『恋妻家宮本』:2017、日本
50歳の宮本陽平は、子供の頃からファミレスが苦手だ。選択肢が多すぎて、どれが正解なのか全く分からない。妻の美代子とデニーズへ出掛けた時も、彼女はすぐに注文を決めたのに、陽平は長々と迷い続けてしまう。美代子が店員を呼んだので、陽平は慌ててハンバーグにする。ソースの種類やコーヒーのタイミングを問われた彼は迷ってしまい、妻の勧めに従った。2人は大学時代にファミレスの合コンで知り合ったが、陽平にとって美代子は第一希望では無かった。友人2人が先に他の女性を選び、美代子を押し付けられたのだ。
優柔不断な陽平は流されるままに交際を始めたが、美代子から妊娠を打ち明けられた。大学院へ行くつもりだった陽平が困惑していると、美代子は「やっぱ産めないよね。私も教員試験あるし」と言い、自ら中絶することを切り出した。陽平は少し考えてから、「結婚しないか、俺たち。就職して教師になる。美代子の代わりに。俺も教師になろうと考えてたし」と語る。愛より責任の方が重かったが、大した心の準備も無いまま彼は美代子と結婚した。27年前に生まれた息子の名前を決める時も、さんざん迷って正になった。
陽平と美代子が正から恋人の優美と結婚することを打ち明けられたのも、いつものファミレスだった。正は被災地の取材がしたいという考えを持っており、福島の新聞社に就職した。陽平と美代子は結婚して以来、初めて2人きりになった。その1年前から、陽平は料理教室に通い始めていた。自分でも意外なほどハマってしまい、彼は美代子に促されて酒のつまみを作る。「なんか楽しそうだなあって思って」と美代子から言われた陽平は「そうか?」と軽く返すが、彼女の寂しげな表情には全く気付かなかった。
ワインで酔っ払った美代子は、これからは「お父さん、お母さん」じゃなくて名前で呼び合おうと提案した。陽平が困惑していると、彼女は上着を脱いで体を近付けた。陽平はキスを迫られて焦るが、美代子はそのままソファーで眠り込んでしまった。寝室の書棚を眺めた陽平は、付き合った当初に美代子に勧めた『暗夜行路』を手に取った。本を開いた彼は、美代子の署名入りの離婚届が挟んであるのを発見した。ショックを受けた陽平だが、美代子から溜まった不満をぶつけられることを危惧し、質問することが出来なかった。
翌朝になっても陽平は離婚届のことを言い出せず、勤務している横浜市立東ヶ丘中学へ赴いた。授業の最中も、陽平の脳内は離婚届のことで一杯だった。明日から家庭訪問だと陽平が告げると、ドンの愛称を持つ生徒の井上克也は冗談めかして「父親が海外赴任で、母親が交通事故で入院しちゃった場合はどうすればいいですか。ちなみに事故った時、若い男と一緒だったっていう噂なんですけど」と話した。それは事実であり、自虐ネタにクラスメイトは笑った。
授業の後、陽平は生徒の菊池原明美から「呑気なだけじゃなくて冷たいよね」と指摘される。意味の分からない陽平に、彼女は「ドンのこと、このままほったらかしにしていいの?」と告げる。克也の母である尚美が不倫相手とドライブ中に事故で怪我をしてから、2週間が経過していた。陽平が「デリケートな問題だから、家庭訪問でじっくり話そうと思っていた」と釈明すると、明美は「それが呑気だって言ってるの」と批判した。
明美は陽平に、「あいつが自虐ネタにして陰口言われないようにしてんのぐらい分かるでしょ。それに、あそこのお婆ちゃんが最悪で嫁の悪口ばかり言ってるんだから」と語る。それでも陽平が誤魔化して逃げるような態度を取ると、彼女は「先生に絶望してる」と言い放って立ち去った。陽平が克也の家を訪れると、祖母の礼子が厳格な態度で出迎えた。克也から話し掛けられた陽平が笑顔で応じていると、礼子は「学業のことを聞いているんです」と厳しい口調で注意する。さらに礼子は尚美を甘い母親だと非難し、「これからは私が子供たちの面倒を見る」と告げた。
