『喰女-クイメ-』:2014、日本

後藤美雪は長谷川浩介との情事を終えると、自身が民谷岩を演じる舞台劇『真四谷怪談』を読み始めた。翌日、美雪は迎えに来た付き人の倉田加代子と共に、車で稽古場へ向かった。浩介も自分の車を運転し、『真四谷怪談』の稽古場へ出向いた。按摩の宅悦を演じる鈴木順、伊藤喜兵衛を演じる嶋田貫二、民谷又左ェ門を演じる尾形道三郎、乳母の槙を演じる堀内みすづ、他にも大勢の出演者たちが衣装に着替え、舞台稽古が始まった。
伊右衛門が宅悦に声を掛けられる場面、女郎から奪った櫛を岩に渡す場面、手切れ金で娘と別れさせようとする又左ェ門を殺害する場面、何食わぬ顔で岩と話す場面の稽古が、順番に行われた。次の日は、結婚した伊右衛門が岩の産んだ赤ん坊の泣き声に苛立つ場面の稽古が行われた。美雪を強く蹴り付けてしまった浩介は謝罪し、休憩が取られた。控室に戻った美雪は、加代子に代役を頼んだ。加代子は岩役として、伊右衛門になじられる次の場面の稽古を担当した。
美雪は控室を訪ねた順に口説かれるが、「奥さんのいる男は興味ないからね」と冷たく断った。台詞が全て入っている加代子に、浩介は「いつでも代役、OKだね」と告げた。その様子を、少し離れた場所で美雪が見つめていた。浩介は莉緒から、「私、お芝居には自信が無いんですけど、お梅になれると思いました。浩介さんだから。人の物でも欲しいものは欲しいっていう気持ち、分かりますから」と言われて戸惑いの表情を浮かべた。
浩介は稽古に戻り、伊右衛門が槙の訪問を受ける場面を演じる。伊藤家へ赴いた伊右衛門は、主人の喜兵衛から歓迎される。喜兵衛は彼に、一人娘である梅の婿になってほしいと持ち掛ける。妻子がいることを伊右衛門が話しても喜兵衛の考えは変わらず、士官の口を約束した。岩の処置については、全て任せるよう告げた。莉緒は美雪の控室を訪れて礼を述べ、「美雪さんに憧れて、お芝居始めたんです」と言う。控室を後にした彼女は浩介の車へ乗り込み、自分の部屋で関係を持った。
美雪の家を訪れた浩介は、平然とした態度で会話を交わした。浴室へ移動した彼は、ゴミ箱に捨ててある2個の妊娠検査薬を見つけた。彼が拾って確認すると、いずれも陰性だった。次の日の舞台稽古では、寝込んでいる岩に伊右衛門が「士官の口がありそうだ」と告げる場面が演じられる。その日の稽古は終了し、演出助手はスタッフとキャストに明日が休みであることを告げる。あらかじめ美雪に「テレビ局のプロデューサーから伊豆に招待された」と嘘をついていた浩介は、莉緒の部屋へ転がり込んだ。
美雪は食事を終えた後、2階へ上がる。そこには、ベッドで話している浩介と莉緒の姿がある。莉緒は父が大物実業家であることを話し、結婚してアメリカに行こうと誘う。「俺は子供の頃から芝居しかしたことないんだ」と浩介が話すと、「貴方を美雪さんに返さないから」彼女はと告げる。誰かが見ていると感じた莉緒は慌てて飛び起きるが、美雪は既に姿を消した後だった。翌日の稽古では、槙が伊右衛門と岩の元を訪れ、南蛮渡来の薬と称して毒薬を渡す場面が演じられる。岩は何も知らず、伊右衛門の前で毒薬を飲む。
控室に戻った美雪は、加代子に「浩介が今夜、帰って来ると思うから、明日の迎えはいいわ」と告げる。帰宅した彼女は明かりも付けず、「お前に早く出て来てもらわないといけなくなったわ。見せたい物があるのよ。ごめんね。あの人が悪いのよ」と自分の腹に話し掛ける。彼女は大量の薬を飲んだ後、包丁やナイフなど凶器になる調理道具を集めて煮沸消毒する。浴室に移動した彼女はシャワーから湯を流すと、陰部に刃物を突き刺した…。

