『荒野の渡世人』:1968、日本

アメリカ西部で暮らすケン・カトウは、駅馬車の面々が金品を奪われ惨殺されている様子を目撃した。自宅へ戻った彼は、そのことを両親に語った。ケンの父は20年前、侍として勝海舟と共に咸臨丸で渡米した。しかし病気でアメリカに留まり、畑を耕して暮らすようになった。しかし今も彼は侍の魂を忘れておらず、日本刀の手入れを欠かさなかった。彼はケンに、日本刀の使い方を教えていた。さらに彼は、「侍は正義と名誉を守るためだけに刀を抜く」と息子に説いた。
フランコ、カースン、ビリ、ダンカン、チェックという5人のガンマンが、突如としてケンの家へ押し入った。ビリは怪我を負っており、仲間は彼に水を飲ませた。ケンは彼らを見て、駅馬車を襲った強盗団だと悟った。それを指摘された一味が拳銃を抜くと、ケンの父が刀でフランコの右腕を斬り落とした。父は発砲を受けて命を落とし、母もケンを庇って死亡した。ケンは両親を埋葬し、拳銃を買って撃ち方を練習した。彼は日本刀を携えて馬に乗り、復讐を果たすために旅立った。
ケンはマービンという男に間違われ、ジャック、オットー、リッキーという男たちに命を狙われた。ケンは馬を撃ち殺され、マービンではないと叫んだ。一味が誤解だと気付いて立ち去ろうとすると、ケンは代わりの馬を寄越せと要求した。ジャックたちは承諾したフリをして、その場から逃亡した。徒歩で移動したケンは、野営中のマービンと遭遇する。さっきの3人組が来て命を狙うが、マービンが2人、ケンが1人を射殺した。
マービンはケンを近くの牧場へ連れて行き、馬を与えようとする。ケンは「人の施しは受けたくねえんだ」と断り、「自分で買えるようになるまで、この牧場で働く」と告げた。彼は牧童として仕事をしながら、銃の撃ち方を練習する。彼の拳銃を見たマービンは、「バランスが悪いな。自分の一部になるぐらいじゃなきゃダメだ」と告げた。発砲音がしたので2人が駆け付けると、ダンカンとチェックが子牛を殺して持ち去ろうとしていた。ケンは目的を明かして決闘しようとするが、勝てる相手ではないと見抜いたマービンが威嚇発砲でダンカンたちを追い払った。怒るケンに、彼は「戦いは勝たなければ意味が無い」と説いた。
マービンはケンに、拳銃の稽古を積ませた。刀で木を真っ二つにするケンの腕前を見た彼は、「その呼吸、拳銃と同じことだ」と告げた。ケンは抜き撃ちを会得し、マービンの指導で射撃の能力を上達させた。ある夜、野宿していた2人は4人組に襲われた。マービンとケンは3人を殺し、1人は怪我を負う。男が「雇われただけだ。人殺しとは知らなかった」と釈明すると、ケンは撃ち殺そうとするマービンを制止して「逃がしてやろう」と言う。しかしマービンは、逃げ出そうとする男を容赦なく始末した。
ケンが抗議すると、マービンは「逃がせば、いつかまた襲ってくる」と冷徹に告げた。ケンは「アンタを見損なった。もう一緒にいるのは御免だ」と声を荒らげ、「勝手にしろ」と告げるマービンと別れた。町へ赴いたケンは酒場に入り、ポーカーをしているグループの1人ががビリだと気付いた。ケンが決闘を要求すると、ビリは殴り掛かってきた。ケンは彼を殴り倒し、銃を抜くよう促した。しかしイカサマに気付いた酒場の面々は、ケンを押しのけてビリを連行した。