料理教室へ出向いた陽平は、献立を作ってモヤモヤした気持ちを発散する。同じグループの五十嵐真珠は身も蓋も無いことを平気で言う女性で、門倉すみれは30歳直前に結婚が決まって浮かれている。真珠が真剣に離婚を考えていると聞き、陽平は2人に離婚届のことを打ち明けて相談する。真珠は妻の不倫だと断言し、陽平は激しく動揺した。帰宅した陽平は、相変わらず美代子のことを「お母さん」と呼ぶ。彼女が風呂へ行った隙に携帯を調べた陽平だが、メールは全て息子宛てだった。
翌日、陽平は黒板に高村光太郎の「道程」を書き、クラスメイトに指名された克也は朗読を始める。しかし彼は意識を失って倒れ、保健室へ運ばれた。陽平は明美の情報で、克也が昨日から何も食べていないと知る。陽平に事情を問われた克也は、礼子の言動に腹を立てて食事を拒否したのだと答えた。克也が事故の後から尚美に一度も会っていないと聞き、陽平は驚いた。明美に「どうにかしてよ、担任でしょ」と言われた陽平は、「自分で料理作れよ。簡単なレシピを教える」と克也に告げる。彼は放課後に家庭科教室へ来るよう促すが、克也は現れなかった。
料理教室へ出向いた陽平は、真珠から夫への不満を聞かされる。すみれは2人に、不安になって恋人の携帯を見たこと、元カノと連絡を取っていたこと、問い詰めると開き直られたことを明かした。帰宅した陽平は離婚届について問い詰める練習をしてみるが、やはり臆病な気持ちが消えない。そこへ美代子が現れ、料理教室について「楽しそうだなあと思って。男っていいよね。年取ってもナイトミドルとか言われて若い子とイチャイチャできるから」と愚痴った。
陽平は「見ちゃったんだよ、離婚届」と切り出すが、パックを剥がした美代子に無言で見据えられると「料理教室で一緒の奥さんが、旦那さんに愛想尽きちゃったみたいでさ。区役所行って、貰ってきたみたいでさ」と慌てて誤魔化した。美代子は正の所へ行ってもいいかと尋ね、「優美さんが風邪をこじらして食事とか色々と困ってるみたいだから」と説明する。陽平は彼女の気持ちに全く気付かず、軽い調子で承諾した。
次の日、陽平は克也から「お婆ちゃんの寝ている間に、貰ったレシピの卵かけご飯を妹のエミに作ってやったら喜んだ」と聞かされ、満足そうな表情を浮かべる。しかし彼は明美に、「問題を先送りにしてるだけだから。ホントは教師に向いてないかも」と指摘される。確かに教師には向いていないと思った陽平は、「美代子に妊娠を打ち明けられた時、別の道を選んでいたら」と想像した。帰宅した彼は、離婚届が無くなっているのに気付いて動揺した。そこへ正から電話が入り、「お母さんと喧嘩でもした?」と質問される。美代子が急に来て、「しばらく福島にでもいようかな」と言っていると彼は話す。
優美の風邪は大したことが無く、大丈夫だと正は美代子にメールを送っていた。陽平が「お母さんが、お父さんに不満があるとか聞いてないか」と尋ねると、正は料理教室に通い始めてから母の元気が少し無くなったと述べた。陽平が料理教室へ行くと、すみれは婚約を解消したので辞めると告げる。「夢を持つの、やめたんです。お2人を見ても、あんまり幸せそうじゃないし」と言い、教室を後にした。陽平は真珠に誘われて飲みに出掛け、夫の不満はセックスではないかと聞かされる。それを確かめたいのだと真珠は言い、陽平をラブホテルに誘う。そこへ真珠の夫である幸次が倒れたという連絡が入り、2人は病院へ駆け付けた。幸次は風呂場で脱水症状になっただけで、真珠は彼に文句を浴びせる。2人が口論する様子を見た陽平は、「俺もあんな風に言い合いした方がいいのかなあ」と考えた。
病院を去ろうとした洋平は、尚美の病室を覗き込む克也を目撃した。「声、掛けてみたらどうだ」と陽平は促すが、克也は「やっぱ無理」と言う。克也が「先生は自分のこと好き?俺は全然好きじゃない。みんなに嫌われたくないからバカやって。こういうのって偽善者って言うんじゃないかな」と語ると、「それは違うよ」と陽平は否定する。しかし「何がどう違うの?」と問われると何も答えが思い付かず、「少なくとも、いつものドンが好きだぞ」と言うだけだった。