監督は三池崇史、脚本 原作は山岸きくみ『誰にもあげない』(幻冬舎文庫)、企画は市川海老蔵&中沢敏明、製作は遠谷信幸&遠藤茂行&木下直哉&Hengameh Panahi&奥野敏聡&任一万、共同製作は厨子健介&千野毅彦&谷澤伸幸、プロデューサーは坂美佐子&前田茂司、撮影は北信康、照明は渡部嘉、美術は林田裕至&佐久嶋依里、録音は中村淳、編集は山下健治、音楽は遠藤浩二。
出演は市川海老蔵、柴咲コウ、伊藤英明、中西美帆、マイコ、古谷一行、勝野洋、根岸季衣、市川新蔵、市川新十郎、犬山ヴィーノ、深町明秀、潟山セイキ、片山瞳、金時むすこ、武藤令子、速水今日子、石井あす香、竹光桂子、奏谷ひろみ、新納敏正、西沢仁太、竹井洋介、内田譲、鈴木遥斗、山城太一、帯金伸行、坂手透浩、西守正樹、石渡麻美、市橋秀平、大西拓也、大村渓、岡崎正紘、岡本彩夏、小畑茂久、影山千恵子、笠原大将、魏巌、菊池潤一、黒田智美、小阪崇生、小阪竜士、後藤健太郎、此村太志、昆竜弥、近藤真幸ら。


市川海老蔵が企画から携わり、『一命』でコンビを組んだ三池崇史にメガホンを委ねた作品。
脚本も『一命』の山岸きくみで、彼女はノベライズ版の『誰にもあげない』も執筆している。
当初は『東海道四谷怪談』を映画化しようとしたが、劇中劇として組み込む形に変更されたらしい。
浩介を市川海老蔵、美雪を柴咲コウ、順を伊藤英明、莉緒を中西美帆、加代子をマイコ、嶋田を古谷一行、尾形を勝野洋、みすづを根岸季衣が演じている。

この映画を観賞する上で最も注目すべきスタッフは、脚本の山岸きくみと企画の中沢敏明だ。
これまでに山岸きくみが携わった映画は、『カタクリ家の幸福』、『カンフーくん』(原案)、『座頭市 THE LAST』、『一命』、そして本作品だ。
これらに共通するのは、全てセディックインターナショナルの製作した映画ということだ。
裏を取れたわけじゃないのだが、どうやらセディックインターナショナルの代表取締役を務める中沢敏明の奥さんが山岸きくみってことらしい。

映画界では、夫婦が共同作業をするってのは決して珍しいことではない。
例えば篠田正浩監督の作品には、妻である岩下志麻が必ず出演していた。伊丹十三監督の作品では、妻の宮本信子がヒロインを務め続けた。また、市川崑監督の作品には、妻の和田夏十が脚本で参加していた。
そういう共同作業は、夫が妻の才能を高く評価したからこそのモノだろう。だから、きっと中沢敏明も、妻である山岸きくみの才能を高く評価し、脚本家として起用しているんだろう。
「何となく含みのある言い方だなあ」と感じた人がいるかもしれないが、だとしたら、何を含んでいるのかは自身で考えてほしい。
ただ、そもそも「中沢敏明の妻が山岸きくみ」ってのは未確認情報だからね。もしも間違ってたら全力で謝罪するからね。

前述したように、この映画は『東海道四谷怪談』を劇中劇として組み込んでいる。
そんな劇中劇の部分は、シナリオとしては四谷怪談を簡単になぞっているだけだ。そこに新しい解釈や大胆な改変は全く見られない。
舞台劇のタイトルは『真四谷怪談』になっているが、特に「真」を感じさせるような要素は見当たらない。
あえて挙げるなら演出ってことになるんだろうけど、そこも大胆なケレン味や意外性のある切り口がを持ち込んでいるとは感じない。

シナリオ的には単なる凡庸な「四谷怪談」である劇中劇なのだが、それが映画の大半を占めるという構成だ。
四谷怪談を劇中劇にした意味は現実シーンにこそあるはずなのに、そっちの薄いことといったら。
ぶっちゃけ、この映画で何よりも恐ろしいのは、劇中劇の怪談でもなければ、現実シーンで起きるサスペンスでもない。
ほぼ四谷怪談を簡略化してなぞっただけの劇中劇で大半を埋め尽くしてしまうという、あまりにも大胆不敵な構成だ。

映画がスタートして、まずは浩介と美雪が登場する。すぐに翌朝となり、2人が稽古場へ向かう。開始から6分ほどで、舞台稽古が始まる。
で、少し稽古のシーンを見せただけで、また現実シーンに戻るのかと思いきや、そうではない。なんと、舞台稽古のシーンが14分ほど続くのだ。
そして、翌朝のシーンが1分ほど挿入され、また舞台稽古のシーンに戻る。蹴りを入れた浩介が美雪に詫びて稽古が中断するが、すぐに稽古のシーンへ戻る。
そのように、とにかく稽古のシーンが多い。

