『恋極星』:2009、日本

北海道の小さな町、星丘町。8歳の柏木菜月は父・浩一の営むプラネタリウムで、幼馴染の舟曳颯太、星に詳しい弟・大輝と一緒に星空の 映像を眺めた。颯太はカナダに行くことになっており、「帰って来たら、なっちゃんをお嫁さんにする」と菜月に告げた。それから11年後 、19歳になった菜月はクリスマスツリーに使うモミの木を抱え、電車に乗ろうとする。モミの木が引っ掛かると、サングラスを掛けた男の 乗客が引っ張り上げてくれた。しかし菜月がマフラーを取りにホームへ戻っている間にドアが閉まり、電車は出発してしまった。
翌日、菜月は事務員をしている奥園建設株式会社に出勤した。その夜は会社の忘年会が開かれることになっていたが、菜月は用事があると 言って断った。養護施設「のぞみ野学園」の岡野園長から電話が入り、菜月は父が死んで閉鎖されたプラネタリウムへ赴いた。すると ツリーが飾り付けてあり、電車の男と大輝が座っていた。自閉症の大輝が暴れ出したので、菜月は声を掛けて落ち着かせた。菜月から 「立ち入り禁止です」と言われた男は、「分かんないの?」と問い掛ける。彼は成長した颯太だった。
菜月はのぞみ野学園へ弟を連れ帰り、颯太に冷たく接した。「いつ日本に帰って来たの」と彼女が問うと、「4年前。今は東京で大学生 やってる」と颯太は答えた。菜月は「あんまり私たちに構わないで。大輝のことは、颯ちゃんには関係ない」と冷たく言う。颯太が「関係 ないってことないじゃん。これでも幼馴染なんだし」と言うと、菜月は「他人だよ」と告げた。「プラネタリウム、無くなるの?手放す なよ」と口にした颯太に、菜月は「お父さんが死んで、みんな変わったの」と言う。
颯太が連絡先のメモを渡そうとすると、菜月は突き返した。颯太は「しばらくこっちにいるから、また連絡する」と告げて立ち去った。 次の夜、番号を知らないはずの颯太から、なぜか菜月に電話が掛かって来た。翌日のクリスマス・イヴにのぞみ野学園へ行くことを、彼は 語った。大輝にはもう言ってあるという。次の日、のぞみ野学園の屋上に3人は集まり、プレゼント交換をした。菜月はビデオカメラを 颯太にプレゼントした。大輝が嬉しそうな顔を見せたので、菜月は颯太に礼を言う。
菜月が「小説とかドラマみたいに、すごいことなんか起きるはずが無い。それが私の人生なの。自分の運命は変えられない」と寂しそうに 言うと、颯太は「生きてる以上、変えられないことなんかないよ」と元気付けようとする。「自分の力で変えられるわけないじゃん」と 菜月が口にすると、颯太は彼女の手を繋ぎ、2人で星を眺めた。颯太は菜月を自宅まで送り届け、明るい様子で立ち去った。
翌日、颯太は北海道中央総合病院へ赴き、医師の竹中俊夫と面会した。颯太は「最近、調子がいいんですよね。症状も出ないし、治ったん じゃないかと」と軽く言うが、竹中は「一時的に症状は出てないかもしれないけど、このまま良くなる病気じゃないことは、君が一番良く 知ってるはずだ」と述べた。彼が「もう一度、ご両親と相談して……」と喋るのを途中で遮った颯太は、「俺、結構、幸せな気分なん ですよね。あと少しでいいですから」と告げた。
颯太は菜月の元へ行き、大輝と3人で観覧車に乗る。颯太はビデオカメラで2人を撮影し、菜月にキスをした。颯太は大輝を施設へ送った 後、「東京へ戻ることにした」と菜月に言う。菜月は泣き出し、「颯ちゃんは帰れば済むもんね。でも私はどこへも行けない。お父さんの 時と同じ、置いてかれるだけ。一人で盛り上がって、バカみたいじゃん。思い出なんか要らない。どうせ無くなっちゃうんなら、最初から 要らない」と漏らした。
颯太は菜月を強く抱き締め、「ごめん、そんなつもりじゃなかった。もう一回、この町に来たかったんだ。大輝と菜月に会いたくて」と 釈明した。菜月は彼を部屋に招き入れ、体を委ねようとする。颯太は彼女の服を脱がせようとしたところで手が震えてしまい、笑って 誤魔化した。菜月は彼の異変に気付かず、自分で服を脱いで肉体関係を持った。翌日、菜月と颯太は、大輝を連れてボーリングに出掛けた 。颯太は菜月の誕生日にデートの約束を取り付け、待ち合わせ場所を決めた。
デートの当日、菜月はめかしこんで出掛け、待ち合わせ場所で颯太を待った。だが、待ち合わせ場所へ向かう途中、颯太は倒れてしまう。 菜月は颯太の携帯に電話をするが繋がらず、事情を知らないまま待ち続けた。病院に担ぎ込まれた颯太に、竹中は「手術をしても腫瘍を 取り切れるかどうか分からないが、それが唯一、残された方法なんだ」と告げる。意識を取り戻した颯太は菜月に電話を掛け、「また連絡 する」と告げて電話を切った。だが、それ以降、颯太からの連絡は無く、菜月がメールを送っても返信は無かった。
颯太は両親から、手術を受けるよう諭される。菜月は颯太のアパートへ行き、管理人に頼んで部屋に入れてもらう。そこで彼女は、颯太の 飲んでいる薬を発見した。颯太の母・弥生と会った菜月は、3年前に颯太の体から腫瘍が見つかって最初の手術を受けたこと、しかし再発 してしまったことを知らされる。颯太は「もう諦めた」と、手術を受けたがっていなかった。手術を受けなければ、どんなに持っても余命 は1年だという。
菜月は颯太の病室へ行き、「大輝、颯ちゃんと一緒にみずがめ座イータ流星群を見るんだって。13年ぶりの大出現なんだってね」と告げる 。颯太は「また前評判だけだよ」と冷めた口調で述べた。「でも、もし見えたら奇跡だって」と菜月が言うと、「奇跡なんか起きない」と 声を荒げた。颯太が東京へ戻る日、菜月は再び病院へ赴き、「病気が治ったら、また会えるよね」と話し掛けた。しかし颯太は「無理だ。 苦しい思いしても、ちょっと寿命が延びるだけだ」と口にした。
颯太は「このままほっとくのと、危ない手術受けるのと、菜月だったら、どっち取る?どうすればいいか、もう分かんないんだよ」と弱音 を吐いた。菜月は「私だったら、やっぱり同じだと思う。ものすごく怖くて、気が狂いそうになるかもしれない。でも、私には大輝がいる から。あの子のために、少しでも長く生きたいよ」と言い、泣きながら抱き付いた。「そういうのじゃダメ?今すぐ決めなくてもいいから 。私やおばさんたちのために、そういう風に思ってみて」と、彼女は告げた。
颯太は北海道に残り、竹中の化学療法を受けることにした。菜月は手術を急かさず、病院に通って彼の世話を続けた。ある日、颯太は屋上 へ行ってビデオ映像を眺めるが、急に大雨が降り出した。発作で倒れた彼は、「まだ死にたくねえよ」と漏らす。命は取り留めたものの、 竹中は両親に「手術を受けないと危険な状態です」と告げる。菜月は颯太に流星群を見せ、手術を受ける気になってもらおうと考えた。 そこで彼女は置き手紙を残し、颯太を病院から連れ出した…。

