『こどもつかい』:2017、日本

東京郊外の団地に住む柴田絵理奈は、泣きじゃくる幼い娘の瑠奈を怒鳴り付けた。彼女は瑠奈をベランダの外へ出すと、窓の鍵を閉めた。瑠奈は「ごめんなさい」と繰り返すが、絵理奈は苛立った様子で「そんなにお父さんが好きだったら、飛び降りて行けばいいでしょ」と言い放つ。カーテンを閉めた彼女は散らかり放題の部屋に戻り、水を飲んだ。瑠奈の声が聞こえなくなったので絵理奈が窓を開けると、ベランダには誰もいなかった。
慌てた絵理奈は部屋を飛び出し、隣に住む女子中学生の中川友里に「ウチの瑠奈見なかった?」と尋ねる。友里と主婦の睦美が絵理奈を部屋に連れ帰ると、瑠奈がベランダの隅に座り込んでいた。友里たちが帰った後、絵理奈は「どこに隠れていたの」と瑠奈に詰問した。 すると瑠奈はある物を渡し、笑いながら立ち上がる。その直後、絵理奈の前に黒マントの男が現れてラッパを吹くと、大勢の子供たちが部屋に出現した。
あげは保育園で保育士として働く原田尚美は、園児たちの母親から学芸会で自分の娘をお姫様にするよう要求されて困っている。先輩の小松洋子は、「このままじゃ全員がお姫様ね」と言う。園児の笠原蓮は母親同伴ではなく1人で保育園に現れるが、良くあることなので尚美は彼の手を取る右肩に3つの赤い痣を見つけた彼女は絆創膏を張るが、あまりに念入りに何度も手で触れていたので「何やってんの」と洋子が見咎めた。
友里は友人3人と一緒にいる時、記者の江崎駿也と上杉慎吾から取材を受けて、瑠奈が絵理奈から虐待を受けていたことを話した。友里は絵理奈が「瑠奈がいなくなった」と騒いだ日の出来事を話した後、その日から彼女が瑠奈を怖がっている様子だと告げた。友人の1人は、「瑠奈ちゃんがいなくなったのって、母親が亡くなる3日前でしょ」とトミーの呪いについて話す。まずトミーが子供を連れ去るが、いつの間にか戻って来る。しかし子供を見つけた人はトミーの呪いでおかしくなり、3日後に死ぬという都市伝説があるのだ。
トミーは死んだ子供の魂を操る存在と言われているが、上杉は記事にならないと考える。彼は江崎に冷たい態度で、「やりたきゃ勝手にしろ」と告げた。友里は江崎に、絵理奈も瑠奈も部屋から出て来ないこと、ノックしても返事が無いことを語る。さらに彼女は、絵理奈の謝る声が聞こえたこと、気になって部屋を覗いたら瑠奈が人形を抱いて歌っていたこと、口にハサミが突き刺さった状態で絵理奈の死体が転がっていたことを話した。それは都市伝説で語られている3日後の出来事で、瑠奈は「トミーの正体は」と歌っていた。
江崎はショッピングモールで雑貨店を営む友人の近藤創と遭遇し、息子の勇希が明日で4歳になることを聞いた。江崎は近藤に、同棲中の尚美とは結婚しないのかと尋ねる。江崎は 尚美が妊娠していること、自分には言わないことを話した。近藤は店先で自分を見つめている幼女の希美に気付くと、顔を強張らせた。希美が歌を口ずさんでいるのに気付いた江崎は、密かに録音した。あげは保育園では蓮の母親が迎えに来ないので、尚美たちが困っていた。尚美は蓮をアパートまで送り、幼少期に母から虐待されていたことを思い出した。
彼女がチャイムを鳴らして呼び掛けても、母親は出て来なかった。ドアノブを回しても開かなかったので、尚美は蓮にお守りを渡して「寂しい時にギュッとすると元気になるお守り」と言う。彼女は蓮に寄り添い、「ママが帰ってくるまで、私がママになってあげようか」と告げる。蓮は喜び、尚美は彼と指切りした。尚美が蓮を自分のアパートへ連れ帰ったので、江崎は困惑しながらも受け入れた。3人はオムライスを一緒に作り、楽しく話しながら食べた。尚美は蓮を就寝させて江崎に子供時代のことを聞いた後、自分が母の千賀から虐待されて「アンタなんか産まなきゃ良かった」と言われたことを思い出した。
翌朝、尚美は洋子から、「自宅に泊めるなんて、どういうつもり?」と叱責された。蓮が来て「ママ、一緒に遊ぼう」と口にしたので、他の園児たちも「ママって呼びたい」と言い出した。蓮がジャングルジムの方へ歩き出したので、尚美は後を追う。するとジャングルジムに黒マントの男が立っていたが、尚美の眼前で瞬時に姿を消した。そこへ刑事たちが現れ、蓮の家を訪れた時間について尚美に尋ねた。刑事たちは蓮の母・すみれが遺体で発見されたこと、死亡推定時刻は尚美が訪問した昨夜7時頃であることを話した。
江崎は保育園で瑠奈と会い、彼女が口ずさんでいる歌を録音した。彼が雑貨店へ行くと、近藤は事務室でダンボール箱の中身を見つめていた。「どうかしたのか。なんか変だぞ」と江崎が言うと、近藤は希美の万引きを目撃したこと、警察には連絡せず話を聞いてやったが目を話した一瞬で姿を消したことを語った。その日の夕方、彼は試着室のカーテンが揺れるのを見て中を確認するが、誰もいなかった。希美が不気味な目をした子供たちと共に現れたので彼は怯えるが、気が付くと誰もいなかった。