もっと凄いのは、少ない割合を占める現実シーンが、これまた輪を掛けて凡庸ってことだ。
時間的に少ない割合でも、そこが充実した内容になっていれば、大きな意味が生じるだろう。しかし、そこは律儀なことに、時間と同じ程度の薄っぺらさになっている。
ザックリと言うならば、「女が浮気男を恨んで暴走し、殺害しました」ってだけだ。
そのように言葉で書くと単純で面白味の無い事件なら、いかにして面白味のある物語に見せ掛けるかってのが重視されるはずだが、そこへの意識が乏しいとしか思えない。

「そもそも現実シーンで描かれる物語が恐怖劇として浅薄で、つまらない」という問題は、ひとまず置いておくとしよう。物語に弱さがあるのなら、そこを別の部分で補うという方法もある。
具体的には、キャラクター造形に深みを持たせるとか、心理描写に厚みを持たせるとか、手の込んだ構成にすることで物語の薄さを誤魔化すとか、そういったことだ。
しかし、そういう作業は、まるで行われていない。薄っぺらい物語を、何の工夫も無く無造作に見せているだけだ。
ただしキャラクター造形の深みや心理描写の厚みが無いことに関しては、この内容だと、たぶん誰がやっても難しい作業だったと思う。
そのようになってしまう最大にして致命的な要因が、「現実シーンに費やす時間が短すぎる」ってことだからだ。

どうやら設定だと「浩介は売れない俳優で、恋人である美雪の口添えで伊右衛門役に抜擢された」ということになっているらしい。
しかし映画を見ているだけでは、そこまで詳しいことは全く伝わって来ない。
浩介と美雪が付き合っていることは伝わるが、そこで情報としては終わっている。物語が進む中で少しずつ詳しいことが明らかにされていく、という手法を取っているわけではない。
他の人物についても同様で、ほとんど情報が示されないままで終わっている。

あえて人物の情報を隠すことで興味をそそり、映画の面白味に繋げようとするケースもある。
ただし、最後まで全く情報が見えないままだと、それは観客に不満を抱かせるだけになるだろう。
もっと問題なのは、人物の情報を隠しても、これっぽっちも映画の面白さには貢献していないってことだ。
理由は簡単で、そこにミステリーが必要な類の内容ではないからだ。むしろ、情報が乏しいことは「キャラクターの薄っぺらさ」というマイナスだけに作用している。

そのせいもあって、長谷川浩介と後藤美雪を除く面々は存在意義が著しく乏しい。
堀内みすづや尾形道三郎、嶋田貫二といった面々は、「劇中劇の役柄を演じる俳優」という以上の価値を生み出すことが出来ていない。ぶっちゃけ、無名役者でも充分に賄えるポジションだ。
朝比奈莉緒や倉田加代子、鈴木順といった面々は、もう少し「恐怖の恋愛劇」に絡む重要な役回りのはずだが、こちらも存在意義は薄い。ぶっちゃけ、台詞か何かで「美雪が言い寄られた」「浩介が他の女と関係を持った」と言及する程度でも、大して変わらないのではないか。
ようするに、これって2人芝居でもいいんじゃないかと思うぐらい、脇役たちの存在が軽薄なのだ。ほぼ背景に近い。

「稽古場に全ての場面のセットが順番にキッチリと用意される」「稽古場に回り舞台という大仕掛けが持ち込まれている」など、稽古場のシーンには色々と違和感がある。
そもそも、物語の順番通りに練習するなんてことは有り得ない。
通し稽古なら一日で済ませるだろうし、そのために一つずつセットを組み立てて用意するなんてのは考えにくい。
そこを「ファンタジー」として受け入れさせるほど、この映画にファンタジーの力は無い。

「劇中劇を組み込んでいる」と上述したが、実際は「舞台稽古のシーン」である。
演出家や出演していない役者が見守っている様子を挿入するなど、そこが稽古場であることを示す演出が持ち込まれているため、劇中劇の世界に入り込む観客は皆無に等しいだろう。
前述した「稽古シーンの不自然さ」という問題も含めて、「なぜ稽古ではなく、劇場で行われている本番にしないのか」と思ってしまうのだが、「観客役のエキストラを集めるのが難しい」という事情だったんだろうか。
正直に言って、本番ではなく稽古場のシーンにするメリットが何も見えないのだが。

