『今夜、ロマンス劇場で』:2018、日本

城での暮らしに退屈していた王女の美雪は、密かに抜け出した。森に住むタヌキの狸吉、トラの虎衛門、ハトの鳩三郎の制止を聞かず、彼女は外の世界へ行こうとする。それは第二次世界大戦以前に作られた京映の白黒映画『お転婆姫と三獣士』の内容だ。しばらくすると上映期間が終わり、フィルムは廃棄処分となった。しかしフィルムは映画館「ロマンス劇場」のロッカーに残されたまま終戦を迎え、廃棄処分を免れた。そして戦後、牧野健司という男がフィルムを発見し、映写機で上映した。
現在。看護師の吉川天音は入院している老人の牧野を担当しており、看護師長から検温に行くよう指示される。天音は牧野が転んでも孫が手を貸さないことを同僚に語り、「絶対に遺産目当てよ」と言う。病室へ赴いた彼女は、原稿に気付いた。牧野は自分が書いた脚本であること、かつて助監督だったことを語る。どんな話なのか天音が尋ねると、牧野は「ある若者の身に起きた不思議な物語だ」と言う。天音が詳細を知りたがると、牧野は物語の中身を話し始めた。
昭和35年(1960年)、牧野は京映の撮影所で助監督とした働いていた。当時、京映では「ハンサムガイ」というシリーズがヒットしており、主演の後藤龍之介はスター俳優として絶大な人気を誇っていた。後藤が撮影所に現れると、撮影所長の成瀬や部下の清水たちが丁重に迎えた。後藤は新作について「つまらない脚本だ。僕のスター性が全く活かされてない」と言い、ミュージカルに変更するよう指示した。成瀬は快諾し、清水に脚本の書き直しを命じた。
牧野が助監督仲間の山中伸太郎と一緒に歩いていると、成瀬の娘である塔子が来て挨拶した。立ち去る塔子を見た山中は「可愛いなあ」と頬を緩ませるが、牧野は大して興味を示さなかった。彼はロマンス劇場へ行き、映画を観賞する。閉館後、彼はオーナーの本多正に金を渡し、『お転婆姫と三獣士』を上映させてもらう。彼は美雪に惚れ込んでおり、この映画を何度も鑑賞しているのだ。彼は本多から「明日、物好きな収集家にフィルムを売る」と聞かされ、ショックを受けた。『お転婆姫と三獣士』は日本に1本しか残っておらず、他の場所で見ることは出来なかった。
本多がロマンス劇場の外に出た後、牧野が残って『お転婆姫と三獣士』を見ていると、落雷によって停電が起きた。再び照明が付いた時、牧野の目の前には白黒の美雪がいた。美雪は「外の世界に出られた」と興奮し、目に移る物について次々に牧野に質問した。彼女は自分を女優ではなく、「王女の美雪」と認識していた。牧野は美雪を劇場から連れ出し、自分が住むボロアパートに案内した。彼が「どうしてこっちの世界へ?」と訊くと、美雪は「あっちの世界は退屈で、同じことの繰り返しで飽き飽きしていたんだ」と答えた。
美雪は牧野に「今日からお前は私のしもべだ」と言い、翌日は町を案内するよう命じた。映画の仕事があることを牧野が話すと、彼女は撮影所の案内を要求した。次の日、牧野は近所の人々に気付かれないよう、美雪に頭から布団を被ってもらう。彼はリヤカーに乗せて美雪を撮影所まで運び、メイク室へ連れて行く。牧野は衣装と化粧でカラーに変身してもらい、美雪を案内する。牧野が目を離し隙に、美雪は彼が描いた背景画を勝手に描き直した。
戻って来た牧野は慌てるが、通り掛かった後藤は美雪の絵を気に入った。美雪は後藤を知らず、生意気な態度で殴り倒した。美雪は撮影中の現場に乱入し、怒る監督を殴り付けて立ち去った。牧野は山中のせいで美雪の恋人だと誤解され、激怒した撮影スタッフに暴行された。美雪がスモークの箱にダイナマイトを投げ込んだため、後藤は爆破事故に巻き込まれて怪我を負う。箱をスタジオに運んだのが牧野だったため、彼は警官から責任を追及された。
牧野の元に戻った美雪は、お守りを紛失したので探すよう命令する。牧野は腹を立て、「僕はしもべじゃありません。もうこれ以上、僕に付きまとわないでください」と告げて助監督室に入った。しかし気になった彼は雨の中で草むらを探す美雪の元へ行き、傘を渡した。彼は草むらを探し、お守りを発見した。美雪はお守りを受け取り、「しもべ、褒めてつかわすぞ」と微笑した。雨が止んで虹が出ると、牧野は「虹が2本出ると願い事が叶う」と言われていることを美雪に教えた。
清水は助監督の面々を集め、成瀬から若手にチャンスを与えるよう言われたので脚本を書いて来るよう指示した。それは牧野に好意を抱く塔子が父に頼んだことだった。牧野は監督になるチャンスだと喜び、ロマンス劇場へ赴いて本多に相談する。本多の言葉でヒントを得た牧野は、自分と美雪の関係を脚本化することにした。彼は美雪に協力を要請し、シナリオハンティングに出掛けた。2人が楽しそうにしている様子を、塔子が目撃した。牧野は美雪からシナリオの結末を訊かれ、「まだ決められなくて」と答えた。
後日、美雪が1人でアパートにいると、塔子が訪ねてきた。塔子から牧野と交際しているのかと問われた彼女は否定し、遠い親類だと嘘をついた。夜、美雪は色が落ちて白黒になった自分の手を見つめ、「そろそろ言わなきゃな」と呟いた。牧野は塔子から、成瀬が脚本を気に入ったので撮影の準備を進めるよう言っていることを聞かされた、大喜びの牧野は清水から、結末だけは書き直してほしいと成瀬が要求していることを聞かされた。
牧野は美雪をお気に入りの川へ連れて行き、「ずっと僕の隣にいてくれますか」と告げる。美雪は「無理だ」と言い、「私はお前に触れることが出来ない。人の温もりに触れたら消えてしまう」と告白する。「どうしてそんな危険を冒してまで、この世界に?」と牧野が尋ねると、彼女は「会いたかったんだ、お前に」と口にする。彼女は誰にも映画を見てもらえなくなった後に牧野がフィルムを見つけ出したことを語り、「こんな私でも、まだ誰かを喜ばせることが出来る。そんな日々がずっと続いてほしかった。でも、もうすぐお前に会えなくなると知って、会いたくなってしまったんだ」と述べた。
シナリオの結末に悩んでいた牧野は、塔子から愛を告白されて困惑した。美雪は牧野の上着のポケットに、彼が贈るつもりだった指輪を発見した。彼女が撮影所に向かうと、牧野は助監督室で山中と話していた。「好きな人に触れずに生きていけると思うか?」と話す彼の姿を見て、美雪は声を掛けずに立ち去った。その夜、牧野が帰宅すると、美雪は荷物をまとめて出て行こうとしていた。牧野は触れることが出来ず、「お前といると息が詰まるんだ」と嘘をつく美雪を見送るしかなかった。行く当てが無く困っている美雪を見つけた本多は、劇場を使うよう告げた…。