ビリは縛り首にされそうになるが、そこへ父であるマービンが駆け付けて救出した。ケンは助けた男がマービンだと気付かないまま、すぐに後を追った。マービンが「この恥知らずが」と叱責すると、ビリは自分を残して家を出た父親を非難した。ケンが追い付くと、彼は岩陰に隠れながら発砲する。しかし劣勢だと感じた彼は銃を置き、怯えた芝居で助命を嘆願した。ケンが銃を取るよう要求していると、そこへマービンが現れて「私が相手だ」と告げた。ビリが隙を見てケンを撃とうとすると、気付いたマービンが射殺した。
マービンはケンに、ビリが15の時に妻が凌辱されて殺されたこと、犯人を追い続けたことを打ち明けた。彼は復讐を果たしたことを語り、「だが、何が残った?」と口にした。ケンはマービンから、フランコが近くで牧場を営んでいることを聞かされた。ケンはマービンと別れ、牧場へ赴いた。するとフランコの一人息子であるマイクが、拳銃を持って遊んでいた。ケンはフランコが町へ出掛けていることを聞き、牧童頭に「しばらく働かせてほしい」と頼んだ。暴れ馬を馴らす条件をクリアし、ケンは牧場で働くことになった。
ケンはマイクと仲良くなり、フランコの妻であるローザにも会った。ローザは彼に、「きっと後悔なさるわよ」と告げた。ケンは牛泥棒としてカウボーイ4人組に捕まり、ロープで繋がれて引きずり回された。4人組はケンを連れて牧童たちの元へ行き、「こいつに牛泥棒をさせたのはフランコだな」と尋問した。すると牧童たちは「こんな男は知らない」と無関係を主張し、ケンは4人組に始末されそうになる。そこへフランコが戻り、手下たちと共に4人組を射殺した。
ローザは納屋でケンを手当てし、傷が治ったら出て行くよう促した。そこへフランコが現れ、ローザに席を外すよう命じた。彼はケンの正体に気付いており、その場で始末しようとする。しかし察知したケンが拳銃を抜くと、分が悪いと感じて酒場での決闘を提案した。納屋に潜んでいたマービンは「口車に乗るな。ここで決着を付けろ」と忠告するが、ケンはフランコの提案を受諾した。フランコは手下を酒場へ送り込み、ダンカンとチェックに金を渡した。
ケンが町へ向かうと、マービンは心配して同行した。彼は罠が仕掛けられていると確信し、先に酒場へ入った。ダンカンたちはマービンを射殺するが、ケンに始末された。ケンは牧場へ戻り、フランコと手下たちを始末した。マイクはフランコに駆け寄り、「パパの仇だ」とショットガンをケンに向けて睨み付けた。ケンは逃げようともせず、無抵抗で銃弾を胸に受けた。しかしローザが2発目の発砲を制止し、ケンを家に運び込んで手当てした。彼女はマイクを部屋から追い払い、フランコを撃った理由をケンに尋ねた。「マイクに説明しないと、あの子は一生、貴方を恨む」と彼女は言うが、ケンは沈黙を貫いた。
ローザが保安官を呼び、ケンは事務所へ連行された。医者はケンを治療し、フランコの射殺理由を質問する。ケンは「あの子が傷付く」と言い、やはり理由を明かさなかった。町のボスであるカースンは保安官に金を渡し、医者を追い払った。彼は留置されているケンの元へ行き、「その傷なら、すぐに死ぬだろう。冥土の土産に顔ぐらいは見せてやろうと思ってな」と言い放った。その夜遅く、ケンは保安官の隙を見て銃を奪い、事務所から逃走してローザの元へ向かう。彼はマイクに拳銃を渡し、父親の仇討ちを果たすよう要求した…。