美雪が浩介と莉緒の関係を見抜いて強い嫉妬心を示すと、それに応じて怪奇現象が発生するようになる。
例えば、美雪が小道具の櫛を持ち出すと、赤ん坊として使っている人形の目から涙が流れて瞬きをする。
自宅で髪をとかしていた美雪が自ら鏡に額を激突させて割ると、飛び起きた莉緒の額から血が流れ出す。
だが、そういった怪奇現象の数々は「ちっとも怖くない」というだけに留まらず、「まるでワケが分からない」という印象になってしまうのである。

ホラー映画には不条理が付き物だから、なんでもかんでも理由を説明する必要は無い。
だが、この映画に関しては「なんでそうなるの?」という疑問が強くなり過ぎている。
かなり強引に解釈するならば、「お岩の悪霊が美雪の気持ちに共鳴し、怪奇現象を引き起こした」という可能性は考えられる。ただ、それを含めて幾つかの可能性を考えてみたが、どれも腑に落ちるモノではない。
そこに残るのは「ホラー映画として恐怖を煽る不条理」ではなく、「ただ単にデタラメだと感じさせるだけのテキトーさ」だ。

しかも、そういう怪奇現象は前述した2つの後、「浩介が莉緒の部屋でベッドにいるのを美雪が見ている」「車を運転する浩介が美雪の幻影を見る」という2つだけで終わってしまう。人形が涙を流した後、そこを皮切りに、どんどんエスカレートしていくわけではないのだ。
それ以降に美雪が嫉妬心から起こす行動は「大量のパスタをゆでる」「大量の薬を飲んで幾つもの刃物を煮沸消毒する」といったモノがあるが、いずれも怪奇現象には結び付かない。
陰部を刃物で切り裂いて存在しない赤ん坊を取り出そうとするのは、怪奇現象ではなく「サイコさんのイカれた行動」だ。しかも、そっちの方が怪奇現象より遥かに怖いんだよな。
「実は浩介の見た幻覚」という可能性もあるが、どっちにしても「どういう方向性で観客を怖がらせようとしているのか」ってのがボンヤリしてしまうわ。

「四谷怪談の内容と、浩介と美雪の関係を重ね合わせる」という意味があることは、もちろん誰でも分かるだろう。四谷怪談を劇中劇にしている仕掛けは、そういう狙いがあるのだ。
しかし、その仕掛けが上手く機能しているかというと、答えはノーだ。
むしろ「市川海老蔵がセルフパロディーみたいな役柄を演じている」の方が遥かに面白くなりそうなのだが、そういう企画ではないので、そこを追求しようとする意識は乏しいし。
っていうか、そこを重視すると、ホラーじゃなくてコメディー映画になっちゃうけどね。

後半、莉緒の部屋を出た浩介が車を運転していると、美雪の幻影が出現する。その直後、工事現場の鉄板が車に突っ込んで彼は首チョンパになるが、我に返る。その後も物語は続き、ラストで「事故現場から浩介の首が見つからない」という展開がある。
つまり完全ネタバレになるが、事故のシーンで浩介は死亡し、それ以降の出来事は彼が死ぬ寸前に見た幻覚ってことだ。
しかし、「だから何なのか」と。その仕掛けを、どう味わえばいいのか私にはサッパリ分からない。
美雪が浩介の生首を持っているけど、それも含めて「だから何なのか」だ。
少なくとも、「恐怖に繋がることは一切無い」ってのは断言できるしね。

ここまでは脚本の問題点ばかりを指摘したが、演出の方も芳しくない。
まず、「美雪と浩介がそれぞれ稽古場へ向かう」というシーンの段階で、不安を煽るような映像や効果音を入れている時点で「いや違うだろ」と言いたくなる。
その時点では、何も気になるようなことは起きていない。恐怖の予兆を抱かせる要素も見られない。
そりゃあ、既に「浩介は浮気している」とか「美雪は浩介との関係に不安を抱いている」ってのはあるかもしれないけど、だとしても「今にも怪奇現象が起きそうな」みたいなノリは違うでしょ。
それ以降も、恐怖が乏しい原因はシナリオだけにあるわけじゃないよ。

そもそも三池崇史は本人も認める通り、ホラーを不得意としている監督だ。
「自分でも分かっているんだったら、なぜ引き受けたんだよ」と思うかもしれないが、三池崇史は「来る仕事は拒まず」の精神でやっている根っからの雇われ監督なので、そこを責めるのは御門違いだ。
彼がホラーを苦手にしているのは分かっているんだから、オファーする方が悪いのである。
まあ『着信アリ』が大ヒットしちゃったし、『オーディション』は海外で高く評価されているから、「三池崇史はホラーが得意」と誤解している人が多いのかもしれないけどね。

(観賞日:2016年3月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会