陽平が帰宅すると、美代子が福島から戻っていた。離婚届のことを陽平が切り出すと、美代子は「今は言いたくない。簡単に説明できないから。不満は無いけど不安はあるの」と口にする。「少しはこっちの気持ちも考えたら」と言われた陽平は、「お前は昔からそうだよ。何でも自分のペースで決めてさ。そのせいで俺がどれだけ我慢してきたか分かってんのかよ」と声を荒らげた。美代子から「貴方ってさ、自分は優しいと昔から思ってるわよね。自分に酔ってるわよね。ホントは結婚に向いてないよね」と反論された陽平はカッとなり、「好きにすりゃいいだろ」と離婚届に署名した。美代子は離婚届を受け取り、憤慨した様子で再び福島へ向かった。
次の日、克也がカップ麺ばかり食べていると聞いた陽平は、妹を連れてファミレスへ来るよう持ち掛ける。偶然を装って、自分が御馳走するという作戦だ。その夜、彼は克也とエミに夕食を御馳走し、「お母さんに弁当を作ってあげないか」と提案する。克也は考え込むが、「お前は今までさんざんどうしたらいいか考えて来た。必死で何かを語ろうとしてきた。後は、行動するしかないんじゃないか」という陽平の言葉で弁当作りを承諾した…。脚本・監督は遊川和彦、原作は重松清『ファミレス』上下(角川文庫刊)、製作は中村理一郎&市川南、共同製作は高橋誠&茂田遥子&大川ナオ&堀内大示&市村友一&吉川英作&荒波修、プロデューサーは福山亮一&三木和史、共同プロデューサーは上田太地、撮影は浜田毅、照明は高屋齋、録音は南徳昭、美術は金勝浩一、編集は村上雅樹、衣裳は片柳利依子、音楽は平井真美子。
劇中歌『今日までそして明日から』作詞・作曲・歌:吉田拓郎。
出演は阿部寛、天海祐希、菅野美穂、相武紗季、富司純子、奥貫薫、佐藤二朗、工藤阿須加、早見あかり、入江甚儀、佐津川愛美、渡辺真起子、関戸将、浦上晟周、紺野彩夏、豊嶋花、柳ゆり菜、都丸紗也華、星名美津紀、五十嵐健人、松島庄汰、石井杏子、三上紗弥、合田篤慶、山元拓海、向里憂香、山田瑛瑠、小林喜日、細野涼聖、西村文江、吉村啓史ら。
『女王の教室』や『家政婦のミタ』など、数多くのTVドラマで脚本を手掛けてきた遊川和彦が初監督を務めた映画。
脚本も兼任しているが、主戦場はテレビなので、映画は2000年の『ekiden [駅伝]』以来となる。
陽平を阿部寛、美代子を天海祐希、真珠を菅野美穂、すみれを相武紗季、礼子を富司純子、尚美を奥貫薫、幸次を佐藤二朗、大学生の陽平を工藤阿須加、大学生の美代子を早見あかり、正を入江甚儀、優美を佐津川愛美、陽平の母を渡辺真起子、陽平の父を関戸将志が演じている。ちょっと意外だったのは、脚本家である遊川和彦が初監督作品でオリジナルのシナリオを執筆せず、重松清の小説『ファミレス』を原作に使ったこと。
TVドラマでも、彼は漫画や小説の映像化ではなくオリジナル作品にこだわっているように思えたのでね。
ただ、どうやら本人が主導したわけじゃなくて、持ち込まれた企画だったようだ。
ってことは、最初は脚本だけを担当する予定で、それが途中で監督も兼任する流れになったのかな。映画が始まると、いきなりファミレスが写し出され、店員役の柳ゆり菜が「いらっしゃいませ。デニーズへようこそ」と挨拶する。ただ店名を言うだけでなく、実在する「デニーズ」という店名をハッキリと口にする。
いわゆるプロダクト・プレイスメントである。
この映画は原作が『ファミレス』というタイトルだけあって、ファミレスが何度も登場する。
なのでデニーズとしては、美味しい宣伝になるという考えだったのだろう。序盤から色々と引っ掛かることの多い映画である。
まず、ファミレスで注文に迷っている陽平がモノローグを語った後、幼少期のシーンが挿入されるが、これは全く意味が無い。
「子供の頃から迷っていた」というモノローグだけで充分だ。両親からハンバーグを勧められた出来事を描き、そこから「現在のシーンでも咄嗟にハンバーグを注文する」というトコに繋げるという意味はある。
