『恋に唄えば♪』:2002、日本

デパート店員のユミには、サトルという恋人がいた。誕生日にデートをしたユミは、プレゼントを持参していた。幸せの絶頂にあったユミだが、思い詰めた様子のサトルから「俺と別れて欲しいんだ」と言われて奈落の底に突き落とされた。仕事中もサトルのことばかり考えて上の空だったユミは課長に叱責され、催事場を手伝うよう指示された。催事場では大アラビア展の準備が進められており、会場には「願いをかなえる壺」という説明書きの付いた大きな壺が置いてあった。
ユミはアラビアの衣装に身を包んだサトルを目撃し、駆け寄って抱き付く。しかし現実に戻ると、それは課長だった。課長を突き放したユミは柱を倒してしまい、壺が台から落ちてしまった。間一髪でキャッチしたユミだが、催事場担当者に怒られたので壺を抱えたまま逃亡する。屋上の遊園地で休憩した彼女は、壺を撫でながら「願いを叶えてよ」とこぼした。すると煙と共に、壺からアラビア衣装の中年男が飛び出した。それは魔法使いの壺男だった。
壺男に「貴方が呼び出したんでしょ?」と訊かれたユミだが、怪しい日本人のオッサンにしか見えなかったので無関係を装う。しかし壺男は彼女に付きまとい、「願いを言ってくれないと困るんだよ」と言う。そこでユミは適当にあしらおうと、塩ラーメンを出すよう要求した。しかし壺男が本当に塩ラーメンを出現させるような雰囲気を感じ取り、慌てて願い事を変更することにした。彼女が「別れた彼を取り戻したい」と言うと、壺男は「お安い御用」と自信満々に告げた。
壺男が「まずは彼氏に会いに行こう」と言うので、ユミは彼と電車に乗った。サトルの屋敷へ赴いたユミだが、いざとなると腰が引けた。構わずに壺男はインターホンを鳴らすが、応対に出て来た家政婦はサトルがオーストラリアへ旅立ったことを話す。「まるで逃げるように慌ただしく出て行った」という言葉を聞いたユミは、居酒屋でヤケ酒を煽った。壺男がサトルと会うためにオーストラリアへ行くことを促しても、ユミは「あんな奴は嫌い」と拒絶した。
壺男は泥酔して眠り込んだユミを背負い、家まで送り届けることにした。すると目の前に野良犬が現れ、「また惚れてるんじゃないだろうなあ」と壺男に告げた。野良犬は長者の姿に変身し、「その子の願い、叶えられるのか?人の気持ちを魔法で変えるのが禁じられているのは知ってるだろ」と言う。彼は「一緒にいたいだけだろ」と指摘し、「願いを叶えられなかったら、それも掟破りだぞ。責任持てんぞ」と忠告して立ち去った。
自宅のベッドで目を覚ましたユミがテレビを見ると、壺男がテレビのクイズ番組の司会者として登場した。優勝の商品はオーストラリア7泊8日の旅行だ。ユミは「どこかで見た顔だ」と思うが、誰なのかは思い出せない。壺男はユミに電話を掛け、クイズを出題した。ユミは間違った答えを言うが、壺男は正解にした。壺男が飛行機代やホテル代は自腹だと説明したので、ユミは呆れて電話を切った。しかしサトルのことが気になる彼女は、オーストラリアへ行くことに決めた。
次の日、壺男は空港までユミに同行し、そのまま一緒にオーストラリアへ行こうとする。しかしユミは「あいつのこと、一発張り倒してくるよ。そしたらスッキリするかも」と告げ、壺男に別れを告げた。壺男は荷物に紛れ、機内に潜入した。飛行機はブリスベンに到着し、ユミはメルボルン行きの飛行機が来るまでに昼食を取ることにした。彼女が街へ出ると、壺男も付いて来た。2人はオープンカフェで食事を取り、ユミが席を外している間に壺男は手品師と出会った。相手が魔法使いだと誤解した壺男は、対抗して自分も魔法を披露した。だが、その手品師は泥棒で、ユミの財布を盗んで姿を消した。
ユミは残り少ない所持金を出し、壺男の持っていた宝石も使って、モーテルに宿泊した。「すぐにサトルを連れて来る」という願いを壺男が叶えられないので、ユミは腹を立てて彼を部屋から追い出した。そのサトルは、仕事中に倒れた幼馴染のエリコの病室を訪れていた。エリコの父親は、サトルが来たことを娘以上に喜んだ。彼はサトルに、エリコが余命3週間であることを明かした。エリコの父親は「あの子が生きてる間に式だけでも挙げさせてくれんか」と頼み、主治医の山田もお願いした。
翌日、ユミと壺男はヒッチハイクでメボルンへ行こうとするが、なかなか車が捕まらない。ドライブインに停まったオープンカーを目撃した壺男は、乗っていた2人が目を離した隙に盗み出した。そしてユミには魔法で出したように見せ掛け、彼女を乗せた。しかし壺男がメルボルンではなくエアーズ・ロックへ向かったので、ユミは腹を立てて彼を降ろした。一度は走り去ったユミだが、結局は戻って来て壺男を車に乗せた。
博物館を見つけた壺男は、中に入った。ユミが後を追うと、博物館には『アラビアン・ナイト』の絵が飾ってあった。壺男はユミに、そこに描かれている魔法使いが若かりし頃の自分だと話す。どういう物語なのかとユミが尋ねると、壺男は「魔法使いがお姫様に恋をして魔法を掛けようとしたが、長老に見つかってしまった。人間に恋するのは御法度だったので、魔法使いは壺の精にされた」と説明した。するとユミは、「サトルに会ったら、自分の素直な気持ちを伝えてみる。魔法は要らない」と言う。願いが叶うと壺男の存在を忘れてしまうことを聞かされたユミは、「忘れたくない」と寂しそうに漏らした。
サトルのいるホテルに辿り着いたユミだが、いざとなると腰が引けてしまった。サトルがタクシーに乗ったので、ユミと壺男は車で後を追った。オープンカーの持ち主である強盗2人組はパトカーに追跡されていたが、ユミたちの姿を目撃した。ユミたちは強盗に追われ、必死に逃げる。壺男は息の臭い怪獣を壺から出現させ、強盗を撃退した。ユミたちはサトルのタクシーに追い付くが、タイヤがパンクしてしまった。ユミは走って追い掛けようとするが、タクシーは走り去ってしまった。
壺男は怪獣に押し潰され、腰を負傷した。壺男が運び込まれた病院で、ユミはサトルの姿を目にした。彼女が後を追うと、サトルはエリコの病室へ入って行った。ユミに気付いたサトルは、彼女を病院の庭に連れ出した。彼はユミに、エリコが幼馴染で親が決めた許嫁であること、余命わずかな彼女を見捨てることが出来なかったことを打ち明けた。エリコの容体が悪化したため、サトルは急いで病室へ戻った。その様子を見ていたユミは、壺男に叶えてもらう願いを変更し、エリコを助けてほしいと頼む…。

