『子連れ狼 その小さき手に』:1993、日本

公儀介錯人の拝一刀は、惣目付の柳生備前たちが見ている前で生駒藩主の介錯を務めた。妻のあざみが息子を出産すると、一刀は大五郎と名付けた。一刀と柳生当主の蔵人は老中に呼び出され、将軍家嫡男の誕生日に剣術指南役を決める御前試合を実施すると告げられた。一刀は松平周防守から、御前試合に反対したが備前が押し通したと聞かされる。周防守は備前が権力を握ろうとしているのだと言い、一刀に「何としても勝てねばならぬ」と告げた。
蔵人の父で裏柳生の総帥を務める烈堂は、弟の備前に「今の柳生で拝一刀に勝てる者はおらん」と話す。自分以外に勝てる人間はいないと彼が言うと、備前は裏柳生が御前試合に出ることは無理だと指摘する。柳生の人間で表にいるのは備前、蔵人、蔵人の弟の兵庫だけだった。蔵人が一刀の暗殺を主張すると備前は却下し、御前試合までに失脚させると告げる。彼は烈堂の娘の七生に、一刀の屋敷を探るよう指示した。一刀は不安を抱いたあざみから御前試合の辞退を提案されるが、「案ずることは無い」と口にした。
七生は一刀の留守中に屋敷を探り、縁側に出て来た大五郎を抱き上げてあざみと話した。大五郎は七生の匂い袋を気に入り、握り締めた。一刀は周防守と会い、柳生が敵対する者を葬って来たが証拠が無いのだと言われる。一刀は裏柳生の噂に触れ、頭領は烈堂だと教えた。夜、裏柳生は一刀の屋敷に忍び込み、将軍家の位牌を御堂に持ち込んだ。翌朝、備前は蔵人と家来たちを率いて屋敷へ乗り込み、生駒藩主の家臣が切腹して斬奸状を残したと告げる。彼が読み上げた斬奸状では、一刀が将軍家に矢を引く人間として糾弾されていた。
備前は御堂へ案内するよう要求し、将軍家の位牌があることを指摘した。一刀は裏柳生の仕業だと確信するが、備前は連行すると告げる。あざみが抗議に入ると、蔵人が斬り捨てた。一刀はあざみを弔い、刀を手に取った。彼は備前の家臣たちを次々に始末し、外へ出て蔵人も斬った。その間に七生は屋敷へ忍び込み、大五郎を風呂桶に隠れさせて匂い袋を握らせた。備前は老中に証拠品として斬奸状と位牌を見せ、一刀の処罰を要求した。周防守は何かの間違いだと主張し、取り調べを申し入れた。
屋敷に戻った一刀は大五郎に「これからは修羅の道を生きる鬼になる」と告げ、殺そうとする。しかし大五郎の笑顔を見て思い留まり、涙を流して抱き締めた。一刀が白装束で待ち受けていると、備前が家来たちを率いて現れた。彼は上意として切腹を申し付けるが、備前は拒否して刀を抜いた。備前が家来たちに殺害を命じると、烈堂が来て一刀に果し合いを申し入れた。彼は一刀に、「もし勝てば江戸の外で生きることを認める。柳生は口出ししない」と約束した。
備前は烈堂の勝手な行動に腹を立てるが、仕方なく承諾して兵庫に立ち会いを命じた。烈堂は兵庫が勝つことは難しいと考えるが、夕日を背にして立つよう助言した。しかし一刀は兵庫の策を逆手に取り、夕日を利用して斬り捨てた。烈堂は追い掛けようとする息子たちを制し、約束通りに一刀を行かせた。備前が激怒すると、烈堂は「暗殺に血を流したのは裏柳生の者だ」と反論した。七生と裏柳生の面々は覆面で顔を隠し、周防守を暗殺した。
一刀は旅を続け、大五郎は成長した。彼はあざみの菩提寺に行き、墓参りをする。和尚や千鶴は、大五郎の成長を見守った。一刀は磐城藩の城代家老を務める二谷監物から、協力を依頼された。陸奥で採取された砂金を江戸へ運ぶ際、今年に限って領内を通過することが備前の指図で決定したのだと監物は説明した。護送行列に不祥事を起こし、それを口実にして藩を取り潰す策略だと一刀は確信する。監物と家臣たちは、城下へ続く一本道の森に隠れて公儀用人の久世山城守が率いる行列を待ち伏せた。行列が天領から磐城藩に近付くと、覆面姿の一刀が馬で現れた、彼は子連れ狼を名乗って行列を襲撃し、退散に追い込んだ。
一刀は高熱を出して寝込み、寺で静養した。不意に飛び起きた彼は「鐘の音が鳴っておる」と言い、寺を出て行った。彼は裏柳生の面々を待ち伏せ、4人を斬った。木陰にいた七生が襲い掛かると、一刀は斬らずに済ませた。七生が匂い袋を落とすと、大五郎が来て拾い上げた。大五郎を湯船に隠したのが七生だと気付き、一刀は礼を述べた。彼が刀を捨てて女としての一生を過ごすよう説くと、七生は「これが私の定め」と告げた。千鶴は一刀に兵庫の妻だと明かし、立ち合いを要求した。一刀は勝ったと思わせてから、千鶴を斬った。
監物は妻の信乃と暮らす屋敷に一刀を招き、大五郎を引き取らせてもらえないかと持ち掛けた。大五郎が信乃に可愛がられる姿を見た一刀は、別れも告げずに屋敷を立ち去った。大五郎は一刀を捜し回って泣き出し、屋敷の屋根に上がって監物たちを狼狽させた。備前は烈堂に、「裏柳生は、もはや無用。ワシがやる」と言い放つ。烈堂は憤慨して「拝を倒せるのはワシ一人」と告げ、手出しするなと釘を刺した。彼は一刀の元へ向かい、1人で歩き回っていた大五郎と接触する…。

