『首』:2023、日本
天正七年秋、大坂。天下統一を狙う織田信長に反旗を翻した家臣、荒木村重の反乱が一年三ヶ月の長きに渡り続いていた。孤軍奮闘の村重は、信長に不満を持つ武将たち、中国地方の王者、毛利輝元の助けを求めた。だが、救援は無かった。落城後、村重は姿を消した。信長は森蘭丸と織田信忠を率いて閣議に顔を出し、羽柴秀吉&明智光秀&滝川一益&丹羽長秀を口汚く罵った。彼は「働き次第で跡目を選ぶ」と宣言し、自分の為に死ぬ気で働くことを要求した。
信長が立ち去ろうとすると、光秀は捕らえた村重家中の者たちの処分について尋ねた。信長は光秀を蹴り付け、皆殺しにしろと命じた。村重と親しかった光秀は、逃がしたのではないかという疑いを否定した。曽呂利新左衛門は仲間の丁次&半次と共に落ちた城へ行き、死体を漁っていた。曽呂利は城から逃亡を図った村重を捕まえ、その正体を見抜いた。京都、六条河原。村重の一族が次々に処刑される様子を、百姓の為三と茂助は大勢の野次馬に混じって見物した。群衆は柵を壊して雪崩れ込み、死体を漁った。
千利休の茶室を訪ねた一益&長秀は天下取りへの野心を公言するが、光秀は「天下人を夢見たことなど一度も無い」と口にした。光秀は村重の説得役を命じられて城を訪れた時、ひとまず引くよう諭していた。村重は拒否したが、彼と愛し合う光秀は強く抱き締めて接吻した。茶室に残った光秀は、間宮無聊から届け物があると告げられた。無聊が案内した先では、曽呂利たちが村重を捕縛して待っていた。光秀は驚き、利休に亀山城まで運ぶよう頼んだ。
為三は村を通過する秀吉の軍勢を見ると、侍になるため茂助を誘って追い掛けた。敵襲に遭って軍勢は全滅するが、生き残った為三は敵将の首を見つけ、喜んで茂助に見せた。茂助が為三を殺して首を手に入れると、一部始終を目撃していた曽呂利が丁次と半次に捕まえさせた。秀吉は羽柴秀長、黒田官兵衛、宇喜多忠家、蜂須賀小六らと共に、鳥取城の毛利を兵糧攻めにしていた。茂助を手下に加えた曽呂利は利休の使者として秀吉を訪ね、書状を渡した。今はお喋りを売りにする旅芸人の曽呂利だが、かつては信長を仕留め損ねた甲賀衆の弟子だった。甲賀を逃げた曽呂利は、利休に拾われたのだ。
光秀は亀山城で斎藤利三に捕縛した男を連行させ、村重の前で「蘭丸」と叫んで斬り捨てた。村重が「そいつは蘭丸じゃないぞ」と困惑していると、光秀は「信長」と叫んで刀を振り上げた。村重が怯えて命乞いすると光秀は刀を収め、匿うための部屋へ案内した。官兵衛は秀吉に、信長と光秀と村重は恋仲だったのかと尋ねた。すると天下取りを目論む秀吉は不敵に笑い、あの三人を突けば何か出ると告げた。丁半博打に興じる曽呂利を見た秀吉は、イカサマを暴いた。客たちが激怒すると秀吉は大金を与え、分けるよう促した。
曽呂利は秀吉に雇ってほしいと頼み、得意の話芸を披露した。秀吉と秀長が気に入って雇おうと考えると、官兵衛は甲賀へ手紙を買いに行かせてはどうかと提案した。その役目を果たせた時に召し抱えればどうかと言われ、秀吉は官兵衛の案を採用した。曽呂利は密書を買うため、金次第で何でもする連中の頭目である多羅尾光源坊の元へ行くことになった。その途中、茂助は村が焼き討ちに遭い、家族が惨殺されているのを見た。曽呂利が光秀の手勢の仕業だと言うと、茂助は「せいせいした」と笑い飛ばした。
甲賀の里に近付いた曽呂利たちは、光源坊の配下に包囲された。その中に曽呂利の兄弟子だった般若の左兵衛がいたので、一行は光源坊の元へ案内してもらう。秀吉が信長の手紙を買いたがっている旨を曽呂利が伝えると、光源坊は売ることを快諾した。左兵衛は亀山城へ行く曽呂利たちの案内役を引き受け、茂助は年に一度の祈祷祭を見物した。光秀は村重から信長に惚れているのではないかと問われて否定し、次の天下を考えて我慢しているのだと告げた。2人は肌を重ね、家康を黒幕に仕立て上げて陥れようと計画する。その様子を天井裏から覗いていた左兵衛と曽呂利は、気付かれて逃げ出した。