だが、もたらす効果としては、特に何も感じない。その後、大学時代の合コンで陽平が美代子と知り合った時の出来事が挿入されるが、これまた全く意味の無い回想シーンになっている。
その後も「これまでの夫婦の軌跡」とか「陽平の人生」を何度も挟んで、現在のシーンと絡ませる構成なら別にいいのよ。でも、そうじゃないからね。
あと、その合コンのシーン、「男友達2人が他の女性たちを先に選び、陽平は余った美代子を押し付けられた」という形になっているが、それは無理があるだろ。
だって若い頃の美代子を演じているのは、早見あかりなんだぜ。他の合コンメンバーは都丸紗也華と星名美津紀だけど、早見あかりが余るってのは変だろ。
そもそも、そのシーンで自己紹介を描いているのは早見あかりだけだし、明らかに彼女だけを光らせているわけで。それなのに、男友達2人が他の2人を選ぶって、見せ方として変だわ。合コンのシーンの直後、陽平が妊娠を打ち明けられて結婚を申し込む出来事が描かれる。ここでは「早い内に病院行った方がいいし、お金は半分出してくれる?」と美代子に中絶を切り出された陽平が「うん」と承諾した後、少し迷ってからプロポーズする様子が描かれる。
後から「愛より責任の方が重かった」「大した心の準備もなく結婚した」ってことが示されるが、そこは手順が逆だ。求婚の言葉を口にする段階で、「愛より責任」「ホントは結婚に前向きじゃない」ってことを明示しておいた方がいい。
そうじゃないと、わずかな時間ではあるが、「態度がオドオドしているものの、陽平が明確な意志で結婚を申し込む」という決意のシーンに思えてしまう。
優柔不断な陽平の性格を終盤まで徹底してアピールするべき話なので、それは望ましくない。正が結婚を言い出した後、「被災地の取材がしたいという気持ちから、福島の新聞社に就職した」ってことが語られる。
この設定、全く要らないでしょ。
そこで欲しいのは「息子が予想より遥かに早く家を出て行った」という情報だけだ。中途半端に、雑な形で東日本大震災の要素を持ち込むのって、すんげえ疎ましいわ。
これと同じ阿部寛が主演した『疾風ロンド』でも雑な形で東日本大震災を持ち込んでいたけど、そういうのって邪魔でしかないのよ。
なんでもかんでも震災を持ち込めば、誠実な態度だなんて思うなよ。っていうかさ、息子が誕生して名前を付けるシーンの後、すぐに「成長した正が結婚して家を出た」という手順に移るのって、構成としてはマズいよね。
それだと、「結婚した直後からずっと3人で暮らしていたのに、夫婦が50歳で初めて2人きりになった」という印象を全く受けないのよ。
何しろ、「3人で生活していた時期」「自宅に3人がいる風景」ってのが、全く描かれていないからね。
そうなると、「かすがいの役目を果たしていた息子がいなくなり、夫婦が妙に気まずくなった」ということが伝わらないのよ。陽平が美代子に促されて料理を作るシーンでは、彼がコンビーフの缶詰を取り出しながら「これを使いましょう」と口にしたり、調理をしながら行程を解説したりする。
そこだけは彼がカメラ目線になり、料理番組っぽいノリで演出されている。
これがTVの連続ドラマで、「毎回、陽平が料理を作るシーンでは彼が解説する」というパターンを作っているのなら、その仕掛けは一向に構わない。
しかし、映画の中で、そのシーンだけ「グルメ要素を持ち込んだTVドラマ」みたいなノリをやるのは、明らかに邪魔。その料理シーンだけでなく、他にも様々な趣向を凝らしている。
例えば陽平が離婚届を見つけてショックを受けると、画面に再生ボタンが表示される。その後には「陽平か美代子に詰め寄って怒りをぶつけられる」という妄想シーンが描かれ、陽平のモノローグで停止ボタンが出る。
でも、初めての監督で色んな仕掛けを持ち込みたかったのかもしれないが、明らかに散らかっている。
また、克也と明美が登場すると名前がスーパーインポーズで表示され、「ドン」「メイミー」というニックネームも紹介される。
だけど、そういうのって全く要らない情報だ。