「その子に何かしたとか?」と江崎が質問すると、「何が言いたい?俺が何したってんだよ」と声を荒らげて事務室を出て行く。江崎は追い掛けようとするが、ドアは開かなかった。子供がリュックを奪い去ったので、近藤は後を追った。黒マントの男がラッパを吹くと、彼は遊具の中で見えない子供たちに翻弄された。近藤が逃げ出した後、ドアが開いて江崎は外へ出ることが出来た。こどもつかいの姿は無く、遊具には近藤のリュックが残されていた。
帰宅した近藤は、妻と共に勇希の誕生日を祝った。近藤は不気味な子供たちに襲われるが、妻も勇希も全く気付かなかった。勇希が声を掛けると、彼は泡を吹いて死んっていなかったかと質問し、2つの事件を調べていること、1つの事件の被害者は近藤であることを明かす。その直後、部屋に蓮が現れて歌ったので、尚美は驚愕する。そこへ洋子から電話が入り、車から蓮がいなくなったことが告げられた。江崎と尚美は洋子に連絡して部屋へ来てもらい、3日だけ蓮を預かってほしいと頼んだ。尚美が江崎に同行して伊勢へ向かおうとすると、蓮はお守りを渡した。尚美が黒マントの男を目撃したと聞き、江崎はトミーに呪いを掛けられたと確信した。
伊勢を訪れた江崎と尚美はサーカスの経営者が上之郷忠造だと突き止めるが、既に彼は死去していた。そこで2人は息子である勝夫の家を訪ね、録音した歌を聞かせた。すると勝夫は「これはトミーの歌や」と言い、過去の出来事を語った。上之郷家は病院を経営していたが、忠造は他の事業も軌道に乗ったことを受けて、子供の頃からの夢であるサーカスを始めた。江崎が聞かせた歌は、客寄せのためにトミーが使っていた物だった。
火災現場は更地になっていたが、団員が寝泊まりしていた宿舎は残っていた。かつては診療所だった場所だが、今では廃墟と化していた。江崎と尚美が建物を調べると、当時の新聞記事や写真が見つかった。腹話術師のトミーが使っていた部屋を探ると、封筒に写真が残されていた。それを見た尚美は、腹話術師の人形が黒マントの男にそっくりだと告げた。江崎は尚美を部屋に残し、人形の捜索に向かう。するとキャスター付きの手押しオルガンが廊下の向こうから近付き、江崎がハンドルを回すとトミーの歌が流れ始めた。
トミーの部屋には黒マントの男が現れ、尚美に「いらっしゃい。また会ったね。ようこそ我が家へ」と挨拶した。尚美が「貴方は」と声を震わせて言うと、彼は「やっぱり忘れてる。じゃあ改めて紹介するよ。僕の仲間たちを」と告げて不気味な目の子供たちを出現させた。「もう蓮くんに近付かないで」と尚美が言うと、男は「そうはいかないんだな。だって約束したから」と告げる。「今度はこのおばさんが遊んでくれるよ」と告げて彼がラッパを吹くと、子供たちは尚美に歩み寄った。
ラッパの音を聞いた江崎は急いで部屋に戻るが、彼には黒マントの男も子供たちも見えなかった。尚美は慌てて逃げ出し、江崎も同行する。しかし扉が開かず追い詰められ、黒マントの男は「お前、要らないって。いなくなっちゃえ」と尚美に告げる。しかし外から勝夫が扉を開けると、男と子供たちの姿は消えた。江崎が「サーカスで何があったんですか」と質問すると、勝夫は「トミーの呪いや」と言い、過去の出来事を説明した。
トミーは子供たちの人気者で、憧れの存在だった。しかし会場で勝夫が誘った7人の子供たちが失踪し、団員が犯人扱いされた。子供の親たちがテントに乗り込み、誰かが火を付けた。焼け跡からは7人の子供たちと、助けようとしたトミーの遺体が発見された。すっかり人が変わった忠造は切断された指を部屋で見て怯え、勝夫はトミーの黒マント人形を発見した。傍にいた大人たちが次々に死亡し、人形にはトミーと子供たちの呪いがあると勝夫は確信した。怖くなった彼は、人形を袋に詰めてゴミ収集車に乗せた。まだトミーの呪いが続いているのは近くに人形があるからだと推理した江崎は、尚美に「現場近くを当たってみるしかない」と告げる。
尚美は黒マントの男に言われた「やっぱり忘れてる」という言葉を思い出し、幼少期を振り返る。母によって押し入れに閉じ込められた彼女は、黒マントの男、こどもつかいに出会っていた。こどもつかいは尚美を自分の世界へ招待すると、聴診器を使って心に秘めた母への本音を聞き出す。こどもつかいは「お母さんなんて死んじゃえ」という言葉を聞き、「内緒の話」と耳元で囁いた。彼は尚美と指切りし、落ちた自分の小指を「約束の印」と差し出した。回想を終えた彼女がお守りを調べると、その小指が入っていた…。