監督は金子修介、脚本は中村義洋&鈴木謙一、製作は江川信也&坂上順&遠谷信幸&川上國雄&平井文宏、エグゼクティブ・プロデューサーは大川裕&遠藤茂行&青木真樹&永江信昭&奥田誠治、プロデューサー・原案は一瀬隆重、コー・プロデューサーは和田倉和利、撮影監督は渡部眞、照明は和田雄二、美術は清水剛、衣裳デザインは伊藤佐智子、録音は武進、編集は阿部亙英、振付はLisa Ffrench&黒須洋壬、音楽プロデューサーは石川光、音楽は朝川朋之、ミュージカル監督はAndrew Lancasterアンドリュー・ランカスター。
出演は優香、竹中直人、古田新太、玉山鉄二、篠原ともえ、梅宮万紗子、田口浩正、石田太郎、片桐はいり、石野真子、中山忍、田山涼成、津田寛治、徳井優、服部和歌子、竹森勝正、David Gedicke、Tony Setera、Rusell Allan、Siros Niaros、John Flaus、Roy Edmonds、Kent Clifton-Bligh、Elke Barzak、菅野莉央、村上和、柴田かよこ他。


『クロスファイア』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総進撃』の金子修介が監督を務めたミュージカル映画。
『リング』シリーズや『仄暗い水の底から』などでJホラーのブームを生み出した一瀬隆重が、プロデューサーと原案を務めている。
脚本は『仄暗い水の底から』『Last Scene』の中村義洋&鈴木謙一。
ユミを優香、壺男を竹中直人、長老を古田新太、サトルを玉山鉄二、花屋の店員の花子を篠原ともえ、エリコを梅宮万紗子、山田を田口浩正、エリコの父を石田太郎が演じている。

優香はこれが映画初出演にして初主演なのだが、明らかに力不足。映画を背負うヒロインとしての演技力が足りない上に、歌や踊りも上手くないわけで、なぜ彼女を起用したのか理解に苦しむ。
しかも、女優を可愛く撮ることには定評のある(っていうか大半の興味がそこにしかない)金子修介監督が、今回は優香を魅力的にアピールできていない。
その理由は映画を見れば明らかで、金子修介は優香よりも梅宮万紗子に強い関心を抱いたのだ。本作品で魅力的に見えるのは、完全に優香よりも梅宮万紗子だ。
そういうことに関しては、金子修介は良くも悪くも、とても分かりやすい人である。