監督は井上昭、原作は小池一雄(題字)、脚本は中村努、製作は小池一雄、エグゼクティブプロデューサーは西岡善信、プロデューサーは黒川華乃子&市古聖智、撮影は藤原三郎、美術は西岡善信、照明は美間博、録音・整音は林土太郎、編集は飯塚勝、音楽は川崎真弘。
出演は田村正和、仲代達矢、古手川祐子、岩下志麻、荘田優志、池上季実子、若村麻由美、橋爪功、石橋蓮司、藤村志保、河原崎長一郎、織本順吉、田中邦衛、益岡徹、沖田浩之、本田博太郎、吉岡圭二、高川裕也、長森雅人、崎津隆介、泉好太郎、小久保丈二、松本幸三、中嶋俊一、本田哲太、北斗辰典、小田島隆、手塚学、伊波一夫、福本龍二、東田達夫、田中幹人、永井真弓、夏山剛一、山村嵯都子ら。


漫画『子連れ狼』を基にした作品。原作者の小池一雄(小池一夫)が製作に当たっている。
監督は大映出身の井上昭。映画監督を務めるのは、1969年の『関東おんなド根性』以来となる。
脚本は『あ・うん』『真夏の少年』の中村努。
一刀を演じた田村正和は、1979年の『日本の黒幕』以来の映画出演。
烈堂を仲代達矢、あざみを古手川祐子、大五郎を荘田優志、千鶴を池上季実子、七生を若村麻由美、備前を橋爪功、周防守を石橋蓮司、信乃を藤村志保、監物を河原崎長一郎、老中を織本順吉、和尚を田中邦衛が演じている。

拝一刀と言えば、個人的には映画シリーズで演じていた若山富三郎の印象が強い。人によっては、TVシリーズで演じていた萬屋錦之介の印象が強いかもしれない。
そんな両名とは全くイメージの異なる田村正和が拝一刀に起用されたわけだが、コレジャナイ感がものすごく強い。
原作に寄せたのかと思いきや、そうではない。むしろ若山富三郎や萬屋錦之介より、さらに原作のイメージからは遠ざかっている。
ところが、なんと原作者である小池一雄が田村正和にオファーを出しているのである。

どうやら小池一雄は、今までのイメージとは大きく異なる『子連れ狼』を作りたかったらしい。だからなのか、大五郎は大八車に乗っておらず、一刀に背負われたり一緒に歩いたりしている。
でも、原作者が原作から大きく離れた映画を作りたがるって、どういう感覚なのか分からないわ。
今までの印象を変えたかったのなら、まずは新しい『子連れ狼』を漫画として作るべきじゃないのかと。その上で、それを基にした映画の製作に乗り出すべきじゃないかと。
そういう手順を踏まずに「原作漫画とは全く違う『子連れ狼』の映画を作る」ってのは、自分の生み出した作品やキャラを全否定したいのかと言いたくなるぞ。

今回は「親子愛」をテーマに掲げ、一刀と大五郎の関係を軸に据えて物語を描こうとしている。で、「だから田村正和」ってことだったらしい。
でも、どういうテーマであろうと、田村正和は違うでしょ。
そんな田村が演じる一刀は、あざみが殺された後、彼女を弔って涙を流してから敵と戦い始める。この戦いでは悲しみばかりが強く押し出され、怒りの感情は薄い。
意図的な演出なのかもしれないが、復讐劇としては全く燃えない。

今回の映画では、様式美にこだわりたかったらしい。でも、それが上手く表現できているとは到底言い難い。
例えば、あざみを弔ってから一刀が敵と戦うシーン。一刀は屋敷で備前の手下たちと戦っていたのに、シーンが切り替わると湖畔に移動している。
瞬間移動したとしか思えない。様式美ても何でもなくて、ただ場面転換に失敗しているようにしか感じない。
そもそも、様式美を全面に押し出したいのなら、井上昭じゃなくて市川崑を招聘すべきだったんじゃないの。

権力を握ろうとする備前が策を講じて一刀に罪を着せようとするまでの経緯が、モタモタしているようにしか感じない。
映画が始まってから一刀が蔵人を殺すまでに、30分ぐらい掛かっているんだよね。
そういうのって、ほぼ省略でも良くないか。いっそのこと、一刀が旅に出ている状態から物語を初めて、過去は回想シーンで処理してもいいんじゃないかと言いたくなる。
それだと今までの作品と似たような構成になっちゃうから避けたのかもしれないけどさ、この映画の導入部には観客を引き込む力が全く足りていないのよ。

