『潔く柔く きよくやわく』:2013、日本

カンナとハルタは、同じ団地に住む幼馴染だった。海沿いの町に住む2人は地元の高校へ進学し、同じクラスになった。カンナは友達を作ろうと考え、1人で座っていたアサミに勇気を出して話し掛けた。その時、背後から飛んで来たサッカーボールが彼女の後頭部に命中した。同じクラスのマヤが「ごめん、手え滑った」と軽く言うと、ハルタが腹を立てて掴み掛かった。カンナとアサミは、それぞれ友人のハルタとマヤを制止しようとする。その出来事がきっかけで、4人は仲良くなった。
カンナとハルタ、アサミはマヤと付き合っているのかと、同級生の女子たちは疑った。しかしカンナとアサミは、ただの友達だと否定した。その女子たちが「じゃあ狙っちゃおうか」と言うのを、2人は微笑しながら見ていた。カンナはアサミから、ハルタとマヤがバイクを買うためにバイトしていることを知らされた。夏祭りの日、カンナがアサミと共に男子2人を待っていると、ハルタの従兄弟である清正が声を掛けて来た。彼は友人たちに促されて誘おうとしたのだが、そこへハルタとマヤが来たので言い出せずに立ち去った。
4人は祭りを楽しむが、いつの間にかカンナとマヤ、ハルタとアサミに別れてしまった。マヤは携帯の電源を切り、カンナに「来週の花火大会、2人だけで行こう」と告げる。カンナが突然のことに戸惑っていると、ハルタとアサミがやって来た。帰宅したカンナが勉強していると、ハルタが窓から入って来た。他愛も無い会話を交わした後、不意にハルタはキスをした。高校の合格記念でも2人はキスをしたことがあったが、「好き」とか「付き合って」と言われたわけではないので、カンナは友達としての付き合いを続けていた。
終業式を終えて4人でプリクラを撮りに出掛けた時、マヤは他の2人にバレないようにカンナの手を握った。花火大会の当日、マヤから電話で「今日、来られる?」と訊かれたカンナは、「ハルタとアサミは?」と問う。マヤは「俺ら、一生つるんでなきゃいけないの?」と言い、「じゃあ、待ってるから」と電話を切った。カンナは浴衣に着替え、花火大会に出掛けた。花火を見終わった彼女は、マヤと手を繋いで歩きながら楽しく会話を交わした。人がいなくなったところでマヤはカンナを抱き締め、「初めて会った時からずっと好きだった」と告白した。マヤからキスされたカンナは、それを受け入れた。
ガソリンスタンドでのバイトを終えたハルタは自転車で帰路に就きながら、携帯でメールを送信した。その直後、向こうから走って来たトラックにひかれて彼は命を落とした。連絡を受けたカンナとマヤが病院に駆け付けると、先に来ていたアサミは「ホントは知ってたんでしょ、ハルタの気持ち。ハルタが独りぼっちで冷たくなる時、アンタ何してたの」と非難した。彼女はカンナを睨み付け、「アンタを許さない」と告げて立ち去った。携帯電話を確認したカンナは、ハルタからの「いくよ」というメールを見て嗚咽した。
8年後、カンナは東京の映画宣伝会社「メロンワークス」で働いていた。ある夜、同僚の千家百加と馴染みのバーへ出掛けたカンナは、泥酔している赤沢禄と出会った。禄がカンナたちに絡んで嘔吐しそうになったので、マスターが慌ててトイレへ連れて行った。翌日、仕事で出版社を訪れたカンナは、担当編集者が禄だったので困惑した。しかし禄は、カンナのことを全く覚えていない様子を見せた。そこでカンナも、あえて昨夜のことには触れなかった。
カンナが「見に来て下さい」と勧めた映画のパンフレットを読んで、禄は「つまんなそう」と言う。カンナは「そんなことないですよ」と告げるが、まだ作品を見ていなかったこともあって「出直します」と去ろうとした。すると禄は「マスターのナポリタンは美味いって?」と言い、ニヤリと笑った。彼は学生時代に店でバイトしていたことを話し、「今度、飲み見直しませんか。もし良かったら、お友達と3人で」と誘った。しかし彼の発言に腹を立てたカンナは、声を荒らげて立ち去った。夜、カンナは百加に電話を掛けて禄のことを話し、「すっごく感じ悪くて」と言う。すると百加は「面白そう。ちょっと興味湧いた。もう一回会ってみたいかも」と述べた。
禄は小学2年で事故に遭い、その後で父親の転勤によって引っ越した。高校生になった彼は久々に故郷へ戻り、転入したクラスで幼馴染の関谷と再会した。禄が下校していると、近所で彼が戻って来たと聞いた女性が声を掛けて来た。彼女は涙を流して再会を喜ぶが、禄は相手が誰か分からなかった。「私、希実の姉です。柿之内愛実です」と言われ、ようやく禄は理解した。愛実は希実の日記を「読んでほしい」と差し出し、遊びに来て両親にも元気な様子を見せてほしいと告げた。