しかし演技力も歌唱力もダンスの能力も低い優香より、さらに厄介な出演者が存在する。それは竹中直人だ。
この人はハイテンションな役柄を得意としており、アドリブを多用したがる俳優だ。その持ち味は、上手く扱えば存在感の強い脇役として魅力を放つが、扱いが簡単ではない。
言ってみれば、劇薬のような俳優なのだ。
金子修介も当初は彼の起用に悩んだらしいが、やはり使うべきではなかった。

竹中直人のクセがありすぎる芝居は、この映画も、壺男というキャラクターも、全てをぶち壊している。
彼が自由奔放に暴れ回ると、その部分は完全に「竹中直人のショーケース」になってしまう。
これは断言できるが、仮に演技力の高い人がヒロインを演じ、ミュージカル・シーンの質が高く作られていたとしても、それらを全て台無しにするほどの破壊力を竹中直人は発揮している。
つまり竹中直人を起用し、アドリブ芝居を容認した時点で、何をやっても失敗に終わることは決定事項だったのだ。

大アラビア展で大きな壺が1つだけポツンと展示されているのは、かなり不自然だ。
おまけに、「願いをかなえる壺」という説明書きがデカデカと出ているのだが、すんげえ安っぽいし、うさん臭い。デカい壺なのに、すんげえ軽そうだし。
この映画、そこに限らず、全体を通して安っぽさに満ち溢れている。
これが意図的に安っぽさを演出しているならともかく、そういうわけでもなさそうなんだよな。
っていうか、仮に意図的だったとしても間違いであり、もっとキッチリと舞台装置を作り込むべきだった。

ユミが願いをかなえる壺を抱えたまま催事場から逃げ出すのは、かなり不自然な行動だ。
しかも、大事な展示物を持ったまま逃げたのに、誰も追い掛けて来ない。そこで追い掛けて来ないどころか、その後もユミは壺を持ったままで行動している。
ってことは大アラビア展の重要な展示物が無くなっているわけで、それなのにデパート関係者が彼女を放置しているのは不自然でしょ。
「ユミが壺を手に入れる」という手順なんて、他に幾らでも方法はあるわけで、そんな不自然さの多い方法を選ぶ意味は何なのかと。

壺男がユミに惚れるという要素は、全く要らない。っていうか邪魔なだけ。
そのせいでサトルになかなか会わせないとか、ずっと壺男がユミと一緒にいようとするとか、どうでもいいわ。
これが例えば、「ユミはサトルを追い掛けていたけど、だんだん壺男に惹かれるようになっていく」という恋愛劇が用意されているなら、それでもいいのよ。だけど、そうじゃないんだから。
最終的にユミとサトルがヨリを戻してハッピーエンドになるんだから、壺男の横恋慕という要素は余計なだけだ。それが物語を面白くするために機能しているわけでもないんだから。

ユミと壺男はオーストラリアに飛んでも、なかなかサトルの元まで辿り着けない。
そこまでの道中をロードロービー的に描いているんだけど、これっぽっちも楽しくない。余計な道草を食って、ダラダラと時間を浪費しているだけにしか感じない。
強盗とのカーチェイスも、物語を盛り上げるためには機能しておらず、ただ散らかしているだけにしか感じない。
博物館で語られる壺男の若かりし頃の物語も、急に登場する怪獣も、色んな物が適当に散乱しているだけで収拾が付かなくなっている。

オープニング・クレジットを伴奏音楽だけにせず、いきなり歌と踊りから入った方が観客をミュージカル映画に巻き込む力があったんじゃないかとは思うが、そこは小さな傷に過ぎない。なるべく早い内にミュージカル・シーンを用意すれば、そのマイナスは簡単にリカバリーできる。
ところが、この映画、なかなか最初のミュージカル・シーンが訪れない。
そのチャンスは幾らでもあって、例えばユミがサトルとデートする登場シーンでもいいし、壺男が飛び出すシーンでもいいだろう。
しかし、様々なシーンを全て普通のコメディーとしてスルーし、歌ったり踊ったりする気配を全く感じさせずに話が進んでいく。

結局、最初のミュージカル・シーンが入るのは、始まってから30分ほど経過してからのこと。
しかも、それは財布を盗まれたユミと壺男がカフェで皿洗いの仕事をする羽目になり、ユミが「もうサトルさんに会えない気がする」と嘆いていると、壺男が「大丈夫、大丈夫、お金なんかなくっても」と歌い出すという形だ。
1つ目のミュージカル・シーンが遅いだけでなく、そのタイミングも明らかに間違っている。
タイトルが「恋に唄えば」なのに、なんで1曲目が恋の歌じゃなくて金の歌なんだよ。
1つ目のミュージカル・シーンを担当するのが竹中直人&バックダンサーで優香が参加しないってのも間違ってるし。