監督は武内英樹、脚本は宇山佳佑、製作は石原隆&堀義貴、企画・プロデュースは稲葉直人、プロデューサーは上原寿一&菊地美世志、撮影は山本英夫、照明は小野晃、録音は加藤大和、美術は原田満生&岡田拓也、編集は松尾浩、アソシエイトプロデューサーは大澤恵&根本智史、ラインプロデューサーは宮崎慎也、音楽は住友紀人。
主題歌はシェネル『奇跡』作詞:Kanata Okajima、作曲:FAST LANE&Che'Nelle。
出演は綾瀬はるか、坂口健太郎、本田翼、北村一輝、加藤剛、柄本明、西岡徳馬、中尾明慶、石橋杏奈、竹中直人、池田鉄洋、酒井敏也、山本浩司、今野浩喜、山下容莉枝、鶴田忍、内山森彦、菅登未男、木下貴夫、野々村はなの、山本圭祐、鈴木晋介、中沢青六、團遥香、野村たかし、市川刺身、赤屋板明、堀越光貴、大宮将司、岸端正浩、川口直人、ボブ鈴木、阿目虎南、龍坐、志賀圭二郎、久保田武人、東龍之介、新虎幸明、飯野雅彦、酒井勇樹、北原唯、舟木みな美、杉山ひこひこ、免出知之、西山聖了、田村義晃、金田誠一郎、佐鳥由依、小園優ら。