監督は清水崇、脚本はブラジリィー・アン・山田&清水崇、製作総指揮は大角正、製作代表は武田功&木下直哉&中山良夫&藤島ジュリーK.&吉羽治、エグゼクティブ・プロデューサーは関根真吾、企画は吉田繁暁、プロデューサーは秋田周平、アソシエイトプロデューサーは櫛山慶、撮影は ふじもと光明、照明は江川斉、録音は栗原和弘、編集は西潟弘記、美術は福田宣、キャラクターデザイン・特殊メイクは百武朋、音楽プロデューサーは高石真美、音楽は羽深由理。
出演は滝沢秀明、有岡大貴(Hey! Say! JUMP)、門脇麦、中野遥斗、西田尚美、尾上寛之、吉澤健、河井青葉、根本真陽、田辺桃子、玄理、山中崇、ジェームス・サザーランド、須藤温子、ヨシダ朝、原扶貴子、森下能幸、矢崎由紗、高木勇真、竹田雛乃、島野結雨、飯塚純音、井東紗椰、伍藤奏、渡辺城太郎、新宮乙矢、大林佳奈子、水間ロン、田島ゆみか、今野斗葵、中川可菜、橘あんり、曽川留三子、上神田海龍、斎藤來奏、大竹悠義、大智、望月咲希、来しえら、森やよい、曽雌康晴、師岡広明、日向寺雅人、松下太亮、島村晶子、佐藤新太、池田武志、重廣レイカ、瀬戸口明日美、咲音、宗山史、知久杏朱、白須慶子、小手山雅、北村友彦、小田篤、大田康太郎、松井祐二ら。


滝沢秀明が2000年の『川の流れのように』以来となる2度目の映画出演にして、初主演を務めた作品。
監督は『ラビット・ホラー3D』『魔女の宅急便』の清水崇。
脚本は『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』のブラジリィー・アン・山田。
こどもつかいを滝沢秀明、江崎を有岡大貴(Hey! Say! JUMP)、尚美を門脇麦、蓮を中野遥斗、洋子を西田尚美、近藤を尾上寛之、勝夫を吉澤健、千賀を河井青葉 、幼少期の尚美を根本真陽、友里を田辺桃子、絵理奈を玄理、上杉を山中崇、トミーをジェームス・サザーランドが演じている。

清水崇は『呪怨』が高い評価を受けてヒットしたことによって、完全に「ホラーの人」のイメージが付いてしまった。
どんなジャンルであっても、作品がヒットするのは映画監督として歓迎すべき出来事だ。ただ、それがホラーの場合、「ずっとホラーばかりを求められる」という問題が生じる。
他のジャンル、例えば恋愛映画やアクション映画でも似たようなことはあるが、ホラーが特に強い。
これは清水崇だけでなく、例えば『リング』の中田秀夫なんかも同じことが言える。