試写会の日、受付を担当していたカンナは、ロビーに来ている禄を見つけた。カンナは声を掛けようとするが、女性が一緒にいるのを目にした。後日、禄はカンナに、紹介してもらった百加と飲んで意気投合したことをメールで送信する。次は一緒に行かないかと誘われたカンナは、事務的なメールを返すことにした。試写会に来てくれた礼を付け加えた彼女は、「可愛らしい女性とご一緒だったので、お声がけは遠慮いたしました」と書いた。
「もしかして、僕らのこと、気になります?」という禄のメールに腹を立てたカンナは、「いいえ全く。すみません」と返した。だが、彼からのメールが少し遅れただけで、気になってしまった。黒山監督の昔の作品を一緒に見に行かないかと誘われたカンナは「行きません」と呟くが、結局はOKした。映画館に到着すると、禄は試写会の女性が前に担当していた漫画家だと説明した。映画の後で食事に出掛けると、彼は「今日は誤りたくて誘いました」と言う。
禄は高慢な女性だと勘違いしていたこと、百加から叱られたことを話し、「ごめんなさい」と頭を下げた。思わずカンナは吹き出して、「こちらこそ」と笑顔で告げた。2人はすっかり打ち解け、食事を終えて会話を交わしながら歩いた。高校時代の出来事を語った禄は、カンナにも思い出を尋ねる。カンナはハルタのことを思い出し、「あげませんよ、私の思い出は」と笑って告げた。後日、カンナは百加から、「前に飲んだ時、ハルタのことを禄に話しちゃった」と謝罪された。カンナは「いいよ、もう8年も前のことだし。隠すようなことじゃないし」と軽く受け流した。
バーで禄と飲んだカンナは、「何か釈然としません。だから今日は、何か貴方の秘密を1つ教えて下さい」と告げた。すると彼は、小学生時代の思い出を語った。いつも付きまとう女子がいたので突き飛ばしたこと、そこへ車が走って来て2人ともはねられたこと、自分は怪我で済んだが彼女は即死したことを話した。それが希美だった。彼は愛実の子供の写真をカンナに見せ、「ちょっと似てる。だから、お守りみたいなもんかな」と告げた。
カンナが「もし百加から何も聞いてなかったら、同じこと話した?」と尋ねると、禄は「どうだろうね。なんで?」と言う。カンナが「一つ違えば、違う言葉を返すでしょ。少しずつズレが出来て、違う未来になる」と告げると、禄は「罪悪感で一杯って顔だね。でも、しょうがないよね。自分のことは誤魔化せない。そいつのことは好きになってやれなかったから後悔してるんだろ。ちょっとでもそうなっていれば、貴方が言う違う未来に行き着いてた。例え結果が同じでも、貴方の気持ちは今ほど重くないよね」と語った。
カンナは一気に酒を飲み干し、「本当に嫌な人なんですね」と強い嫌悪感を示した。トイレに行ったカンナが倒れたので、禄は救急車を呼んで付き添った。たまたま店にやって来た清正も、病室へ赴いた。彼は禄の大学の後輩だった。意識を取り戻したカンナは、「耳が聞こえません」と2人に告げる。医者の診断を受けたカンナは、突発性難聴のカルテを渡した。清正からハルタに関する秘密を聞かされた禄は、カンナには絶対に言わないよう釘を刺した。
高校時代、禄は希美の家を訪れ、彼女の両親に挨拶した。両親は歓迎する様子を見せるが、居心地の悪さを感じた禄はすぐに立ち去ることにした。彼は日記を愛実に返し、「呼んでくれた?」と訊かれて首を横に振った。家を出た彼は追い掛けて来た愛実に、「今さら、俺に何しろって言うんですか。俺、一生、希美さんのこと考えていかなきゃいけないんですか」と告げる。愛実は日記を差し出し、「やっぱり、これ読んでくれないかな。読んだら一緒に田沢湖へ行ってほしいの」と述べた。禄が帰りのバスで日記を読むと、愛実の彼に対する思いが綴られていた。最後の日記は、翌日に遠足で禄と田沢湖へ行くことを楽しみにしていることが書かれていた。
退院したカンナは仕事復帰し、お礼として食事に誘うメールを禄に送ろうとする。しかし結局は思い留まり、事務的な文章だけにした。夜、カンナがバーに行くと、禄がいた。禄は原稿が進まないチカコに泣き付かれ、一緒にバーへ来ていた。仕事の電話で禄が席を外すと、チカコは「赤沢君って誰にでも優しいんだよね。だから勘違いする人も多いみたいだけど」と言う。カンナは「別に私は勘違いなんかしてませんけど」と不機嫌になり、ビールを一杯飲んだだけで店を去った。
禄が後を追い掛けて「何やってんだよ」と言うと、カンナは「先生を一人で置いて来たらダメじゃない」と告げる。「アンタ、ほっとけないんだよ」と禄は言い、手を掴んで「送ってく」と告げる。タクシーに乗っても、彼は手を握ったままだった。「家に入れないよ」とカンナは告げ、家の前まで送ってもらう。タクシーを降りた彼女は、禄と見つめ合って緊張する。禄は笑って彼女の髪をクシャッとさせた後、「おやすみ」と告げて去った…。