京都では馬揃えが催され、信長が光秀たちを率いて参加するが秀吉の姿は無かった。利三は家来を率いて曽呂利たちを襲うが、左兵衛に妨害された。鉄砲を向けられた利三は追跡を断念するが、光源坊の里を襲って全員を惨殺した。曽呂利は秀吉の元へ戻り、手に入れた信長の手紙を渡した。それは信忠に宛てた手紙で、「家督を譲るので光秀と家康を討つ覚悟を持て」と記されていた。秀吉は悔しがり、官兵衛は「御館様も結局はコケ脅しばかりの傾奇者だったんですね」と口にした。曽呂利が「光秀と村重は家康をハメる算段をしていた」と報告すると、官兵衛は妙案を思い付いた。
信長は安土城に光秀を呼び付け、蘭丸を抱いて黒人奴隷の弥助に噛み付いた。彼は家康が村重に謀反を起こさせた黒幕だと言い、殺すよう光秀に命じた。信長は秀吉に、「1年以内に毛利を滅ぼさなければ首を貰う」と通告した。秀吉は余裕で快諾するが、光秀は無理だと確信して自分を援軍に送るよう信長に意見した。信長は腹を立て、弥助に投げ飛ばさせて自らも激しい暴力を振るった。秀吉は光秀を呼び出し、亀山城に村重を匿っていることを指摘&した。彼が村重を殺してはどうか持ち掛けると、光秀は拒んだ。
信長への忠誠を口にする光秀に、秀吉は手紙を見せた。手紙を呼んだ光秀が憤慨すると、秀吉は「信長に取って代わる時は必ず一肌脱ぐ」と約束した。秀吉&秀長&官兵衛は家康を訪ね、「村重を隠した疑いで信長が刺客を放つ」と知らせた。秀吉は加勢を約束し、「一度だけ天下を取らせて下さい」と土下座して家康の承諾を得た。秀吉は家康への媚びへつらう態度に不満だったが、全ては官兵衛の考えた作戦だった。官兵衛は「家康の暗殺を止めれば、怒りの矛先は光秀に向かう。焦った光秀と村重は必ず失敗する」と目論んでいた。
曽呂利や茂助たちは秀吉から家康の警護を命じられ、高天神城へ赴いて服部半蔵や本多忠勝と会った。遣手婆を装った刺客のマツは、家康の命を狙った。しかし気付いた曽呂利から知らせを受けた半蔵が、家康に化けてマツを始末した。光秀は合戦の場に刺客を送るが、家康は複数の影武者を用意して暗殺を免れた。信長は光秀に策を授け、祝宴で出す鯛の塩焼きに毒を混入した。しかし家康は策略に気付いており、食べる芝居で乗り切った。
信長は激怒し、宣教師に刀を持たせて光秀を殺すよう命じた。光秀は咄嗟に「御館様をお慕い申しておりました」と叫び、殺害を免れた。信長は家康の前で、「光秀は秀吉の下で毛利攻めに当たらせる」と告げた。彼は光秀の耳元で、「本能寺で茶会を開く。堺の商人と家康も呼べ。お前は援軍に向かうと見せ掛けて家康を襲え」と命じた。亀山城に戻った光秀は、村重に「お前一筋だ」と詫びた。彼は村重から腹を括るよう迫られ、信長を討つ決心を固めた…。脚本・編集・監督は北野武、原作は北野武『首』(KADOKAWA刊)、製作は夏野剛&堀内大示、プロデューサーは福島聡司、アソシエイトプロデューサーは二木大介&吉川圭三、ラインプロデューサーは宿崎恵造、撮影監督は浜田毅、照明は屋齋、美術はP下幸治、衣裳デザイナーは黒澤和子、サウンドデザイナーは柴崎憲治、録音は高野泰雄、編集は太田義則、音楽は岩代太郎。
出演はビートたけし、西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、木村祐一、遠藤憲一、勝村政信、寺島進、桐谷健太、岸部一徳、浅野忠信、大森南朋、小林薫、六平直政、大竹まこと、津田寛治、荒川良々、寛一郎、副島淳、中村育二、矢島健一、東根作寿英、堀部圭亮、仁科貴、柴田理恵、平原テツ、ホーキング青山、アマレス兄、アマレス太郎、劇団ひとり、日野陽仁、國本鍾建、柳憂怜、大西武志、田中壮太郎、笠兼三、佐藤銀平、小谷真一、久保勝史、中島広稀、坂東龍汰、岐部公好、早川剛、常磐昌弘、雪之丞、野々目良子、お宮の松、芦川誠、サンティアゴ・エレーラ他。
『アウトレイジ』『龍三と七人の子分たち』の北野武が、自らの原作小説を基に、脚本&編集&監督&主演を務めた作品。
前作から6年ぶりの監督作となる。
秀吉をビートたけし、光秀を西島秀俊、信長を加瀬亮、茂助を中村獅童、曽呂利を木村祐一、村重を遠藤憲一、利三を勝村政信、佐兵衛を寺島進、半蔵を桐谷健太、利休を岸部一徳、官兵衛を浅野忠信、秀長を大森南朋、家康を小林薫、無聊を大竹まこと、為三を津田寛治、蘭丸を寛一郎、弥助を副島淳が演じている。冒頭に記した「天正七年秋、大坂。天下統一を狙う織田信長に反旗を翻した家臣、荒木村重の反乱が一年三ヶ月の長きに渡り続いていた。孤軍奮闘の村重」という説明は、全てテロップで示される。細かいことかもしれないけど、ここの文章で引っ掛かるんだよね。
