『この胸いっぱいの愛を』:2005、日本

百貨店に勤務する鈴谷比呂志は、お弁当フェア開催のために飛行機で北九州の門司へと向かった。比呂志は20年ほど前、9歳からの1年 近くを門司で過ごした。父が事故で亡くなり、母が東京で働くために比呂志を祖母・椿の営む旅館に預けたのだ。今は人手に渡っている 旅館を訪れた比呂志は、そこから出てきた少年・ヒロを見て驚いた。それは、9歳の自分だったのだ。
喫茶店で新聞を見た比呂志は、自分が1986年にいることを知る。そこへ、同じ224便に乗っていた19歳の布川輝良が現われた。ヤクザの彼 もまた、比呂志と同じようにタイムスリップしたのだ。比呂志は、その日が椿の誕生日だと思い出した。そして自分が誕生日ケーキを 焼こうとしてボヤ騒ぎを起こしたことを思い出し、急いで旅館へ行ってオーブンレンジの火を消した。
旅館で働かせてもらうことにした比呂志は、椿からヒロと相部屋で暮らすよう指示された。比呂志は、近くのそば屋の一人娘・青木和美と 会い、椿が自分のことを「死んだ息子のそっくりだから隠し子に違いない。遺産目当てで来た」と話していたことを聞かされる。一方、 布川は幼稚園を訪れ、妊娠中の先生・靖代の様子を伺う。だが、彼女に声を掛けられると、「邪魔したな」とすぐに立ち去った。靖代は、 布川の母親だった。
比呂志は門司で暮らした頃、学校でも友達が出来ず孤独だった。そんな彼にとって、親しかったと言える唯一の相手が和美だった。和美は 東京の音大を主席で卒業してプロになるはずだったが、難病を患って地元に戻ってきた。幼い比呂志は和美から、バイオリンを教えて もらった。だが、ある日、「二度とバイオリンを弾かない」と彼女は宣言し、しばらくして亡くなった。
比呂志と布川が会っているところへ、同じ224便の乗客・臼井光男が現われた。臼井は、同じ便にもう1人・角田朋恵という盲目の老女が 乗っていたことを告げ、彼女とは既に会ってきたと言う。朋恵は臼井に、「自分の人生は幸せだったが、1つだけ後悔していることがある」 と言った。それは、ずっと一緒にいた家族同然の盲導犬アンバーのことだった。
20年前、朋恵は年老いたアンバーを犬の老人ホームに預けた。だが、朋恵が病気で入院している間にアンバーが亡くなり、最後を看取って やれなかったことを悔やんでいるのだという。朋恵は「今なら生きているアンバーに会える」と考え、臼井と共に犬の老人ホームを訪れた。 そしてアンバーの最後を看取った朋恵は、「もう思い残すことは無い」と口にすると、臼井の目の前でスッと消滅したのだという。臼井は、 朋恵が元の時代に戻ったのではないかという推測を比呂志と布川に語った。
布川は靖代が幼稚園を辞めたと知り、園長の吉原園子に「お前が辞めさせたんだろう」と詰め寄る。園子は布川と2人きりになり、靖代の ことを語る。靖代は半年前、見知らぬ男にレイプされた。しばらくして妊娠が分かったが、靖代は出産を決めた。両親が大反対し、父は 階段から突き落として流産させようとしたという。その靖代の父に、布川は育てられたのだった。靖代は家を出て、1人で懸命に働いた。 しかしレイプ事件の噂が広まり、保護者から辞めさせろという声が高まった。それで靖代は自分から辞めたのだという。
比呂志は和美からデートに誘われた。和美は病気のせいで手が震えるのを堪え、バイオリンを弾いた。そして、「これが弾きおさめ。 明後日から入院する。死ぬんだよ、私」と口にした。帰ろうとした時に和美は倒れ込み、比呂志は彼女を病院に運んだ。和美の父・保は椿 に電話を掛け、医者から和美が余命3ヶ月と診断されたことを話した。その電話を聞いていたヒロは、激しいショックを受けた。旅館を 飛び出したヒロを見つけた比呂志は、自分の思い出を語り、「逃げずに和美姉ちゃんに会いに行け」と説得する。
海岸に足を向けた比呂志は、焼けて半分以上が失われた自分の搭乗券を発見した。そこへ布川が現われ、いきなり比呂志の胸をナイフで 刺した。だが、比呂志は何のダメージも受けなかった。布川は、自分達が既に死んでいるのだと口にする。比呂志は、飛行機が墜落した ことを思い出した。比呂志は保から、和美には手術を受ければ治る可能性があることを聞かされる。しかし治っても障害が残るため、和美 は手術を拒んでいた。比呂志は手術を受けるよう説得するが、和美は聞き入れようとしない…。