監督はAMIY MORI、原作は『君に光を』ミツヤオミ(講談社「別冊フレンド」掲載)、脚本は横田理恵、企画はデジタルハリウッド エンタテインメント株式会社、製作総指揮は柳原秀哉&三宅容介&小林雄子&Naomi Fung、エグゼクティブプロデューサーは男全修二& 坂本紫穂、企画 プロデューサーは木村元子、プロデューサーは佐藤丈、撮影は小松原茂、編集は松竹利郎、録音は小川武、照明は 松隈信一、美術は鈴村高正、音楽は小西香葉&近藤由紀夫、音楽プロデューサーは小西香葉、音楽はMOKA☆。
主題歌「好きです。」青山テルマ Words:SABRO、Music:3rd Productions、Produced by 3rd Productions。
エンディングテーマ「奇跡(Acoustic Ver.)」岡野宏典 Words & Music:岡野宏範、Produced & Arranged by 島田昌典。
出演は戸田恵梨香、加藤和樹、若葉竜也、熊谷真実、吹越満、鏡リュウジ、二階堂智、徳井優、キムラ緑子、北山向日葵、千阪健介、 望月太陽、浅香友紀、岩崎光里、加門良、松田一輝、Takuya(現・矢吹卓也)、 黒沢光春、山崎大昇、桝田徳寿、斉藤冨夫、高橋真人、金田一仁志、村上有希子、奈々葉、佐藤慶太、中山恭誉、松本卓夫、藤本早苗ら。