もちろん本人が「自分はホラーが大好きで、ホラーだけが撮りたいのだ」という人なら、何の問題も無い。しかし、色んなジャンルに挑戦したいのに、たまたまホラーでヒットが出てしまった場合、それは困った状態ってことになる。
「ホラーの人」というイメージから脱却するために、清水崇は『魔女の宅急便』のように他のジャンルも手掛けている。しかし残念ながら高い評価を得ることが出来ず、興行的にも芳しい結果を出すことが出来ず、またホラーへ戻って来る羽目になっている。
でも困ったことに、そんなホラーのジャンルでも、もう清水崇は枯れてしまったんじゃないかと感じさせる仕上がりになっている。
っていうか、たぶん清水崇は、『呪怨』の人で終わることになるんじゃないかと思う。

序盤から幾つもの失敗を重ねている作品で、まず瑠奈が絵理奈に何を渡したのかハッキリさせない演出が失敗。
それは人間の指なのだが、だったら絵として見せることで観客を脅かせばいい。そこを謎にして引っ張っても、何のメリットも無い。
こどもつかいが登場するシーンで、シルエット的な見せ方しかしないのもマイナスだ。そこはハッキリと姿を見せてしまった方がいい。
滝沢秀明の顔が見えたら怖さが薄れると思ったのかもしれないが、どうせ「黒マントでラッパを吹く」という形は分かるので、その時点で怖さは無い。

こどもつかいがラッパを吹くと数名の子供たちが現れるが、これも薄暗い中で遠目からの映像として見せており、まるで恐怖を与えない。
また、子供たちが出現したからと言って絵理奈に襲い掛かるわけでもなく遊んでいるだけなので、「だから何なのか」というシーンになっている。
そりゃあ、突如として室内に数名の子供たちが出現すれば、そこにいる絵理奈は怖いだろう。
しかし映画として、観客に恐怖を与えるシーンなのかというと、それは違うのよね。

尚美は蓮がシャツの右肩辺りを押さえるのが気になり、袖をまくる。すると3つの赤い痣があったので、彼女は飛び退いて口元を押さえる。尚美は極度に怖がっており、SEも入って「怖いシーン」として演出されている。
だけど、そんなに恐ろしいシーンではないよね。何か怪奇現象が起きているならともかく、「子供に痣がありました」というだけであって。
しばらくすると「尚美が幼少期に虐待されていた」ということが明らかになるので、だから強いショックを受けたということなんだろう。
ただ、そうだとしても、観客を怖がらせようとするポイントが違うんじゃないかと。

江崎が友里に取材した理由は、遺体の第一発見者だからだ。
つまり、映画では「絵理奈が死体で発見され、友里が通報して警察が来る」という手順が省略されているのだ。
このままだと、「遺体を発見した友里が怯えて」という、観客に恐怖を与えるチャンスが1つ失われる。
後から「こういうことがありまして」と友里が語るシーンで遺体を発見した出来事が描かれるが、そこを回想として挿入する構成にしたことにより、無駄に話がややこしくなり、恐怖も弱くなっている。

江崎は希美の歌声に気付くと、すぐにレコーダーを取り出す。
だけど、なぜ録音しようと思ったのか、その理由がサッパリ分からない。これが例えば「トミーの正体は」とでも歌っていたのなら分かるけど、そうじゃないんだし。
近藤が事件の関係者だとか、希美が事件との関連を抱かせるような特徴を持っていたとか、そういうわけでもない。「江崎はトミーの呪いに興味を抱いており、その都市伝説では子供の歌が鍵になっている」ってことでもないし。
友里は「瑠奈の歌が頭から離れない」と言っていたけど、「だから希美の歌を録音しよう」ってのは全く腑に落ちない。

「尚美は本来ならスクリーミング・クイーンのポジションだと思うのだが、そんなに悲鳴を上げて観客の恐怖を煽る役回りを担うわけではない。
それより何より、ヒロインとして全く魅力的ではない。蓮に「ママが帰ってくるまで、私がママになってあげようか」と不用意なことを言ったことが命を狙われることに繋がるのだが、「自業自得じゃないかな」と冷淡な気持ちになってしまう。
「自分が虐待されていたから蓮に必要以上に感情移入してしまった」という事情はあるにせよ、その不用意な発言は不快感さえ抱かせる。
そんで蓮が施設に引き取られることになると「ママじゃない」と冷たく突き放すのだが、それも行動の愚かしさが嫌悪感に繋がっている。