さらにダメなのは、そのミュージカル・シーンに何の高揚感も無いってことだ。
悲劇的な物語をミュージカルにするケースもあるが、この映画は明らかに「古き良きMGM映画」のノリを意識した作品であり、だからミュージカル・シーンは観客の気持ちを高める効果を持っているべきだ。しかし実際には、まるでワクワクしない。
そもそも、急に「お金なんか無くても大丈夫」と言われても、それは物語の流れに全くフィットしていない。その歌を入れるために、後から話を合わせに行っているという印象を受ける。
そのメロディーが後にも使われているぐらいだから、よっぽど重視していたんだろうけど、まるで魅力を感じないミュージカル・シーンである。

せめて壺男だけでなくユミも参加させるべきだろうに、彼女は傍観しているだけ。その場にいるにも関わらず、傍観しているだけなのだ。
そこは例えば、「お金なんて無くても大丈夫という楽観的な壺男に呆れていたけど、一緒に歌い踊っている間に、まあいいかという気分になる」という風に、ユミの心情変化に利用すればいいだろうに。
そころが実際には、壺男のパフォーマンスが終わると、ずっと傍観していただけのユミが「で、今日はお金無くて、どこに泊まればいいの?」と冷淡に問い掛けるのだ。
つまり、そのミュージカル・シーンは、登場人物の心情や物語の展開を一気に変化させるためには、まるで機能していないのである。

そこに限らず、この映画におけるミュージカル・シーンは総じて、ただ何も考えずに適当なタイミングで挿入しているだけにしか思えない。
モーテルで2つ目のミュージカル・シーンがあって、そこでは優香がソロで歌うのだが、なんと愛のバラードだ。
歌唱力の低い優香にソロでバラードを歌わせるなんて、正気の沙汰とは思えない。
せめてテンポの速い曲で、バックダンサーを付けて、歌と踊りで見せていく形にすべきだろうに。

3つ目のミュージカル・シーンは、ユミに置き去りにされた壺男が星空を見ながら歌い出すという形。
ここも、歌い出すようなタイミングではないと感じる。
それと、その歌が終わったところへユミが笑顔で戻り、「乗んなよ」と優しく声を掛けるのは違和感が強いぞ。なぜ彼女の気持ちが変化したのか、サッパリ分からない。そのミュージカル・シーンに参加しており、壺男の歌で気持ちが変化したってことならともかく、そうじゃないんだから。
「仕方なく乗せてやる」ってことならともかく、なぜ笑顔で優しいのかと。

願いが叶ったら壺男のことを忘れてしまうと知ったユミが、寂しそうな様子で「忘れたくない」と言い出すのも違和感たっぷりだ。
いつの間にユミは、そこまで壺男に親しみを感じるようになっていたのか。
ずっと壺男を「疎ましくて迷惑な奴」として捉えていたはずのユミが、どのタイミングで、壺男のどういう部分に好感を抱き、別れを惜しむぐらいになったのか、それが全く分からない。
少なくとも観客からすると、ただ騒がしいだけの邪魔な奴でしかないのに。

エリコが助かり、願いが叶ったので壺男は壺に戻るが、もちろん話としては何も片付いちゃいない。
だからユミが日本に戻り、なぜか転職して花屋になっているところでラストのシーンが描かれる。
そこで初めて花屋の店員役で篠原ともえが登場するのだが、彼女のソロで始まるのが4つ目にして最後のミュージカル・シーン。
つまりクライマックスのミュージカル・シーンを、そこで初登場した篠原ともえがリードするのだ。計算能力が低すぎるだろ。
っていうか何も計算してないのか。

篠原ともえが歌った後、玉山鉄二が引き継ぎ、続いて優香が歌い出す。
タイトルが「恋に唄えば」で、最終的にユミとサトルが結ばれる内容なのに、優香と玉山鉄二のデュエットは最後のミュージカル・シーンに少しだけ。で、その後に竹中直人、古田新太と順番に歌って映画は終了。
全部で4つ目しかミュージカル・シーンが用意されていないって、明らかに手抜きだろ。
しかも、その内の2つが竹中直人のソロ。優香はソロのバラード1曲と、4曲目で少し歌うだけ。
ほとんど踊らず、歌も少しだけという扱いなら、ミュージカル映画の主演に起用する意味が無いだろ。ちゃんと練習させて、もっと歌と踊りを任せろよ。それが無理なら、最初から起用するなよ。

(観賞日:2014年11月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会