漫画家のミツヤオミが2005年に別冊フレンドで発表した読み切り漫画『君に光を』を基にした作品。
写真家でメディアプロデューサーでもあるAMIY MORIが初監督を務めている。
菜月を戸田恵梨香、颯太を加藤和樹、大輝を若葉竜也、弥生を熊谷真実、浩一を吹越満、竹中を 二階堂智、奥園社長を徳井優、岡野園長をキムラ緑子が演じている。また、占星術師の鏡リュウジが本人役で出演している。

冒頭、幼少時代から11年後への転換が、ものすごく淡白で事務的。
そこは例えば「幼少時代のシーンでカメラが星空にパンしてタイトルが入り、タイトル明けで11年後に移る」とか、「同じ景色でカメラが グルっと回転したら、幼かった菜月が19歳に成長している」とか、何か工夫が欲しい。
それは、このスウィートすぎるファンタジーに観客を入り込ませるための工夫でもある。
そういうのが無くて、ただダラッとした感じで現在のシーンに流れていってしまう。

電車のドアが閉まって走り出してしまうシーンで、菜月は何か言っているグラサン男を見て「えっ?」というリアクションをする。
だが、そんなことよりも、モミの木を乗せて電車が出発してしまったことへの焦りを示すべきだ。
それに、走って行く電車を彼女の背中越しに見せる映像でシーンを切り替えるって、どういうことよ。
そこは、どう考えたって「走り去る電車を眺めるしかない菜月の表情」をカメラが捉えて切り替えるべきでしょ。

それと、次のシーンで菜月が帰宅して「モミの木なんだけど、売り切れてて買えなかったの」と電話で話しているが、それだとモミの木を 買った理由や話している相手が良く分からない。
そして、それを隠しておくことはマイナスでしかない。
そこは、大輝のために買ったのだから、「どうしよう」とか、「申し訳ない」とか、そういう心情を、もっと明確に示すべき。
電話で話しているシーンでも、そういう気持ちの表現は弱いし。

電車のグラサン男は成長した颯太であり、その再会シーンってのは重要なはずなのだが、なんか淡白。
それは、そのシーンの演出だけが問題なのではなく、シーンそのものが、それでいいのかと。インパクトとして、弱いんじゃないかと。
ただし、同じシーンでも演出を少し変えれば、もう少しインパクトを強めることは出来ただろう。
例えば、慌てて菜月が電車を追い掛けて、カメラは窓の向こうにいる颯太の様子を捉えるとか。
なぜか菜月はドアを開けてもらおうとか、電車を追い掛けようとか、そういうこともなく、あっさりと見送っているんだよな。それも 違和感があるなあ。