尚美が園児たちから「ママって呼びたい」と言われて困っている時、ブランコが無人で風も無いのに揺れている。
ところが、蓮はブランコと全く別の方向へ歩いて行く。ジャングルジムの前方に大きな光が出現しており、そこへ向かって歩く。それに気付いた尚美が近付くと、蓮はジャングルジムのてっぺんを見上げており、そこにこどもつかいが立っている。
だったら、ブランコが揺れるのは何だったのか。
あと、ジャングルジムの前方が光っていたのに、こどもつかいが頂上に立っているのは、どういうことなのか。

江崎は雑貨店の倉庫で近藤に声を掛けると、「どうかしたのか。なんか変だぞ」と言う。
確かに変ではあるのだが、そんなことを気にして質問するほどではなかったぞ。ただダンボール箱の蓋を開けて、中身を見つめていただけだ。そこで「こいつは何か隠している」と察知するのは、あまりにも推理力が高すぎる。
あと、「どうかしたのか」という質問に対して、希美が万引きしたことを打ち明ける近藤の感覚も変だ。江崎は「あの幼女と何かあったのか」と尋ねたわけでもないんだから。
ここに限らず、この映画は登場人物の言動に無理を感じる箇所が次から次へと出て来る。用意した段取りに対して、それをスムーズに進めるための手順が全く足りていないのだ。

江崎が持ち帰った近藤のリュックにはビデオカメラが入っており、希美を脅して猥褻行為に及ぶ様子が記録されている。
録画するのはいいとして、それをリュックに入れて持ち運んでいるのは不自然極まりない。
江崎は尚美が帰宅して「蓮を裏切った」と泣いた直後、飲み物を用意するだけで大して慰めようともせず、すぐにレコーダーの歌を聞き始める。それもイヤホンなどせず、尚美にも聞こえる形で聞くのは、ものすごく不可解な行動だ。
ここに限らず、登場人物が段取りのために不自然な行動を取るシーンは頻繁に訪れる。

江崎は尚美が黒マントの男を目撃したと聞き、トミーに呪いを掛けられたと確信する。
彼は「あと3日しか無い」と言うのだが、ここにタイムリミットのサスペンスが全く感じられない。
確かに江崎の言う通り、尚美が呪いを掛けられたのなら、3日後には死ぬことになる。ただ、黒マントの男を見たからって、それが呪いを掛けられた印だという確証がキッチリと示せていないのよね。
もちろん、尚美が呪いの標的にされたことは見ていれば分かるんだけど、それが切迫感を煽るレベルには全く及んでいないのだ。

こどもつかいは誰が見ても明らかなようにハーメルンの笛吹き男がモチーフなのだが、その行動はデタラメで違和感に満ちている。
彼は子供たちの味方として、虐待する大人を始末している。しかし、「まず子供を連れ去り、戻してから3日後に大人が死ぬ」という方法は、無駄な手間を掛けているとしか思えない。
なぜ、さっさと大人を始末しないのか。ひとまず子供を連れ去る意味が全く無い。
3日後に死ぬというのも、トミーの事件とは何の関連性も無いので、無駄な時間でしかない。

そもそも、「トミーが火事から子供たちを救おうとして焼け死んだと思われていたが、実は子供たちを拉致しており、人形が子供たちを守ろうとしていた」というミステリーからして邪魔なだけなのよ。
そんなトコで趣向を凝らしても、映画の面白さには全く貢献していない。そこは最初から「トミーは悪人。呪いを掛けたのは黒マント人形」っという真実を提示して、話を進めればいい。
あと、子供の眼前で親が死んだらトラウマになることは確実なので、ホントに子供の味方なら彼らが見ていない場所で始末すべきだ。
それと、保護者がいなくなったら施設に入れられる可能性が高いので、それが本当に子供のためになっているのかも疑問だ。子供のために虐待する保護者を始末するのなら、その後は子供たちを引き取って面倒を見るぐらいの行動を取るべきじゃないかと。

一応はホラーとして作られているが、これっぽっちも怖くない。主な観客層として児童を想定していたのかもしれないが、滝沢秀明を起用したのなら、もう少し上にした方がいいだろう。
どっちにしろ問題は山積みなのだが、何よりも強く感じるのは「こどもつかいをダーク・ヒーローとして描けば良かったのに」ってことだ。
こいつを「子供を虐待する大人を退治する、ある種のヒーロー的な存在」として設定しておけば、面白くなった可能性どころか、続編さえ作れるんじゃないかという可能性まで感じるキャラクターなのだ。
そういう方向で話を作らなかったことが、この映画を失敗に追いやった一番の要因だと断言できる。

(観賞日:2018年11月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会