監督は新城毅彦、原作は いくえみ綾 『潔く柔く』(集英社マーガレットコミックス刊)、脚本は田中幸子&大島里美、製作指揮は城朋子、製作は門屋大輔&市川南&藤門浩之&柏木登&寺田篤&阿佐美弘恭&内藤修&松田陽三&吉川英作、エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、プロデューサーは畠山直人&八尾香澄、ラインプロデューサーは原田文宏、撮影は小宮山充、照明は小島光夫、録音は益子宏明、美術は新田隆之、編集は深沢佳文、音楽は池頼広。
主題歌『かげろう』斉藤和義 作詞・作曲:斉藤和義、編曲:斉藤和義。
出演は長澤まさみ、岡田将生、高良健吾、池脇千鶴、波瑠、中村蒼、古川雄輝、平田薫、田山涼成、和田聰宏、MEGUMI、大滝愛結、信太真妃、春海四方、水木薫、前野朋哉、恩田括、山崎潤、梶沼萌花、池澤あやか、秋月三佳、優希、鹿倉樹麗、阿部翔平、上田航平、五十嵐麻朝、イーピ、梅舟惟永、咲世子、流木ターナー、佐々木大介、澁谷麻美、細川洋平、中村無何有、川籠石駿平、嶋崎青大、星流、松江健、辻本あんず他。


いくえみ綾の漫画『潔く柔く』を基にした作品。
脚本は『雷桜』『アントキノイノチ』の田中幸子と『カフーを待ちわびて』『ダーリンは外国人』の大島里美。
監督は『ただ、君を愛してる』『Life 天国で君に逢えたら』『僕の初恋をキミに捧ぐ』『パラダイス・キス』と、ポンコツな感動&恋愛映画を幾つも手掛けている新城毅彦。
カンナを長澤まさみ、禄を岡田将生、ハルタを高良健吾、愛実を池脇千鶴、アサミを波瑠、マヤを中村蒼、小峰を古川雄輝、百加を平田薫が演じている。

まず冒頭シーンからして、「やりたいことは痛いほど分かるけど、でも痛いよね」と言いたくなる。
だってさ、ハルタとマヤが喧嘩を始めて、女2人が制止しても続行した後、カットが切り替わると「4人が仲良くなりました」というシーンになるんだぜ。「いやマジか」と。
そりゃあ、「若い男2人が喧嘩して仲良くなる」ってのは漫画の世界に限らず、現実にも起きることではあるのよ。だから、決して「まるでリアリティーが無い」とは言わない(っていうか、そもそもリアリティーを追及するような類の映画でもないし)。
ただ問題は、そのシーンの描き方なのよ。ハッキリ言って、すんげえ陳腐なのよ。