監督は佐藤純弥(佐藤純彌)、脚本は石松愛弘、製作は大川博、企画は俊藤浩滋&矢部恒、撮影は星島一郎、録音は内田陽造、照明は大野忠三郎、美術は江野慎一、編集は長沢嘉樹、擬斗は日尾孝司、音楽は八木正生。
主演は高倉健、共演は志村喬、ジュディス・ロバーツ、ケネス・グッドレット、ケビン・クーニイ、ロン・リー、ジョン・シャーウッド、クリーブ・サクソン、レジナルド・コリン、レイ・ラモント、スタン・ロジャース、ピーター・アレン、レグ・ゴーマン、チャック・キーホオ、オスマン・ユセフ、テリー・ファンズワース、マイク・ダーニン、カーロ・マッチーニ、ハンス・オルネフ、ドウ・ピュウリトン、グラハム・キーテン、ジョン・ホーキンス、リリアン・レイノルド、ブリアン・エビス、ピーター・アームストロング、アレン・ビックホード、パトリック・マッコーニル他。


『愛欲』『組織暴力』の佐藤純彌が監督を務めた作品。
脚本は『大悪党』『講道館破門状』の石松愛弘。
オーストラリアでロケーションが行われている。
ケン役の高倉健と、ケンの父を演じる志村喬だけが日本人キャストで、後は全て外国人俳優。しかし、オーストラリアやアメリカで有名だった俳優が出演しているわけではない。中には日本で活動していたオスマン・ユセフやテリー・ファンズワース、マイク・ダーニンといった面々も含まれている。

この映画が公開された1968年は、日本でマカロニ・ウエスタンが流行っていた頃だ。
1965年にセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』が公開され、その後も『荒野の1ドル銀貨』や『続・荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』など次々にマカロニ・ウエスタンが輸入された。
クリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマが人気となり、邦画でも『牙狼之介』などマカロニの影響を受けた作品が作られるようになった。

そんな状況の中、東映がマカロニのブームに便乗するため製作したのが、この映画である。
『網走番外地』や『日本侠客伝』シリーズで鶴田浩二と共に東映任侠路線を牽引していた高倉健を主演に据えて、和製マカロニ・ウエスタンの路線も新たに開拓しようと目論んだのだ。
イタリアで西部劇を作ることが出来たんだから、日本でも可能性が無いとは言えない。
しかし残念ながら当時の東映には、そのスキルもセンスも無かった。そういうのは、無国籍アクションに取り込んだ日活の方が、時代劇や任侠映画の土壌が弱かった分、上手く取り扱うことが出来たのかもしれない。

タイトルロールでは、『荒野の渡世人 The Drifting Avenger 日本語版』と表示される。
しかし賢明な皆さんなら説明不要だろうが、もちろん海外で公開された英語版など存在しない。英語を喋っている外国人俳優の台詞を、テアトル・エコーの声優が日本語に吹き替えているだけだ。
それだけでなく、高倉健の台詞も口の動きと全く合っていない。つまり彼も外国人俳優と話すシーンでは、英語を使っているわけだ。
当時の日本映画では「日本人は日本語、外国人は英語で喋っているのに、なぜか通じている」ってのが基本だったので、これは珍しいケースと言っていいだろう。

ただ、全編に渡って英語を日本語を吹き替えているのかというと、そうではないのだ。
映画の冒頭では、強盗5人組やケンの母、彼らと話すケンの英語は、そのまま音声が使われている。おまけに字幕が表示されることも無いので、何を言っているのか分からない。
会話の内容が分からなくても大きな影響は無いが、無駄に不親切なのは何のつもりなのかと。
ここだけ日本語吹き替えじゃないのは、たぶん「ケン(っていうか高倉健)が日本語も英語も話している」ってのをアピールしたかったんだろうけど、タイトルロール以降は全て日本語吹き替えなので、整合性が取れなくなっている。

ケンの父は、20年前にアメリカへ来たと言っている。つまり、アメリカで生まれた混血児であるケンの年齢は19歳以下ってことになる。
いやいや、それは無理があるだろ。
そもそも「高倉健が日本とアメリカの混血児」という時点で無理はあるが、そこは受け入れるとしよう。でも「高倉健が19歳以下」ってのは、さすがにキツいわ。
彼は1931年生まれだから、当時は37歳だぞ。
ケンを混血児にしたのは「日本を知らない」という設定にしたい狙いがあったのかもしれないけど、だったら父親が渡米した時期を変えりゃ良かったでしょ。

強盗5人組に襲われた時、ケンだけが生き残るのは無理がある。
母親が庇っているものの、すぐ近くに5人組はいるわけで。だったらケンも死んだかどうか、普通は確かめてから去るでしょ。
っていうか、かなりの近距離なんだから、ちゃんとケンにも当たるように撃つでしょ。
例えば「ケンも撃たれるが瀕死の重傷で済む。知人なり近所の住人なりが彼を見つけて介抱し、回復する」ということにでもしておけば良かったんじゃないかと。