この映画の拝一刀は、あまりにも軟弱すぎる。
チャンバラシーンで相手との力量差を示すことで、「ものすごく強い奴ですよ」とアピールしているつもりなのかもしれない。だけど、ちっとも凄みを感じない。大五郎を殺そうとして殺せずに泣き出すとか、ヤワなトコばかりが目立っている。
そりゃあ、まだ修羅の道に入る前の段階だからってことなんだろうとは思うよ。
でも、だったら修羅の道に入ってからの物語にしてくれよと言いたくなる。

旅に出てから大五郎が成長するまでの過程はダイジェスト処理されているが、間延びしているようにしか感じない。その手順を挟むことで、二部構成みたいになっているし。
で、そうなると、「じゃあ第一部は要らないな」と言いたくなる。
また、第二部に入ると菩提寺が映し出されて和尚や千鶴が登場するが、「お前ら誰だよ」と言いたくなる。一刀が2人と知り合う手順を省略しているからね。
紹介の方法が下手だから、急に出て来た良く分からない連中になっているのよ。

一刀は監物から相談を受けると「影の狩人」を自称し、協力を快諾する。
だけど彼は、いつの間に「柳生の不正を天下に至らすのが悲願」になったんだよ。
それが一刀の悲願であるならば、なぜ兵庫を斬っただけで江戸を去ったんだよ。近くに裏柳生の連中がいるのは分かっていただろうに、そいつらを放っておいて去ったのは何なんだよ。
そんで旅に出てから何年も柳生に対して何も仕掛けなかったのに、依頼を受けたからって急に「柳生の不正を天下に至らすのが悲願」とか言い出すのは「都合のいい奴だな」と呆れるわ。

七生は登場シーンから一貫して、「殺し屋」としての凄味や鋭さに欠けている。
なので、大五郎が幼児だから助けたのではなく、そもそも優しい性格としか見えないのが困りもの。
裏柳生として周防守を始末するシーンが後から出て来るが、そういう「殺し屋としての非情さ」をアピールするためのシーンを、大五郎を助ける前に配置した方がいい。
そうじゃないと、「本来は冷徹に仕事をこなすプロだが、大五郎を見て情にほだされた」という印象が薄くなる。何しろ、演じているのが若い頃の若村麻由美だしね。

千鶴は登場した時から一刀とは全く絡まず、たまに機織りをしている1人のシーンが挿入される程度で時間が経過する。そして、ようやく一刀と話すシーンが到来したかと思ったら、その直後には斬られて死ぬ。
なので、彼女が一刀に斬られるシーンには悲劇としての高まりが全く無い。そこにドラマとしての盛り上がりが、何も用意されていないのだ。
極端なことを言ってしまうと、「何のために出て来たのか」と言いたくなるぐらいのキャラと化している。
一応は「家族の関係」について一刀に考えさせるための役割を担っているのだが、それも上手く機能させられていないし。

烈堂を「一刀を殺そうとする敵ではあるが、備前たちと違って筋の通った剣客」みたいに描くのは別にいいのだが、大五郎と楽しく遊ぶ姿はダメでしょ。そんな好々爺みたいな姿を見せるのは、キャラがブレてしまうわ。
しかも、その後には大五郎を人質に取って、一刀に刀を捨てさせる行動を取るんだよね。
そんな卑怯な手段に出たら、ますますキャラがブレちゃうじゃねえか。
だったら最初から、卑劣な悪党として徹底して描いた方がいいわ。

七生は烈堂から大五郎を守るため、盾になって斬られる。すると一刀と烈堂は戦いを中止し、焚き火で七生を弔う。
烈堂が「それでも決着を付けねばならぬ」と言うと、一刀は「それが定めか」と口にする。なので、ついに最終決戦へ突入するのかと思いきや、一刀はその場から立ち去り、烈堂は黙って見送るのだ。
いやいや、なんでだよ。そこで決着を付けない理由が、どこにあるんだよ。勝負を持ち越す理由が、どこにあるんだよ。
その後には岩下志麻が演じる夜鷹の出産を一刀が手伝うシーンがあるが、取って付けた感の強い蛇足でしかないわ。
「親子の絆」をテーマにして描きたいのは分かるけど、そのためのストーリーテリングがツギハギすぎるわ。

田村正和はお世辞にも殺陣が上手い人ではないので、チャンバラのシーンが見せ場にならないってのも大きなマイナスだ。一刀と烈堂の最終決戦も、盛り上がりに欠ける。
ただ、それは殺陣の問題だけじゃなく、内容としても首をかしげたくなる。一刀が刀を構えたまま倒れ込むが、烈堂が近付くと立ち上がって斬り付ける。
だが、それで逆転勝利なのかと思いきや、一刀は倒れて死亡し、烈堂は生きているのだ。で、戦いを見ていた大五郎が槍を突き付けると、烈堂は奪い取って自害する。
いや、そんな決着の付け方はダメだろ。
備前が生き残っているのも、スッキリしないし。

(観賞日:2022年1月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会