もっと言っちゃうと、「ハルタはカンナが好きだけど、素直になれない」「カンナはハルタの気持ちが何となく分かっているけど、マヤの誘いに乗る」ってな感じの恋愛模様も、これまた陳腐なんだよね。
そういう「煮え切らない男女関係」ってのは、漫画でも映画でも珍しくないパターンだし、それが悪いってことではないのよ。
問題は描き方で、そこが上手くないからカンナにもハルタにもマヤにも全く共感できないし、誰一人として魅力的に思えないのだ。
むしろ、「バッカじゃなかろか」と冷めた気持ちになってしまう。

陳腐になっている原因の1つは、「4人が仲良くしているエピソードに、それほど多くの時間を費やしていられない」ということがある。高校時代の出来事はプロローグに過ぎず、カンナが大人になってからの物語がメインだからだ。
だから当然のことながら、4人が仲良くなるまでの経緯なんて、パパッと片付けないといけなくなる。「それにしても」と感じるけど、それ以上に感じるのは「だったら後から4人の関係を充実して描くべきでしょ」ってことだ。
しかし本作品は、そういう作業が全く用意されていない。
何しろカンナが成長してしまうと、死んでしまったハルタが回想シーンで登場することも無いだけでなく、アサミとマヤもほとんど登場しない。この2人は高校時代だけで役目を終了してしまうのだ。
ようするに、全体の構成からすると、高校時代のエピソードで必要なのはハルタだけなのだ。

ただし、それなりの時間があれば陳腐になることを回避できたのかというと、たぶん無理だったと思う。
前述した「カンナやハルタの恋愛模様が陳腐」とか「誰にも共感できない」ってのは、時間が足りないことが原因じゃないからね。
ハルタの「携帯でメールを送信した直後、トラックにひかれて死ぬ」というシーンなんて、「よそ見していたテメエが悪い」としか思えず、まるで同情心が湧かないし。なんで自転車を停めてからメールを打たないのかと。道路に飛び出したら、そりゃあ車にひかれても仕方が無いだろ。
ハルタの事故死を受けてアサミがカンナを「ホントは知ってたんでしょ、ハルタの気持ち。ハルタが独りぼっちで冷たくなる時、アンタ何してたの」と責めるのは、「完全にお門違いだろ」としか思えないし。カンナがマヤとデートしなかったとしても、ハルタは死んでいたわけだからね。
カンナが勝手に罪悪感を抱いたとしたら、それは理解できるのよ。でも「アサミに非難されて罪の意識に捉われ続ける」という形になることで、そこがバカバカしいモノになってしまう。

ぶっちゃけ、アサミの存在なんてバッサリとカットして、単純に「ハルタが死んだことに対してカンナが罪の意識を感じる」という形にしておいた方が遥かにスッキリするんだよな。どうせアサミなんて、その後はほとんど話に絡んで来ないんだからさ。
アサミだけじゃなく、マヤも以降の物語に全く絡まないんだから、排除した方がいい。
その場合、カンナがデートする相手が消えることになるけど、そもそも「他の男とデートする」という手順を変えればいい。例えばカンナからハルタから誘われたけど何かしらの理由で断るとか、些細なことで口喧嘩しちゃうという形にすれば、マヤの存在も「カンナが彼とデートして告白される」というシーンもバッサリと排除できる。
で、デートを断ったり口喧嘩したりという出来事の後にハルタの事故死を持って来れば、「カンナが罪悪感を抱く」という要素はスムーズに消化できるわけで。
もちろん、そんな内容にしたら原作を大きく逸脱することは分かっているけど、それぐらいやらないと、どうにもならないんだよな。

他にも色々と問題点は多くて、例えば禄の過去が初めて描写される回想シーンへの入り方が下手。電話で禄のことを話していた百加が「何だっけ、名前?」と言い、カンナが軽く笑うと、久々に故郷へ戻って来た禄が学校で幼馴染の関谷と再会するシーンになる。
それって、どう考えても流れとして変でしょ。
カンナが百加の「何だっけ、名前?」という言葉に笑ったのなら、彼女が「赤沢禄だった」と思い出すはずで。
で、そこから禄の高校時代の回想に入るって、すんげえ違和感があるわ。
せめて回想が終わったトコで「それは禄が過去を振り返っていた内容です」ってことを示すために、現在の禄を登場させるのかと思いきや、それも無いし。