監督は塩田明彦、原作は梶尾真治、脚本は鈴木謙一&渡辺千穂&塩田明彦、プロデューサーは平野隆、共同プロデューサーは下田淳行& 久保田修、撮影は喜久村徳章、編集は菊池純一、録音は井家眞紀夫、照明は豊見山明長、美術は新田隆之、 VFXスーパーバイザー(プロデューサーは間違い)は浅野秀二、特殊メイクは織田尚、ヴァイオリン指導は菊池愛、 音楽プロデューサーは桑波田景信、音楽は千住明、主題歌『Sweet Mom』は柴咲コウ。
出演は伊藤英明、ミムラ、勝地涼、宮藤官九郎、吉行和子、愛川欽也、古手川祐子、中村勘三郎(十八代目)、倍賞千恵子、富岡涼、 臼田あさ美、坂口理恵、金聖響、ダンカン、諏訪太朗、二村幸則、佐々木千夏、矢吹春奈(現・阿部真里)、 三浦光弘、宮沢紗恵子、松本蘭、岡部麿知、鈴木順、豊田孝治、吉川元希、岩本悠介、神子結愛、森迫永依、渡辺友裕、大倉早紀子、 大倉万由子、武田璃斗、小川瑛楽、岸川魁成、左近香澄、武藤彩香、久保田早紀、田中璃也、平田将也、矢守貴、木下淳平、森奈美、 小西登志子、緒方泰司、上田ゆういち、望月章男、ビル・ダーリン、秋山悠介、松岡日菜ら。


梶尾真治の小説『クロノス・ジョウンターの伝説』の一編『鈴谷樹里の軌跡』をベースに、同書に収録された『吹原和彦の軌跡』と 『布川輝良の軌跡』の要素も取り込んで脚色した作品、ということらしい。
まあハッキリ言ってしまうと、原作にあった「時間旅行による悲恋の物語」というキーワードだけを拝借した原作とは何の関係も無い作品 ということだ。原作では大きな代償を伴う時間移動装置「クロノス・ジョウンター」が登場するが、この映画では出てこないし。
同じ梶尾真治の原作を基にした『黄泉がえり』がヒットしたので、塩田明彦監督が「こりゃイケるぜ」とウハウハ気分で調子に乗ったのか 、それとも「こりゃ稼げるぜ」というTBSの商売根性に乗っかったのかは分からない。
いずれにせよ、前述したように、ほぼオリジナル脚本に近いのだから、この映画は駄作だけれども、原作には何の罪も無い。
比呂志を伊藤英明、和美をミムラ、布川を勝地涼、臼井を宮藤官九郎、椿を吉行和子、保を愛川欽也、園子を古手川祐子、朋恵を 倍賞千恵子、ヒロを富岡涼、靖代を臼田あさ美が演じている。また、臼井が関わる花壇の持ち主として中村勘三郎、東日本交響楽団の 指揮者として金聖響が出演している。他に、バイオリン教室の生徒・葵役で森迫永依が少しだけ出ている。

時間移動装置というハッキリとした道具が無い中で、物語の入り口部分に、観客をタイムトラベルに引き込む力が足りないと感じる。
「こういう理由で過去に戻りました」ということを提示していないからといって、しかし「さりげなく自然に」というわけではなく、 あくまでも「仕掛け」を意識させて比呂志にリアクションをさせているのだが、それが弱い。
やるのなら、もっと大きくリアクションを取らせるべきだし、そうでないのなら、いっそメルヘンとして「あっさり受け入れる」という形にすればいい。

タイムスリップの理由が説明されていないのは、ある意味では不誠実だ。
だが、そんなことよりも、他におかしな点が幾つもある。
例えば比呂志の和美に関する回想シーンを入れるタイミングがおかしい。
和美と会った後、ヒロと彼女が話している様子を比呂志が見ているシーンで回想が入るのだが、そこに入れるぐらいなら、最初に和美と 会うシーンで入れた方がいい。

園子は、靖代がレイプされて妊娠したということや父親に突き落とされたことなどを、見知らぬ布川にベラベラと喋る。
口が軽すぎるだろ。
椿は最初からヒロにも比呂志にも冷たく当たるので、イヤな性格に見える。
で、そうなると、そんなイヤな相手にヒロは誕生日のケーキを焼こうとしたのかと、疑問が沸く。
そもそも、ヒロのぶっきらぼうな態度からは、とても誕生日にケーキを焼こうとするタイプに見えない。
キャラ設定をそうしてあるのなら、ケーキの場面は別の形に変えた方がいいんじゃないか。
あと、そんなイヤな祖母の元で、しかも1年しか暮らさなかったのに「懐かしき我が町」というモノローグはおかしくないか。
「懐かしき我が町」とは思えないだろ。