『テルマエ・ロマエ』や『信長協奏曲』などを担当したフジテレビジョン編成局の稲葉直人が企画・プロデュースを務めた作品。
監督は『テルマエ・ロマエ』『テルマエ・ロマエII』の武内英樹。
脚本は『信長協奏曲』の宇山佳佑。
美雪を綾瀬はるか、牧野を坂口健太郎、塔子を本田翼、後藤を北村一輝、老人の牧野を加藤剛、本多を柄本明、成瀬を西岡徳馬、山中を中尾明慶、天音を石橋杏奈、狸吉役の俳優を竹中直人、虎衛門役の俳優を池田鉄洋、鳩三郎役の俳優を酒井敏也が演じている。

先に良かった点を挙げておくと、北村一輝だけは文句なしに素晴らしかった。
「後藤を主役にした映画を作れば良かったのに」と思ったぐらいだ。
たぶん後藤のキャラは、日活の小林旭あたりがモデルだろうと思われる。
ただ、それなら小林旭か、ダイヤモンドラインで活躍していた宍戸錠でもゲストでチラッと出演させるぐらいの仕掛けをやればいいのに。
映画を題材にしているし、それなりに映画関連のネタも持ち込んではいるんだけど、当時の映画に対する愛やリスペクトが今一つ感じられないんだよな。

やりたいことは痛いほど分かるんだけど、基本設定に「それは絶対にダメだろ」と言いたくなる大きな欠陥が含まれているんだよね。
それは、「健司がスクリーンから飛び出した女性を役者ではなく登場人物として捉えている」ってことだ。
これが映画の裏を何も知らない少年か何かなら、それも分かるよ。あるいは、これが実写じゃなくてアニメなら、キャラとして捉えるのは当然だろう。
でも健司は助監督として映画界に身を置いており、映画が大好きなんでしょ。だったら、美雪を演じた女優についても興味を抱き、自分なりに調べたはずだ。
だったら、健司は「そのキャラ」ではなく、「女優」としての彼女に惚れるはずじゃないのかと。

つまりさ、例えば『ローマの休日』が大好きで、特にヒロインが大好きで、何度も見ている人がいるとしよう。
そういう人は、ヒロインを「アン王女」として捉えるんじゃなくて、「オードリー・ヘプバーンが演じているアン王女」という感覚になるんじゃないかと思うのよ。
もちろん、アンというキャラクターに魅力は感じるだろうけど、「それを演じている役者の魅力」として捉えるんじゃないかと思うのよ。
それと同じことを健司にも感じるので、そこは大いに違和感を覚えるのだ。

なので、牧野がスクリーンから出て来た美雪に「貴方は女優さんの幽霊じゃないんですか?」と尋ねるのも、大いに違和感があるのよね。
「幽霊」という表現も不自然だが、それは置いておくとしても「女優さん」という表現は違うでしょ。
牧野は何度も『お転婆姫と三獣士』を観賞しているんだし、ヒロイン役の女優についても絶対に名前は覚えているはずだ。
それなのに、なぜ相手を女優としての名前で呼ばず、「女優さん」と呼ぶのかと。