様々な趣向を凝らしているが、欲張り過ぎちゃったなあ、上手く消化できていないなあという印象だ。陽平は美代子が上着を脱いで体を近付けると、困惑して離れようとする。キスを迫られると、「覚悟を決めなきゃいけないのか」と消極的な心情を吐露している。
だけど、それって違和感が強いんだよね。
だってさ、相手は天海祐希なのよ。そりゃあ「天海祐希はタイプじゃない」って人もいるだろうけど、陽平にとっての美代子は「結婚相手」であって。つまり自分のタイプと結婚して年を重ねている状態であり、そんな中で天海祐希は「現役感」が強いのよね。ちっとも「老けてしまった」という感じが無いのよ。
そりゃあ、「早見あかりとは似ても似つかない」という問題はあるけど、そこは置いておくとしてさ。
これは阿部寛にも言えることで、夫婦が揃って「すっかり年を取って、もう余生や老後に入ってしまった」という印象を受けないのよね。映画開始から20分ほど経過して、陽平が中学校で授業をしているシーンが描かれる。
回想シーンで「教師になる」と言っていたので、彼が教師として勤務している設定なのは別にいい。問題は、「そこの比重が無駄にデカすぎる」ってことだ。
この映画で重要なのは、タイトルからしても明らかに「陽平と美代子の夫婦関係」のはずだ。
ところが中学校のシーンが描かれると、それに伴って「克也の家庭問題」という要素が浮上する。ここの扱いが、かなり大きくなっている。
しかし、それは「陽平と美代子の夫婦関係」を描く上で、全く関係の無いエピソードなのだ。生徒の問題を大きく扱うと、それに伴って「陽平の教師としての資質」を描く必要に迫られる。しかし、この映画が描くべきは、「陽平の夫としての資質」のはずだ。
別の方面から陽平を掘り下げようとして、それでドラマやキャラに厚みが出るのなら、それは歓迎すべきことだろう。
しかし実際のところ、陽平の夫婦関係だけで精一杯になっている。
「陽平が教師として成長し、それに伴って夫としても一歩踏み出す」という形で連携させようとしているのは良く分かるが、それが成功しているとは言い難い。終盤に入ると、克也が母親に弁当を作るのを陽平が教えていると礼子が早く帰宅し、厳しい口調で叱責するという展開がある。
ここで陽平は、「貴方の言っていること正しいが優しくない。正しいことは大切だが、優しいことをする方が、もっと大切ではないか」ってなことを話す。
このシーン、観客を感動させたいのは良く分かる。だけど、その言葉を聞いていた克也とエミが無言のまま礼子の手を握り、3人が分かり合えたという描写にしているのは、あまりにも陳腐で受け付けない。
しかも困ったことに、「そのメッセージは観客に向けて発信しています」ってのも、不恰好に強調されちゃってんのよね。料理教室のシーンは、真珠&すみれを使って「夫婦とは何ぞや」ってのを描いたり、2人との会話で陽平が不安を抱いたり動揺したりという様子を見せたりするので、「陽平と美代子の夫婦関係」を描くことにも繋がっている。
しかし、そのシーンさえ、上手く融合させて使いこなすことが出来ていないという印象を受ける。
ザックリ言うと、「連続ドラマだったら良かったのにね」という印象になるのだ。
1話ごとに料理教室のシーンを入れて、そこで構成の中の区切りを付けるとか、チェンジ・オブ・ペースにするとか、そういう役割にしてあれば、もっと上手く使えたんじゃないかと。そこに限らず、全てにおいて「TVドラマだったら良かったのにね」と感じてしまうのよね。良くも悪くも、TVドラマ的なのだ。
前述したように、遊川和彦の主戦場はTVドラマなので、どうしても映画的なシナリオや演出にならなかったのかもしれない。
彼は積極的に現場へ顔を出して色々と口を出すタイプの脚本家だが、つまり良く見ているのはTVドラマの現場だから、そっち方面の演出センスが出てしまったのかもしれない。
あと、何となく遊川和彦じゃなくて、TVドラマ『アットホーム・ダッド』や『結婚できない男』を手掛けた尾崎将也の脚本っぽく思えちゃったんだよね。(観賞日:2018年8月10日)