城寿太郎、ナンセンス・トリオ、松野健一、岸野猛、原田清人、原田健二、隆大介、泉わ助、朱雀さぎり、梓よう子、勝龍、宮沢元、早川かおる、古田正志、波戸崎徹、守口ひとみ、宝町子、石倉義久、此島愛子、大杉雄太郎、こま鶴、野口昭二ら。
ナレーションは小沢栄太郎&横森久。
池波正太郎の同名小説を基にした作品。
監督は『出所祝い』『暴力街』の五社英雄。
脚本は『影狩り』『影狩り ほえろ大砲』の池上金男。
雲霧を仲代達矢、式部を市川染五郎(六代目)、辻を松本幸四郎(八代目)、お千代を岩下志麻、志乃を松坂慶子、六之助をあおい輝彦、吉兵衛を丹波哲郎、岡田を山城新伍、お松を倍賞美津子、継友を山口崇、吉五郎を長門裕之、富の市を宍戸錠、山田を高松英郎、熊五郎を夏木勲(夏八木勲)、福右衛門を成田三樹夫、おまきを宮下順子、高瀬を石橋正次が演じている。冒頭、忍者装束の男が番傘を持ち、高い場所に張ったロープを渡る様子が描かれる。いわゆる綱渡りの曲芸で、そこをストップモーションで描いてオープニング・クレジットに使っている。
でも、そこから映画を始める意味がサッパリ分からない。そもそも彼が何者かも良く分からないし、雲霧一味でもないし。
さらに言うと、たぶん綱渡りしているのは暁一党なんだけど、そんな行動を取る必要性も分からない。
観客を引き付けるためのアクションシーンってわけでもないし、まるで意図が不明だ。あと、暁一党が近江屋を張り込み、合図を出して乗り込むまでの様子を描いているのも全く必要性を感じない。
たぶん「静から動」ということを意識した演出なんだろうけど、まるで要らないよ。もう襲撃している最中から始めてもいいぐらいだし。
もっと言っちゃうと、話を暁一党の襲撃から始める時点で、どうかと思うし。
そこは普通に「雲霧一味が見事な動きで金を仕事を遂行する」という様子で良くないか。
オープニングにおける雲霧一味の動きって、六之助と吉五郎が金を奪って雲霧に届けるだけだ。しかも雲霧は姿を見せないし。あと、この描き方だと雲霧一味が単なる盗賊でしかないのよね。
幾ら盗む相手が豪商であろうと、姑息な盗人一味でしかないので、そこに感情移入するのは難しい。
例えばルパン三世のような、魅力的な泥棒一味としてのアピールは全く出来ていない。
主人公としての描写をおざなりにしたまま「火付盗賊改方が雲霧一味を捕まえようとしている」という図式を使って話を進めたせいで、雲霧一味を応援できなくなっちゃってるのよ。粗筋でも触れたように、雲霧が初めて姿を見せるのは、辻を木陰から眺めるシーン。でも、これだと彼が雲霧であることは分かりにくい。
しかも、泥棒稼業とは全く関係の無いトコでの初登場だし。しかも少し顔を見せるだけで台詞も無いけど、もう少し丁寧に描く初登場の方が良くないか。
で、次に登場するのは吉五郎から報告を受けるシーンで、芝居小屋の楽屋みたいな場所にいる。ってことは、表の稼業は芝居小屋の役者なのか。
それが明確になるような描写は無いので、中途半端で消化不良なんだよなあ。この映画で五社英雄監督がやりたかったことは、冒頭シーンから明白になっている。それはザックリ言うと「エログロ」だ。だから暁一党が近江屋に乗り込むと女たちが襲われ、血が流れ、オッパイが出る。
これが残酷時代劇であれば、それもいいだろう。アクション主体のチャンバラ劇でも、そういう味付けは1つの方法だ。
だけど池波正太郎作品で、その演出はどうなのか。
それでも、いっそ開き直ってエログロに振り切ってしまえば、原作ファンからはそっぽを向かれるだろうけど、そっち系の映画としては面白くなったかもしれない。
でも実際には「スパイスとして少しだけ振りかけてみました」という程度なので、ただ半端に下品さが漂うだけになっている。お松が武蔵屋の仕事で形見を忘れるのは、あまりにもアホすぎるミスだ。重い金庫を無理に持ち出そうとするのも、アホすぎる行為だ。
ここに限らず、雲霧一味は「火付盗賊改方が必死になって捕まえようとする凄腕の盗賊」とは思えないような失敗や統率の悪さが目立つ。
そんなにミスが多いのに、よく十年も捕まらずに無事だったな。
「手下がボンクラなだけで、雲霧は凄い奴」という設定なのかもしれないけど、ボスのリーダーシップやカリスマ性まで曇るし、印象は良くないぞ。お松が金庫を持ち出そうとすると床が抜けて転落するのは、何のために仕掛けられた罠なのか。ただの商人が、そんな罠を仕掛けるのは変じゃないか。
お松が床下に落ちるのと並行して、おまきが拉致されているけど、それも変だろ。そうなると、雲霧はお松が罠にハマって捕まるのを最初から想定していたってことになるだろ。でも、そんなのは有り得ないはずで。