まず「反旗を翻した」と言っておいて「反乱」ってのは、二重表現になってないか。
「孤軍奮闘の村重」ってのも、軍勢を率いているんだから変じゃないか。「武将としては1人」ってことかもしれないが、そもそも反乱を起こした家臣は村重だけなので、「孤軍奮闘」になるのは当然だし。
「信長に不満を持つ武将たち 中国地方の王者 毛利輝元の助けを求めた」という表現も違和感。これだと、「信長に不満を持つ武将たち&中国地方の王者である毛利輝元」に助けを求めたのか、そうじゃないのか、ちょっと意味が分かりにくい。ビートたけしが主演を務めたのは大失敗で、演技の下手さが足を引っ張っている。特に発声がヤバいことになっていて、とてもじゃないが重厚な時代劇映画を背負えるレベルに無い。
ただ、実は芝居に問題があるのはビートたけしだけじゃない。出演者の芝居が全く噛み合っていないのだ。
加瀬亮はゴリゴリの方言で何を言っているのか聞き取りにくい箇所はあるが、雰囲気は出ている。
西島秀俊は重厚なトーンには調整できているものの、時代劇への調整は不充分。
遠藤憲一は何もかもが軽すぎて完全に浮いており、「この人、こんなに芝居が下手な人だったかな」と思ってしまうほどだ。粗筋では省略したが、序盤の閣議の場から信長が去った後、秀吉と光秀の会話シーンがある。秀吉が「でも信長様は、あれだけ可愛がっていた村重を殺せますか?」と問い掛けると、モノクロ映像の回想パートに入る。
ここでは信長が家臣たちに命令を下し、毛利攻めから除外された村重が納得できずに「出番を下さい」と懇願する。信長は「だったら光秀を殺せ」と命じ、村重が困惑していると切腹を命じる。
光秀が仲裁に入ると、信長は彼に切腹を命じる。光秀が「命を弄ぶとは」と漏らすと、信長は「人間は生まれた時から、ずっと遊びだ」と馬鹿にする。
彼は刀で突き刺した饅頭を食うよう村重に命じ、従った村重の口の中を切って血だらけにする。この回想パートを「信長が村重を可愛がっている」という証拠として提示されても、そんな風には全く見えない。「可愛がる」の意味が違うんじゃないかと言いたくなる。
「信長はイカれた男であり、それが彼なりの寵愛の表現」ってことだとしても、その回想パートを見て「だったら信長が村重を殺すのは難しいかもしれないよね」とは思えないでしょ。
だから、スムーズとは言えない形で挿入した回想パートは、まるで役に立っていないのよ。
その回想を「村重が激怒して反乱を起こす理由」や「光秀が反旗を翻すきっかけ」として捉えても、「そんなの無くても大して困らない」ってことになるし。曽呂利たちが逃亡を図った村重を捕まえるアクションシーンは、その前に描かれていた城攻めのシーンと比べると、明らかに異質なモノとなっている。
1人がバレーのレシーブのように両腕を構え、そこをジャンプ台にして相棒が高くジャンプし、馬に乗った村重に襲い掛かる。この動きは、オーソドックスな「時代劇の殺陣」とは全く違う。
そういう伝統的なチャンバラから外れたアクションを全編に渡って用意しているなら、全く気にならなかったと思うのよ。だけど、ここだけアクションのスタイルが違うので、完全に浮いている。
あと、ここで何も訊かれていないのに村重が「俺は荒木村重じゃない」と言い出すのは、バカバカしさが過ぎる。ギャグのつもりかもしれないが、完全に外しており、場違いに軽薄なだけだ。為三が秀吉の軍勢を見て追い掛けようと誘った時、茂助は「本気で行くのか」と少し尻込みするような様子も見せる。そんな奴が為三を殺して敵将の首を手に入れるのは、急激に野心が強くなったような印象を受ける。
もちろん侍になりたい気持ちはあったんだろうけど、だからって何の躊躇も無く盟友を殺すってのは違和感が強いなあ。ショッキングな出来事としてのインパクトばかりを意識して、唐突さだけが目立つ結果になっている。