ケンは両親の仇討ちを誓い、拳銃を買って撃ち方を練習する。
だけど冒頭で父親が「お前は侍の子だ」「侍は正義と名誉を守るためだけに刀を抜く」と言ったり日本刀の使い方を教えたりしているんだから、形見の日本刀で復讐する形にしておけば良かったんじゃないのか。
旅に日本刀は持参するけど、それを使うシーンは少ないんだよね。
たぶん「西部劇なら拳銃でしょ」という意識だったんだろうけど、映画としては「西部劇の世界に侍スピリットを持った日本刀の使い手という異分子」という趣向の方が面白くなりそうだ。

ケンはジャックたちに馬を撃ち殺されると、代わりの馬を寄越せと要求する。向こうが承諾すると、ケンは「ここへ持ってこい」と告げて背中を向け、川で顔を洗う。その隙にジャックたちは、馬に乗って逃亡する。
そりゃあ、そうなるわな。どんだけマヌケなのかと。
このシーンに限らず、ケンは隙がありすぎる。
ケンが「優しきヒーロー」というだけなら、その甘さも魅力に繋がったかもしれない。しかし「両親を殺されて怒りに燃える復讐劇」という仕掛けの中では、マイナス要因にしか結び付かない。

それまでケンは拳銃など扱ったことが無いはずなのに、最初にジャックたちを撃つ時には、普通に使いこなしている。その後で射撃練習を見たマービンからは「なってないな」と言われるけど、ジャックたちが襲って来た時は1人をスマートに始末しているわけで。
そのシーンを描いておいて、直後に「拳銃の使い方が下手」というシーンを見せるのは、話の進め方として不恰好だ。
「マービンがケンに救われた礼として馬を与えようとする」という形を取りたかったんだろうけど、もうちょっと上手い方法があったんじゃないか。
あと、ジャックたちがマービンを狙う理由は、全く分からないままなのね。

ケンはダンカンとチェックを見つけた時、捜索していた期間について「この3年間」と言っている。
いつの間に3年も経ったんだよ。見ている限り、1ヶ月ぐらいしか経っていない印象だったぞ。旅に出てから牧場で働き始めるまでに、かなりの年月が経過していたのか。それとも、牧場で働く間に3年が経過したのか。
どっちにしろ、3年の時間経過を感じさせるモノはゼロだったぞ。
たぶん長めに設定した方が、主人公の情念の高まりを強調できると思ったんだろうが、余計な台詞だわ。
「この3年間」とか、わざわざ言わせなければ引っ掛かることも無かったのに。

マービンはケンがダンカンとチェックに勝てないと確信し、割り込んで威嚇発砲する。
だけど、これでダンカンたちが逃げるのは不自然だ。
彼らは駅馬車を襲って全員を殺したり、ケンの両親を惨殺したりするような卑劣な連中だぞ。そのシーンでも、ケンの要求で拳銃を抜き、今にも発砲しようとしていた。
だったらマービンが威嚇発砲した時、応戦しようとするんじゃないか。そんなことで簡単に逃げるようなキャラじゃないだろ。

ケンは野宿を襲った連中の1人が怪我で済んだ時、逃がしてやろうとする。
だけど、それは不可解だ。その直前に彼はマービンと共に発砲して、他の3人は殺害しているのだ。怪我で済んだからって、そいつだけ逃がしてやろうってのは筋が通らない。
それにジャックたちがマービンを襲撃した時も、容赦なく殺していたでしょうに。しかも、そもそもケンは両親を殺した連中を始末しようとしているわけで、
それなのに「自分たちを襲ってきた奴を逃がそう」ってのは一貫性が無いとしか思えない。
ケンの優しさを表現したかったんだろうけど、無理がありすぎるわ。