『お転婆姫と三獣士』が戦前の映画だという印象は、全く受けない。「当時としては珍しい映画だった」という程度では言い訳として成立しないぐらい、戦前の日本映画には感じられない。
特に引っ掛かるのは、美雪の台詞回しだ。彼女の男のような台詞回しは、「絶対に」と付けていいぐらい有り得ない。
そんな台詞回しのせいで、美雪がスクリーンから出てきた後も、ずっと違和感を抱きながら見る羽目になる。
また、やたらと暴力的なのも、これまた「間違ったキャラ設定だなあ」と嘆息してしまう。

台詞回しだけでなく、ゆたらと暴力的で、牧野を「役に立たない男だな」と罵るなど見下した態度を見せる美雪には、ヒロインとしての魅力を全く見出せない。ツンデレ的なキャラ造形を狙ったのかもしれないが、ただの不愉快な奴でしかない。
後半に入ると少しずつマシになっていくけど、それで全てが解決するわけではない。
じゃじゃ馬娘という設定ではあっても、「乱暴で身勝手」という部分が際立っちゃダメなのよ。「天真爛漫なお転婆娘」であるべきなのに、そこから大幅に逸脱している。
っていうか、もはや「お転婆娘」を履き違えているようにしか思えない。

フィルムの劣化が無いってのも昔の映画に見えない原因の1つだが、これは「冒頭シーンは戦前に上映されているという設定なので、劣化が無いのは当たり前」という事情がある。実際、後で牧野が観賞するシーンでは、ちゃんとフィルムの劣化が生じている。
ただ、そのまま見せたら戦前の映画ってことを全く感じさせないんだから、そこを誤魔化すためにも最初から劣化した状態で見せた方が得策だろう。
それを考えると、「戦前のシーン」→「戦後に牧野がフィルムを発見するシーン」→「現在のシーン」→「回想による1960年のシーン」という流れにするのではなく、いきなり現在から入って1960年の回想に入る構成にした方が良かったんじゃないか。
っていうかフィルムの劣化が云々ということを抜きにしても、そっちの方がいいと思うぞ。冒頭シーンは、まるで戦前に思えないし。

それを言うのは酷かもしれないが、紛れも無い事実だし、この映画の重要なポイントだから指摘せざるを無いのが、「綾瀬はるかに戦前のスター女優としての説得力が皆無」という問題だ。
戦前っぽさも大女優っぽさも無いので、完全にミスキャストだろう。ただ、そのように見せるための配慮に欠けているという事実にも、触れておく必要はあるだろう。
美雪を西洋風の王女に設定したのも、実は大きなマイナスだと思う。
たぶん『ローマの休日』を意識したんじゃないかと思うが、それよりは和風のお姫様にしておいた方が、もう少し誤魔化すことも出来たんじゃないか。

前述した「台詞回しの違和感」という問題も含めて、こんなことなら戦前の映画のヒロインという設定にせず、牧野の青年時代も1960年にせず、大幅に改変しちゃった方がいいよ。現代の設定にしてしまえば、台詞回しに関する問題は解消されるんだし。
どうしても台詞回しを残したいのなら、他を全て変えてしまう必要性があるのだ。
それぐらい、美雪の喋り方は致命的な欠点になっている。
狙いたかったキャラ造形は何となく分かるけど、完全に失敗している。

美雪には「戦前の白黒映画の王女」という設定だけでなく、「スクリーンから飛び出してくるヒロイン」という現実離れした設定もある。
ここに関しても、それを観客に受け入れさせるための仕事が全く出来ていない。
一言で表現するならば、「魔法が無い」ってことに尽きる。
粗筋でも触れたように、「劇場が停電になり、照明が付いたら牧野の眼前に白黒の美雪がいる」という形で外の世界に出て来るのだが、「映画のヒロインが外の世界に飛び出してくる」という重要なポイントが淡々と処理されているのだ。

あと、美雪は牧野に「こっちの世界が気になっていたんだ」と言うけど、つまり劇中劇で彼女が言っていた「外の世界」ってのは、映画の外にある世界を意味していたことになる。
でも、それは無理がありすぎるだろ。
だったら、劇中劇の続きはどうなっているんだよ。整合性が取れなくなるだろ。
「美雪が外に出てきた後、『お転婆姫と三獣士』のフィルムはどういう状態になっているのか」という謎についても、完全に無視しているんだよな。