そもそも、そんな裏切りを描く意味があるのかと考えた時、そうでもないだろ。「この時代は裏切り行為が横行していた」ってことかもしれんが、そんなのは武将サイドで描けばいい話だし。
あと、茂助を曽呂利が仲間に加える理由もサッパリ分からんぞ。何のメリットも見えないし、茂助が仲間入りを志願したわけでもないし。ギャグシーンとして描いているんだろうと思われる箇所は、幾つもある。
例えば、秀吉が曽呂利の届けた書状を受け取った直後のシーン。
秀長が読み聞かせると、秀吉は「声に出すなよ」と怒る。そこで秀長が書状を見せると、秀吉は「読めないって言ってるだろ」と怒鳴る。
しかし残念ながらギャグシーンとしては完全に消化不良で、中途半端なだけの緩和になっている。
過去に北野武監督が手掛けた喜劇映画も全て失敗していたけど、今回もダメだった模様。粗筋で書いたように、光秀は亀山城で全くの別人を「蘭丸」と叫んで殺害し、村重に向かって「信長」と叫んで殺すフリをする。この行動の意味が、サッパリ分からない。
その頃から信長への反乱を意識していたとしても、そんなパフォーマンスをする必要性は全く無いわけで。
光源坊が曽呂利から説明を受けて言葉を返そうとすると、すぐに側近2人が続きを喋る。「光源坊が喋り出した直後に側近が遮って続きを喋る」ってのを、天丼で何度も繰り返す。
ここもギャグシーンなのは明白だが、完全に外している。
コミカルとシリアスが上手く融合していないし、バランスが悪い。祈祷祭は大勢の身体障害者が踊る祭なのだが、こんなシーンは全く要らないでしょ。馬揃えのシーンも同様。
なんかね、「荘厳な時代劇」としての体裁を整えようとしたのか、無駄なシーンが多いんだよなあ。
光秀が秀吉から渡された手紙を読むシーンでは、信長の声で内容を語らせている。しかし、ついさっき秀長が秀吉に読み聞かせたのと全く同じ内容なので、完全なる二度手間だ。
そこでの光秀の「家督を我が子になど。結局は人の子だったということか」という反応も、官兵衛と秀長が手紙の内容を知った時の反応と被っているし。信長は安土城で秀吉に毛利攻めのことを話す前に、「賭けをやろう」と持ち掛ける。彼が「弥助の体に白い所がある。分かるか、当ててみろ」と言うと、秀吉は「掌と足の裏、それと歯ですか」と答える。しかし弥助は事前に掌と足の裏と歯を黒く塗っており、信長と一緒に嘲笑する。
このクイズコーナーも要らないなあ。
同性愛を軸にして本能寺の変を描こうとするのは、たぶんビートたけしが主演した大島渚監督の『御法度』から影響を受けているんだろうと思われる。
ただし大島渚チックにシリアスで染めるわけじゃなくてコミカルも混ぜているわけだが、気合いが空回りしたのか、失敗に終わっている。秀吉&秀長&官兵衛が家康を訪ねて低姿勢でペコペコし、後で激怒する秀吉を秀長&官兵衛がなだめるのは完全にコメディーとしての描写だ。
しかし硬軟の使い分けが上手くないので、完全に外している。
家康が若くて美しい娘たちではなくマツを夜伽の相手に選ぶのは完全にギャグだが、その後に「刺客だったマツが家康の命を狙う」という展開で一気にシリアスへ変化する。
でもマツの見た目がギャグの状態のままってこともあり、ここも急展開の面白さが出ているとは言えない。色んな出来事に満遍なく時間を割いているせいで、どこにフォーカスして物語を構築しているのかがサッパリ分からない。
例えば秀吉の毛利攻めとか、利三が家康の首を狙って何度も襲撃する様子とか、そこまで丁寧に描く必要が本当にあったのかと。
「本能寺の変の引き金は衆道」という設定を持ち込んだのなら、もっと衆道を重視した話にした方が良かったんじゃないかと。
この内容だと、原因として衆道を置いている面白さが全く見えて来ないんだよね。本能寺の変が勃発したら、秀吉軍は一刻も早く戻らなきゃいけないはずだ。それにしては、そこからの展開がグズグズしているんだよね。
それをコメディーとして描いているつもりかもしれないが、完全に振り切っているわけでもない。
っていうか、そこをコメディーとして尺を割くのなら、もっと「中国大返し」に絞り込んで話を作るべきじゃないのかと思うし。
結局、どこにテーマがあるのか、何を描こうとしているのかがボンヤリしたままで終わっている。(観賞日:2024年10月3日)