そんな不可解さが連続するのは、人質交換のシーンを描きたいからだろう。そして人質交換の場所を浮世風呂に設定しているのは、もちろん女の裸を見せたいからだ。
ただ、宮下順子はオッパイを見せるけど、倍賞美津子は隠しているからね。岩下志麻の濡れ場でも、オッパイが出るカットはスタント・ダブルだし。
幾つもエロを盛り込むのなら、そこは脱げる女優を起用すべきだろ。そこを徹底しないから、エロ方面でも中途半端になっている。火付盗賊改方が雲霧一味を捕まえようとする対決の図式を使って話を進めるのかと思いきや、途中で雲霧の過去が明らかにされて、そこを使う展開が訪れる。
雲霧の個人的な因縁を持ち込むのは明らかに欲張り過ぎで、「二兎を追う者は一兎をも得ず」みたいになっている。
お千代が雲霧に会いたくて掟に逆らうとか、その罪を六之助が被るとか、お千代が六之助を誘惑して関係を持つとか、その辺りの展開はメインの展開に全く絡んで来ない。
あと雲霧一味の中で伝次郎という面倒な奴がいるのも、ただ邪魔なだけになっている。なぜ柳は1人だけで、福右衛門を式部の元へ連れて行こうとするのか。大事な情報源であり、雲霧一味が狙って来るのも確実なんだから、もっと大勢で警護すべきだろ。
あと、堂々と街道を歩いているけど、バレないように警戒すべきだろ。
一方、雲霧は柳の剣を封じるために駕籠へ乗せろと熊五郎に命じるけど、始末するための方法なんて他に幾らでもあると思うぞ。
で、柳は駕籠に乗るけど、熊五郎が具体的にどんな方法を使ったのかは全く分からない。で、雲霧が駕籠を斬ると柳は駕籠屋と入れ替わっているけど、普通に戦って倒せているのよね。それも、まるで苦戦せず、簡単に斬っている。
だったら駕籠に乗せた作戦なんて全く意味が無いだろ。柳サイドから見ても、駕籠屋と入れ替わっていた作戦の意味が無くなるし。それは戦いに勝利する側が取るような作戦だぞ。
あとさ、なんで雲霧が自ら柳を殺しに来るんだよ。そういうのは手下に任せておけばいいだろ。そんなに手下が信用できないのかよ。
まあ信用できそうな連中は、そこまでの様子を見ると少ないけどさ。仮祝言を挙げた吉兵衛は稲荷にいるお千代に歩み寄り、金蔵の場所を教える。だけど、なぜ急にそんな大事なことを教えるのか分からない。
お千代が言葉巧みに聞き出すわけじゃなくて、自分からベラベラと喋るんだよね。そこまで教えておいて、鍵の隠し場所だけは内緒にするのも不可解だし。
なぜ雲霧が寺に隠れて庄司丸の行列を除いているのか、その理由がサッパリ分からない。雲霧は志乃を見て驚くが、そこが初登場であり、回想パートも台詞無しの短いシーンだけで終わるので、「愛する女を奪われた」という悲劇性はものすごく弱い。
もちろん雲霧と志乃の愛も、表面的な部分しか伝わらない。雲霧一味が松屋の隠し金を盗み出そうとすると、計画を見抜いて待ち受けていた火付盗賊改方との集団戦闘が勃発する。
「こういうのを五社英雄はやりたかったんだろうな」ってのは強く感じるけど、「池波作品の映画化って、そういうことなのかな」とは思う。
あと、戦いで血は出るけど残酷描写ってほどでもないし、シンプルにチャンバラとして見ても大して面白くないんだよね。
このシーンに限らず、全体を通して、チャンバラシーンが見せ場としての力を発揮していない。雲霧一味の結束力や、雲霧と一味の絆を、ドラマとして充分に描いていない。
だから火付盗賊改方との集団戦闘で仲間が次々に殺されたり捕まったりしても、雲霧がお千代を逃がして敵と戦っても、心はピクリとも動かない。
辻が雲霧を名乗って出頭しても、式部が辞職を願い出ても、雲霧が仲間の処刑を知らされても、やはり心はピクリとも動かない。
そこに向けた人物描写、ドラマ描写が、まるで足りていないから、それは当然の結果なのだ。あと、仲間の処刑を知らされた雲霧が尾張城へ乗り込むのは、どういうことなのかと言いたくなる。
「兄の遺志を継いでの行動」ってことかもしれないけど、もう完全に「雲霧一味」としての行動からはズレているし。言うまでもなく、「仲間の弔い合戦」ではないし。
終盤に入って、変な方向へ舵を切っているようにしか思えない。
「復讐心を燃やして敵のアジトへ殴り込みを掛ける」ってのは、東映の任侠映画ではお馴染みのフォーマットで、他の映画会社でも多く使われた。観客に受けるから、多くの映画で使われたわけだ。
でも、この映画で任侠映画の定番を使うのは違うでしょ。そもそも、殴り込みに向けて雰囲気を高めて行くための作業なんて、全く無かったし。(観賞日:2023年9月22日)