状況説明も上手くない。
菜月は「岡野先生」からの連絡を受けてプラネタリウムへ行くが、まず岡野が何者なのか、なぜプラネタリウムへ行くのかが良く 分からない。
プラネタリウムには大輝と颯太がおり、そこではプラネタリウムが閉鎖されていること、大輝が自閉症を患っていること、電車の男が颯太 だったことが描かれるが、その3つを同じシーンで処理すると、ゴチャゴチャしてしまう。
そこを解消するためには、そのシーンより前に、菜月が施設へ行って大輝と会っているシーンを用意すべきだ。そうすれば、岡野の正体も 、大輝の自閉症も説明できる。それとは別に、プラネタリウムが閉鎖されていることも示しておいた方がいい。
あと、プラネタリウムにはクリスマスツリーの飾り付けがあったんだけど、それには全く触れないままで、シーンが切り替わってしまうん だよな。

プラネタリウムへ赴いた菜月が暴れる弟を落ち着かせるのは当然の行動だが、電車のグラサン男がいるのに完全シカトってのは違和感が ある。
それと、大輝が暴れているのに、颯太がクールに眺めているだけで何もしないってのはダメでしょ。
大体、なぜ颯太がそこにいるのかも良く分からない。
それと、もう父親は死んでいるのね。それも、その段階では分からないけど、先に示しておくべきでしょうに。
なんか色んなことが後回しで、タイミングが遅いなあ。

菜月に「立ち入り禁止です」と言われた颯太は「分かんないの?」と問い掛けるけど、そりゃあ分からないよ。
幼かった頃の面影がゼロなんだもん。
そこはさ、幼少時代に口癖があったり、大事にしていた物があったり、菜月から渡された物があったりして、それを提示することで、颯太 だと分からせるような配慮があった方がいい。
始まって15分ぐらいで、ダメなポイントが山ほど出て来るなあ。

菜月が戻った颯太と再会するか、あるいはグラサン男が颯太だと気付く前に、「颯太が戻るのを待っていたが、ずっと戻らず、寂しい思い をしていた」ということを示した方がいい。
それが無いので、なんで颯太にツンケンするのかピンと来ない。
もう11年も経過しているんだから、菜月が他の男と交際しているとか、颯太のことなんか忘れているとか、そういう可能性だってあるん だし。
そこは再会シーンまでにハッキリさせておいた方が、その後の物語進行もスムーズになる。
っていうか、どうせ菜月の颯太に対する冷たい態度はすぐに和らぐんだし、あまり意味が無いなあ。最初から「どうして今まで連絡を くれなかったの?」と寂しそうに言い、再会を喜んで感涙するぐらいでもいいんじゃないかと。

原作の颯太がどういうキャラ設定なのか知らないけど、少なくとも本作品の颯太は、すげえキザでカッコ付けた男である。
他の女に声を掛けるとか、女に言い寄られるとか、そういうのは無いけど、プレイボーイ的なキャラに見える。
で、それって何かプラスがあるのかというと、何も無い。ただ単に、不誠実な奴にしか見えない。
不誠実に見せていることに効果があるかってえと、それも無い。
ひょっとして「実は病気で余命わずか」というところとギャップを付けるためなのかもしれないが、そんなギャップは何の役にも立って いない。そこでギャップを付けたかったのなら、他の形で付ければいい。

ただし、これにはキャスティングの問題も関係している。
っていうか、そこが致命的な問題かもしれない。
というのも、加藤和樹は、あまりにもキザが似合いすぎるのだ。そして、その似合い方と言うのが、「キザな自分に酔いしれているように 見える」という似合い方なのだ。
これがコメディーにおける主人公男子のライバル役とかだったら、それでも良かっただろう。
ただし、この映画のキャラとしては、それだと好感度を大きく下げてしまう。
例えば、年齢のことは置いておくとして、同じ役を堺雅人が演じて同じセリフを喋っても、そんなにプレイボーイ的には見えなかった だろう。たぶん、もっと誠実な男に感じられたのではないか。