最初に5人組がケンの両親を殺すシーンの段階で、一味の悪辣ぶりのアピールが弱い。ケンの怒りや悲しみの感情表現も薄いため、復讐心の燃え上がりという部分が弱い。
そんな状態なのに、ケンが一味と絡むと、必ず標的の身内を登場させてウェットな要素を次々に盛り込むため、ちっとも復讐劇のカタルシスが得られない。
人情味を出そうとするのは、良くも悪くも東映の任侠映画わ引きずっているってことなんだろう。
だけど、もっと乾いたタッチで描いた方がいいと思うんだよね。

ケンはフランコ一味を殺した直後、マイクにショットガンを向けられても全く逃げず、無抵抗で発砲を受ける。「撃ち殺されても仕方がない」と諦めが入っているような態度だ。
自分の父親を殺された身だから、マイクの気持ちが良く分かるってことなんだろう。
でも、まだ自身の仇討ちを完遂したわけじゃないのに、それでいいのか。
しかも、それだけで終わらず、保安官事務所から逃げ出したケンはマイクの元へ戻り、拳銃を渡して「パパの仇を討て」と要求するのだ。
いやアホかと。

てっきり逃げ出したのは「カーソンに復讐するため」ってことなのかと思っていたのに、わざわざマイクに殺されるため逃げ出すって、ワケが分からんよ。
まだ「もう復讐心が消え失せてしまい、その虚しさを感じたので、全てを終わらせるためにマイクに殺されようとする」ということなら、その行動も分からなくはない(そんな展開だとしたら、それはそれでアウトだけど)。
でもケンは逃げ出す直前、カーソンを見ているのよ。そして彼に対する憎しみで、唾を浴びせているのよ。
その行動を取っておきながら、まだカーソンが生き残っているのにマイクに射殺されることを望むってのは支離滅裂にしか思えない。

ケンが事務所から逃げ出した後、保安官の元には「ローザが裁判まで預かる」という連絡が入っている。
それが認められるって、おかしいだろ。ケンは保安官を殴って留置所から逃げ出しているんだから、それだけでも逮捕されて留置されるだけの理由になるだろ。
ところが、保安官が連行しようとしないだけでなく、なぜかカーソンもケンを放置するんだよね。
彼にとってケンは「一刻も早く排除したい存在」のはずなのに、なぜ早急に対処しないんだよ。

すっかり復讐心を失ったケンは、カーソンが雇ったガンマンが来て勝負を要求しても、「もう撃ち合いはたくさんだ」と拒否する。相手が銃を抜いたので仕方なく射殺するが、ローザから「どこへ行くの?」と問われると「分からねえ」と答える。牧場を出て、カーソンへの復讐を果たそうという気持ちはゼロになっている。
そして牧童として残るよう求めるローザから「憎しみなんか忘れてちょうだい」と言われると拳銃を預け、牧場で働き始める。
その前にローザはマイクに「パパは悪い人だった」と告白しているが、それを認めずケンへの憎しみを抱き続けている。
そんな彼の憎しみが全く消えないことを受けて、ローザはケンに「出て行ってほしい」と言い出す。
テメエで残ってほしいと頼んだのに、メチャクチャだ。

一方、カーソンは何をしているのかと思ったら、ようやく行動に出る。ケンへの反発からローザの牧場を辞めた牧童たちを差し向け、牛の群れを暴走させてマイクを襲わせる。そしてカーソンは医者を自宅に呼び寄せ、脅して軟禁する。
それはケンを誘い出すための罠なのだが、回りくどいし分かりにくいわ。その気になれば、ローザの牧場へガンマンを何人も送り込めば済むわけで。
あと、「そもそもマイクが高熱で寝込むのは変だろ」と言いたくなる。牛の群れが暴走した時、彼は急いで身を伏せたため、全くダメージは追っていないはずなのだ。牛の暴走に慌てて馬から落ちているけど、直後にダッシュしているから怪我はしていないはずだし。
それと、仮に怪我を負ったとして、「気を失って高熱を出し、ローザは頭に濡れタオルを当てて看病する」ってのは変だろ。
そんで最後はマイクが牧場を去るケンに「ケン」と叫ぶシーンで『シェーン』っぽく終わらせようとしているけど、まるで締まらないのであった。

(観賞日:2018年6月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会