美雪は牧野に「私たちは作られた存在で、人を楽しませるために生まれて来た」と語っており、あくまでも「映画の登場人物」という認識で行動している。
だけど、彼女は演者であり、その解釈は間違っている。
「私たちは作られた存在で」なんてことを言わせたいのなら、実写じゃなくてアニメーションじゃないと成立しない。
美雪を演じた女優が実在しているのに、それを無視して「映画の登場人物」として扱おうとしたせいで、色んなトコで問題が起きて、何も解決できていない。

清水から脚本を書いてくるよう指示された牧野は「監督デビューのチャンス」と喜んでいるけど、これって変じゃないか。
そりゃあ監督も脚本もどっちも担当する人はいるけど、当時の大手映画会社では基本的に「監督は監督、脚本は脚本」ってことで分業制になっていたはず。
だから監督デビュー作ってのは、誰か他の脚本家が書いたシナリオがあって、助監督を抜擢するという形になるんじゃないかと。
つまり脚本を書くよう指示されたのは、あくまでも「脚本家としてのデビュー」ってことに過ぎないんじゃないかと。

美雪は白黒の状態でスクリーンから出て来るので、牧野は彼女が周囲の人々に見られないよう布団を被らせたりする。
でも、そういう心配をするのは、ほんの少しの間だけだ。美雪がメイクと衣装でカラーに変身すると、以降は完全に忘れ去られてしまう。
そこを積極的に活用する気が無いのなら、最初から「スクリーンを飛び出したらカラーになっている」という形にでもすればいいのだ。美雪が白黒で牧野の前に現れた時に余計な違和感が強く、デメリットしか無いんだし。
それと引き換えにして、映画を面白くするための要素として活用しなきゃワリに合わないぞ。

美雪が牧野に「誰かに触れられると消える」と打ち明けるシーンがあるが、「後藤や監督が触ろうとすると美雪は殴り倒す」という描写で伏線はあってあるものの、まるで腑に落ちない。なぜなら、美雪は「触れられると消える」と分かった上で、スクリーンから飛び出したという設定だからだ。
そんなルールを、スクリーンの中にいる彼女がどうやって知ったのか。
また、それでも外へ出て来た理由について彼女は「牧野に会いたかったから」と話すけど、これも全く心に響かない。むしろ、「そんなことで牧野を特別扱いするのか」と言いたくなる。かつて何度も映画を見に行っていた熱烈なファンもいただろうし、フィルムを購入した収集家だって熱烈なファンかもしれないでしょ。
そりゃあ、「主人公にとって都合の良すぎるヒロイン」が登場する作品なんて山ほどあるけど、この映画ではそこを無視できないのよね。
それはたぶん、他のトコの質が低いから、そういう部分も気になっちゃうんだろう。

終盤、美雪はフィルムの中に戻らず、ずっと牧野と一緒に暮らし続けていたことが判明する(病院で孫と思われていたのが彼女)。
牧野の「例え触れられなくても一緒にいたい」という要望を、美雪が受け入れたのだ。
でも牧野はどんどん年を取り、美雪は全く変わらないまま。他にも色々と大変なことがあるだろうし、それをハッピーエンドとして素直に受け入れることは難しい。
『ローマの休日』みたいに、ヒロインを元の世界へ戻らせちゃって良かったんじゃないかと思うんだけどねえ。

美雪が元の世界に戻らないってことは、1本の映画が台無しになっちゃうってことになるんだよね。
それは日本で1本しか現存していないわけだから、もう誰も完全な状態での『お転婆姫と三獣士』を見ることは出来なくなるのだ。牧野は映画に携わる人間なのに、それを良しとしちゃったわけだ。
「映画よりも惚れた女を選んだ」ってのを、美しい恋物語として解釈することも出来なくはないよ。
だけど、そこも含めて、この作品に「映画への愛」が全く感じられないことが、ものすごく引っ掛かってしまうんだよねえ。

(観賞日:2019年6月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会