カンナは禄と仕事で再会した後、すぐに彼を意識した様な態度を取る。試写会で彼が女性と一緒にいるのを見ると、明らかに気分が良くないといった態度になっている。
帰り道には柳原から話し掛けられても、他のことを考えて上の空になっている。試写会の礼をメールで書いた時、「可愛らしい女性とご一緒だったので、お声がけは遠慮いたしました」と余計なことを付け加えているのは、少なからず嫉妬心があるとしか思えない。
でもさ、プロローグで「こんなに強烈なインパクトを心に残す出来事が過去にありましたよ」ってのを描いておいて、その後で「他の男に出会った直後から、カンナが彼を意識するような態度を見せる」という流れにしちゃうと、ハルタが「無駄死に」みたいになってしまうでしょ。
もっとハルタを引きずれと。恋愛なんて全く考えられないぐらい心に傷を負えと。そんな風に言いたくなってしまうのよ。

柳原から腕を掴まれるとフラッシュバックが入り、「ハルタの死を引きずっています」ってのを急にアピールするけど、取って付けた感が強い。
そもそも、その「血だらけの腕を見た制服姿のカンナが涙で絶叫する」というフラッシュバックは、いつの出来事なのかと。そんなシーン、高校時代のエピソードで出て来なかったでしょうに。
腕を掴まれることで「過去に腕を掴まれた時の出来事」を回想するのなら、ちゃんと該当するエピソードを慈善に描いておかないと、何のこっちゃサッパリ分からんことになるでしょ。
後になって、「ハルタの死後、他の生徒とぶつかって赤いペンキが自分の腕に付着し、ハルタのことを思って泣き出した」という時の映像であることは分かるけど、それは先に入れておかないと意味が無いのよ。

カンナは禄に対して腹を立てる素振りを見せているが、映画の後の食事シーンで彼が詫びると笑い出し、カットが切り替わるとすっかり仲良くなっている。その手順は冒頭にあった「ハルタとマヤが喧嘩になり、カットが切り替わると仲良くなっている」という箇所と同じぐらい陳腐だ。
しかし、そもそもカンナが禄に最初から好意を抱いていたことはバレバレなので、そういう意味では「そりゃ簡単に仲良くなるのも当然だ」とも言える。
まあ、どっちにしろ陳腐の世界から抜け出せていないんだけど。
ホントは「心に傷を負った者同士であるカンナと禄が出会い、共に過去を受け止めて歩き出そうとする」という話になるべきじゃないかと思うんだよな。
それを考えると、カンナの心に残る傷については最初に現在進行形の形で描写し、禄の心に残る傷は後から「こんなことがありまして」という彼自身の台詞による説明で明かされる形にしてあるのは、バランスが悪い。いっそのこと、禄の過去に関する設定をバッサリと削り落として、「主人公であるカンナが踏み出すための支えになる相手」という役割だけに留めてしまった方がスッキリするんじゃないかと思ってしまう。

禄が希美のことを話した後の、カンナの「一つ違えば、違う言葉を返すでしょ。少しずつズレが出来て、違う未来になる」という言葉は、何が言いたいのか良く分からない。「用意された台詞を流れとか無視して喋ってます」という感じが強くなっている。
それと、その後の「罪悪感で一杯って顔だね。でも、しょうがないよね。自分のことは誤魔化せない。そいつのことは好きになってやれなかったから後悔してるんだろ。ちょっとでもそうなっていれば、貴方が言う違う未来に行き着いてた。例え結果が同じでも、貴方の気持ちは今ほど重くないよね」という禄の台詞は、あまりにも思いやりに欠けている。
すんげえ不愉快な奴になってるぞ。
しかも禄は、カンナから非難されても「だから何?」みたいな顔なんだよな。