喫茶店でタイムトラベルに気付いた比呂志は「これは夢だ、目を閉じれば元に戻る」などと焦って念じるが、その後は「なぜ過去に 戻ったのか」とか「どうやったら元の世界に戻れるのか」ということを必死に考えるような素振りは一切見せない。
「他の乗客も同じなのか」と探し回ったりすることも無い。
そして、ごく当たり前のように旅館に泊まってノンビリする。
しかも、比呂志は椿に「お礼として泊まっていってください」と言われて成り行きで旅館に留まるわけではない。自分から雇って欲しいと 頼んでいるのだ。
なぜ自ら積極的に動いてまで、そこで雇ってもらおうとするのかが分からない。
そうなると、「この世界に留まりたい」と考えているように受け取れるのだが、すると「なぜ過去の世界に留まりたいのか」という別の疑問が生じる。

朋恵がアンバーと会う展開は、クドカンの芝居やBGMからすると感動させようとしているんだろうが、急にそこだけを見せられても感動は無理。
「臼井が朋恵と出会って一緒にアンバーの元へ行きました」というのを、彼が比呂志と布川に語る回想として描くのがそもそも間違い。
朋恵がアンバーへの思いを語ったり、実際にアンバーに会いに行ったり、思い残すことは無いと言って消えたりするのは、臼井で なく比呂志に体験させるべきでしょ。
そうすれば、感動できたかもしれない。

そこで臼井が「朋恵は思い残すことが無くなった後、元の世界に戻ったのではないか」という推論を述べても、比呂志が自分の後悔を解消 して元の世界に戻ろうと行動を開始するわけではない。
朋恵のエピソードが、比呂志に対して何の影響も与えていない。
そのエピソードが語られた段階で、そこにもっと意味を持たせるべきなんじゃないのか。
難しいのは、比呂志がヒロと和美に会い、「和美の死を受け入れられないヒロを導く」という仕事と、「和美に手術を受けさせる」という 仕事、両方を担うということだ。
ここは処理が上手く行っていないので、1つに絞った方が良かった。
どうせヒロを導く話は重視されていないようだから、こっちは適当に流す程度で済ませておいて良かったかも。

比呂志は自分が死んでいることを知った後、和美が手術を受ければ助かる可能性があることを聞かされる。
そのタイミングが遅すぎる。
和美が手術を受ければ助かることは、もう最初から知っている設定にした方がいいと思うんだよなあ。
そして、自分が死ぬと知る前から和美の説得を始める話にした方がいい。
死にたがる女と生かしたい男のドラマがメインなのに、そこに入るのが遅すぎるのね。

タイムスリップする対象を1人でなくグループにしたのは、「『黄泉がえり』のヒットよ、もう一度」の意識からだろうか。
しかし比呂志の話に気を取られたのか、一緒にタイムスリップした残り3人の話なんてテキトーな扱いになっているんだから、いっそ 削っちゃって比呂志だけがタイムスリップしたことにすればいい。
臼井と朋恵は何のために登場したのか良く分からないし、布川の話はどこにも幸福が無いし(母はレイプされて出産時に死亡、初めて 「母の子で良かった」と思った布川は既に死んでいる)。

あと、「人生で最大の後悔を解消したら成仏」ということになっているんだが、比呂志や布川はともかくとして、臼井のエピソードは酷いと思うぞ。
だって、人生で最大の後悔が、「近所で花を育てていたオジサンの花壇をメチャクチャにしてしまった」というのが彼の人生最大の後悔なんだぜ。
現在の臼井がまだ小学生や中学生ならともかく、それが人生で最大の後悔って、どういう人生なのかと。

クライマックスとしてコンサートを持って来たのも、『黄泉がえり』における柴咲コウのコンサートを意識してのことだろう。
だが、比呂志が東日本交響楽団のコンサートに和美に招き、いきなり壇上に上げて演奏させるというのは、展開として無理がある。
そもそも、「手術を受けさせる目的のために演奏させる」という比呂志の思考回路が解せない。
演奏後に和美は「もっと上手くなりたい。だからもっと生きたい」と口にするが、そんなの結果論でしょ。
最後に大舞台で演奏して、満足しちゃうかもしれないじゃん。
どういう考えで比呂志が彼女を舞台に上げたのか、サッパリ分からん。
あとさ、手術して「もっと生きる」ことを選んでも、障害が残るから「もっと上手くなる」のは難しいと思うぞ。
しかも、そこで和美は指揮者とアイコンタクトを取ってから演奏を始めるのだが、その描写だと、重要なバイオリン演奏が和美と指揮者の 関係によって作られるシーンとなってしまう。
そこは、比呂志と和美の関係によって構築されるべきだろうに。
結果として、それはミムラと金聖響を私生活で結び付けるためのシーンでしかなくなっている。

ラスト、比呂志が和美の元を去るというシーンが無いまま、2006年の1月6日に墜落事故で乗客が死んだというニュース映像のシーン、 つまり現在に移るのは最悪。
2人の別れのシーンをファンタジックに描かないと、話が締まらないだろうに。
しかも、最後は障害を抱えて年老いた和美が1人で暮らしている様子なんて映すし。
そんなシビアな現実、要らないよ。

(観賞日:2007年4月9日)


第2回(2005年度)蛇いちご賞

・作品賞

 

*ポンコツ映画愛護協会