一方の菜月は、すげえ簡単に颯太と肉体関係を持ってしまう。もう颯太の手が震えたところで中止になるかと思ったのに。
っていうか、そもそも「関係を持とうとする」という段階で、違和感は強いんだよな。
颯太が「もう一回、この町に来たかったんだ。大輝と菜月に会いたくて」と言った直後だけに、「菜月とやりたくて戻って来ただけなのか 」とツッコミを入れたくなってしまう。
菜月の方も、なんか軽い女に見えちゃうし。
最後までプラトニックな関係のままに留めた方が良かったんじゃないの。
どうせ戸田がヌードになるわけでもないし、その濡れ場、何のプラスにもなっていない気がするぞ。

颯太は倒れて病院に担ぎ込まれて以降、いや、それより少し前ぐらいから、キザな素振りはすっかり消えているのだが、そういう変化が 起きた時に、「それまで彼がキザに振る舞っていたのは何だったのか」という疑問が生じる。
それは「菜月の前で元気な自分を装うための芝居」という設定だったんだろうか。
しかし、元気なのとキザなのは全く別物だしなあ。どうにも良く分からないなあ。
まさか「明るく装う芝居」を加藤和樹にやらせたら、キザになってしまったということでもないだろうし。

もう前半の内に、颯太が病気で余命わずかってことはバレバレになっている。それを匂わせるシーンしか無いけど、完全にバレバレ だ。
ただし、これを後半まで隠しておいて「実は病気」とやったところで、それで物語の質が上がったかというと、それは微妙なところ だ。
そもそも「颯太が重い病気」という設定の時点で、安っぽさからは逃れられなかったんじゃないかという気がしないでもない。
ただし、どうやったって安っぽくなるとは言え、菜月が病気を知るシーンや、彼女の反応は、すげえ淡白だよなあ。
この映画、とにかく全てにおいて「淡白」という言葉が付きまとう仕上がりだ。

あと、実は「菜月が自閉症の弟の面倒を見ている」という設定が、あまり意味の無いものになっている。
一応、「そんな弟の状態も含めて、菜月は自分の運命なんてこんなものと決め付けている」という設定があるんだけど、それが上手く表現 されているとは言えないし、それに「運命なんて決まってる」という悲観的な考えの持ち主であることは、自閉症の弟を配置しなくても 表現できることだ。
大輝が菜月と颯太を結び付けるキューピッド役というわけでもないし、その2人の恋愛劇の展開に深く関与しているわけでもない。ただ 「その場に同席している」というだけに過ぎない。
要らないでしょ、このキャラ。

菜月が流星群を見せるために颯太を星丘町へ連れて行くと、町のネオンや家屋の明かり、観覧車の照明などが全て消えて、星が見えるよう に暗くなる。
「どういうことなんだろうか。あの町では星を見るために全員が明かりを消すということなんだろうか。まさか、菜月が颯太のために全て の明かりが消えるよう手配していたわけじゃあるまい」と思っていたら、なんと、「15分だけ明かりを消してくれと、菜月が頭を下げて 町中を回った」ということが後になって明らかになる。
だけどねえ、それなら、その頼みに回るシーンは先に見せちゃった方がいいよ。そこは淡白に処理しちゃダメよ。
っていうか、それで町の全員が承諾し、ちゃんと約束を守ったというのは、すげえ無理を感じるなあ。
流星群が流れるシーンは、たぶん感動的なモノとして用意されているはずなんだけど、事情説明が無いまま全て明かりが消えることへの 違和感が先に立ってしまうし、作り物の星空がバレバレだし、何の感動も無いよ。

で、菜月が頭を下げて頼んだと知った颯太は手術を受けると決めるのだが、手術へ向かった後、シーンが切り替わると、もう彼が死んだ後 のシーンになっている。
どっちにしろ死ぬのなら、「手術を受ける気になる」という展開を用意した意味が無い。
最終的に死ぬにしても、「手術を受けて余命が延びて、菜月との思い出作りをする」というシーンが無いと、菜月が大勢の人々に頭を 下げて明かりを消してもらい、流星群を見せて手術を受ける気にさせた努力が、全て無駄ってことになってしまう。
それにしても、この手の映画で「最終的に病気から復活する」という選択肢は無いのかねえ。
無いんだろうなあ。

(観賞日:2011年9月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会