そこに限らず、禄って全く魅力を感じないキャラになってるんだよな。
その後で「救急車を呼んで病室に留まる」みたいなトコで「根は優しい奴」ってのをアピールしようとしているけど、差し引きで考えるとマイナスの方がデカいぞ。
「ちょっと性格に問題があるけど優しいトコもある」という設定で女性の気持ちを引き付けたり、「嫌な奴だけど心に傷を負っている」という設定で同情心を誘ったりするのは、少女漫画で良く使わせる手口だけど、それが成功しているとは思えない。
それと、場面によって「瀬戸さん」だったり「瀬戸」だったりと呼び方がコロコロと変わるのも、タメ口だったり敬語だったりもコロコロと変わるのも、どういうことなのかと思っちゃう。「関係が深まる中で呼び方が変化していく」ってことじゃないのでね。

後半に入ると、高校時代の禄が愛美に誘われて田沢湖へ行く出来事が描かれる。
足を滑らせて怪我を負った愛美に駆け寄った禄は、希美の幻覚を見て、謝罪して泣く。「生きててもいいのかな」と漏らす愛美に禄は「何言ってんだよ、姉ちゃんまで殺したくない」と告げ、それに対する「ロクちゃんのせいじゃないよ」という言葉があって、2人が強く抱き合うという展開がある。
観客を泣かせようという狙いはヒシヒシと伝わるが、取って付けた感が強すぎて泣けない。
それまで言葉を話せなかった愛美の娘が、久々に帰郷した禄と会った途端に喋り出すシーンも、やはり感動的に盛り上げようとしているけど涙は誘われない。
そこに関しては、そもそも「愛美の娘が話せない」という設定からして「それってホントに要るの?」と思っちゃうし。

この映画が歪んだ形になってしまった最大の原因はハッキリしていて、それは原作が「主要人物の誰かが登場する数話完結のオムニバス形式」になっているのに対して、この映画版は「1つの大きな物語」に仕上げているからだ。
原作は全10章で構成されており、カンナとハルタの高校時代のエピソードが描かれるのは第2章。第4章ではヒロインの恋する相手としてマヤが登場し、第5章ではヒロインが関わる女性としてカンナが登場する。
第6章では禄の過去に関するエピソードが描かれ、第7章ではヒロインが親しくなる相手としてカンナが登場する。
第8章ではヒロインの恋する相手として禄が登場し、第9章では大学生になったアサミのエピソードが描かれる。
そして第10章に入り、ようやくカンナと禄の関係が描かれる流れになっている。

原作のような形式なら、アサミやマヤの「その後」は別の章で処理されているから、カンナを主人公とするエピソードに絡んで来なくても受け入れられる。
別の場所で過去を吹っ切って踏み出しているから、そこで区切りが付いている。
しかし1本の長編ってことになると、そういうわけには行かない。前半の重要人物が途中から全く出て来なくなるってのは、キャラの出し入れを間違っているとしか感じない。
だから1本の長編に改変するのなら、後半もアサミやマヤを重用すべきなのよ。それは必須事項と言ってもいい。

それは「カンナと禄の恋愛劇」に関しても、同じようなことが言えるんだよね。原作のような構成なら、途中で「その後のカンナ」や「かつての禄」を描く過程を経ているから、最終章で2人を絡ませてもスムーズに受け入れることが出来る。
しかし映画版のような構成にすると、まずカンナを主役とする「不幸な出来事」の話があるせいで、禄が関わる恋愛劇が邪魔にさえ思えてしまう。
ホントは「ハルタのことをカンナが吹っ切って、ようやく前向きに歩き出そうとする」ってトコを執着地点に据えて、全体を構成してもいいぐらいなんだよな。
新しい恋愛に関しては、「これから恋が始まりそう」という程度で抑えてもいいんじゃないかと思ってしまうのよ。

あるいは、カンナと禄の恋愛劇がメインってことを考えると、いきなり大人になったカンナから始める構成にした方がいいんじゃないか。
そして、後から「高校時代にこんな出来事があって今も引きずっている」ということを描く形にした方がいいんじゃないか。
そういう形を取れば、ハルタの存在が大きくなりすぎてしまうという問題も回避できる。
なまじ高良健吾という人気俳優を起用したのも失敗で、いっそのこと、そこはハルタの顔も出て来ないような形で処理してもいいぐらいだ。

(観賞日:2015年7月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会